< ! > 高校生パラレル。
   雲雀が女の子。初キャバとディーノ、アラウディと雲雀が兄弟です。







駅まで自転車で15分、電車の時間まではあと25分。
準備を済ませて、いつも通り25分前に出ようと自室のドアを開けたら、
廊下で寝ぼけ眼の兄貴とはち合わせた。
目尻を擦りながら、お前いつもなんでそんな早く出てくんだよ、と特に興味も無さそうに聞く彼に、
駐輪場が混んでるんだ、と適当な事を言って家を出た。
自転車を走らせて駅に向かう。晴れている日の自転車通学は心地良い。
実際そんなには混んでいない駐輪場できちんとチェーンを掛けて、
古びた駅の改札を抜け、ホームのいつもの場所に立つ。
他の乗客が先頭車両に乗ろうと奥まで歩いていく中、
俺は比較的改札側の、ホームに入ってすぐところに居る。
理由は単純、反対車線ではこちら側が先頭だからだ。


(…来た)


携帯もいじらずイヤホンも付けず、
俺はぼんやりする振りをしながら反対のホームを見つめる。
ホームに続く階段を下りてきた、真っ黒い女の子を、見つめる。


(…可愛いなぁ)


我ながら、なんて気持ち悪いんだろうと思う。
つまり、嘘を吐いてまで10分も早く家を出るのは、
こちらより5分早くに来る反対車線の電車に乗る彼女を眺める為だ。
3年生に上がってから、週に2回、朝の補習が行われる事になった。
それまでより1時間も早い電車に乗らなければならなくなり、
週2日の補習日の早起きが嫌で嫌で仕方無く思っていた初日、反対ホームに彼女を見つけた。
一目惚れだった。
それから気付けば早起きは週5になったわけだが、何故だかまったく苦痛を感じない。恋ってすごい。
真っ黒で襟元の赤いラインとスカーフの映えるセーラー服は、
この辺の女子たちが可愛いと口を揃える高校のものだ。
偏差値はなかなかに高い、部活動も盛んな優良校である。


(あの子も頭良いのかなぁ)


部活はなにやってんだろうと思いを馳せる。
あまり活動的では無さそうなので、文化系かも知れない、
弓道とか、茶華道とか、そんなのが似合いそうだ。
ショートカットの黒い髪は艶やかで、
肌は白くて陶器の様だけれど、柔らかく暖かそうな印象を受ける。
少しだけ短めの丈のスカートから延びる細い足も真っ白で、
膝下でハイソックスの黒に切り替わる。
あの制服があの子以上に似合う奴なんて居ないと思う。
髪を、スカーフを、スカートを、風が揺らす。
時間を確認する為に開いたらしい携帯を閉じ、
ふいに顔を上げた彼女と、目が合った。


「……」


反射的に目線を反らそうとした時、反対車線に電車が飛び込んできた。彼女を迎えに来た電車だ。
互いの視線は遮られて、安心しつつもどこか恨めしい気持ちにもなる。
さて残り5分はまったくの暇なので、テトリスでもするかとポケットから携帯を引っ張り出す。
ふと顔を上げたら、動き始めた電車の車窓から、彼女がこちらを見つめていた。




 片 恋 路 線 ( 上 り )         




(ちょっと、じろじろ見過ぎたかな…)


本日何十回目ともわからない事を考える。
どれほど悩もうと、前向きになろうと悔やもうとなにも起こらないのだが、
ガラス越しにまっすぐ届いた視線と表情が頭に焼き付いて朝からちっとも離れない。
しかもその表情と言うのが、明らかに不審そうであったならまだしも、
本当になんの感情も伺えない顔だったものだからタチが悪い。
現在地がストーカー一歩手前である事には、認めたくはないが自覚はあった、
次に熱い視線を向けようものなら駅長室送りになるかも知れない。
頭の中で彼女が、人形みたいな顔立ちの名も知らぬ彼女が、
その切れ長の目を顰め、最低、と軽蔑の眼差しで言ってくるのだ。
未だ聞いた事の無い彼女の声の第一声が罵倒だったならたぶんちょっと立ち直れない。
お陰で授業に集中出来るはずも無く、
数学の時間は教師に黒板用のでかい三角定規で小突かれ、
体育の時間にはバレー部エースのパスを顔面に喰らった。
昼休みには友人にその事でいじり倒され、
部活に出る気力は無かったけれど休むわけにもいかず、
3年生の権限をフル活用して後輩たちの練習風景をぼーっと眺めていた。ら、やっぱり顔面にボールを喰らった。
仲の良い後輩には心配された。ちょっと申し訳無く思った。
彼はもし俺がストーカーで告発されても、変わらず仲良くしてくれるだろうか。


「なんだよディーノ、浮かねぇ顔して」


帰宅してからもずっと朝の事を悶々と考えていると、
大学から帰ってきた兄貴がジャケットをソファに放り投げながら言った。
恋の悩みか、と兄貴は笑い飛ばす。
俺はその言葉を聞いてはっとした。
恋。恋か? これはまだ、恋なのか?


「…え、まじ? ビンゴ?」


兄貴は誰が聞いてるわけでもないのに声を潜めた。にやにやしながら俺の顔を覗き込む。


「…なぁ兄貴、聞きてぇ事があんだけどさ」

「おう、恋の悩みなら百戦錬磨の俺に任せとけ」

「どこまでが片思いで、どっからがストーカーかな」


真剣な顔をして聞く俺に、
にやにやしていた兄貴は急に真顔になった。
百戦錬磨でもわからない事はあるみたいだ。



翌朝は、それはもう複雑な気分だった。
なんなら10分遅く家を出たって、というか補習の無い日だから1時間遅く家を出たって構わなかったが、
それでも彼女に会いたい気持ちが強過ぎて結局いつもと同じ時間に家を出た。
太陽がきらきら煌めく下で、俺は鬱々俯いている。
視界の端に、彼女が歩いてくるのが映った。
携帯を眺める振りをしながらちらりと見やると、
彼女はいつも通り、携帯で時間を確認する。
それから少しだけ空を見上げて、フリップを閉じて、鞄にしまう。
一連の動作をちらちらと前髪の隙間から覗き見ながら、
これじゃあ本当にストーカーじゃねぇかと絶望する。
純粋な片思いでさえ罪になるなんてこの世はむごい。
沸き上がる様々な感情を持て余して携帯を無意味に開け閉めしていたものだから、
彼女がこっちを見ている事に気付くのに遅れた。
じっ、と。
例のなんの感情も伺えない表情で、見ている。


(やっ、ぱり…)


あやしまれている。
それもそうだ。なにせひとりの女子高生を見たいが為に1時間も早く家を出ているのは紛れもなくこの俺である、
何故、と聞かれたらどう足掻いても言い逃れは出来ない。
俺は頭を抱えたくなりながら、実際には携帯を片手に握り締めたまま立ち尽くす。
結局彼女は電車に乗って消えるまで俺を見ていた。

その日の午後、急に雨が降り出した。
朝にはあれ程晴れていた空がたちまち曇り、
あっと言う間に薄暗くなり、肌寒い雨が降り出した。
ロッカーの中に運良く折り畳み傘を見つけ、昇降口で途方に暮れた様に空を見上げる学生たちを尻目に特に弊害も無く学校を出た。
ひしめく様な雨音を聞きながら、水たまりを避けて駅に辿り着く。
雨粒を撥ね除けながらやってきた電車に乗り込み、窓を流れる雨で歪んだ景色をぼんやり眺める。
ウォークマンがお気に入りの1曲を流し終えた頃に地元の駅に着き、
そういえば自転車濡れてるよなぁなんて考えながら改札を抜ける。
と、そこに見覚えのある黒いシルエットが立ち尽くしていた。


(あの子だ…!)


話した事も無いのに勝手に気まずくなる。
彼女はこちらに気付いた様子は無い。
どうやら雨宿りをしているらしいが、雨足はいっそう強くなってきている。すぐに止む事は無さそうだ。
黒い髪は濡れて、剥き出しの真白い腿はひどく寒そうに見えた。


「…あ、の」


風邪をひいたら大変だと思ったのだ。
だけどまさか声を掛ける勇気が自分にあるとは思わなかった。
彼女は振り返って、俺を見上げた。
散々眺めていたはずの彼女は、真ん前から見てもびっくりするぐらい可愛かった。


「…これ、良かったら使って」


どもりそうになりながら、その顔を直視する事も出来ないまま、
気付けば折り畳み傘を差し出していた(どうにも上手く畳めなくて、ぐしゃぐしゃのそれを渡すのは少し恥ずかしくはあった)。
彼女はきょとんとしている。そりゃそうだ。
話した事も無い見ず知らずの、いや、ストーカー疑惑の人間に傘を渡されたって困るだろう。
いつまでも俺を見ているだけの彼女に、
居たたまれなくなって半ば押しつけるように傘を握らせる。
触れた手首は冷え切っていた。


「じゃ、じゃあ…!」

「あ、ちょっと、」


早々に立ち去ろうと走り出したら、踏み込んだ先のマンホールで滑って派手に転んだ。
あまりの格好悪さに頬を伝うのが雨なのか涙かもわからなかったが、唐突に頭上だけ雨が止んだ。
見上げれば彼女が手渡した傘を差して、驚いた様子で俺を見ている。


「あの、」

「あ、ごっごめん! はは、格好悪ぃな、俺…」

「待って」


慌てて立ち上がった俺の手首を、今度は彼女が掴んだ。
心臓が止まるかと思った。


「あなたが濡れちゃうだろ」

「あぁ大丈夫、俺の家すぐだし…」

「良くない」


彼女はきっと俺を見据えた。
こんな顔もするのか、とそんな事ばかり考えていた。


「僕は平気だから。すぐ止むだろうし」

「こんなとこでずっと待ってたら、風邪ひいちゃうだろ」

「でも」

「良いよ、この傘ならもうそのまま捨てちまっても良いから」


彼女は納得いかなさそうな顔で俺を見ている。
そろそろ目を反らしてくれないと息が出来なくなって死んでしまいそうだった。


「…じゃあ、」

「ん?」

「半分だけ貸して」

「……ん?」


その時になってようやく、今の状況に気が付いた。
相合い傘だった。


「あなたの家の近くまでで良いから」

「あ、えっと、……お、」

「お?」

「送って、こうか」


舞い上がっていたとは言え、なんて事を口走ってんだと脳内で誰かが嘆いていた。
怪し過ぎる。毎朝見つめて、突如傘を差し出して、その上送っていくなど、
不審者以外の何者でも無い。
だけど。


「…あなた、」


彼女はふっ、と吹き出した。
ずっと対岸のホームから眺めていた彼女は、
今俺の目の前で、俺と会話をして、俺と同じ傘の下に居た。


「…変な人だね」


その日、片思いの彼女に変人と認識された俺は、
だけれど、ものすごく嬉しかった。









120703.



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