< ! > 高校生パラレル。 雲雀が女の子。初キャバとディーノ、アラウディと雲雀が兄弟です。 ただいま、と玄関から静かな声が聞こえた。 マグカップの中の冷えきったミルクをぼぅっと眺めていた僕は、 その声に弾かれるように立ち上がり、バスタオルを手に玄関に向かった。 帰宅した兄はやっぱり濡れていた。 「おかえり」 バスタオルを差し出すと、ありがとう、と礼を言われる。 朝、兄も傘を持たずに家を出た。 雨除けにしていたんだろう、水を吸って重くなったスポーツタオルを代わりに受け取る。 「まだだいぶ降ってる?」 「うん。君は大丈夫だったの、」 「あぁ、うん、まぁ」 夕方の事を思い出す。 ぴよぴよ跳ねた金髪が脳裏を掠めた。 「…誰か来たの?」 「え」 唐突に聞かれてぎくりとする。 この人は信じられないくらい勘が鋭い。 きっと嘘を言ったって簡単に見破られるだろう。 「うん、そう。駅で偶然友達に会って。その子の傘に入れてもらったんだ」 「ふぅん」 しかし結局嘘を吐いた。 彼とは初対面だ。正確には見た事は何度もあったが、話したのも名前を知ったのも今日が初めてだ。 「お風呂溜まってる?」 「うん、あ、着替え出しとくよ」 「…別に、着替えくらい自分で出すよ?」 「早く暖まらないと、風邪ひくだろ」 強引に押し切って、僕は兄の着替えを取りにリビングへ戻る。 それでも彼が靴を脱ぎもせずに玄関に立ち尽くしていたのを不思議には思ったが、 彼が足下に残った泥の跡――女の子のものにしては大きな足跡を眺めていた事には気が付かなかった。 片 恋 路 線 ( 下 り ) 相合い傘なんて小学生が黒板の落書きで盛り上がるものだと思っていた、 しかし現在高校3年生の俺の心臓はかつてない程うるさく騒いでいる。 小学校の発表会で舞台袖に控えていた時よりも、高校受験で強面の面接官を前にしたあの時よりもずっと緊張している。 左隣を歩く少し小柄な子をちらりと見る。 白い肌、黒い瞳、薄紅の唇。 目眩がしそうだった。 彼女は自己紹介してくれた。 名前は雲雀恭弥、高校2年生で、予想通りこの辺りじゃ有名な優秀校に通っている。 俺も自己紹介した。なにを言うものかわからず、聞いた事と同じ事を答えた。 「あなた、イタリアの人?」 「え、うん。なんでわかったんだ?」 「名前でそうかなって。うちにも居るよ」 「イタリア人が?」 「ハーフだけどね。お兄ちゃんが」 へぇ、と相槌を打つ。近くに居るイタリア人なんて兄貴ぐらいのものなので自然と親近感を覚えた。 しかしすぐに、あれ、と思った。彼女は純日本人に見える。 「…あぁ、腹違いなんだ」 俺の疑問を汲んで彼女は教えてくれた。 なんだか聞いてはいけない事を聞いてしまった気がして、 謝ったら不思議がられた。 「別に僕は気にしてないし、普通に仲良くしてるから、大丈夫だよ」 自分の事を僕と呼んだり、どこか男の子みたいな口調なのがよけいに可愛い。 ギャップ萌えってこれかぁ、などと腑抜けた事を考えた。 「ん、そっか、なら良かった」 「…いつも朝、駅で会うよね?」 腑抜けて浮ついた思考はその言葉に撃ち落とされた。 いっつもいっつも色目使ってきて気持ち悪いんだけどなんなのこのストーカー調子乗んなよ、 そう続くんじゃないかとびくびくしながら、あぁそうだね、なんて明後日の方を見ながら頷く。 「あなた、すごく目立つから」 「そう、かな」 「だから、たまにじろじろ見ちゃうけど、ごめん、悪気は無いんだ」 「……え」 さっきからまともに直視出来なかった彼女を振り向いた。 目があった。すごく照れた。 「いやっいやむしろ、俺のがその、いっつもじろじろ見ちゃってて! ごめん、気持ち悪ぃよな…」 「そんな、そこまで思ってないよ」 しょぼんとうなだれる俺に、彼女はおかしそうに笑った。 確かに見られてるなぁとは思ったけど、と。 「こっちが見てるから、見てくるんだと思ってたよ」 「…それ、俺も同じ事思ってた」 俺も思わず笑う。 同じ事思ってたなんて、嬉しい。 「あ、ここ、こっち」 住宅地の角を曲がる。 その時、ちょうど向こうから走ってきた車が水たまりを撥ね除けた。 「危ねぇ!」 「わっ、」 慌てて彼女を引き寄せた。 細い身体を庇った背後に、水しぶきが音を立てて降り掛かる。 車の遠ざかっていく音を聞きながら、車の運転手を睨んでやりたかったけれど、 幸い無事だった彼女に免じて今回は見逃してやる事にした。 「…ふぅ、危ねー、大丈夫だったか?」 「あぁ、うん…」 彼女のきょとんとした顔が思ったより近くにあった。 まぁ突然の事に驚いて勢いのまま抱き寄せてしまったので、こんな至近距離に居るのも当然と言えば当然だ。 …抱き寄せて? 「……!?」 慌てて身体を離す。拳銃を突きつけられた人質かなにかみたいに意味も無く両手を上げて、 もうひとつ傘の下に居るのも居たたまれなくて雨に濡れるのも構わず後ずさる。 向こうからしたらほぼ初対面の分際で、あぁ、あぁなんて事を。 やっぱりあの運転手を恨もう、この子の俺への評価が変人から変態に変わってしまったのはお前のせいだと末代まで祟ってやろう、 軽く涙目になって他人への責任転嫁を連ねる俺なんてみっともないなんてもんじゃないはずだけど。 「…濡れるよ、」 「え、」 ふふ、と彼女はおかしそうに笑う。 俺の離れた分を濡れたローファーで追いかけてきて、俺の方に傘を傾けた。 小さな声で、ありがとう、なんて言われて、頬がだらしなく熱を持つのが嫌という程分かって、 身体中の血液が沸騰して死ぬんじゃないかと思ったけれど、いやそれもいっそ本望かも知れない。 せっかくのお礼の言葉にしどろもどろな返事しか返せず、こんな状況を格好良く切り抜ける方法も兄貴に聞いておこうと思った。 彼女の家はそこからしばらく歩いたところにあった。 ありがとう、とお礼を言う彼女を照れくさく見送る。 「じゃあ、これで」 「待って」 来た道を振り返りかけた俺の手をまた彼女が掴んだ。本当に心臓に悪い。 「ちょっと、来て」 がちゃがちゃと玄関の柵を開けて、手を引かれる。 つられて敷地内に入ってしまって動揺しているうちに、家の中にまで引っ張られていった。 「待ってて」 俺を玄関に取り残して、彼女はぱたぱたと室内に小走りで消えていった。 玄関先とはいえ、他人の、増してや憧れの子の家に来てしまって、 落ち着けるはずもなくきょろきょろしてしまう。 靴箱の上の時計や壁に掛かったインテリアにまで助けを求めたくて仕方無い。 嬉しいけど、うん超嬉しいんだけど、あぁぁ俺どうすれば良いんだ。 「…これ、」 はっと顔を上げたら彼女が戻ってきていた。 その手には柔らかそうなタオルと黒いシャツを持っていた。 「お兄ちゃんのだから、サイズ合うかわかんないんだけど」 「や、良いよそんなっ」 「良くない」 「わっ!」 今日何度目ともわからない問答に痺れを切らして、 彼女はわしわしと俺の髪を拭く。 自分でやる、と止めさせると、満足そうに笑ってTシャツを置き、また室内に消えていった。 着替えろ、という事だろう。 なんでこんな事になったんだっけと思い出す。 俺は昨日まで彼女を眺めているしか出来なかったのに、 相合い傘どころか自宅訪問まで叶えている。 飛び級も良いところだ。 「サイズ合った?」 「うん、ちょうど良いくらいだ」 「良かった、それが1番大きそうだったから」 彼女はマグカップにココアを入れてきてくれた。 暖かいそれを両手で大事に受け取る。 ありがとう、と言うと、どういたしまして、と照れくさそうに言った。 ココアで一息吐く俺を、なにがおもしろいのか彼女はじっと見つめている。 しかし彼女が依然濡れたままである事に気付いて、 慌ててマグカップを棚の上に置いて、その冷たい指先を両手で包んだ。 「……っ!」 「ばか、俺なんかに構ってないで、自分が風邪ひいちゃうだろ」 彼女が真っ赤になっている事には、濡れた髪を拭こうとタオルを被せたが為に気付かなかった。 ちょっと、と非難の声が上がる。 手を離すと、自分でやるよ、と彼女は怒ったように言った。 数分前のやりとりを思い出して吹き出すと、 彼女は気に入らなさそうにもぞもぞと髪を拭いた。 むくれた頬が可愛らしかった。 それから玄関でしばらく談笑していたけれど、互いに身体が冷え切っていた事もあり、 濡れてくしゃくしゃになったシャツを手に持って、彼は帰っていった。 それを見送って、シャワーを浴びて、 ソファでぼぅっとしていたら夕食を作るのをすっかり忘れていて、慌てて台所へ向かった。 急いで作った夕食を、しかし兄はおいしいと食べてくれた。 そう、とだけ返す。普段彼とどんな会話をしていたのか何故だか思い出せない。 もともと友人を作りたがらない性格だった。 人付き合いは面倒だし、ひとりで居る方が気楽だった。 それは兄も同じらしく、僕たち兄妹は基本的に自宅に友人を招くなんて事もしてこなかった。 だから妹が珍しく家に人を上げた事を、きっと彼は不思議に思っているだろう。 そしてその友人が男だと告げたら、心配性の兄はいったいどんな反応をするだろう。 「…ごちそうさま」 そう思うとやはり本当の事は言えそうになかった。 Tシャツが1枚減っているのに気付かないと良いなぁ、と、 まるでその事を祈るように手のひらを合わせる。 向かいの席で味噌汁の椀を片手に持っていた兄が小さく返事をした。 挨拶だけはきちんとする、食べ物には感謝する、 小さい頃からの習慣、もはや癖だった。 「恭弥、片付けは僕がしておくよ」 「良いの?」 「うん。君は早く休んだら」 兄は椀を置くと、僕の額に、男のそれにしては細くて綺麗な手のひらを当てた。 「熱は無いみたいだけど。なんだかぼーっとしてるからね」 「…うん、そうする」 席を立って兄の傍に寄って、おやすみ、と頬にキスをする。これも癖だ。 ダイニングを出て、階段を上る。 自室に着いて、電気の消えた真っ暗な部屋のベッドに倒れ込んだ。 綺麗な人だと思ったのだ。 新学期になってしばらくしたある日、向かい側のホームで眠たそうにあくびを噛み殺している彼を見かけた。 朝日で金髪がきらきらと光って、一瞬で目を奪われた。 兄のものとは少し色味の違うハニーブロンド、 ネクタイはゆるんでカッターシャツの裾はズボンからはみ出て、 そのズボンも腰穿きにしたなんとも不良くさい格好で、 それなのにちっともだらしなくは見えなかった。 制服をきちんと着ない人間を残らず制裁してきた風紀委員のこの僕がどうしたのだろうと自嘲した。 毎朝、飽きもせずに対岸から彼を見ていた。 時たま視線が合う事や、彼がこちらを見ている事もあった。 僕があまりにもじろじろ見ているから不審がられているんだろうなぁと、そのうち文句を言われるんじゃないかとすら思っていた。 目立つから見ちゃうなんて嘘だ。一瞬でも視界に入ると目を反らす事なんて出来ないのだ。 一目惚れだった。 土砂降りに途方に暮れていた帰り道で後ろから突然声を掛けられ、誰だと思って振り返ったら彼で、 あぁ文句を言われるのだと覚悟していたら彼は真っ赤な顔でくちゃくちゃの折りたたみ傘を差し出したりした。 呆気に取られてしまった。その上派手に滑って転んだ。吹き出さなかった事を褒めて欲しい。 あんな不良ルックだからさぞやんちゃなのだろうと思っていたら、あれだ。 ギャップ萌えってこれかぁ、などと腑抜けた事を考えた。 狭い傘の下でぴたりと寄り添って、時折見知らぬ誰かと擦れ違う度に、 もしかして恋人同士にでも見られてるんだろうかとひとり動揺したりした。 彼に水しぶきを掛けていった車の運転手も、どうにも恨めそうにない、 彼からしたら迷惑極まりない話だけれど、でも片思いの相手に守られてときめかない女の子なんて居ないのだ。 雨に濡らされたとは思えない程暖かい体温の彼は、今朝まで一言の会話も交わした事が無ければ名前も知らなかった人間だ。 線路を挟んだ向こう側に居た彼の体温を、今の僕は知っている。不思議な話だ。 最後、見送った時の彼の笑顔が脳裏に浮かぶ。 雨降りで暗く、どんよりした地球上に、まるで太陽が落っこちてきたみたいだった。 耳までじわりと熱くなっているのに気付いて、らしくなくベッドの上でごろごろと転がる。 あぁ僕はどうしてしまったんだろう。 もしかしたらほんとに病気なのかも知れない。 だって明日の朝も楽しみで仕方が無いのだ。 (恋患い、なんて…) ね。 120703. back |