(津サイ)




その日津軽がサイケを見つけたのはいかにも怪しげな路地裏で、コートの色こそ本来の滑らかなホワイトだが、彼の主人そっくりの顔で中年の男に靴を舐めさせる場面だった。男のやや褪せた肉色の舌がぺしゃぺしゃぺしゃと這い回る。これがもしかして楽しいのだろうか、もちろんサイケがだ。答えは知らない。問い詰めてもサイケはこれが俺のお仕事だからの一点ばりで、プラスチックの表情筋はのっぺろぼうのように無表情になる。一般歌唱アンドロイドにすぎない津軽にわかるわけがない。第一、サイケのオリジナルであり主人でもある臨也自身が真実を切り売りするような男で、悲しむべきかな、天真爛漫のサイケでさえその性質を受け継いでいた。また『お仕事』の邪魔をされると酷く怒ったから、津軽は中年男がスーツの胸から札束を取り出しサイケの白い手に渡すのをじっと見守ったままその場で待つしかなかった。会えたからには話したいとは思うのだが、そもそもの邂逅は全くの偶然であったし、約束をしていたわけでもなかった。津軽とて暇人ではないし、これ以上長くなるようだったら立ち去るつもりだったが契約は済んだらしい、男は壁に寄りかかる津軽に落ち着かない一瞥をやると明るい方へと歩いていく。その背中を見つめていると、後ろから柔らかい声が降りかかった。
「待った?」
頭一個分ほど下にある顔がにこり、何も知らない子供みたいに笑う。津軽は目を逸らした。純粋な穢れを知らない子供。そういう錯覚をサイケは与える。
「そうでもない。今日はこれで終わりか?」
「ごめんね。まだ夜からのお仕事が残ってるの」
「じゃあまたにするか」
「それもやだ!折角津軽に会えたのに!」
強い語調で津軽の遠慮を吹き飛ばしたサイケは腕をぐいぐい引っ張った。そのまま大股で歩きだすので津軽はそれに慌てて歩調を合わせる。裏路地の地面はいつでも何かの液体で汚れたような黒ずみが点々としていて、サイケはそれを水たまりのように避けて歩いていく。弾むような足取りが恐ろしいほど馴れている。何も知らない子供なんかじゃないと改めて思う。どこへ連れて行くのかと思ったら津軽の主人が好んで利用する軽食店に入っていく。
「いいのか」
サイケと津軽の主人たちは仲が悪い。こんな店で昼食を共にしていることが噂にでもなれば情報屋のサイケの主人は不機嫌になるのかもしれなかった。「いいの。臨也くんもちょっとなら俺のわがまま聞いてやるって言ってくれたの」
「弱みでも握ったのか」
「ふふふ。そんなわけない。ご褒美なの」
何の。津軽が相槌を打つ一瞬早くサイケの手にある番号札と同じ数字を受付が読み上げた。ちょっと取ってくるね。そう言って席を立った相手を目で追う。まさか計算していたのか聞きたくなるようなタイミングだが、もしも呼ばれなくとも、彼は上手に質問を躱したろう。オリジナルもコピーも呆れるほどにそういうことが得意だった。




サイケのご褒美が何の『お仕事』に対してだったのか知った時、津軽は怒ったがどうしようもなかった。臨也を責める気持ちはあったが面と向かって言うとサイケが必死で庇うからやりづらい。切なそうに愛しい主人を庇う姿を見るのも辛い。そういうわけで怒りのやり場がない。主人そっくりの怪力で握りつぶさないよう、項垂れる頭にそっと触れた。こういう時に破壊衝動まで反映されることがなかったことに安堵とともに感謝する。触れるからこそ芽生えるものだってあるだろうと津軽は思う。
「……もうやめろ。臨也だって無理強いはしないだろ」
「……やだよ」
けれどそれでもどうしようもならないことがあるから困る。
「だって、臨也くん、本当は俺のこといらないんだもん……」
サイケも津軽も歌うために作られた機械だ。もしもサイケの顔が臨也に瓜二つでなければ津軽とセットで出荷されていただろう。けれど自分の顔のアンドロイドの存在が気に食わなかったのか、サイケを無理やり引き取った臨也は津軽だけを放り出し、静雄に押し付けた。津軽は静雄の手伝いをするようになった。けれどサイケは?
「お仕事のできない俺はいらないって言うよ」
「……」
「俺は臨也くんにほしいって言われたい」
人間を愛する臨也は人間ではないサイケの歌は興味がないそうだ。そんな彼に歌うしか能がないサイケは粗大ごみ同然で、手を汚したくない仕事に充てる丁度いい身代わりに使われるしか道がない。わけがわからない。こんなに綺麗な声なのに。
「そんなこと、臨也くんは言わないよ」
津軽がどんなにサイケの歌が好きでも臨也がそうでないように、サイケにとっても何の意味もない。どんなに好きでも。
津軽がどんなにサイケが好きでも。
「俺の一番大切な人、臨也くんなんだ……」
サイケの瞳がきらきらと瞬いている。澄んだ、黒目の大きな美しい目をしていた。幼気な涙で煌めいている。何も知らないなんて嘘だ。サイケは何でも知っている。血と泥の染みの落とし方も、男を上手にその気にさせる方法も、少女たちを騙す手口も。何でも。何かの宝石みたいに盛り上がった水が崩れる。見せかけの張りぼてで、中身はオリジナルと同じでこれっぽっちも綺麗なんかじゃない。それを知っている。なのに津軽は泣くなと思う。そんな悲しい声で泣くなと抱きしめたい。サイケを前にするとそういう感情にさせられるのだった。臨也の一番がお前じゃなくても。俺は。俺は。
ただ胸が熱くて痛かった。
結局腕は、臆病にもサイケの頼りない背中ではなく頭に行き着いた。手触りのいい黒い髪を、できるだけ丁寧にかき混ぜた。
サイケに言える言葉がなかった。言ってもどれほどの意味があるのかわからなくて怖かった。いらないなんて言わないでほしい。それだけが津軽がサイケと共有できる気持ちだった。








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