木陰の非道
180603 2117
昨年の秋口から飼いはじめた雌猫が、春の一斉発情期を乗り越え、このたび個体差によるそれを迎えた様子。
春とは明らかに異なる鳴き声、その高さ、頻繁さ、逼迫した音色。
仕草も似ているようで違う。だるそうにしている点は同じだが、今はそれでも家中を歩きまわって何かを訴えているふうにも見える。
実際、しきりにそばに来ては鳴きながら身体をくねらせ、撫でているうちに「ほしいものはこれじゃない」と言わんばかりに去っていく。それをひたすらに繰り返す。
大島弓子原作、小泉今日子主演の「グーグーだって猫である」という映画がある(宮沢りえ主演バージョンも公開されたそうだが私はそちらは観ていない)。
大島弓子は少女マンガの他に、主にサバやグーグーといった名前の猫たちとの日々を描いた作品でも有名なマンガ家さん。今もって別の猫マンガを連載中らしい。
「グーグーだって猫である」は、やはりと言おうか猫エッセイマンガなので、映画もおおむねそれに沿って映像化されている。
この映画で、小泉今日子演ずるところの大島弓子が、グーグーをキャリーケースに入れて去勢手術を施すべく動物病院に向かう場面がある。しかし、井の頭公園らしきところまで来たところでふいにぼうっとなり、立ちどまって、ベンチに座りこんでしまう。
そして「サバの避妊手術の時もこんな感じだった」と回想する。
(原作マンガではそれほど克明に描写されていないが、後々さらりと語られているので事実に基づいているのだろう)
私はしばらく、この心境をうまくのみこめなかった。
しばらくというのは、このシーンを観てからほぼ五年、本日までである。
かといって、きちんと語ることもできない。
今、私は今月中に猫の避妊手術を行おうと決めているのだが、何だかとても気分が落ちこむ。
自然の摂理に反するとか、健康な身体に人間の都合でメスを入れるのかとか、死亡率だってあるのに、とか、そういったことじゃない。
これほどまでに気持ちをうまく言えなくてびっくりするほど、うまく言えない。
猫とことばをかわせないことが、こんなにももどかしい。
これがいちばん近いようで、遠くも感じる。
たとえば、猫が「発情期だけど自分はこうしたい」と言ってくれたら、私は恐らくその通りにするだろう。
少なくとも話しあいはする。
けれどそれは現実としては不可能なことなので、私が責任をもって、最善と思うことを決めなければならない。
極論になるが、私自身はさておき、猫にとっていちばんよいことは、人間に飼われないことだと私は思う。
猫だけではない。犬でも、兎でも、鳥でも、あらゆるペットとされている生き物たちすべて言える。
生きたいように生きるにはそれしかない。
しかし現実には私はどうしても猫を飼いたかった。
そしていざ飼いはじめた以上は、猫のいのちやしあわせを決して放りださない。
私にできることはたかがしれているけれど、それでも、やるべきことをやる。
避妊や去勢手術は、その、やるべきことのなかに入っているのかなあ。
その生き物の生き方や運命を決めるのは、私ではない、と逃げてしまいたい。
いろんな理屈をこねて避けてしまいたい。
避妊手術をした方が発病率を下げ寿命をのばす可能性につながるという弁解も弁解として取り下げて、病気になったらそれはそれ、死ぬと決まったときに死なせたい。
でもそれも私が決めることじゃない。
猫はどんなふうに生きたいのだろう。
と考え出したら、私もベンチに座りこんでしまうだろうな。
もちろん、原作者の意図とははずれるのかもしれないけれど、多少は通じることもある気がする。
最近になって気づいたことがある。
通常、成長というものは「できないことができるようになること」だろう。
しかし私の猫を見ていて、そうでない面を見つけた。
たとえば、小さい身体だったころにできたことが、今はもうできない。
棚の後ろに入れない。
冷蔵庫と壁の隙間に手を伸ばして意外なものを発見できない。
私の背中に飛びついても、そう長い時間はそこにいられない。
そして、今度は子どもを産めなくなる。絶対に。
もちろん、類が異なることはわかっている。自然にそうなるわけではない。逆に言えば、育ったすえに子どもを産めるようになる道もある。むしろそちらがあるべき姿だろう。
でも、私のもとで成長したことに伴う一つの結論でもある。
だから、せめて、「できるはずだったことができなくなったこと」を嘆くより、「できないことができるようになったこと」を大切にしたい。
自分のペースでごはんを食べられるようになった。
部屋から出ていいときと、そうでないときが分かるようになった。
私の食事中は手出しをせずに、おとなしく待っていられるようになった。
これから一生できなくなってしまうこと、そういうことがあったことを絶対に忘れないのと同じ強さで、今できること、できていることを喜んで、次は何ができるようになるんだろうと希望をもって見つめていきたい。
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