木綿と絹
150831 2229



夏が終わる、8月でおわる、と一言日記において指おり数えるように何かと呟いてきた。
そして、今日がその日である。
別れのときである。

日本の四季のなかで、さようならをこれほど強く意識する時節が果たして他にあるものだろうか。
少なくとも私は春にも秋にも冬にも、こんなにもきっぱりとした境界を感じない。
とはいえ、夏にも、はじまりは、そういえば特におぼえがない。
もう夏なのだなあ、とまばゆい日射に漠然と気づかされる。それが春であれば花の景色であり、秋ならば身にまとうもので、冬となると口から立ちのぼる呼吸の軌跡だ。そうやっていつの間にか変化していたことを知る。去ってゆくときも同様だ。
ただ夏は、夏だけは、妙にきちんと終わるのだ。
8月31日に。

何故なのかとなかば呆然としつつ考えた。
最初に親から離れて一時的にせよ社会に放り出され、戸惑いながらもようよう習慣づいた頃にやってくる最初の長い中断、それが夏休みだから。
どうだろうか。
開始時期はどうしてかあまり記憶に残らないが、最後の日だけはもはや象徴と言って良い。
日本中の子どもが、ある一定の年ごろから、ほぼひとしく、どうしようもなく分かちあう、この確固たる日づけ。
年によっては31日が週末に差しかかり、新学期が9月2日、あるいは3日からということもある。実際、私の母校は私学ゆえか、それとも二期制であったからか、夏休みは9月5日あたりまで不穏にも延々と続いていた。どうにも邪道たる感を否めずに中途半端な心もちで過ごしたものだった。
だが、そんな特殊な事情はどうでも良い。
ただ感覚が、8月31日というこのときこそ夏の終わりだと叫んでいる。
それがすべてである。大人でも子どもでも。結局、理屈ではないのであった。

夏だと意識した瞬間から、今日この31日まで、私がしたこと。
つまり、この夏の記憶を語ろうとすると、無為に長くならざるを得ない。季節のせいではない。私だからである。
が、少しくらいはあがいて、簡潔さに挑まんとす。

この夏はなかなか印象的な出来事の連続だった。
とにかくよく話をした。
あの猛暑の日々に。台風の影響でくもった部屋で。ほっと一息つく涼しげな晩、虫の音に時おり耳を傾けながら。
汗をふきながら顔をあわせ、ほかほかのスマートフォン越しに、そして寝ころがってのメールで。
わけても得がたかった喜びは、会って、話す、ということ。
電話もメールも近代的な産物だが、じかに視線をかわして語ることは大昔から続いてきた知恵なのだなと深くふかく実感した。
そういった理由もあってLINEを辞めた。これで二度目である。つくづく私には向かないのだと、ここではひたすらに痛感した。
便利であればあるほど簡単になり、消費から浪費への移行もとてつもなく素早い。私自身がついてゆくことはとてもとても出来ないほどに。

ひとに相談をすること、聞いてもらうこと、教えてもらうこと、そして自分なりのやり方を模索すること。
LINEはあくまで個人的に論外として、電話もメールもまずまず悪くはない。
が、すぐ目の前にそのひとがいる状態でそれらをはじめることが、私は本当に好き。
ということを、知った。
そうすると、感謝や、申し訳ない気持ち、大切にしたいもの、自分の未熟さ、弱さ、強さ、ずるさ、譲れないところ、そういった感情とか性格、信条めいた何かがどんどん明るみに出て、ひとりでは生きていけないなと唐突に腑に落ちたりもしたのである。
私が私らしくあるためには他人が絶対に必要。
より私らしくなるためにも。間違いなく、他者という存在は不可欠。
極論になるが、本当にひとりなのなら、存在していなくても良い。
存在しているのならば、ひとりではない。

その間には苦しい離別があった。次ぐ再会は、意志のもとで成った。
多くの意味で動いた夏だった。

言ってしまえば明日からだって今日のつづきとしてさしたる変わりもない。
私はまた同じように失敗し、やり直し、くりかえし続けるだろう。
それでも、なお、言う。
今日で夏は終わる。
8月31日で夏はおわる。
数時間後からは、すべて夏のなごりだ。
たとえ気温が35度になろうとも。夏服のままでも。熱帯夜が訪れようとも。
逆説めくが、季節がひとつ過ぎ去ったくらいでは私はびくともしないので、また来年まで、と笑って手をふることができるのだ。

やはりとりとめもなく冗長になった。
きっとこれが感傷というものなのだろう。否。否である。
何に左右されることなく、ただ淡々と連綿とつらなり途切れないものがある。たとえばそのひとつが、この私である。

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