あかしたキッチン理論
150314 1955



ユザワヤのボールペン売り場に佇んでバッグから使い古した筆記用具を取り出し、おもむろにそれを分解しはじめる女がひとり。誰あろう、昨日の私である。
替え芯を求めての神聖なる儀式である。
万引きと間違われやしないか、毎回ひやひやしてしまうこの緊張感すら心地よい。

ボールペンを使いきったことがない、という友人が実のところ大多数だ。世間一般では果たしてどうなのだろう。
私は高校入学以来、何か紙に書くとなったらボールペン一辺倒である。それがそこの校風だったのだ。いわく、鉛筆やシャープペンシルで記したものを消しゴムで消してしまうと、表面的な間違いと一緒に案外そこにあったヒントまでもが失われるから。よって、当然ながら修正液も推奨されなかった。
どちらにしろ、誤字などは上からぐりぐりと塗りつぶしてしまうので誤謬の保存にそれほど役立ってはいない。だが、長い文章だと線をぴっと走らせておくだけなので、確かに後から読み返し、復活させることも可能であった。小さなちいさなまっ黒くろすけも、その数や箇所によって自分が何を苦手としているかの手がかりにはなる。

最後にシャーペンを使ったのはいつだろう。大学入試の論文の時間だろうか。否、履歴書の下書きなど地味ながらそれなりに出番はあったか。
消しゴムとなるともうはるか彼方の縁遠さ。その場しのぎでシャーペンを買うときはあのおまけの様な消しゴムがノッカーの下についているものを選ぶ。単体ではもうかなり長いこと購入していない。バレンタインにちなんで文房具店が売り出すチョコレート型のものは、そういえば先月に面白がって買ってみたが、実用性はほぼゼロである。
最新の消しゴムの洗浄力がちょっと気になる。コクヨも進化しているのだろうか。それともあれは既に完成しているものなのだろうか。

さて、本日、お日柄も良く、替え芯とボールペンのお見合いと相成った。
ボールペンも替え芯がこれと決まっているものならば話は早い。だが、それは手頃かつ安価なものに限ることの多い悲しさよ。替え芯が定まっているというのにインクがちょっと渇いて出が悪くなった、ただそれだけでまるごと買いかえとなってしまう皮肉さよ。天寿をまっとうすることの困難を我々はここから学ぶべきである。
私が愛用しているボールペンは、お気に入りの雑貨店などで見初めたやや可愛げのあるもの。これがくせもので、存外はやばやと書けなくなってしまう。紙にはくぼみがつくばかり。
そこでペン先を回して内部を拝見し、買い置きの芯で合致しそうなものがあればひとまず引きあわせてみる。
多くは上手くいかない。ここにも教訓がまたひとつ。身ぐるみを剥がされた上に本来は受け入れるさだめでないものを突きつけられた挙げ句、忌々しげな舌打ちを浴びせられるボールペンの運命はかくも過酷である。
そういった経緯でユザワヤに立ち寄ることになる。何故ユザワヤかというと、私の行動範囲で替え芯が売っている店が他にない、そんな単純な理由。
バラした裸のペンだけを持っていかないことにも意味はある。私は絶対にそれをなくす。疑いようもない。
だから店頭で黙々と自前のペンを解体する、そんな怪しげな醜態を晒すという、これがことの顛末。

替え芯を選ぶ際に重要となるのは、本体にちゃんと収まるつくりであるか。これは最低限のことで、しかし、そこさえ乗り越えれば後は何とでもなるものである。
どこを見ればより正確な適合性が分かるかというと、芯の先のあたりの形状。恐らく真鍮であろう素材の部分がまっすぐであるか、何か細工が施してあるか。
替え芯は本体のペン先を通らなければ意味がない。そこを注意して選べばそこそこよりどりみどりだが、私はゼブラを選ぶ。私の本能がそうせよと告げている。
あとは好みの太さと色で決めれば良い。赤いボールペンだったものに緑のインクを用意することは邪道かもしれないが裁かれるいわれは微塵も無い。多分。

今回は2本のボールペンが役割としての魂の片割れをなくしていたので、試みに2種類の異なる芯を売り場にて吟味し、招きよせ、我が家へと導いた。
そして翌朝になって陽光のもと、テーブルの上にボールペンと並べてから粛々と開帳。
前の芯よりやや長めだったので、空気を封じるためのスポンジをマチ針で適当なところまで沈めてから上部の空白部分をハサミでもって潔く断つ。
いざ、合体のとき。
ふたつがひとつになったその生のなかでも二番目に美しい、その瞬間。
ペン先がするすると弧を描いて使い手の意図を紙に留めたなら、それが最上の光景となる。

それしにしても今回の替え芯はちょっと無いくらい素晴らしい。
上手く言えないが、書きやすいというよりも、軽いのだ。芯だけの話ではなく、ボールペンに入れてからも、何故か重さを感じさせない。
0.4ミリの細さは衝撃的かつ感動的だが、これまで使用していたものと同じ0.7ミリさえただ者とは思えぬ書き味。
私が知らない間にミリ法の定義に変更でもあったのだろうか。まるで羽根のようだ。

今の悩みはといえば、うさぎの耳を模した、そのデザインの愛らしさに惹かれて購入した二色ボールペンがどうやら替え芯を受けつけない性質の類であること。
これに限らず多色ボールペンほど短命なものもないだろう。この世に本当に平等というものはあるのか、改めて疑うに値する素材である。
ボールペンを購入する時は替え芯が適用可能なものかどうか、くれぐれも確認が必要だ。
いざとなったら鑑賞用に、と思ったものに限って道具として優れているときの切なさといったら無い。好むほどに別れがつらくなる。

これまで手にしたボールペンの中で最高のお気に入りとなったのは、ヴァージンアトランティック航空のオマケたるそれ。肌と紙へのなじみ方ときたら、まるで摩擦が世界から消え失せたかの様だった。
ハーフクリアというのか、スモーキースケルトンと呼ぶべきか、うっすら中身が見える。インクは黒のみだが外観はピンク、ブルー、イエローなど、数本をほんとうに大切に愛用した。
が、当然のように日本では替え芯が売られていない。ロンドンでも探したが見あたらなかった。
そもそもこれは替え芯が存在しない可能性が極めて高い。愛すべきボールペンの値段がそのまま渡航費と等価ということになる。なんてぜいたくなことだろう。
せめて空港で販売されていたらダース単位で買う、と言いたいところだが、あれはそうやって出会うべきものではない。せめて、雲のまにまに空にいて、隣あわせた人がそんなに好きならばと1本ゆずってくれる、それくらいが丁度いい。

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