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・俺とみょうじなまえは付き合っている。その事実に関して大っぴらにするわけでも隠しているわけでもないけど、知ったときの周囲の反応は大体意外そうだった。だからどうしたという話だけれど。
そのさほど興味のない周囲は、他人の色恋沙汰をつついて盛り上がるのが好きなのだろう。俺には理解できないが。「みょうじと白河ってふたりで何してんの」とか「性格真逆だよな」「いつもどんな会話してんだよ」「どんなとこがいいの」という言葉を何度か浴びせかけられることがあった。悪気のあるなしに関わらず、煩わしくて仕方が無い。その度にただ、一瞥して無視をする。それで察するのかようやく雑音は静かになるのだった。どうせこいつらには言っても分からないんだろう。そもそも理解されようなんて思ってないけれど。ってか、他人がプライベートで何してようとどうでもいいことだろ。ほんと、詮索するやつなんか死ねばいいのに。できるだけ苦しんで死ね。
そんなことを考えながら隣に目をやると、当のなまえは俺の気も知らないでいつも通りの調子でくつろいでいた。ベッドに寝そべりながらリラックスする姿は見慣れたものだ。俺は壁を背にその横に座り、雑誌を黙々と読む。
二人の間には可愛くないぬいぐるみが転がっている。マスコット感のカケラもない風貌で、タヌキのようなクマだと思ったらネコだというややこしいキャラクターの。名前は、そうだ、ノラネコギャング。どこがいいのかは分からないが、そういう物が流行る世の中らしい。こいつも例外じゃなく、クリスマスにあげて以来「ノラちゃん」と名付けて部屋に置いていた。
「ふふっ、これはずるいなあ」
スマートフォンをいじりながら、何がおかしいのかは分からないが、時折声を出しながら笑う彼女。それは隣に座る俺も含め、自室におけるいつも通りの態度で、日常を切り取ったようなその姿に新鮮味があるわけでもない。当たり前に繰り返された光景。ただ、いるのが自然で、いないと困るそんな空気感を持っていた。暑くも寒くもない、ぬるい暖房が体を撫でる。
こいつは楽観的だし前向きだからきっと周りからどういう風に評価されてるなんて気にも留めないんだろう。それはそれでいいけど、傍にいる彼氏のことは気に留めろよ。ふたりでいるのに、ひとりみたいだろ。なんて、目で訴えるだけじゃ絶対に気づかないから「なまえ」と、声を発する。すると、きょとん、としたあどけない顔がこっちを向いた。
「……さっきからなにしてんの」
「なんだと思う?」
「……」
「あれれ」
「そういうの嫌だって分かってやってんの?」
質問を質問で返すなんて無粋だろ、と不機嫌そうに眉根を寄せれば、それに気づいたのか「ごめんごめん」と宥めすかすように謝罪の言葉を紡ぎ出す。こんな風にいつも自分の方に非があれば(いや、なくても)すぐにへらへらと謝るから、大ゲンカという状況になったことは付き合ってから一度もなかった。謝る姿を見ると許さざるを得ない心持ちにさせるのが、腹立たしくてわざと怒ったふりをしてしまう。馬鹿げた話だとは思うけれど。
「謝る気ないだろ、本当むかつく」
「えー!かつゆきくーん」
「やめろよ」
「もー近づいたら離れるんだからー」
もぞもぞと体を動かして、機嫌を直すべく俺に触れようとする彼女を突き離すのもいつものことで、なまえは傷ついたそぶりも見せず、冗談めいた口調で笑みを浮かべるだけだ。それはきっと普通じゃないんだろう。彼女の前に付き合った女は、どちらかと言うと甘えたがりで、そういう触れ合いを拒否するとさめざめと泣いて非常に面倒な面があった。受け入れられなかった俺も面倒な生き物なんだろうけど。
「あ、ねえねえ、これ見て」
「は?なに?」
「成宮くんが送ってきたんだけど、すごくない?」
「……すごいってか、酷い」
ご機嫌取りのつもりか、身体を起こし、クスクスと笑いながら自分の携帯をこちらに向けてくる。長方形の箱の中に光って映し出されるのは有名な会話形式のアプリ。他愛もない会話の下に画像が添付されている。そこに写っているのはよく見知ったチームメイトだった。いや、正確にはいつも見ているお子様みたいな姿じゃなかったから「見知った」と表現できないのかもしれないけど。同時にさっきまで彼女が笑っていた理由がなんとなく見えた気がした。
「これね、かっこいい角度研究して、多田野くんに撮らせたんだって」
「……あいつ暇だよね」
「いわく、充実してるってさ」
「はあ?馬鹿なんじゃないの」
「ふふ、まあ、楽しそうだけどね」
「写真とらされてる樹の身にもなれよ」
ノーと言えないわけじゃないだろうに、言っても聞かない男を先輩に持ったのが運の尽き。バカに付き合わされてる後輩に同情した。ほんの少しだけだが。まあ、あいつも振り回されて楽しんでる節があるし。
「あ、たしかに!」
ぽん、と納得したように手を打つと、同時にさらさらと髪の毛が微かに揺れた。少し前に切ったばかりのそれは、結局似合っているの一言もかけずじまいになってしまったけれど。
「それでね、なんかこの写真に感想を求められてるんだけど」
「死ね、でいいだろ」
「もーそんな物騒な返ししたことないよ」
「じゃあ、何?『かっこいいね』って返すわけ?誰にでも良い顔したいんならそうすれば?」
「うーん、じゃあ間をとって『さすが都のプリンスだね!笑』にしようか」
「どこが間なんだよ」
「ちょっとマイルドになったでしょ?」
ふにゃ、と目尻を下げて笑う姿を見るともう反論する気も起きなくて「勝手にすれば」と口にしてしまう。いつも彼女は、花が咲いたような、ほころんだ笑い方をする。偽善者と罵ってしまうのは簡単だけど、できない。目つきが悪いと言われる俺と真逆の優しい眼差しは、時折ムカつくけど、どうしても嫌いになれなかった。ただ、自分以外に向けられることがあると思うと、やっぱりムカつく。新品のストッキング履いた瞬間に伝線しちまえってくらい。先週、実際同じ目に遭って「地味にダメージだ……」と呻いていたのを思い出す。
慣れた手つきで文字を送信したかと思えば、またすぐに返信が着たと知らせる通知音が響いた。……俺といること分かってるくせに空気読まなすぎだろアイツ。どう考えても良い気はしない。爪を噛んでしまいそうになる衝動を抑えながら、その苛立ちをついつい近くにいるなまえにぶつけてしまう。俺と一緒にいるのに、成宮の方が良いんじゃないかって、纏わりつく仄暗い不安を振り払いたくて。
「ありゃ、また返事がきた」
「てか、さっきからうるさいんだけど」
「あ、音消すね」
「そういう問題じゃなくてさ、なまえが返信するから向こうも調子乗るんだろ」
「……そっか、ごめんね」
なまえはいつも俺にそっと触れながら「勝之は綺麗。髪の毛も、肌も、瞳も全部」って言うけれど、そんなことあるわけがない。外見を引っぺがした向こう側には、暗澹とした、なんとも表現することができない感情をぐつぐつと煮詰めたものが眠っている。そして俺は、こんなことで悩まされる自分が嫌いで仕方がなかった。
「どうせ俺と一緒にいるより、携帯構う方が楽しいんだろ」
「そんなことないよ」
「俺よりアイツの方が合ってるんじゃないの」
口にしてしまってから、流石に今のは少し言い過ぎたんじゃないかと後悔する。ただ、言った言葉は戻ってこないし、それを取り消すのも癪だった。嫉妬をしているなんて、思われたくない。どうせ、またへらへらと笑って無かったことにするんだろう。そう思っていたのに、視界に入った表情は見慣れないものだった。さっきまで笑顔だった表情は一転して陰っている。弧を描いているはずの目は、不安に揺れ、零れかける涙を必死に耐えているようで。そこでやっと傷つけてしまったのだと理解した。他人を傷つけてしまうことは、性格上、今までの人間関係でも無かったわけではない。ただ、これまでは去っていくなら去っていけば良いと投げやりになっているばかりだった。
ただ、今はそうじゃない。眉根を下げて、消沈した表情から「嫌い」なんて言われることを想像するだけで吐き気がする。嫌だ。嫌われたいわけじゃなかった。無意識に掌に爪が食い込む。ぐるぐるぐるぐると胸中の不安は大きくなっていく。
「………」
「………」
壁にかけた時計の秒針が一周するぐらいの間、じっと沈黙が続いた。体感の時間はもっと長い。
するとなまえはベッドの上に置いていた携帯を再度手にして、それを俺に向ける。赤の他人がやってきたら即座にはたき落とすようなことだ。彼女と言えどあまりいい気分はしない。「なに」と声に出す前に、パシャリと無機質な機械音が一度。本当に何なんだ。彼女の考えていることがわからない。そう言った意味を込めて、目を向けると、観念したように呟いた。
「きみの写真送りかえそうかと」
「……馬鹿なんじゃないの?」
携帯をなまえの手から奪い取り、急いで画面を確認する。まだ成宮からのメッセージを無視した状態のままだった。ただ、送ろうとしてたのは冗談じゃなかったらしく、未送信の文字入力欄に『ちなみに勝之は全方面かっこいいよ』という文字が残っていた。送信ボタンを間違えて押さないように無言で削除し、そのまま携帯を手の届かない場所に置いた。
そこまでやって、はあ、と重い息が口から零れる。いっそ断言してもいい。この女は馬鹿だ。さっきシャッターを切られたときの自分の顔は見えてないけれど、なんとなく想像はつく。全方面がどうのなんてコメントがそぐわないぐらいの不機嫌さだっただろう。近所に新しくできた眼科でも勧めてやろうか。
「ごめんね」
「………何が」
「勝之と一緒にいるのに、配慮が無かった」
「……それで写真はなんなの?」
「写真は、えっと、」
「………」
「わたしが勝之をすきなことをなんとか証明しようとしたくて……」
「何で」
「……」
「なまえ」
「……勝之が、成宮くんとの方が合ってるんじゃないのっていうから」
問いかけに対して、ぽつりぽつりと言葉が返ってくる。所在なさげにぬいぐるみを腕に抱いて、ゆらゆらと揺れる姿は子供みたいだった。ただ、好きなことを証明だとかそんな馬鹿なことをさせてしまうくらい、客観視したら俺も大人気ない人間なんだろう。
「……わたし、勝之と付き合ってること、性格が全然違うとか、色々言われるんだ」
「……」
「他の人になんて言われたって気にすることないんだけど」
「そう」
「でも、勝之に合ってないって思われるのはやっぱ違う」
「………本気で思ってるわけ無いだろ」
よかった、なんて心から安堵したような顔を見せる。俺の言葉ひとつで喜んだり、悲しんだりする存在を愛おしいと思った。一回り小さくて細い手が、俺の手にそっと重なる。染み渡る温かさは、振り払えない。「確かにわたしたちは真逆かもしれないけど」と、やわらかく包むような言葉が響く。
「酸性とアルカリ性って、混ぜたら中和してちょうどよくなるもんね」
「……」
きっとそれは何処かで求めていた言葉だった。お互いが違うことを理解した上で、それでも愛おしい存在だから、側にいて欲しいと思うんだろう。
「……あ、あれ?」
「……何馬鹿なこと言ってんの」
「……そっかあ、馬鹿なことかあ」
「でも、悪くないんじゃない」
重ねられた手を返して、指を深く絡める。それだけで繋がっているような気がした。そして、なまえの血のかよったあたたかい身体を抱き寄せる。やわらかくて、丸みのあるそれはすっぽりと収まった。腕の中にいる存在は、明るくて、笑ってばっかりで、少し抜けてて、自分とは真逆の存在。でも、だからこそ惹かれて、バランスがとれている。何故好きなのかなんて、聞かれても誰にも教えてやるつもりは無いけれど。そっと髪の毛に唇を落とせば、動揺する声が下から聞こえる。
「え、え、え、勝之さん……?」
「何?」
「……どうしたの今日」
「別にどうもしてない」
どうもしてないけど、今日くらいは。二人の横では相変わらず可愛くない顔をしたノラネコギャングが不敵に笑っていた。
あ
の
子
は
ア
ル
カ
リ
性_________
△草臥れた愛でよければ
△moss
人前では冷たいけど省略な白河くんキャンペーン再びです。もうクオリティとかには触れれないのですが、白河くんがデレる姿が見たいという気持ちが伝われば幸いです!
160124 唇触@りりこ