?高校生真田×教育実習生のお姉さん空が青から茜色に変わるのを職員室の窓から見つめながら、ああ、やっと今日も終わったと思う。積もり積もった疲れを外に出していくように伸びをした。きゅっとスーツが動きを妨げるから不完全燃焼感が否めないけど。あーあ、二週間なら気合いで乗り切れると思っていたけど、甘かった。予想以上に疲労が溜まっている自分にびっくりする。始まって数日でこれなんて、大丈夫だろうか。
「お疲れ様でした。明日もよろしくお願いします」
「ああ、みょうじさん、待って」
「なんですか?」
「折角だから部活も見て行ったら?」
「部活…」
「そう、部活もまた生徒指導の一環だから、知っといた方がいいよ」
「……分かりました!」
終わったと思ったら全然終わってなかった。これは辛い。でも、それを表に出して教師なんてやって行けるわけなんてないから、笑顔を無理やり貼り付けてその申し出に応じる。取り繕った顔と声、私は乗り切らなきゃという使命感に燃えていた。
▽▲▽
「………いったあああ」
ーー最悪だ。先程の使命感とやらは一体どこへ行ったのだろうか。代わりにに手に入れたのは右足首の痛み。足を少しでも動かそうものならじんじんと響き、思わず顔をしかめてしまうほどだ。やっぱり、いいことなんてない。アスファルトの上に尻餅をつきながらため息をついた。足の痛みが強すぎて忘れてたけど、お尻も痛い。スーツも汚れるし、勢い余ったせいか、タイツも長いラインで伝線している。こうも運が無いのなんて一周回って笑えてくる、いや、笑えないか。立てないし。なんで、こんなことになったんだっけ。
近くに目をやると、コロコロ転がる白球があった。こいつが犯人か。慣れないヒールでコツコツ歩く私の足元にあるそれを気付かずに、踏んで、ぐりっと足首をひねったままお尻から転倒。そして今に至る。原因となったボールは野球部のものか。
フェンスの向こう側ではカキーンという小気味よい金属音とそれからなぜか「カハハハハハハハー!」と言う奇妙な笑い声が聞こえてきた。えええ、なんなの野球部。さっきの先生に「うちの野球部強いんだよ」と言われ「じゃあ見てきます」と安置に返事したけれど見る前にひどい目にあった。まあ、ここまでボール飛ばせるんだから確かに強いのかもしれないなあ。私の在学中はさっぱりだったけどな、薬師の野球部。
「ーーあーあ、ボールこんなとこまで飛んでんじゃん」
「…………」
「え、なにしてんすか?」
「……何もしてない」
「あ、もしかして、転びました?」
ひょい、とボールが拾われたと思ったら、制服に身を包んだ非常に爽やかそうな少年が笑顔で私の方を見ていた。その容姿が高校時代に好きだった男の子に似ていて少しだけドキリとする。まあ、別人なんだけど。
高校生なんて、そんなに年齢変わらないはずなのに若くて元気でキラキラしてる。それに比べたら自分は随分とくすんでしまったな、と思う。二十歳を超えると一気に歳に関して卑屈になってしまうのはなぜなんだ。そしてそんなキラキラのイケメンに笑われてる自分の状況が酷く滑稽に見えた。転んだ瞬間は周囲に誰も居なかったから安心してたけど、人が通らないわけないよね、そうだよね。転んだことを肯定するつもりはなかったのに「ボール、すみません」と言われたので反射で「大丈夫」と答えてしまった。
「で、立てます?」
「しばらくしたらね」
「マジっすか」
「うん、だから私のことは気にしなくていいよ」
「いや、気にするでしょフツー」
「いいっていいって」
「でも、うちの部のボールが原因で転んだわけだから」
「うちの?」
「ああ、野球部なんすよ、俺」
「へえ、そうなんだ」
「そういうオネーサンは教育実習生?」
「そう」
爽やかな少年は真田俊平と名乗った。次いで私も名前を言う。本当はボールに躓いた教育実習生なんて不名誉にもほどがあるから名乗りたくなかったけれど、彼に「なまえさん」と呼ばれるのは悪い気はしなかった。しない、けど、どうあがいても年下なんだなあとは思った。
「保健室、連れていきます」
「大丈夫だって、部活行きなよ。怒られるよ」
「いやまあ、ただでさえ委員会で遅れてるし…それに、」
「それに?」
「ここでなまえさんをほっといてく方がダメじゃないっすか」
「…………」
「あれ?好感度上がりました?」
「上がったよ、野球部のだけどね」
「ははっ、そりゃよかった」
真田くんはニカッと笑いながら「転んだときには野球部への印象最悪だっただろうから、名誉挽回しとかないと」と言った。ふうん、随分と気を遣ってくれるいい子だなあ。でも同時に年下のくせに、という思いもあって素直に受け取ることができない自分もいる。申し訳ないとは思うのだけれど、教育実習に来といて生徒のお世話になるなんて、いくら私でもプライドというものがあるのだ。そんなことを考えているだなんて知ってかしらずか彼は私の側にしゃがみこんだ。
「痛いのどっちすか」
「……右だけど」
「右ね」
そうして、真田くんはすっと私の右足首に手を伸ばす。ストッキング越しにやんわりとさすられている感触は、痛みはもちろんあるのだけれど、それとはまた違うゾクゾクとした感覚が突き抜けて行った。生足を撫でられるよりも、間接的だからか、くすぐったいわけじゃないんだけれど、なんか、もう、変な感じ。思わず声が漏れそうになるから唇をぎゅっと噛み締めた。
「………っ」
「あ、スミマセン」
「……ううん、ちょっと痛かっただけ」
「これ、冷やさなかったら腫れるかもなあ」
「え、そうなの?」
「そうっすよ、ヒールで歩くたび激痛」
「ちょっと、おどかさないでよ」
「はは、観念して保健室行きですね」
もも裏と背中に伸びる腕に「え?」と思う間もなく、体がふわりと浮いたように感じた。さっきまでの地べたから見るのと視界が全然違う。急に高くなったのは、真田くんによっていわゆるお姫さまだっこをされているから、みたいだ。お姫さまだっこだなんて、背の高い女の子とおふざけでやったことはあれど、男、しかも年下かつ男子高校生とこんなことするなんてはじめて。そう考えると急に恥ずかしくなってくる。かあっと頬に熱が集まるような感覚さえした。私、重くないんだろうか、とか、触れている太ももがむにゅむにゅだと思われていないだろうか、とか。一度気になり出したら止まらない。
「おろして」
「嫌です」
「おろして」
「いーや」
「…………」
「…………」
「真田くん」
「はい?」
「重くない?」
「何が?」
「いや、私、重くない?」
「え、まさか、そんなこと気にしてるんすか?」
「結構大事なことなんだけど」
「はは、別に、重くないっすよ」
「そっか」
「あ、なまえさん嬉しそう」
「……うるさい」
さっきから、なんなんだろう。今日会ったばかりだし、年下なのに、私の心を揺さぶることばかり。恩人ではあるのだけれど、悔しい。それは真田くんに身を任せてしまっていることに対してでもあるのだけれど、何より、少しだけときめいている自分に対して「ばかだなあ」という気持ちが強い。高校生なんて4つも5つも年下なんだから、揺らぐなんて変だ。くやしい、くやしい。涼しい顔して歩いちゃってさ。やましいことがあるわけではないけど、誰かに見られたらとか一切考えてなさそうな顔にムッとする。真田くんの両手が塞がっているのをいいことに私は彼の端正な顔をぶに、とつねった。「いてて」と苦笑いする姿もイケメンか。
「でも俺、まさかスーツの女の人を抱きかかえる日がくるなんて思ってなかったなー」
「そんなの私だって思ってないよ」
「ははっ」
「制服の女の子じゃなくてごめんね」
「もしかして拗ねてます?」
「そういうわけじゃないけど」
「いや、でも、スーツにストッキングって結構イイっすね」
「全然良くないよ。動きづらいし、気づいたら伝線するし」
「ホントだ、破れてる」
「あーもう、だからって見なくていいから」
「こういうのって激アツっすよね」
「は?なに激アツって」
「え?知りたいっスか?」
そう言って真田くんはイタズラっぽく目を細めた。そんな表情もできるんだ。「……まあ、一応」と興味を示すと、彼はさっきまで話していた声より低めかつ密やかに、でも私にだけははっきりと聞き取れるように言った。夕陽の赤がやけにちかちかして見える。
「この場合は、めちゃくちゃそそるってこと」
「…………」
「ん?」
「…………馬鹿じゃないの」
「はは、聞いたのそっちなのに」
理不尽ですね、と笑われたって構わない。馬鹿じゃないのと一蹴しなかったら、私は本当に恋に落ちてしまうかもしれないのだから。いつの間にか足首の痛みなんてどうでも良くなっていた。この年下に抱いてしまった熱を冷やす術を誰か教えてくれませんか。保健室まであと少し。
シークレット・シークレット
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titie リラン
item ruffle
◎企画「Women Meets Boy」さまに提出させていただきました。俊平と教育実習生のおねーさんです。年上ヒロイン書いてて楽しかったです。この度はありがとうございました!
20140429 唇触@りりこ