みょうじなまえはスカートの丈を一つ上げる。高校二年生でその年の平均身長より少し高く、体重は断固秘密としているみょうじなまえである。わたし、だ。そんなわたしが何気ない、そして取るに足らない動作をした。『スカートの丈を一つ上げる』それだけ。他人のスカートをめくるでもなく、自分のを。梅雨入り前の人気のない教室で。

それはたかだか三センチメートルの長さの変動のはず。ミリメートルにしたら三十か、これは少し大きく聞こえる。けれども、物理的なことよりもずっとずっと心境の変化が羞恥心や高揚感あるいは一種の自己愛に近い感情が入り混じり波打っている。

ちらり、短くしたことにより黒、または紺と表現すべきなのかもしれないシンプルイズベストに定評のあるスカートから露わになった中途半端に生白い太股を見て漠然と思った。……太いなこんちくしょう。親指と人差し指でつねれば、ぷに、という擬音が聞こえそうだった。内側などは餅がくっついているのではないかと錯覚するくらいの柔らかさを秘めている。

そう思ったのはわたしだけではないのだろう。隣の席に座り、こちらを半笑いで眺めているカルロスがそこまで白いと大根みたいだ、と茶化す。あ、同じことを思っていた、シンクロ。だからといって女友達に言われるならまだしもあなたが言うのはセクハラではないでしょうか、と返す。女の子が喜べばセクハラじゃねえだろ。ああ、にっとつり上げられた形の整っている唇が憎らしい。

……大根じゃ喜べないって。これは喉を震わすこと無かった心の声に留まる。いつものことだからわたしは何も返さずにそのままスカートの折り目をぺろりと戻した。ふう、長くなったことによって安心感がご帰還。

「戻すんだ、残念」
「全然残念じゃないくせに。そういうの白々しいって言うんだよ」
「何で分かるんだよ」
「どうせわたしは大根のような脚ですからねー有害なものはしまうに限るよ」
「足首細くて色白いってとらえればいいだろ、卑屈だなお前」
「うるさいなあ、もう」
「それに大根も悪くないだろ?」
「……そう。ああ、煮付けとか美味しいよね」
「好きだぜ」
「……アンタが大根好きなのはよく分かった」

二つ折りが一番しっくりくるからそれでいいの。それで納得できたのかはたまたどうでもよかったのか……あえて推測するならば後者の理由に突き動かされたカルロスにふうん、と頷かれて、わたしたちはまた沈黙に戻った。かちり、時計の進む音が異様なくらいはっきりと聞こえる。別に沈痛な静けさではなく、居心地の悪さもないんだけど、違和感。わたしたちの距離感における『普通』とは違う。

いつもなら、とわたしは思った。じゃあ何故丈を短くしようとしたんだ、の質問がくるはず。彼はそう聞いてこなかった。いつもと違う。日常がエンドレスじゃないことくらい分かっているのに習慣に変化が訪れるのが怖かった。違った、過去形じゃないし現在形だ。いっそ現在進行形だっていい。成長過渡期の思春期のくせに変わりたくないって無茶な話だってことくらいは分かってる。分かってる、けど。

なまえ、と不意に名前を呼ばれてもう一度彼の方を見た。とても嬉しそうに屈託のない笑顔を向けられて、それにつられて笑ってあげたいけれどわたしの気持ちはそんな生やさしいものを凌駕していた。内側はきっとどろどろ。嫌悪感や妬みや悲しみ、倦怠感、憂鬱、それらが全部塊になってぎゅるるとわたしの中で蠢くようだった。嫌な予感がする。的中率は七割五分といったところの予感なのでわたしは嫌でも身構えざるをえなかった。どうせならずっと黙ってたままの方がよかったのかもしれない。しかし彼はこちらの心情も知らずに流れるように話す。

「ああ、そういえば、」
「んー」
「俺さ、」
「なに、彼女でもできた?」

わたしは意地悪く、適当に言ってみた。どうせそんなことだろうと。先にこっちから言ってしまった方がいろいろ気分的に楽だから、だ。そうしたらつまらなそうに正解、と言う声。うわ、当たっちゃったよ。当たったって嬉しくとも何ともない。そうした答えは思い返してみればこれで三度目。そのまま答えをうつしているかのように寸分違わなかったことに微妙な吐き気を覚える。どくんどくんと込み上げそうな胃酸に苛立ってくる。嘘だ嘘だ、この場合嫉妬するという言葉に相対するのは、

「いつもみたいに祝ってくれねえの?」
「祝って欲しい?」
「んーどうだろうな」
「……煮え切らないね」
「まあ、ナマモノだからな」
「そういう冗談はいい」
「いいって、グッド?」
「そんな訳ない。いらない、ってことだ」
「ふーん、日本語って難しいよな」
「ほんとだね」

あんたのよく言う『すき』の真意もラブかライクかはっきり分かればいいのに、とわたしは内心毒づいた。カルロスの中身は分かりやすそうで分かりにくい。それが理解できたのならわたしは揺らがないし惑わされないで済むのに。翻弄されるのもわたしたちの『日常』のうちのひとつかもしれないけれど、何かが崩れると均衡が保てなくなる。改めて言っておくとわたしと彼の関係はあくまでも『友人』として成り立っている。それ以下には絶対なりたくないし、それ以上のポジションは今埋まっていて予約も取れない状況。

うつくしくなりたい、そこでわたしがこう思うのは至極当然なことではないだろうか。薄く化粧をするようになったのも、ブラウスの第二ボタンを開けるようになったのも、髪を結んでいたのをおろしたのも、そして、さっき、スカートの丈を上げてみたのも、ぜんぶ、ぜんぶ、恩着せがましいけど、たった一人の人の気を引く為だったのに。どうしてこうもうまく行かないの。問うても誰も答えてくれない、そして聞けない。

「…新しい彼女さんはさ、どんな人なの」
「やっぱり気になる?」
「社交辞令で聞く程度には気になる。どうせ長続きしないと思うけど」
「はは、最後のは余計だろ」
「ごめん、口が滑った」
「なんか、性格はなまえに似てる。容赦ないとことか」
「あっそれ最悪だね。あんたの趣味を疑う」
「お前自虐趣味でもあるのか?知らなかったぜ」
「前の彼女は手がわたしに似てて、その前の彼女は髪型がわたしに似てて、その前の前の彼女はわたしに、」
「声が似てた」

……お前わたしのこと好きだろ、と言いたい、叫びたい。自意識過剰の五文字が邪魔をするのだけれど。それに、もしそうだとしたらなぜカルロスははわたしに傾倒してくれないのだろう。もどかしい、焦れったい。近くにいるはずなのに、遠くて、手を伸ばしても触れられなさそうな。そうだ、漸近線。それにすごく似てて、切なくて、儚い。わたしの知らない女の子と関係を持ち、そしていつの間にかぷつりと切れている。全て、わたしの知らないうちに。わたしは彼以外の特別な異性などいないというのに、理不尽だ。何に対してぶつけていいのか分からないから、尚更そうなのだろう。

内側の蠢きは未だに継続中、ぐずぐずと果物が熟れるように、べちゃりと潰れるような、そんな風にしか形容のできない。こんな醜さを押し隠して、外面の美しさで塗り固めようとするだなんて、愛されたいと思うことこそが罪であるかのように思える。『きみ、恋とは罪悪ですよ』と、文章の一節が脳裏にちらつく。いや、罪悪であること以前にこの醜さが『恋』という名を持つことに戦慄、し、た。まるでその甘美な響きに踊らされて今までの行為をしてきたかのようで、一人の人間という存在が、一つの操り人形であるかのように倒錯している。

……わたしは、わたしの意志で……しかし本当にそうなのだろうか。はっきりそうだと答えられないのは、心の隅に疑念があるから。どうしてこんなに苦しくなるようなことを自ら進んでやっていたのだろう。人に好意を持つことは、特に異性相手には素敵な見返りなんてないのに。そうだ、わたしなぜこんなことをしているのだろう。義務なんてないのに。やめよう、そう思った。やめてしまえば楽になる。

そうして手は自然と自らの腰元にかかる。ぺろり、折り目をはずし、もう一つ分スカートを長くする。通気性の良さそうな布がそっと膝を覆う感触がした。縁についている二つ折りの後は今はくっきりと残っているけれど、いずれ薄くなって最後には消えてなくなってしまうのだろう。それは『恋』とやらも同じ、で。白い大根のような脚を好きだというのなら、わたしはそれを隠す、というささやかな反抗。

「スカートさらにさげるのか?」
「長いの良いでしょう。これからわたし清楚系を狙うことにしたの」
「へえ、セイソケイね。なまえが、あのみょうじなまえさんが」
「なに?文句あるの?」
「まさか、ねえよ。可愛すぎて今すぐにでも彼女と別れたくなるくらい」
「……そういう冗談よくないよ。不謹慎すぎる」
「怒った?」
「怒ってるよ、解るでしょう?」
「ああ、わかる。なまえの分かりやすい素直さがスキ」
「わたしはあんたのことよく分からないからキライ」
「キライってドントライクのキライ?」
「それ以外に何があるの?わたしの知る限りの日本語ではこの場合に使うキライはそれだよ」
「好きだけど今更言えないからごまかす、って意味のキライはどうだ?」

ばかだ、本当にばか。思っただけじゃなくてぽろりと口から漏らしてしまうくらいに、驚いた。迂闊だった。でも、それくらい的確すぎて、胸のあたりがぎゅう、と締め付けられる。もしかしてすでに心臓は手の内か、なんて突飛な考えすら浮かぶ。しかしながらどうしてもわたしはこの人から離れられない、らしい。もうしばらく。そうしてずるずる、ずるずると、同じ道を平行線で辿る、カンケイ。今は、それで。

だれもしらない

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奇妙な友人関係のおはなしです。昔書いてたものに手をつけただけですが。
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