彼の葬式はしめやかに行われた。ほとんどが身内の、年寄りばかりの式だったが、彼にとってはこれ以上ない餞けだったろう。

皆が彼の死を悼んでいた。私はそれを見られただけで満足だった。

その後の食事の席にも呼ばれたが断り、さっさと帰る用意をしに宿へと戻った。ロビーでは、みょうじさんがクッションのくたびれたソファにもたれていた。何か読み物をしていたらしいが、私に気が付くとすぐにこちらに顔を上げた。


「お帰りなさい先生。今日、東京に帰られる予定でしたよね?」

「ああ。部屋まで荷物を……」

「もうすぐ嵐みたいですよ。船も欠航だってラジオで」


テーブルの上に乗っかっていた民宿のラジオは、確かに険しい天気の予報を繰り返していた。まったく困ったものだ、と頭を掻いていると、みょうじさんが悪戯っぽく笑った。


「もう少しお話できますね。嬉しいですよ」

「なんてこと言うんだ」

「先生照れてるんですか?」


彼女が足を折り曲げて座っている横にどっかり腰を下ろす。私の仏頂面がおかしいらしく、いつまでもくすくす笑っているが、怒る気にはならない。私は観念して彼女に付き合うことにした。

正直なところ、彼女が喜ぶのも無理はないと思う。昨日はああ言っていたが、大学での風当たりがきついのは事実なのだろう。努力する姿勢には感服するが、評価の為に苦しむこともあるのだろう。

それに加えて親とも険悪なら、彼女は普段誰と親しいと言うのだろうか。彼女に友人が居ないというのを馬鹿にするつもりは毛頭ない。しかしここまで一貫した人物だと、周りも近付けないのだろう。

かつて自分が味わった孤独に似たものを彼女も持っているのだと思うと、無下にはできなかった。


「お前さん大学で気の合う人間なんかはできないのかい?」

「多分、居てもあまり一緒に遊べませんから」

「まあ、休みの度に研究に出かけてるんじゃ無理も無いか」

「つまらない奴だと思いますか?」

「とんでもない」


この子くらいの年頃の女の子といったら、皆化粧をして洒落たバッグでも持つもんだ。しかし彼女はといえば、着ているのは上等でも動く人間の服装だし、化粧はしていない。髪も伸ばしちゃいるが、きっと切る時間が無いのだろう。


「昨日見せてもらった中に、公害病の患者の写真があったろう。医学雑誌に投稿してみたらどうだい。よく撮れてた」

「私も、自分の研究に使った後、肥やしにしておくには勿体ないと思ってましたけど。考えたことなかったです」

「此処で撮った写真だって人類学の雑誌にとっちゃお宝だと思うよ。学者になりたいと言ってたが、写真家やライターでもいけるんじゃないか?」


彼女と話していると、いつも根の部分に両親が居ることは分かっていた。反発を受けながら自分の夢を追うのは難しい。それと同時に、意固地になって譲らない部分も見えていた。彼女にとっての学者の道は、おそらくそういうものだった。

もしかすると触れてはいけない話題だったかもしれないが、ほんの少し、私は彼女の中に希望を見出そうとしていた。

普段ならばこんなことをしようとは思わない。お節介にも程がある。だが、学生のまま埋もれさせておくには勿体なく、親に圧迫されるままではこちらが腑に落ちなかった。


「以前、医療雑誌である病に冒された女の子の写真を見たんだ。あんまり可愛い子で、その後ある患者の顔を成形するときにモデルにした。

お前さんの写真には、あのときと似たものを感じるんだ」





予報の通り、夜はひどい嵐が来た。停電こそ無かったが、とても外には出られない湿気と風だった。

女将さんは家の方の片付けもそこそこに宿へ帰って来たようだった。みょうじさんと二人で、忙しくさせて申し訳ないと頭をさげる。するとやはり女将さんは、気の良い笑顔でいいのよいいのよと私たちを宥めた。


「いつ止むんでしょうかね。私も、そろそろ夏休みは終わりだから、東京に戻らないと」

「そりゃ大変なこと。まあ、三日もすれば収まるでしょうからゆっくりしてね」

「となると、家の者に電話を入れたいんですが、お借りできますか」

「あれ、先生奥さん居ないんでしょ?」

「患者か娘みたいなのがひとり」


不思議そうなみょうじさんを置いて、電話を借りにロビーへ降りる。

家へかけると、すぐに受話器が取られた。こっちが話すより先に、刺々しい怒鳴り声が耳に響いた。


『ろちらさまなのよさ!!!』

「……おいピノコ!電話口で叫ぶ奴があるか!」

『ちぇんちぇいなの!じゃあなおのことうゆさく言いまちゅ!いまろこにいゆの?いつ帰ゆの?ピノコおくたんらのに何にもいわないれ!」

「あと三日ほどはかかりそうだ。酷い嵐で船も出ない。大人しく待ってろよ!」


半ば言い逃げるように受話器を鳴らしながら置く。後ろに座っていた女将さんがクスクス笑っていた。此処に来てから女性に笑われっぱなしだ。

広間に戻ると、出された夕飯もあらかた食べ終わったみょうじさんが、箸で指さしながら声をあげて笑い出す。この子もまたこれだ。実家ではできないだろう、くだけた座り方や作法ばかりは今時の女の子だ。


「あはは、こっちまで聞こえてましたよ!そ、それにしても……ふふっ……奥さんかあ。可愛い」

「あんまり面白がるなよ。あっちは本気で奥さんだと思ってるんだから」

「その奥さんじゃなくって、こんな離島で私とご飯食べてていいんですか?先生」

「良いんだよ。こんなおじさんでも君と話すのは楽しいさ」


彼女のからから笑う声の心地よさには、外でごうごう鳴る風も、身を隠しているように静かに思えた。