携帯を耳に当てながら、俺は近年で一番の狼狽えを発揮していた。
中学時代に宇宙人とのサッカー対決に参加したときや、フットボールフロンティアで優勝したときや、チームのキャプテンになったときなんてメじゃないくらい、情けなく焦っていたし、言葉もなかった。
受話器の向こうでは俺の大好きな人が、無言のまま、俺が何か言うのを待っている。やがて困ったように笑い、「じゃあね。また会うとき改めて話そう」と電話を切った。
俺は結局なんにも伝えないまま、後悔を抱えてベッドに倒れこんだ。
俺の好きな人。みょうじなまえさん。年上で、社会人で、綺麗で、頭が良くて。俺みたいな高校生相手にいつも親身で、かわいくて。困らせたくなかったのになあ俺のことなんかで。電話を切る前の、困ったような微かな笑み、その吐息ばかりが脳内で繰り返された。
高校2年目の春。慌ただしかった環境も落ち着いて安心した頃に決まった、なまえさんの転勤。この福岡から、本社のある東京に移るんだ、という電話だった。
俺はなまえさんに、おめでとうとか、やりましたねとか、気の利いたことなんて勿論言えず。なんで1人で決めちゃったんですかとか、もう会えないんですかとか、そういう言葉すら噛み締めて、ただただ漠然と、自分の元を離れるなまえさんの存在を遠くに感じていた。
今や名門となったイナズマジャパンの栄光の陰で、俺はこれまで考えてこなかった恋愛や理想に潰されかかっていた。なまえさんと居る時は幸せそのものだけれど、歳の差や、自立した彼女に精神的にも金銭的にも支えられてしまっている俺を心から肯定できなかった。
第一、俺は彼女に、好きですとか、付き合ってくださいの言葉も言えていなかった。
なまえさんは憧れの人で、きっとそういう目で見てくれてないと、心のどこかで諦めながら過ごしていたのだった。だから、このまま関係が消失した後の自分を想像するのは一番恐ろしいことだった。
イナズマジャパン出身というプレッシャーを背負った俺は、高校のチームに慣れきることができそうにない。上級生は俺をどう思いながら練習してるんだろう。去年の大会ではあまり良い結果を残せなかった。明らかに連携不備。
かつて共にいろんなことを乗り越えたキャラバンの仲間たちが恋しかった。たまに連絡はとっていたし、会える機会も無くはなかったけれど、俺が心から満足する瞬間というのには、ここ2年と少しで一度たりとも遭遇できなかった。
生活でもサッカーでもこの通りで、いったいどうするんだろう。他人じみた思考は最近活発になってきていた。
『じゃあ、どうしたいのよ、立向居くんは』
音無が真剣みのある声色で俺を問いただした。練習後の体育館裏で、膝を抱えて携帯を耳に当てているさまのなんと情けないことか。それも女子に説教されて。
「それが、もう、わからないんだ」
『……なんで、私に相談したの』
「ほかに女子の友達、いないから」
『……立向居くん、私の気持ち、考えたことある?』
音無の気持ち?俺の気持ちだってわからないのに。
『私、立向居くんのこと好きだったんだよ。なまえさんにぜんぜん勝ち目ないけど、好きだった。……こういう話を聞くの、最後にしたいから言うけど。立向居くんは、なまえさんに告白して、もっとちゃんと話合わなきゃだめだよ』
じゃあね。
なまえさんと同じ文句で電話を切った彼女、なんとなく、なまえさんもそういう苦しげな声色で、きっと泣きそうな顔で言ったんだろうと思った。