※ゾアホリック使用間もない黒笛ボンドルド



私を唯一知る人、私の過去にいつも姿のあった人。

当然、この先にも在ってくれるものと思っていた。当然、隣に立ち、その何もかもが大したことではないというような顔で、私の行いを見定めるのだと。

だのに君は、穏やかに死のうとしている。よもや私に、君の命の潰えるところをまざまざと見せつけようとしている。その、何もかもが大したことではないというような顔のままに。


「なんて顔してるの、ボンドルド」

「君は死ぬんですか」

「死ぬ。あなたにも打つ手がないなら、それしかない」


平気な口調で言う。顔色は蒼白で、体温も冷えているくせに、声だけはいつもの調子だった。

寝台に寝る彼女からは、彼女の欠損を補なってきたすべての遺物が取り去られている。

肉の抉れを誤魔化すために、皮膚代わりに貼り付けていた霧織りの加工品。右腕を失ってすぐに、海外の金持ちに負けじと競り落とした、意識で動く腕。替えの効かぬ遺物の右腕を庇うために、残る左腕に打ち込んだ数本の千人楔。

他にも彼女は、身体のあちらこちらを遺物で補強していた。それらを全て外した身体のなんと小さきことか。

私はそれを眺め、彼女が文字通り身を削りながらも、平然と側に在ったこれまでの日々を思った。私は彼女を消費しすぎた。使いすぎた。

まるで無限にあるものと思っていた。彼女は私の知らぬ間に、さっさと自分の削れた部分を補っていたのだから。


「君の質量は、かつてはもっと豊かでした。今は片手で抱えられそうなほどに削れてしまった。なんて儚く、なんて切実な姿でしょう、ナマエ」

「……それって、喜んでいるのかしら?それとも悲しくて?どちらにしろあなただって、自分の身体に未練などないのだし、言われる筋合いは無いんだけれど」


ナマエは流暢に、私の精神隷属器の使用を皮肉った。彼女の瞳は輪郭がぼやけて白み、すっかり死びとの目になってきている。私は、私の肉体の滅びに関心の無いかわりに、彼女の滅びにこそひどく怯えているのだった。

唯一の生身の友人。唯一の理解者。唯一の証人。それが滅んだあと、私は自分でも想像のつかぬ異形へとなれ果て、無数に隷属した人格たちの混じり合う中、亡者のように覇道を突き抜けてゆくのではないか。そんな恐れがいま、私を冷たく包んでいる。

私は人で在りたかった。だのに実際はきっと、人の在り方からはどんどんと遠ざかっている。その速さは止まらない。私の理性はその速さに適応しているように感じるが、いつそれが逸れ始めるかは分からないし、そうなった時にもきっと誰もが気付かない。

ナマエだけが私を測り、私と対話し、私を正しい位置へと引き摺り下ろす存在だった。君が死んだらどうなる。私は君の静観していた在りし日の私でなくなるかもしれない。君無しで私は、自我を固定できるか分からない。



私が彼女の冷えていく左手を握りしめ、なんとか温度を分けようと祈るのを、彼女はいとも容易く不意にする。「私は何も残せない。あなたの喜ぶようなものはなにも」そんな台詞で突き放す。私は食い下がった。


「せめて君は保証してください。この先も私は大丈夫だと。君が死んでも変わらずに在れると」


なんと情けのない言葉だろう。脳の隅でそう自嘲するも、なりふり構うことができなかった。私はこの瞬間だけは必死だった。必死に、彼女から言質を引き出して安堵したかった。

あなたはこの先も大丈夫だと。私が居ずとも正しく在れると。そう言ってくれたなら、私は私の言動の全ての理由を君へ押し付けることができた。

君がこう言ったから、どれだけ狂ったとしてもその姿は正しく誠実なのだと。君がこう言ったから、私はもう無数の魂が渦巻く精神を制御できなくとも、きっと正しい終わりへ向かっていけるのだと。そう盲信できた。

けれど君は言わない。私に何も残そうとはしない。それはひどい裏切りに思えた。そして同時に、彼女の、深くあたたかな悲しみの意志を感じてしまうのだった。


「君は最期を迎えても、私を審判しつづけるのですね」

「……あなたに楽をさせてやろうなんて、今まで一度も思ったことは無いもの、ボンドルド」

「けれど私はこれから、あなたの一生の何倍の時間を生きるかも分からないのですよ。そんな男に、何の言葉も与えないなんて。なんのよすがも遺してくれないなんて」

「はは、ひどい友人だよね、ボンドルド。私はひどい友人だ」

「本当に冷酷です。……けれど、君はそうだから、私の友人だったんでしょう、ナマエ。私の憧れを叶えるためには、君の許しはあってはならない」

「うん……。まだ許してあげられない。ごめんね」


ごめんね、ボンドルド。そう繰り返し呟く声が、次第に枯れてゆく。息が絶えてゆく。私は彼女の尽きるまで無言を貫いた。

そして全てが底をついたとき、私の目からはこれまで堪えていた涙が溢れた。私は、未だ自分が人であるうちに彼女を看取れたことを"何か"に感謝した。そして彼女の、小さく成り果てた体躯をだきしめた。


「君の全てを赦します、ナマエ。君に受けた呪いで、私はこれから、どれだけでも辛抱してゆける。どんな苦難があろうと、どれだけの歳月が私の混沌を煽ろうと、変わらず進んでゆける」


「だから謝ることはない」と、ほんとうはすぐにでも聞かせたかった。けれどそう言ってしまえば、彼女の必死で残した呪いは破られてしまうと思った。彼女の願いまで昇華してしまうと。

だから、最後の最後、私たちはとても歪で、とても悲しい別れをした。唯一の友人であるのに。唯一の理解者であるのに。

私はこの悲しみを抱えていきてゆく。この悲しみがあるうちは、きっと私は人で在れる。何もかも忘れ狂ったとしても、この悲しみだけは、この悔いだけは、私を立ち止まらせるよすがである筈なのだ。