※男性主人公
※名前変換には洋名(last name)を使用
「お前を殺すのは私の義務なんだよ」
不動卿の片腕が、俺の首を引っ掴んで持ち上げた。
俺は地面を求めて足をばたつかせようとしたが、すでに殲滅卿の無尽槌に、腿から下を刈り取られてしまっている。切り口の新しい腿だけが宙を切った。その先からびちゃびちゃ滴り続ける己の血が、体温を急激に外へ逃していく。
当の殲滅卿は、あの攻撃を繰り出すのが限界だったのだろう。荒い岩肌の上にへたり込んでいるのが奥に見えた。
生理的な涙で曇る視界の中でも、殲滅卿を庇い前へ出た不動卿の、冷淡な視線は容易にわかった。俺への殺意が、糸を伝う水のようにじわじわと伝わってくる。
俺は、かつて己の妹弟子だったライザに致命傷を負わされ、かつて師事したこのオーゼンという人に、明らかな憎しみを以て追い詰められている。
これは彼女にとっての精算なのだ。漠然とそう思った。
俺がすでに明らかな抵抗をしないことに、不動卿は苛立ちを隠さない。彼女は大きく舌打ちをし、宙ぶらりんにしていた俺を投げ捨てた。
「仮面なんぞ付けていたって、お前のその、何度言っても直りゃしなかった戦いの癖が、私が鍛えてやった身体が、息遣いが、隠れていなけりゃ意味が無い。すぐにお前だとわかったよ。だからこうして一人だけ、最後にとっといたのさ。話をつけなきゃならないからね」
「ぐ……っ、う、」
激しく地面に打ち付けられ、内臓が圧迫される。吐血するも、うまく喉を使えないせいであわや窒息してしまいそうになる。それでも、辛うじて俺は生き伸びる。下手くそな息とともに、ゴポリと肺の中の血を排出しながら、未だに生きている。
特級遺物の回収のため、共にこの四層へ昇った他の祈手たちは、皆殺されてしまった。そして殲滅卿が自ら、俺というかつての兄弟子に止めを刺そうとしたところに、不動卿はその長身で立ちはだかったのだった。
その瞬間、俺はやはりこの人の元を離れたのは正解だったと確信した。いちいち過去の絆を持ち出して、この極限の状態でまで己の手を汚そうとする人。他人を守ろうとする人。
そんな不動卿に有り余る人間性と仁義とをみとめると、思わず笑いがこみ上げた。肺が震え、また血が口から溢れ出た。俺は身を横たえたままくつくつと笑う。不動卿は呆れたように言った。「そのしぶとさだけは昔から認めてたよ」そして至極暗い声で続けた。
「お前は私の一番出来のいい弟子で、ライザの良い兄貴分だった。それが、あのろくでなしに付いて行っちまうような下衆に成り下がってさあ……」
「……、オーゼン」
彼女に破門を申し出たあの時のことが思い出された。俺は黎明卿の元へ行きます、そう言い終わらないうちに殴られて、骨まで折ったっけ。今の状況と比べれば幾らかかわいいものだった。
結局あの時、殺されそうになりながらも命からがら逃げおおせたのは、あれは不動卿なりの最後の温情だったのだ。彼女が本気で俺を嫌い、本気で殺そうとしていたなら、あそこで仕留めそこなうなど有り得ない。
むしろこの瞬間も、不動卿は本気で俺を始末しようとは思っていない。いや、半分程度は本気なのだろうけれど、俺がなにか喋ろうとするのも遮らないのは、まさに躊躇の証明ではなかろうか。
「オーゼン……、……」
あなたはかわいい人ですね。
唇の動きだけで言った。吐息すら、すでに使い果たしていた。
俺の仮面は殲滅卿に打ち砕かれて、すっかり素顔を晒していた。彼女から見て今の俺は、やはり昔のままの俺なのだろうか。そうだとしたら心外だ。
仕草や姿が、不動卿と共にあった頃に似ていたとしても、俺はもう黎明卿に全て捧げたのだ。この世の道理や倫理は踏み越えた。もうあなたとは違うのだ、動かざるオーゼン。それを思い知って、さっさと俺のことなど忘れてしまったらいいのに、未練があるなんて、やっぱりかわいい人だ。
俺は不動卿のその態度が、昔からむず痒くて仕方がなかった。
不動卿は笠を被り直した。その瞳を俺から隠し、まるで無感情であるように振る舞おうとしているのが分かった。
「今日でもう終わりだよ。私はお前を殺す。喉を潰し、頭を砕いて殺す。お前はライザを裏切ったばかりじゃ飽き足らず、あの子の赤子まで殺しかけた」
「……」
「遺物ひとつの為に、お前みたいな有望な子まで死地に送るんだから、やっぱりボンドルドは外道さ。私に弟子殺しの汚名を着せようってことらしいが」
「……」
朦朧とする。いよいよ氷のように身体が冷たい。もはや痛みまで遠のいている。
「……お前は昔は、笑わない子だったのにね」
不動卿が不快そうに呟き、俺は未だ笑っているのかと知る。足も失い、血色も失くしながら笑っているだなんて、まるで幽霊のようじゃないか。
とても愉快だ。頬の筋肉が持ち上がる。自然と笑みが濃くなる。不動卿とのこの決別の時を、俺はずっと待っていた。
待っていたのだ。……だから、急に意識が遠のき、半ば強引に瞼を閉じられるような感覚を得たとき、俺は「終わらせてくれないのか」と、一つの諦めのようなものすら同時に得たのだった。