黎明卿の連れて来た子供たちの中に、一人だけ目立つ少女が居る。

特別に異質であるとか、異形であるとかではない。単純に一人だけ、他の子供より頭ひとつかふたつぶん程身長が高い。

歳は十四、五歳ほどだろうか。他の子供が特に幼いだけあって、その少女はひときわ顔立ちもしっかりとしているように見えた。

黎明卿に聞くところによると、彼女は貧民窟において、ひとりで年下の子供たちを世話し、自ら拠り所となっていたという。十数名が彼女にくっついていたおかげで、纏めて連れ出すには当然彼女まで勧誘しなければならなかった。

不憫だな、と思う。他の子供たちには順当な使い道があるが、彼女くらいの年齢まで発育していると、カートリッジに仕立てるには体格が向かない。かといって祈手にするにも、ゾアホリックがまともに適用できるほど、確立した精神年齢でもないだろう。

ただ、単純労働をさせるには惜しいほどの健康体でもある。俺が気にすることではないが、この少女が日の目を見ることは、きっとどのような意味でも無いだろう。どのみち潰されて終わる。俺はそう検討を付けていた。

ただし、不思議なことに黎明卿は、この少女の処遇をただちに決めようとはしなかった。


「私も、彼女について考えあぐねているところです」

「旦那にしては優柔不断じゃないっすか」

「いずれ道は見つかるでしょう。それまで頼みますよ、グェイラ」


黎明卿は彼女を他の子供たちと同じ部屋に住まわせ、同じように食事や衣服を与えた。そしていつしか彼女、ナマエは、彼らの世話役を引き受けた俺に懐くようになっていた。それはとても自然なことに違いなかったが、どうにも不安が付きまとった。

懐くと言っても、年長の彼女のそれは幼児がするような甘えたや駄々とは当然違ってくる。すっと近くに来て、暫くじっとしていることが多い。話しかけても俯いて返事をしないことも少なくない。

それが恥や怯えに由来するものではないようだということだけは見て取れた。ナマエは子供たちには口うるさい姉のような、もしくは母親じみた態度なのに、俺にだけはなにか特別に控えめなのだった。

俺は気まずい。ただでさえ、このくらいの年齢の女児とは接点が無かった。他の幼児相手なら、こちらもたいして構えずに振る舞えるのだが。

きっとナマエは、俺と互いに会話をしない時間に価値を見出している。しかし俺にとって無言は不安だ。

黎明卿からは子供たちには思うままに過ごさせるように言われている。奔放にさせておくことで警戒心を解くのだ。だから迂闊にその無言を咎めたり追求したりはできない。気まずい。とても。


(旦那。はやくこの少女の処遇を決めてくれ。殺すなら殺すでいい。俺もさっさと諦めたい)


生かすとしても、どういった方針で育てるのか決めてもらわないと。俺には、妙にこそばゆい彼女との距離感に頭を抱える日々を、この先も続けていく自信は無い。

他の仕事もあるのだ。今の俺はどこで何をするにしてもナマエの顔が頭にちらついていた。こんな状態ではいつヘマを起こして死ぬかも分からない。





子供部屋へ食事を運び、食べ終えて眠る子供たちをしばらく観察していたところへ、ナマエはやはり来た。いつものようになんとなく俺の側に座って、他の子供たちより遅れて静かに食べ始めるのかと思いきや、俺の外套をつまんで呼ぶので、俺は心底驚いた。


「……グェイラ、」

「……なんだい?ナマエから話しかけるのは珍しいね」


勿論顔にも声にも出してはいないが、もしかすると彼女から名前を呼ばれたことすら初めてかもしれなかった。

心ばかり身をかがめ、目線が近付くようにする。俺は祈手の中でも大柄で、こうしたところでさして意味はないのだが、ポーズを取ることは重要だ。

ナマエは照れ臭そうに、もじもじとこちらを視線だけで見上げては俯きを繰り返している。俺は少年時代にすら異性にそんな態度を取られたことはない。思わせぶりなようで、実はそうでもないのかもしれない。

迂闊なことは言えないが、このまま無言でいると、今日こそおかしなことになりそうな気がして、無理やり言葉を捻り出した。


「えーと、それ、食べないの?」

「……地上のほうが、味のあるもの食べられたから」


まあ、そうか。ナマエは他の子供たちに強請られて、なかば不本意なまま此処まで潜ってきている。当然こんな無味無臭の固形食などより、頻度も量も少なくても地上の食物のほうが良いだろう。


「お腹空くとわびしいぞ」

「うん……」

「……まあ、あんま無理して食うのも良くないか」


俺は懐から油紙を出して、ナマエの握っていた手付かずの行動食を包み、彼女の服のポケットにしまってやった。あとでいつでも食べられるなら良いだろう。旨くなくとも、空腹が紛れて栄養になることは確かなのだ。

これが続いて拒食になってもいけないので、「今日中に食べきればいいから」と付け足しておく。

ナマエは俺がしてやるのをじっと無言で眺めていたが、俺が「な?」と念を押すとこっくり頷いた。そして、何かひとつ決心をしたかのように顔を上げ言った。


「グェイラは、なんだかあの人と、違うよね」

「誰?旦那のこと?」


ナマエは居心地悪そうに一度だけ頷いた。


「あの人は、私たちのためにって色々くれるけど、私はあんまり嬉しくなくて。でもグェイラは、嫌なら別にいいよってよく言うから」

「……そう?旦那は優しいよ」

「うん。分かるよ。感謝もしてるんだけど……。ちょっと怖い。……グェイラの方がいい」


俺はどきっと心臓が跳ねた気がした。実際は分からない。緊張はしている。

黎明卿と俺は比べられてはいけないし、子供が俺に傾くのは想定外のことだ。ちょっと彼女に対してはでしゃばりすぎたのかもしれない。ナマエはイレギュラーだし、俺も対応に慣れずこうなってしまったが、今これを無下にして前線基地自体の信用を落とすのも良くない。

俺はつとめて平静を保とうとした。しかし、ナマエが俺の腹に額を押し付けてきたので、その試みはさっさと失敗した。


「……あ、〜っと、ナマエ?」

「グェイラ、私のお兄さんかお父さんならいいのに」


俺は心の中で盛大に「ああ!!」と叫んだ。ついにこの時が来てしまったのだ。

自分の過去の振る舞いを省みこそすれ、この言葉自体にちょっとした優越感や喜びを感じているのもまた事実だった。立場上それをそのまま受け入れてはならないし、濁す必要がある。それに苦労する未来が見えていたから、俺は不安だったのだろう。


「あー、うん。まあ、家族みたいなもんなのかもね。それでいうと、旦那も俺の家族みたいなもんだから、ナマエも……」

「ちがうの……!私とグェイラだけがいい。ほかの子もボンドルドも、ちがうの……」


ナマエは泣きそうな声で訴えている。俺の背に腕を回してぎゅうぎゅうやっている。俺は自失しそうになった。この少女は今まで意地と責任感で他の子供の親役まで引き受けていた。

その役割から解放されたところにやってきた俺なんかは、まさに望んでいた存在なのだろう。それこそ兄や親として。

きっとこの子は今まで俺を警戒していたし、吟味していたし、我慢していたのだ。それが今日この時に辿り着いてしまった。

俺はたまらず彼女の背を撫でた。後頭も撫でた。この状況は彼女の苦労や葛藤の飽和に思えた。俺はそれを慰めたかった。途中で一体何をと俯瞰したものの、引っ込みがつかずそのまま撫で続けた。ナマエはやっぱり泣いていた。


「……俺はさ、ナマエの兄さんやパパにはなれないんだけどね」

「……」

「……でも、ナマエのことは守るよ」


ナマエは俺の分厚い生地の外套に頭を埋めながら、「ありがとう」と声を絞り出した。俺はこの瞬間に、全ておしまいだと漠然と思った。俺は黎明卿に肉体も精神もを捧げながら、こんなところで情を見出してしまうのかと。

きっとこの瞬間も黎明卿は俺を見ている。これまでも見ているだろう。それでも彼女の使い道を宙ぶらりんにしたまま、俺を差し出し続けている。


(それでも俺は、今この小さな肩を突き放すことはできない)