この小劇場に、彼女はよく顔を出して、俺に会いにくるようになった。機材がたくさん入った鞄は今日は背負っていない。首から下げたホルダーに、小さなポラロイドがくっついているだけだった。
「サンダークラッカーは撮らないから、大丈夫」
ナマエは写真家で、色々な編集社から仕事を請け負う合間には好きに色んな場所を旅しているらしい。この劇場には、依頼の写真のために訪れたと言っていた。
ひそかに、そんな偶然に感謝してしまっている俺はやはりデストロン軍に向いていないんだろうか。
劇場の階下、舞台の上に座って、埃にまみれながら、俺たちはよく話した。
見下ろす視界にはあまり彼女の顔は映らないのだが、そのつむじを眺めているだけで不思議と落ち着いた。
「駆け出しの頃、よく無茶した。到底辿り着けない場所――マッターホルンの頂上とかを撮りたがった。アフリカの、部族が住んでいる村だとかは、交渉に行った編集部が追い返されて、たいへんだった。深海にも、高い空の上にも憧れていて、自分が今居る場所だけでは満足できなかったんだね」
ゆっくり語る声は、アルトの旋律で紡ぎだされる。俺なら連れて行ってやれるよ、とは言えなかった。それを汲み取るように、こんなタイミングで、ナマエはにこりと薄く笑って俺を見上げる。美しい青色の瞳に、俺のカメラアイの光が反射している。
「君はどんな景色を見てきたの」
いつかは俺も、彼女のように語るのだろうと思っていた。ただ、それがこんなにも早く、こんなにも躊躇なくできるのだとは思っていなくて。
ナマエを手のひらに乗せると、ゆっくりと顔の高さに持ち上げる。彼女は少し身をすくめながら、何も言わずに俺の瞳を見た。
「俺の故郷は、俺が生まれたときから戦争していて、美しいものはちっとも存在していなかった。見える景色といったら、敵味方の残骸とか、銃弾とか、炎とか、そういうものばかりだ。俺には同じ形をした兄弟機がふたり居て、ずっとあいつらを見ていた。
全く同じ顔で、全く同じ寸法でできたあいつらは、俺と違って、戦うことに意義を見出していた。俺もそれまでは疑問なんて持っていなかったさ。でも、地球にやって来て、戦っている意味がよくわからなくなって。ここに転がり込んで、初めて仲間と通信を絶ってみると、ひどく落ち着くんだ。戦士としてじゃなく、個の存在として居たくなってしまうんだ」
ナマエは俺の手のひらの上で座り込んで、話を黙って聞いていた。それから、「すきだよ」と一つ呟いた。何の事だか一瞬よくわからなくて、ブレインサーキットが故障したのかと思った。
もしくはセンサーの不調だろうかと。
でも、確かに記録されている音声をどれだけ解析したって、そのことばは覆されなかった。
「サンダークラッカー」
「……」
「君のことがすきだよ。今まで何人壊していても、今の君はとても美しいよ」
「やめてくれよ」
突き放すように彼女を舞台に降ろしてやると、彼女は初めてムキになったように、こちらに投げかけた。
「嘘じゃない。だって、君の表情は人間みたいだよ。自分が何者なのか考え始めているのは、自分の運命を豊かにしたいって君自身が望んでいる証だ。じゃあそれを貫いてみせなよ。仲間と連絡が取れたって、そこに引っ張られる自我ではないでしょう」
「……ナマエ」
「だから、ここに、居てよ」
彼女の無垢な青色の瞳が、つめたい温度をしている。不安なのだと、その瞳で語る。俺がどこかへ去ってしまうことを。俺が自分を殺してしまうことを。すべて見抜き、そこへ釘をさすように、初めて懇願する彼女は、初対面の彼女からは想像もつかないような表情をしている。
絆されて、ここにずっと居て、彼女と暮らす夢を見そうになる。それでもいいと言うアルトの旋律にただ頷いてしまいそう。
「……だめだ、俺は、だって、デストロンなんだぜ」
目下で膝を抱えてしまった彼女が、そんなこと知ってると泣き声で言った。