軽い音が玄関にお客さんが来たことを告げる。
「はい、どちら様ですか?」
玄関のドアを開けるとそこには、馴染みのある人が立っていた。
「こんにちは、黒子っち!」
相変わらずの向日葵のような眩しい笑顔を振りまく。
「黄瀬くん……今日はどうしたんですか?」
「黒子っちに会いたくて、遊びに来ちゃったッス」
* * *
「で、どうしてこの座り方なんですか?」
家までわざわざ来たのを追い返せるわけもなく、今は、黒子の部屋で映画鑑賞中だ。
実をいうと黒子も、特にこれといった予定があったわけでもなかったので好都合でもあったのだ。
そして、この座り方とは、体育座りする黒子を黄瀬が後ろから抱きつくような座り方のことだ。黒子はすぐにでも逃げたいのだが、黄瀬の手が黒子を逃がさないようしっかりと巻き付いていた。
「ほら、この映画、ホラーで怖いから近いほうが、怖くなくていいんッスよ!」
「でも、こんな近くなくてもいいじゃないですか?」
すると、黄瀬は黒子の耳に近づき、
「あと、こんなこともできるしね」
吐息たっぷりで言われ、黒子は、身を震わせる。
反応を楽しむように、黄瀬は耳や首にフーッと息を吹き、そこを下を這わせる。
「……ひっ……ッ」
そして、首筋にチリッと痛みが走り、黒子は、身じろぐ。
フッと黄瀬が軽く笑うのが息で分かった。
「黒子っち可愛いッス……オレの黒子っち……」
黄瀬は、黒子の首元に顔をうずめ、言う。
「き、黄瀬くんいい加減にしてくだ……黄瀬くん?」
黒子か抵抗していると、黄瀬の動きがピタッと止まった。
「黄瀬くん、もしかして寝てます?」
沈黙を作ると、一定のリズムを刻んだ心地よさそうな寝息が聞こえてきた。
「ふふっ、バスケもお仕事も頑張って、疲れちゃったんですね」
高校に入ったあたりから、ほとんど仕事をしていなかった黄瀬だが、最近少し仕事をしていると、この間言っていたのを黒子は、思い出した。・
先ほどまで抵抗のために黄瀬の頭に乗っていた手は、今は、夢へ誘うようにゆっくりと撫でるものとなった。
* * *
誠凛高校の体育館では、バスケ部が活気よく練習をしていた。
「練習見学に来ちゃったッス」
「あら、いらっしゃい」
体育館の大きなドアから、数人の女の子を何とかまいてやっと目的地にたどり着いた黄瀬が、ひょっこりと顔を見せると誠凛高校バスケ部監督、相田リコが迎え入れた。
部員は、練習に集中していため、黄瀬には気付いていないようである。
ただ一人を除いては――。
「おい、黒子。次、お前の番だぞ」
「え?あ、はい」
ドアの近くで楽しそうに話していた二人を見ていたせいで、黒子は、火神が教えてくれるまで、自分の番が回ってきたことに気付かなかった。
慌てて、練習を再開するが、逆光でシルエットしか見えなかったが、黄瀬とリコが楽しそうにしているのがわかり、その情景が頭から離れなかった。
(黄瀬くん……)
黒子に見られているということを知らない二人は、今、女子中高生の間で流行っているスイーツについて盛り上がっていた。
「あそこの、フルーツタルトは絶品よ!」
「今度、行ってみるッスね!」
「うん、ぜひ! あ、そうそう、黄瀬くんこれあげるわ」
何かを思い出したように制服のスカートのポケットから取り出し、黄瀬の目の前に突き出した手の上にのっていたものは、一つの飴だった。
「わー、ありがとうッス!」
黄瀬は、その飴をもらい、さっそく口の中へ入れた。
* * *
体育館に突然、リコの悲鳴が響いた。
部員は何事かと動きを止め、リコのほうに目を向ける。それは、一瞬、時が止まったようだった。
リコは、何かをじっと見ている。その視線の先には、逆光で、部員達には、シルエットしか見えないが、何かいるのは確かだった。
不思議に思った部員は、近くに行くとみんな息を呑んだ。
目の前にいたのは、幼稚園児くらいの黄瀬だった。服は元の大きさのまま体だけが変わってしまったらしく、着ていた海常高校の制服は、片方の肩からずり落ちていた。
「き、黄瀬……?」
部長の日向が、恐る恐る声をかけてみる。
すると、驚きのまま固まっていた黄瀬は、我に返ったように自分の今の姿を確認すると、目に涙を浮かべた。
「お、おい、泣くよ」
火神が頭を撫でてやろうとすると、みんなにおいて行かれ、中心部にやっとの思いで黒子が来た。
「よいしょっ……黄瀬くん?」
「く、くろこっちぃ〜」
それを見た黄瀬は、黒子に向かって手を伸ばし、堪えていた涙を流してしまった。
「おい、何があったんだ?」
日向がリコを肘で突き、そっと聞く。
「私が飴をあげて、黄瀬くんがそれを食べたら、いきなりこうなっちゃったの……!」
「カントクのあげた飴を食べたらこうなったと……?」
「うん……」
黒子は、しゃがみ、泣きついてくる黄瀬をよしよしと背中をさすっていると、少し落ち着いたようだ。
嗚咽しながら、黄瀬が言う。
「あのあめ……っく……へんなあじが、したッス」
「変な味ですか?」
黒子の問いに、黄瀬は、コクンコクンと頷く。
「そんなことないわよ! 私、特製のサプリ飴よ!?」
リコの発言で、ざわつきが静かになった。
「な、なによ!?」
リコは、視線が全部自分に向いていることに、半歩後ずさりする。
「なんで、サプリで飴なんか作ったんだよ?ですか?」
「つまり、黄瀬が小さくなったのは、カントク特製の飴のせいだろう……」
「そ、そんなことは……」
先ほどまでの勢いがいっきになく、少し俯き加減になってしまった。
部員達は、またざわつき始める。
リコは、俯いたまま黒子に抱き、宥めてもらいやっと涙が止まった黄瀬のもとへ行くと、
「黄瀬くん、ごめんね……」
「ゆるすッス!だ から、しょぼーんってしないでくださいッス」
黄瀬は、満面の笑顔で言う。
そして、みんながこの笑顔を見、思った。
(さすが、モデル……あざとい!!)
* * *
「ただいま」
「ただいまーッス!」
夕方、手を繋いで、黒子家に帰ってきたのは、黒子と満面の笑みの小さい黄瀬だ。
あの後、これから黄瀬をどうするかと言うことになり、丁度家族が旅行でいない黒子が、とりあえず一日家で面倒を見ることになった。
小さくなってしまった黄瀬は、とても嬉しそうである。
服や靴などのものは、水戸部がすべて用意してくれた。
「黄瀬くん、夕ご飯ができるまでテレビでも見て、待っててください」
「りょうかいッス!」
てちてちと歩き、ソファーに頑張って登り座る姿は、なんとも愛らしい。
黒子は、顔をほころばせ、晩ご飯の準備を始めた。
* * *
「……んっく……っぱぁ〜!!」
黄瀬は、腰に手を当て、風呂上がりの牛乳を一気に飲み干した。
その空になったコップを黒子が受け取り、サッと洗う。
「さ、僕の部屋に行って、もう少ししたら寝ましょう」
「はいッス!」
どちらからともなく手を繋ぎ、黒子の部屋へ行く。
「さ、黄瀬くんここに座ってください。髪拭いてあげます」
テレビの見える位置に座り、自分の足の間をポンポンと叩き、黄瀬に来るように促す。
黄瀬は、少しもじもじとしていたが、小走りでそこに座った。
「おねがいするっス」
「はい」
照れているさまが何とも微笑ましく、笑顔で返事をし、持っていたタオルで目の前のさらさらとした髪を拭いてやる。
いきなり小さくなってしまったのは、かなりビックリしたが、幼稚園児ぐらいの黄瀬もまた可愛い。
今の座り方のように、いつもはされているばかりが、今日は、料理を作ったり、髪を拭いてあげたりできた。
しかし、今、目の前にいる黄瀬は、いつもの黄瀬とは違う。
「きょうは、せっかくのくろこっちのいえにとまってるのに、ちいさいからなにもできないッスね」
タオルの下にいる黄瀬が、少し笑いまじりにそんなことを言う。
性格も気持ちも、いつもとは変わらない黄瀬だ。
でも、体格が変わってしまった。
黄瀬が小さくなるまでは、されるままで少し不満を持っていたが、されないのは、どこか心がさみしい。
心を表しているような温かい大きな身体で、今は包まれていない。
「?」
髪を拭いていた手が止まったことに異変を感じ、黄瀬は、大きな瞳で黒子を見上げる。
このまま戻らなかったらどうしよう――?
心の中をそんな気持ちが、何度も強く駆け抜ける。
もう、二度とあの背中にくっつくことも、抱きつかれることもなくなってしまうのではないか――?
「……くろこ……っち?」
目から溢れでた不安を黄瀬に見せないよう、さっきまで髪を拭いていたタオルで顔を覆う。
「……っう……っ」
「どうしたッスか?」
冗談で言ったはずの言葉で、黒子が泣いてしまったと、黄瀬は焦り、あたふたしてしまう。
はっと何かに気づき、頭を撫でていた手を止め、タオルを何とか黒子の顔から外し、唇を重ねる。
「キスなら、ちいさくたってもできるッス!」
呆気にとられていた黒子だが、黄瀬の自信満々で明るい笑顔を見、「そうですね」と笑っていた。
* * *
「そろそろ、寝ましょうか」
時計を見るといつの間にか、結構いい時間になっていた。
「くろこっちのいいにおいが、すごいするッス」
ベッドに入ると、えへへっと笑いながら、黄瀬が言う。
「そんなこと言ってないで、早く寝てください」
暗闇だが、顔が赤くなっていることを隠すために、黒子は寝返りをうつ。
「あぁ、くろこっち〜こっちむいてくださいッス」
そっぽを向かれた黄瀬は、黒子の肩を揺らす。
「ねえねえ、くろこっちぃ〜」
それでも、振り向かないでいるとだんだん静かになっていった。
身体が幼くなってしまったため、体力も身体と同じになってしまったようだった。さらに、精神と身体の年齢差があるため、その分体力の減りも早いようだ。
スースーと心地よい音が聞こえる。
黒子は、服の背中の部分を掴んでいた手をそっと外し、黄瀬を起こさないように寝返りをうつ。
目の前には、やはり、幼い黄瀬だった。
布団をかけなおしてやり、細い髪が指に吸い付いてくるような頭をよしよしと優しく撫でる。
「……んんっ……」
今、カントクが何とかしてくれているはずだと思っても、黒子の心のどこか不安が渦巻いている。
しかし、一番心配なのは、黄瀬本人だろう。人より何倍も不安で苦しいはずだ。
それなのに、自分は黄瀬の前で泣いてしまったと、黒子は悔いる。
「黄瀬くん……ごめんね……」
もし、リコがなんとか出来なかったとしても、ほかに何か手があるはずだ。
(僕より、黄瀬くんのほうがつらいんだから、僕が少しでもポジティブにならないと――!)
黄瀬に布団の上からポンポンと一定のリズムで夢へと促していると、黒子もだんだん瞼が重くなり、夢に落ちて行った。
* * *
「……んっ」
太陽の明るさが眩しく、黒子は、目が覚めた。
いつもより、どこかベッドが狭く、身体が重い。
枕も、ゴツゴツしている気もする。
眠い目をこすり、さすがに、今日が休日だとしてもそろそろ起きないといけないと思い、目を開ける。
すると、目の前にスヤスヤと眠る顔があった。
「わあああーっ!!」
「うがっ」
驚きのあまり、その人を叩いてしまった。
上半身を起こし、よく見てみると、その人は、
「黄瀬くん!」
叩かれた頬を摩りながら、涙目の黄瀬も上半身を起こす。
「黒子っち、酷いッスよぉ」
「き、き、黄瀬くん……!」
少し目に涙をためむくれている黄瀬をよそに、黒子は、わなわなと黄瀬を指さす。
ん?と首をかしげる黄瀬は、黒子の指差す自分を見てみると、飴をもらって食べる前に戻っていた。どうやら、服は一緒に変化しなかったようだ。
黄瀬は、嬉しさのあまり、声が出ないでいると、黒子が飛びついてくる。
「もとに戻って……っく……よ、よかったです……っ」
飛びついて来た黒子は、よかったと何度も言いながら泣く。
「黒子っち――」
名前を呼ばれ、呼んだ人の顔を見る。すると、顔を両手で包まれる。
「触れるだけのキスだけじゃなく大人なキスも、可愛い黒子っちを抱きしめてあげることもできるオレに戻ったッス!
だから、黒子っち泣かないで……」
そう言い、黄瀬は、黒子の頬を伝う涙を親指で拭う。
すると、温かいものが唇に降ってきた。
「……んんっ……」
すると、口腔の中に舌が侵入し、口腔の中で遊びまわる。
黒子も、それに応える。
そして、唇が離れると、黄瀬がギュッと黒子をすっぽり包んだ。
黒子も抱きしめ返し、元に戻ったことを確かめあうように抱き合う。
屋根にとまっている鳥の声が、二人を祝福しているようだ。
お互いの顔を見、喜び笑いあった。