とあるマンションの一部屋。暖かなリビングのソファーに座り、とろんと寝ころでいる二号をなでながら、テレビを見ているとトントンと早歩きの音が聞こえてきた。僕は、あえて座ったまま二号とその音に耳をたてていると、ドアが勢いよく開いた。

「黒子っち!ただいま!!」

 声が聞こえるや否や僕の膝に乗っていた二号は、いつの間にか小さな子供のような大きな声で帰りを告げた黄瀬くんの元へ走り寄っていた。

「二号もただいまッス!いい子にしてたっスか?」

 ドアのほうを向くと、黄瀬くんは、近寄ってきた二号の頭を笑顔で撫でていた。二号も嬉しそうにクゥ〜ンと甘えている。
 黄瀬くんは、僕の視線に気づき、僕に笑顔で改めて帰りを告げる。

「ただいま!」
「おかえりなさい、黄瀬くん」
 
 立ち上がり、近寄ってくる。

「黒子っちもいい子にしてたっスか?」

 僕のことを後ろからすらっとした長い腕で包み込み、わざと言ってくる。
 それに、僕は少し皮肉めいたことを返す。

「僕は、黄瀬くんとは違って、いつもいい子ですよ」
「ははっ、そうスね……黒子っちは、いつもいい子ッス。こうして、仕事が遅くなっても、寝ないで待っていてくれるしね……」

 黄瀬くんが話すたび、首筋に息がかかりくすぐったい。

「いい子でしょ?さあ、そろそろ着替えてきてください。今日の夕ご飯は、君の大好物ですよ」
「……いやッス」

 僕を包む腕の力が強くなる。

「ほら、身体こんなに冷えているんですから」

 黄瀬くんは、いやいやと、首を横に振る。
「今日の黄瀬くんは、甘えん坊さんですね」
「……」
 
 僕を包む腕に手を添える。

「ねえ、黄瀬くん。今日、何かあったんでしょう?」

 小さく頷いたのがわかった。
 少しすると、黄瀬くんは口を開いた。

「今度、モデルの仕事で沖縄に、行かなくちゃいけなくなったッス……黒子っちと五日間も会えないなんて……」

 僕の首元に埋めていた頭を、さらに摺り寄せてくる。

「それで、甘えん坊になったんですか」

 コクンと頷きがひとつ。
 そんな彼の頭を撫でてあげる。

「僕は、黄瀬くんに遠いとこに行っても、お仕事頑張ってきて欲しいです。黄瀬くんの出ている雑誌買うの楽しみですからね」
「黒子っち……」
 黄瀬くんが顔を上げ、首筋にスーッと空気の冷たさを感じる。
「黄瀬くんのこと待っています。二号と一緒にこの家で――」

*   *   *

 黄瀬くんが旅立った夜、いつものように、ソファーに二号と座り、大好きな作家の本を読む。

「もうこんな時間ですか……」

 ついつい、時間を忘れて熱中してしまっていた。
 ふと、時計を見ると、日付が変わっていた。
 いつもなら、黄瀬くんが「ただいまー!」なんて言って、帰って来ているはずの時間だ。
 一つ重いため息が漏れる。

「さあ、寝ましょうか」

 膝の上で、すでに寝ていた二号を撫でなら言い、目を覚ました二号と一緒に寝室へ向かう。
 珍しく、二号が布団にもぐりこんできた。

「今日は、どうしたんですか?」

 クゥ〜ンと、甘えた声が返ってくる。
「黄瀬くんがいなくて、寂しいんですか?」

 返事をするかのように、僕にすり寄ってくる。

「大丈夫、あと四日もしたら帰ってきますよ。それまで、いい子で待っていましょうね」

 おやすみなさいと二号を撫でてあげると、安心したのかすぐ寝た。
 僕も、寝ようと目をつむる。
 黄瀬くんの家は、どこかいつもより広くて、どこかいつもより寒いです。

*   *   *

「ほー、じゃあ黄瀬くん、今沖縄にいるんだ」
「はい」

 大学の図書館で、緑間くんと高尾くんにたまたま出会い、その流れで、今は、大学の近くのファミリーレストランに来ていた。

「あいつは、いつも忙しそうなのだよ」
「たしかに、最近、更に売れきてるからねー」

 三人で、うんうんと納得し頷く。

「黄瀬くんとは、連絡取っているの?」
「いや、それが……」

 実を言うと、あの黄瀬くんからメールがなかなか返ってこない。さらに、午前に電話がかかってきたかと思えば、スタッフの方に呼ばれてしまい、一分も話さず切れてしまった。

「まったくあいつは……」

 緑間くんは、呆れ気味の溜息をこぼす。

「じゃあ、黒子君から連絡してみたら?」
「こちらから、連絡取ろうと思ったんですけど、やっぱり邪魔しちゃいけないと思ったので、やめておきました」
「そっかー、モデルの彼氏は大変だね。寂しくなったら、うちに遊びにおいでよ」

 高尾君は、ニカッっと笑いながら言う。
 そういう風に、励ますことができるのは、すごいと思う。

「はい、ありがとうございます」
「そろそろ、帰るのだよ」
「そうですね。二号もお腹減らして待っていると思いますし」

 会計を済ませ、出入り口で別れを告げる。

「じゃ、またね」
「またなのだよ」
「はい、また」

 俺らこっちだからと背を向けられる。
 高尾くんと緑間くんは、一緒に暮らしている。
 しばらく二人の後姿を眺める。
 高尾くんが、緑間くんのことをからかっているのだろう。声は聞こえないが、仲の良さと楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
 胸をロープみたいなもので、きつく締められる感覚になる。苦しい。
 苦しい部分を掴むが、一向に良くならない。
 僕は、眺めていた二人から目をそらすように踵を返し、マフラーに深く潜るようにし、帰路に着いた。

*   *   *

「ただいま」

 黄瀬くんが、旅立ってから三日目。
 バイトから帰ったことを告げると、二号がてちてちと出迎えてくれた。

「わん!」
「二号、ただいまです」

 靴を脱ぎ、二号を抱き上げ、リビングへ向かう。
 普通の一人暮らしより少し荷物が多いくらいの家。暖房も、入っていて過ごしやすい。
 でも、やはり、今のこの家は、僕にとって、あまりにも広すぎる……寒すぎる……
 まるで、今は、夜。太陽がお出かけ中の夜。
 そして、ここ数日漂っていた黒くて分厚い雲から冷たい雨が降り出しそう。
 
*   *   *

 風呂から上がり、あとは寝るだけ。
 いつもは、本を読むが、今日はそんな気分じゃない。
 ソファーに横たわり、クッションで顔を覆う。
 心の冷たい雨が降り出した。
 無地のクッションに二つの水たまりができた。
 どれくらい時間が経っただろうか……
 起き上がり、目元をごしっと腕で拭き、寝室のクローゼットから黄瀬くんのスウェットを引っ張り出す。

「ブカブカなのが、なんかムカつきますね」
 引っ張り出したそれを着てみるが、二十一センチの壁は、どうも分厚いようだ。
 袖からは、手が一切出ず、パンツは、もたもたと下のほうに溜まってしまっている。

「どうして、ここまで大きく成長できるのでしょうか……僕には一生謎です」

 そのまま、ベッドへダイブし、枕に顔をうずめる。

「あと二日。あと、二日我慢すれば帰ってくる。黄瀬くんだって頑張っているんだから――!」

と自分に言い聞かせる。
 それで、安心したのか、疲れていたのか、眠りの中に落ちて行った。
 
*   *   *

 まどろみの中、声が聞こえた。

「二号ただいまッス!いい子にしてた?」

 僕を起こさないように、小声で話しているようだ。
 話し方も声も、すべて僕が待っていた人。

「黒子っち、ただいまッス!……えっ黒子っちそれ……」

 ベッドの横に来て、僕の格好に驚いたようだ。
 しかし、この声の持ち主は、今ここにいるはずない。

「どうしたんスか? 涙なんて溜めて……嫌なことでもあったんスか?起きたら、相談のってあげるね」
 
 そう言いながら、自分でも気づいてなかった涙を優しい手で拭ってくれた。
 やはり、僕が待っていた人だ――
 目を開け、確認してみる。

「あ、起こしたゃったスか?」

 目の前には、驚いた顔の黄瀬くんがいた。

「黄瀬……くん……?」

 まだ、ちゃんと覚醒しない頭で、上半身を起こす。

「撮影早く終わったんで、黒子っちに会いたくて、早く帰ってきたんスよ。連絡全然取れなくて、ごめんね……」

 黄瀬くんは、申し訳なさそうに言う。
 だんだん頭が冴えてきた。
 ああ、なるほど。僕、分かってしまいましたよ。君のことだから、普通は五日で終わらせる撮影を、スタッフの方に無理言って、スケジュール詰めましたね。
 僕は、黄瀬くんの腰に腕を回し、抱きついた。
 黄瀬くんは、冷たいけど、温かかった。

「ほんとごめんね……」

 何も言わない僕が怒っていると思っているのか、そう言いながら、僕の頭を宥めるようにゆっくり撫でる。
 それは、なんだか、子ども扱いされている気がして、黄瀬くんを睨み付けようと顔を上げた。

「わぁ、黒子っち泣かないで!」

 見上げると、視界がぼやけていた。
 僕が、突然泣き始め、黄瀬くんはおどおどしてしまった。

「黄瀬くん……」
「なんスか?俺なんかし――」
「おかえりなさい」
「ん、ただいま」

 そう優しく言うと、抱きしめ返してくれた。 
 時刻は、午前四時半少し過ぎ。

「どうして、オレのスウェット着てるんスか?」

 寂しかったの?と、意地悪そうに耳元でささやく。
 黄瀬くんの服に顔を隠しながら、うんと頷き返す。

「黄瀬くんがいない家は、すごく広く、冷たく暗く感じました。黄瀬くんは、太陽みたいですね。こうして黄瀬くんがいるだけで、ぽかぽかと温かくなります」

 黄瀬くんは、一瞬驚いた顔をしたけれど、笑顔になった。

「オレも黒子っちと一緒じゃなくて寂しかった。オレ今すごく温かいし、幸せ……」

 くすくと笑いながら、お互い回した腕の力を強くした。


 そして、僕は太陽とキスをした。


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