旦那の岡惚れ | ナノ




26 現実逃避




そして月曜日。




「おい猿飛。真田の奴どうしたんだ?」
「あーそっか、元親は来てなかったから知らないんだね」


視界の端に元親殿と佐助が話す姿が見える。


ああ、姫……。

貴女に想い人がいらっしゃったとは。



「姫さんに好きな人がいるって分かってさ、落ちこんでんの」
「はあ? まじか?」
「まじまじ。好きな人が旦那っていう可能性もあるのに、旦那ってばそんなはずが無い! って言っちゃってさ」
「そりゃ、ショックだな。まあ、元気出せよ真田」


「…………ひ、め……」




机に顔を伏せてそう呟いた。


近くで誰かが俺に話しかけていたような気がするが、どうでもいい。

ああ、もう俺に望みはない。
どうすればよい。
俺は、これから何を糧にして生きてゆけばよいのだ。



「旦那、悲しんでるとこ悪いけど、次移動だよ」
「む……そうか……」
「科学室行くのにさ、姫さんのクラス通る?」
「な……で、できるわけなかろう!」
「なんで? 見るのは自由じゃん」
「し、しかし……!」
「姫さんのこと好きなんでしょ?」
「そ、そうだが……」
「その気持ちまで否定しちゃだめだよ」
「っ……」


ほら、立つ! と叱咤されて俺は立ち上がった。


俺は、姫が好きだ。
だが、姫は俺以外の誰かを好いていらっしゃる。


姫を想い続けても無駄だと思う。
だが、この大きくなりすぎた気持ちを押さえ込むのは無理なのかも知れぬ。


ああ、佐助の言うように、姫を想い続ける方がいいのだろうか。




「ほらほら、しゃんとして! 行くよ」



佐助に背中を押されて教室を出る。

教室を出る際に元親殿が何か言っていたようだが上手く聞き取れなかった。




俺は姫で頭がいっぱいだというのに、姫は一体誰のことを考えていらっしゃるのだろうか。
俺のこと、ならば良いのに。


そんなことは皆無だという事は百も承知だ。
姫との関係は唯の、先輩と後輩だ。


姫も俺の認識は政宗殿がこの前仰っていた通り、仲のいい後輩としか思っていらっしゃらないだろう。




姫と仲の良い男など腐るほどいるに違いない。
姫は男女分け隔てなく接されるお優しい方だからな。




「……っ」



思わず左胸を押さえた。


ああ、この苦しみからはどのようにすれば解放されるのだろう。


始めは、一日に一回姫を拝見できれば満たされた。
だが、今はそんなものだけでは満たされぬ。



ああ、俺は強欲なのだな。




姫の教室へと向かう階段を上り、遂に姫の教室が見えた。





思わず足がすくむ。
俺はなんと弱い男なのだ。


「旦那、行くよ」
「わ、分かっておる」


今は十二月だ。
当然姫がいらっしゃる教室の窓やドアは締め切られている。
大丈夫だ、姫に気付かれる事はない。


こんな弱虫な俺を姫に見られたくない。



一歩一歩進んでいくといきなり廊下側の窓が開いた。





「だーかーらー!」






「っ……!」
「うっわ、なんていいタイミング」


流石の佐助もまさか姫が窓を開けるとは予想できなかったらしく目を丸くしている。

俺も驚きすぎて、慎重に進めていた歩が完全に止まった。
だめだ、これでは姫に見つかってしまう。


踵を返そうとしたところで佐助に腕を捕まえられた。



「大丈夫、まだ距離はあるから」



た、確かに姫と俺の距離は五メートルほど離れているが、見つかるのも時間の問題だ。



内心はらはらしながらも姫に会えたことの嬉しさが勝ち、止まった。
すると、姫が手をメガホンのようにした。





「顔だけじゃなくて、中身も好きなのー! ライクじゃなくてラブなんですー!!」





そう叫んだ後、教室の中に居る友達に何か仰っていたのか勝ち誇ったような顔をしていらっしゃった。






「っ……」



先程よりも強い胸の締め付けが俺を襲った。
頭が可笑しくなりそうだ。


胸が痛いのに、空っぽのような感じもする。
虚無感が湧き上がるのに、心が悲鳴を上げる。




「だ、旦那……まだ分からないよ? ね? なんかのキャラクターを好きって言ってるだけかもしれないでしょ?」



佐助が焦ったように何か言っているが、感覚神経が麻痺したのだろう。
脳に佐助の言葉が伝わらん。




足に根が生えたように固まっていると、姫の目が俺のほうを見たような気がした。

なぜか俺の方を目を見開き凝視していらっしゃった。


何だ、俺の後ろに何かあるのか?
それとも、俺を見ていらっしゃるのか?




「…………!!」




「姫さん、何か言ってるね」



なんだ、声が小さすぎて聞き取れん。
姫はこちらを向いて何か仰っているようだが、周りの雑音とも重なって声が聞こえん。


姫はなぜか頬を赤く染めた後、すぐさま廊下の窓を勢いよく閉めた。
廊下中に響き渡るほどの力で、だ。


何をそんなに焦っていらっしゃるのだ。



未熟な俺には全く分からん。






固まっていると、佐助がなぜか笑っていた。




「ふーん。姫さん、好きな人が見えたから照れちゃったんじゃない?」
「は?」
「姫さんこっち向いてたでしょ? だから俺様たちのいる所に姫さんの好きな人がいたんじゃないの?」
「姫、の想い人……」







姫の想い人いるかもしれないと思った瞬間、俺の身体が動いた。





「ちょっ、旦那、どこ行くの!?」




姫の想い人が誰か知りたい。
本当に姫に相応しい相手なのか確かめたい。
そして、姫を幸せにすると、悲しませないと、誓わせたい。



姫の幸せが……俺の、幸せ…………とは、今はもう言えぬ。



今、姫の想い人を知ってしまえば、その男を怒りで殴ってしまう。
そんなことをすれば、姫が悲しまれる。


姫を傷つける行為などしてはならぬ。





「っ……!」



せめて、もっと俺の気持ちに整理がついてから……。


姫の幸せが俺の幸せと言えるまで、まだ現実は見ないでいたい。
まだ、俺にも望みがあると思わせてくれ。



(心に余裕が出来るまで、まだ夢をみていたい)
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