▽ 星の夢
人が贈り物をするのは、自分が伝えきれない想いを込めるためだと聞いたことがある。
そんな想いを感じるのか、人から贈られたものはなかなか捨てられない。名前が思い出箱≠ニ名付けた箱の中には、故郷から持ってきた有象無象の物がぎっしり入っていた。
中身は使わないものばかりだ。でも二十年余り生きていれば、使用の有無にかかわらず愛着は積み重なっていく。贈られたもの、大切にしていたもの。手に取ると思い出が鮮やかによみがえった。
「これって……」
そのなかに一つだけ、どうしても思い出せない品があった。──小さな宝石の飾りがついたブレスレット。なめらかな青い宝石は金の粒がはしり夜の星空を切りとったよう。とても高価できれいな品なのに、貰った記憶が“いっさい”ない。嘘のように思われるかもしれないが、この品だけは由来が思い出せなかった。
でも誰かが間違えて自分の持ち物に入れたのではないと分かっていた。
──これは私が貰ったものだ。でも、誰に?いつ?どうして? そんなことも知らず、ずっと大切にしている。
「………」
こんなに思い出せないのは強力な魔術のせいかもしれない、と名前は思った。
先日、魔術塔からの卒業が認められ、就職先も決まった。行き先は“人理継続保障機関カルデア”──場所すら明かされていない極秘の研究機関だ。だが実績を認められれば一族の名誉になるだろう。
不安な心を使命感で押さえ込む。……施設に持ちこめる物は限られている。思い出箱を整理しはじめたのもそのせいだ。
ブレスレットを手のひらにのせてみる。故郷から出た時はそれほど疑問に感じなかったが、なにも思い出せないのは変だ。魔術の痕跡がないか調べてみよう。
解析は得意でなかったが、慎重に手順を踏んで反応をさぐる。チカリ、と一瞬だけ光った宝石は魔術の残滓をしめした。だが、名前ていどの魔術師では痕跡を追わせてくれない。やはり忘却魔術が仕込まれているようだ。
それに……とても、とても強力な守護≠ェ込められている。
──誰がどうして……私に守護を?
おそらくこれを贈った人は、私に覚えていて欲しくなかったのだろう。きっと家族や友人ではない。私を護りたいのに存在を隠したい人……。
どんな人だろうと名前の胸はざわめいた。秘密をあばく好奇心に、作業の手は止まってしまう。名前は本来の目的を忘れ、忘却魔術の打ち消しに挑みはじめた。
■□■□■
名前の記憶から消された出来事。それは十年以上の時を遡る。
とある極東の島国で行われた聖杯戦争。雪の降る街でおこなわれた戦争は、聖杯をめぐり7人の魔術師と各々のサーヴァントが激しく闘った。
サーヴァントとして喚び出されるのは人類史の英雄たち。その召喚自体がすでに奇跡だ。英霊たちはそれぞれ個々の意思、生前の記憶を持っていた。
「これが 星を人間が支配する時代≠ゥ……」
──もし、この時代に現界することに特別な想いを持つ英霊がいたなら。
無数の人間がひしめくこの時代をなんと感じるだろう。
「ハッ、醜悪な世界だな。我は随分と美しい幻想に酔っていたようだ」
高いビルの上から、点滅する無機質な光、道を行き交う人々を見下ろす金髪の青年がいた。整った顔をゆがめて群衆を睨み、口には嘲笑とわずかな憐れみが混じっている。
──彼女が語る姿を見ながら、我もこの時代を見てみたいと思った。あの人にみえていた世界はどんなものだろうと思った。
「凡俗の人間に支配を任せたから醜悪になったのであろう。やはり我は受肉を果たして、世界をあるべき姿に戻すしかないようだ」
そのころ聖杯戦争の舞台から遠く離れた街で、か弱い少女が大粒の涙を流していた。
「っ……」
──魔術師の家系に生まれたら、生き方はすでに決められたようなもの。
少女は本家の生まれではなかった。魔術師としての才能はほとんど無かったにも関わらず、魔術刻印の器としての適性を示した。だから刻印の継ぎ手に選ばれた。子どもを産んで継承させるためだけに。
魔術刻印は一族にとって最も価値あるものだ。当主にしか継げず、刻印をより良いものにするため一生を捧げなければならない。個人の意思など刻印を継ぐ責任のまえには存在しない。
──君が魔術師と異なる生き方を望んでいたとしても……はやく諦めることだ。
現当主である男性に言われた言葉は、なんども名前の心をえぐった。痛くて痛くて、目に見える傷ならどれほど大きかっただろう。
平穏に一般人として生きていたのに、ある日とつぜん養子に出され、生き方を決められた。
「…お母さん…お父さん……っ」
泣いても迎えは来ない。もう前の家のことは忘れなさいと言われた。──おまえはこの家のために生きていくのだから。
家族だけじゃない。将来の夢も自由もなくなった。これからは一族のために生きていかなきゃいけない。それが与えられた、わたしの生きる意味だから。
膝を抱えて泣きじゃくる少女のまわりは前の家より高価な家具や美しい洋服があった。でもそんなもの真っ赤に泣き腫らした目には入らなかった。……はやく覚めて。悪い夢だと言って。おうちに帰りたいよぅ。
むちゃくちゃになった気持ちは、少女を無鉄砲な計画へと突き動かした。
車に乗ってきたとき、どう進んだか方向を覚えている。たどればきっと家に帰れる。帰れるという自信より、忘れたくない、帰りたいという気持ちが彼女を突き動かした。
夕食に出された食べ物を紙ナプキンにこっそり包み、ナップザックに絆創膏やお小遣い、食べ物を入れる。皆が寝静まった時間に抜け出し、一生けんめい記憶をたどって車に乗ってきた道を進んだ。
「………っ」
歩きだしたときは、成功した喜びと帰りたい気持ちで興奮していた。だが1時間もすると、深夜ひとりで歩く少女の身に、眠気と恐怖、不安が襲いかかる。
まだぜんぜん見覚えのある景色じゃない。どこまで歩いたらたどり着くの。時々通る車のライトがまぶしくて目が痛い。ナップザックの紐が肩に食い込む。疲れて眠たくて足がもつれだす。
──通りすぎる車の人に聞こうか。でも、本家に連れ戻されてしまうかもしれない。
道の縁石につまずいてこけ、ついに道の途中に座り込んで立ち上がれなくなってしまった。ぽろぽろと涙が頬を伝う。……お母さん、お父さん。もしかしたら家に帰っても入れてくれないかもしれない。
『名前はもう私たちの子じゃないんだよ』
そう言って、お父さんとお母さんは本家の人に頭を下げ、私の背を押し出した。
──ああ、もう帰る場所がないんだ。
分かっていた。でも一度でいいから戻りたかった。二人の顔を見たかっただけなのに。
「どうして泣いている?」
ふと月の光がさえぎられ、名前はその人物を見上げた。
──金髪の男のひと。見たことないほどきれいで人間離れした雰囲気をまとっている。たぶん違う国の人だ。まぼろしか夢みたいだと疲れ果てた名前は思った。
「………」
「だんまりか。だがこの時間に子どもがうろつくなど真っ当な理由があるまい。家はどこだ?」
「……っ」
名前の目に大粒の涙が溢れた。ぼそりと言う。「お家は──ありません」
少女の言葉に男性は目を見開いた。血みたいな赤い目だった。
「家が無いだと?」
こくりと頷くと、男性にじっと睨まれた。……落ち着かない。この人に見られるとなんでも見破られるみたいで嘘がつけない。
「帰る家がないんです」
正直に言った。男性はとても強そうだ。魔術師としての直感なのかもしれなかったが、この人にはどんな相手も敵わないとはっきりと感じた。
──帰る場所がないなら、この人がわたしと一緒にいてくれないかな。
不思議と親近感があった。この人の声音、目の色、なんだか落ち着く。まるで昔から知っている人みたいに。
「わたしを連れていって」
「………!」
「なんでもいうことを聞くから」
名前は初対面の男性に対して、自分でも驚くようなことを口にした。ふだんなら絶対に言わない。だが夜闇のなかで神秘的なほど美しい男性に出会い、恐怖を忘れたのか。それほど自暴自棄になっていたのか。
そんな名前に向かって男性は顔をこわばらせるほど驚いた。やがて、言葉をのみこむように唇を噛み締め、座り込んでいる名前の手をひっぱって立たせた。
「……立て。我はお前の様子を見にきただけだ。こんなふうに簡単に誘惑してくれるな。あやうく今置かれている立場を忘れるところだったぞ。
連れていくわけにはいくまい」
「………」
男性は意味が分からない言葉をいったが、やはり答えは『連れて行けない』だった。名前はやっぱり、というように視線をしたに落とした。少女の瞳は暗く不安げに揺れていた。
男性は表情を変えなかったが、ぎゅっと少女の手を握りしめた。
「──連れていくわけにはいくまい、と言ったのだ。お前には今の人生がある。かつてのお前を作り出した今が。いずれ訪れるときのために、連れて行けないのだ」
男性は幼い彼女に言っても伝わらないと分かっていた。だが、言わずにはいられなかった。
「……いいか、名前。我がお前を大切に想うのは、言うことをよく聞くからではない。
お前が我のいうことを聞くだけの存在になれば、凡百の人間の一人に過ぎなくなる。そんなものは自分の持ち物を愛でるのと同じだ。我が価値があると思えばあるし、興味を失えば価値はなくなる。
──だがお前は違う。
お前はかつて我を守ろうと、対等であろうとした。我から独立して、一個の価値あるものだった。だから愛することができたのだ」
名前には男性の話す内容がまったく分からなかった。だが握られている手の温度と声が心地よくて、頭が船を漕ぎはじめた。
ギルガメッシュは倒れそうな体を抱き寄せた。そのまま優しく肩に頭をあずけさせる。…かつて、愛おしかった彼女の体温からは少し高い。でもこの温もりは懐かしかった。
「わたしの名前、知ってるの…?」
名前を言った記憶はないのに男性は自分の名を呼んだ。とても馴染んだ口調で。夢うつつに名前は尋ねた。
「…ああ。だから名前、我はお前を所有物にできないのだ。
今生こそ自分のために生きてくれ。我がお前にそれを考える機会を与えよう。今はまだその時ではないが──…いつか教えてやる。誰かのためではなく、自分のためにその命を生きるという選択肢を。
まだ幼いお前には酷だな。たった一人で自分のために生きていくのは、一人で歩けるものにしかできないのだから」
■□■□■
──よし、準備は整った。
緊張した表情で名前は手のひらに魔力を込め、忘却魔術の打ち消しを試みる。ブレスレットに淡く光が宿った。
だが反応はそこで切れ、見えない硬い壁にはじかれた。
──奥深い魔術だ……遡れないほど古くて、だれも寄せ付けないほど強い力で編まれた守護…。
この魔術をかけた人物はとても古い家柄で強力な魔術師だろう。どうしてそんな人が私に守護を?
打ち消すことはできず、答えは分からなかった。でもブレスレットに主に込められていたのは守護≠ナ、自分を害するものではないことはわかっている。
「…………」
もしかすると私はずっと誰かに見守られてきたのかもしれない。思い出せないほど昔から、私を慈しみ守ってきた誰かがいる。贈り物にはその人の想いが込められている。
──いつか会えるのかな。どこかで……もしかするとカルデアで…?
わずかな期待が、カルデアという未知の場所に行く不安をすこしだけ軽くしてくれる。ゆっくりと周りの物が見えてきた。荷物を整理しなきゃと思いだす。思い出箱≠ノ戻そうとしたが、やめて名前はブレスレットを腕につけた。
──新しい土地でなにかが待っている気がして。
<おわり>
この話を読んでくださった方、ありがとうございます。本編の星シリーズはいかがだったでしょうか。
最後のお話は主人公がカルデアに行く前のお話でした。FGOの世界では聖杯戦争がいちどしかないのですが、そのときちゃんとアーチャー枠でギルガメッシュが召喚されています。きっと主人公の様子を見に行ったに違いないと思って書きました。
レイシフト実験で、主人公と藤丸以外のマスター候補生が失敗したのはレフ教授のせいですが、主人公が無事だったのはギルガメッシュの守護をこめたブレスレットがあったからです。神代のバビロニアにレイシフトしてしまったのもこのせいかもしれませんね。
ブレスレットの宝石は『星が還る場所』でギルガメッシュに贈られたものです。そして『星を抱く人』のとき、主人公の残した持ち物にこのブレスレットが出てきます。
こっそり作った伏線を回収しました。本作を読んでくださった方に感謝をこめて。
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