星の器 | ナノ


▽ 7

星のさだめ

 名前は大きく深呼吸して、祭祀長に言った。「神を喚ぶ方法を教えて欲しいのです」
 祭祀長は驚いたように目をみはった。だが、すぐに厳しい表情になった。
「いけません。神のおそろしさを知ったばかりではありませんか。自分で制御できない方法に期待してはなりません」
「でも…」
 食い下がる名前を受け流そうと彼女は周りを見渡した。
「時間が経ったら皆も戻ってくるでしょう。もっと良い方法があるはずです」
 名前も周りを見た……そんなはずがなかった。雑然とした宴会場は、壮麗な雰囲気を失ってもとの姿に戻せない。女神は出て行った。神を恐れた人々も出ていった。ギルガメッシュのもとに残ったのは数名だけだった。
 だが祭祀長は「王の側にいてあげてください」と言って、雑然とした広間から名前を追い出した。

 ──もっと祭祀長さんと話したかったな。
 ギルガメッシュを放置することもできなかった。寝所で二人きりになると、彼は名前をぎゅっと抱きしめた。触れた額は熱く、疲れ切った表情だった。
 寝台に横たわらせ、添い寝をしながら髪をなでる。やがて緊張の糸が切れたのか、ギルガメッシュの目蓋が閉じていった。彼が夢でうなされないよう手を握っているうちに名前も眠りに落ちた。


■□■□■


 朝目が覚めると、ギルガメッシュはすでに衣服を整えて議会に出る準備をしていた。
「もう大丈夫?」
「ああ。…名前はここから出ないように。戻ったら話すから部屋にいてくれ」
 それだけ言うと、彼は固い表情で部屋から出ていく。名前は不安に駆られた。昨日ああなったのに議会に出て大丈夫だろうか。

 名前は侍女たちの交代時間を見計って部屋から抜け出した。ここに何年もいたのでこっそり抜け出る方法を知っていたし、ジッグラトはいつもより人が少なかった。
 広間中央の扉はとじられて兵士が入り口に立っている。一方で、侍女が出入りする扉は見張りがいない。名前はそちらの入り口に近寄って漏れ聞こえる言葉をあつめた。だが冷静に聞き続けられないものばかりだった。

「王よ、女神の要求に従ってください。ウルクのためです」
「大勢の民は娘一人より大事ではないのですか」

 ギルガメッシュは難しいやりとりをしていた。普段ならはっきりと言うことを、高官たちの心に不信がひろがっている状態で伝えなければならない。もし対応を間違えればギルガメッシュの非難につながる。
 そして彼は名前について譲歩できなかった。
「………」
 寄ってたかってギルガメッシュを責める声。…名前は昔のことを思い出していた。
 まだ彼が幼かったとき、大人たちは彼を神≠ニして崇めて何でも決めさせた。今は手のひらを返したように彼を貶め、責任を押し付ける。
 ──彼にも心があるのに。人の王≠ニして人間に近づこうとした彼を、今度は人≠ニして扱わない。
 だが名前には何もできなかった。苦しみを知るのが精一杯で、口にすれば彼の我慢を無駄にしてしまう。腹立たしくただ唇を噛み締めることしかできなかった。

「名前さん」祭祀長の声がした。「もう十分でしょう」
 彼女は震える名前の肩に手をそえた。「…ここに来てはいけません。王は貴方に会議の内容を聞かせたくないでしょうし、外は危険です」
「危険?」
「ええ、女神の要求を勝手に実行しようとする者がいたらどうしますか。王は貴方の身を守るために寝所にかくまったのです」
 ギルガメッシュが固い表情だった理由がようやく分かり、名前の顔から血の気が引いた。
「祭祀長さん。もし彼が女神の要求を拒み続けたらどうなりますか?」
 青ざめた名前の背を撫でながら、祭祀長はごまかさずに言った。
「──王に離反するものが貴方の命を狙うでしょう。そうならないように王は貴方を護ります。やがて彼にも非難が向けば、神の許しを得るために、王が犠牲になることもあるでしょう…」
 血に染まるのは名前だけでなく、ギルガメッシュもだ。名前には彼が最後まで要求を拒み、二人とも祭壇で横たわっている姿が脳裏をよぎった。
「そんなこと……」
 ──抗おうが受け入れようが、どちらを選んでも希望はない。せめて彼を救うために、自分が犠牲になるしかないのだろうか?
 苦しい表情をした名前に対し、祭祀長も暗い表情をした。だが唇をぎゅっと引き結んで彼女は言った。
「ええ、状況は良くありません。──私もずっと考えていました。昨日は貴方の提案に対し、神に頼るのは危険だと否定しました。…ですが、私たちに現状を打開する方法がないのも事実です」
 祭祀長は名前の瞳をじっとみた。
「人間の力で対処できないなら、神に助けを求めるのも一手でしょう。でも神はコントロール出来ません。失敗すれば死ぬこともあります。それでも名前さんはやりますか?」
「………」
 突然の問いかけだったが、命が危険にさらされることは変わりない。…自分で方法を選べるだけましだ。
 名前は大きく頷いた。彼の力になれるのに迷う理由などなかった。


■□■□■


 名前は白い布を半分におり、頭を通す穴をあけて腰を紐で縛っただけの服とよべないものを着た。身体は清められて髪も濡れている。
「本当にいいんですね」
「はい」
 あたりは水を撒いて清められ、神に捧げる奉納品がうつわに盛られていた。真ん中の祭壇に名前は座る。まるで生贄にされる仔牛のようだった。


『女神ニンガルを止めるためにふさわしい神を喚びましょう』
 寝所に戻ってから誰も聞いていないことを確認し、祭祀長は知恵を貸してくれた。
『必要な条件もありますし、神の性格や性質もさまざまです。それを考慮した上でふさわしい神がいます』
 彼女は窓の外を指さした。その方向には、春の明け方にひときわ輝く星があった。
『──金星の女神イシュタル。今年は王の帰還で“春の式典”が延期されましたが、本来は3日後の新月が式典でした。女神イシュタルは戦いと豊穣の女神であり、ウルクの都市神です。ウルクの救済に応えてくれる可能性は大いにあります』
 ただ、と祭祀長は続けた。『彼女はさきに現れた女神ニンガルの娘です』
 娘なら母親の味方をするのではないだろうか、と名前は思った。条件や性質がふさわしくても説得はむずかしくなる。
『でも味方になれば、母神の説得をどうすればいいかよく知っているでしょう。
 …どの神を喚んでも上手くいかない可能性が高いのです。そうであれば、成功したときに最もうまくいく神を選ぶべきでしょう』


 こう言い切った祭祀長も、今は不安げな表情で名前をみていた。
 ──誰もが不安なのだ。
 名前は思った。…この儀式が失敗すれば彼女にも影響があるだろう。でもギルガメッシュを救いたいと思って手伝ってくれたのだ。
 ──説得は私の役目だ。
 全力でやる。儀式の準備はすべて祭祀長さんがやってくれた。一人ではなく、祭祀長さんが共に立ち向かってくれる。そう思うだけで何倍も心強かった。
「私は大丈夫です。さあ儀式を始めましょう」

 名前は目を閉じ、冷たい石の祭壇に身体を預けた。


■□■□■


 香が焚きしめられ、祭祀長は女神イシュタルへの賛美を詠みあげた。韻を踏んだ言葉が繰り返されて、同じ音節が身体に沁みこんでくる。やがて名前は、ふしぎな浮遊感に意識がたゆたうのを感じた。視界が白くなり、上でもなく下でもない、どこかへ漂っていく。
 なまあたたかい風が吹いていた。始まりも終わりもない浮遊のあと、乳白色の大地に降り立った。草も木も空も大地もすべて白かった。
「ちょうどよかったわ」
 降りたとき誰もいなかったのに、突然人の声がして背筋が凍った。目の前に女性が立っていた。驚いた理由はそれだけでない。自分にそっくりな姿だったからだ。だが動作や表情はまったく違い、別の人格が入っているようだった。
「人間は人型でないと話しにくいようだから、貴方の姿を借りて現れてあげたの」
「…女神、イシュタル様……?」
「そうよ」
 目の前の名前は髪をうしろに流した。「回りくどいのは嫌なの。なんで私を喚ぼうとしたのか簡潔に言いなさい」
 名前はじぶんで自分に話しかけるのが怖かったが、勇気を持って切り出した。
「──ウルクを救って頂きたいのです。そのお力添えをイシュタル様に頂きたくて…」
「嫌よ」
 彼女ははっきりと言った。まったく同じ顔立ちだが、瞳だけは金色だった。
「お母様から言われたばかりだもの。ウルクに作物の実りをもたらすなって。お母様に逆らえって言うの?」
「…いいえ…!」
 そうは言ったものの、はっきりと断られて名前は言葉を失う。イシュタルは瞳をらんらんと輝かせて言った。
「そもそも貴女は何? 私に仕える神官ではないでしょう」
「それは」
 名前は唇を噛み締めた。「私がウルクに混乱を招いたからです。きっとあなた様はお母様から聞かされているでしょう。ギルガメッシュ王が拒んだという…」
 すると彼女は、意外にも手を叩いて興味をあらわにした。
「あなたなのねえ!身の程知らずなウルク王がお母様を怒らせたっていう娘。…なんだ、ぜんぜん普通じゃない。もっとすごい美女かと思ったわ」
 魂はちょっとふつうの人間とは違うけれど、イシュタルは遠慮なしに言った。
「ちょうど詳しく聞きたかったのよ。だって滅多にあることじゃないもの!
 当の本人から聞けるなんて奇遇ね。どうしてそうなったか話してみなさいよ。ウルク王はなんで貴方みたいな普通の娘を選んだの? なんて言ってお母様を怒らせたの?」
 たくさん質問されて混乱してしまった名前を、イシュタルは急かした。
「はやく話しなさいよ。私は戦争と豊穣だけじゃなくて愛もつかさどっているの。人間の話って愚かだけど面白いわ。……内容次第では、どのぐらいウルクに実りをもたらすか考えてあげるから」

 ──はやく、と目を輝かせる女神は思っていた姿と全然違う。
 名前は「まるで恋話をせがむ女の子みたい」と思いつつ、ギルガメッシュとの出会いから今までを、彼女の反応を見ながら語り始めた。


■□■□■


 名前はイシュタルに大勢の恋人がいて、人間に恋した神話もあることを思い出した。もしかするとこの女神は感情豊かな性格かもしれない。そう思って身振りや話し方を工夫し、情緒たっぷりに話してみる。
 作戦は思った以上に成功したらしく、名前が生贄にされかけた話、ギルガメッシュと想いが通じ合った話など、楽しくてたまらないというように女神の瞳がきらきらと輝いた。

「ああ、でもお母様に『そばにいてはいけない』と言われてしまうなんて──…」
 イシュタルはその場にいた名前たちのような表情を浮かべた。「ちょっと気の毒ね」
「はい、そこでイシュタル様に助けを求めるしかないと思ったのです」
 名前はたたみかけた。「でも、お母様に言われて難しい立場だと思います。それでもどうか…ほんの少しだけ力を貸していただけませんか」
「そうは言われてもね……」
 名前たちの話を聞き、頼りにされて心が動いたのか、イシュタルは先ほどより言葉を濁し始めていた。
「お母様の言いつけだもの。私が助けることはできないわ」
「では、お知恵だけでもいただけませんか?」
「………」
 名前の丹念な頼み方にイシュタルは「はあ」とため息をついた。
「──わかったわ。相談だけなら聞いてあげる」

 十分な譲歩だった。女神のアドバイスがあれば解決策がみつかるかもしれない。嬉しい表情を隠さずに名前はお礼を述べた。
「ありがとうございます。さすがイシュタル様です」
「あ、あまり頼りにされても困るのだわ。ちょっとだけだからね」
 イシュタルはすました表情で賛美を受け流した。「それで、何を聞きたいの?」
 
 前向きな助力を得て、たくさんの願いが名前の脳裏をよぎった。だが頭の中を整理し、最も聞きたいことを選ぶ。
「ギルガメッシュ……かれの神の力を引き出す方法を教えてください」
 名前の心には女神ニンガルの言葉が残っていた。自分のせいで彼本来の力を出せていないなら、せめて引き出す方法を知りたい。
 自分が原因で、彼を苦しませていることが一番辛かった。それにもし力を得たら、彼が問題を解決するかもしれない。
 イシュタルはすこし考えてから返事をした。
「…神の力を引き出すのは難しいことではないの。本来備わっていたものだから。かれが神の力を望めば目覚めるでしょう。
 でも長い間眠っていたから、すぐ使えるようにならないわ。大人になるにつれて成長するはずのものよ。急に与えられても使い方を知らないと危険でしょう?
 そのリスクを冒してでも神の力を引き出したいなら方法はあるわ。強引に引き出せば良いのよ。
 私の力をつかえばそんなに難しいことじゃない。でも私は今回のことに直接協力できないわ」
「………」
 名前はふたたび厳しい表情になった。イシュタルはそんな彼女を見ながら、試すように言った。
「こうやって私に会いにきた貴女に言うのも今更だけど、何でもする覚悟があるのよね?」
「はい」
 返事した名前の瞳はゆれていなかった。ふうん、とイシュタルは満足したように話を続けた。
「──いいわ。私、ただの愚か者はきらいだけど勇敢な愚か者は嫌いじゃないの。
 貴女のからだを通して私の力を使ってあげる。ただし代償があるわよ。そして貴女は、まずギルガメッシュが神の力をみずから望むよう説得しなければ意味はない」
「はい」
「そして最も難しいのは」
 イシュタルは名前の覚悟がゆらぐのを分かって言った。「この儀式が終わったら、あなたは彼のそばから離れなければならないの」
 
 名前は大きく目を見開いた。どうして、という表情で女神の説明を待っている。どうか聞き間違いであって欲しいというように。
「私の力をひと時でも宿せば、あなたは命を削ることになる。これは代償よ」
「…はい」
 あなたが死んだあとで、と女神は続けた。
「彼が命と引き換えに力を与えた≠ニ知ったら、何が起こるか考えてみなさい。
 ギルガメッシュは貴方を神と人、両方のせいで失ったと考えるわ。そうすれば、神を憎むだけでなく人をも恨むようになる。…あらゆるものに害をおよぼし人類を滅ぼす存在──人類悪(ビースト)≠ノなる可能性があるのよ」
 その場合は私が責任をとって彼を滅ぼすけれど、とイシュタルは続けた。
「ギルガメッシュが人類悪にならないように、貴女は死ぬ前に2つのことをやり遂げなければならないわ。
 まず彼自身に力が欲しいと望ませて、神の力を使う基準≠作らせるの。そうすれば過ちを犯す危険が減る。
 そして貴方が死んでも影響がないように、彼が独り≠ナ歩んでいけるようにする。儀式が終わったら代償のことは話さずに、彼のそばから離れて。
 これが力を貸す条件よ」

「………」

 どうして彼と離れなければならないのだろう、と名前の心に一瞬だけ迷いが生じた。でも、怒りで我を失ったギルガメッシュが力を暴走させるところを見たばかりだ。…私が死んだ後、周りの人に責任を投げてしまうのだ。彼に力を与えた責任≠。

 ──私は彼を独り≠ノするのだ。
 優しい言葉に耳をふさぎ、伸ばされた手を振り払って。力を与える代償として。

「分かりました」
 迷いの中から最後に名前が選んだのは最も大切な願いだった。──彼に幸せになってほしい。その願いが、胸中に寸分の揺ぎもない決意を定めさせた。
「いいのね」
 イシュタルは静かに名前の思いをうけとめた。
「すぐに死ぬわけじゃないから安心して。身体を大事にすれば数年は生きられるわ」
「良かった。別れを言うのに十分過ぎるほどの時間がありますね」
 ぎこちなく名前は笑った。一番の心配がなくなったからだ。

 イシュタルはギルガメッシュの力を引き出す方法を説明した。その方法は、愛を司る女神にふさわしい、相手に愛を伝える原始的な行為だった。
「新月の夜にやりきるのよ。月の神シンは新月のあいだ冥界で休むの。そのときなら気付かれずに私の力を使えるでしょう」
「ありがとうございます」
「それと……貴方がきちんとやり遂げたなら、私が神々の会議でひとこと言ってあげる。貴方はギルガメッシュのそばから離れたとね。そうすれば逆らった原因が消えて、お母様もウルクを滅ぼすのが難しくなるでしょう」

 願ってもみない申し出だった。
 最初よりずっと協力してくれるようになったイシュタルに名前は深々と頭を下げた。ひとつ、女神に言いたくなった言葉があった。

「イシュタル様は人間がお嫌いではないんですね」
 その言葉にイシュタルはくすりと笑った。
「あら。私、人間そのものは嫌いよ。
 でもなんの力もない人間が苦労して新しいものを作り出すのは面白いわ。こんな弱いのにすごいじゃないって、悔しいけど飽きないのよね。だから神の奴隷にはなってほしくない。もちろん好き勝手されるのは嫌よ。でもちゃんと神を崇めてくれるなら、人間たちは今のままでいい。
 今回は仕方なくあなた達に協力するのだから」


■□■□■


 名前は目覚めた後、祭祀長に女神とのやりとりを伝えた。祭祀長は無事に女神と交渉できたことを喜んで言った。
「上手くいけば名前さんも幸せになれますね」

 名前は女神との条件を話すのを止めて、おだやかに笑った。



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