星の器 | ナノ


▽ 9

星が還る場所

 こんな夢を見た。
 宙に浮かんだ白い光の中から、輝くばかりに美しい男の子が生まれる。その子は歓迎されて王になった。ひざまずく人々を男の子は静かな表情で見ていた。

 男の子が少し大きくなると女性が現れた。――私だ。
 すると男の子は人間らしい表情を浮かべるようになった。女性といる男の子は幸せそうだった。

 やがて青年に成長し、女性を愛おしげに見つめるようになる。ずっとそばにいて欲しいように。だが女性は去った。
 立派な王になって歩むかれを誰もが称えた。でも男の子はいつもひとりだった。
 ――このまま、ずっとひとりなの?
 そう思ったとき背後から強い光が生まれて、彼の隣に寄り添った。男の子は嬉しそうな表情を浮かべ、いつまでもいつまでも友に笑いかけた。


 夢のなかの情景は私の背中を押してくれた。これからやろうとしていることに希望を与えてくれた。
 私は振り返って、ずっと見守るように輝いていた光に頭を下げた。

「女神、ニンスン様……ありがとうございました。
 私は彼と出会えて幸せでした」

 白い光は優しく瞬いた。


■□■□■


 太陽が高くのぼる頃、ギルガメッシュは黄金の戦装束に身を包んだ。上半身は何もまとわず肉体に刻まれた神の紋章がはっきりと見える。
「名前」
 鎧をつけるのを手伝った彼女にギルガメッシュは言った。「見ていてくれ」


 ジッグラトの前には大勢の民衆が集まっていた。
『ウルクの民はすべて集まるように』。この王命に期待する者、不安げな表情を浮かべる者……反応は様々だった。ジッグラトの頂上に太陽を背にしてギルガメッシュが現れる。
「ウルクの民に告げる」
 その声は高らかでどの民にもはっきりと聞こえた。
「我らの都市はかつてないほど危機的な状況にある。女神がこの地に降り立ったことは聞いていよう。その女神は呪いの言葉を吐いてウルクを去った。
 これより神々の災いがこの地を襲うであろう。だが、お前達が恐れる必要はない」
 堂々と語りかけるギルガメッシュに、どこからか非難の声が上がった。
「ですが王よ──…」正直な民のひとりだった。「長老議会の方が、王は女神の要求に逆らって怒りを買ったと話されていました。本当のことですか?」
 戸惑いがさざ波のように広がる。するとギルガメッシュは右手を高く掲げて民を鎮めた。
「事実だ」
 大きなざわめきに彼は続けた。
「女神は理不尽な要求をした。ゆえに断った。
 ──我(おれ)も貴様らに問おう。貴様らは、いつまで神の奴隷でいるつもりだ?」

 民衆を見下ろすギルガメッシュの表情は怒りに満ちていた。ひとりひとりを睨むような王の眼に、民衆の背筋が凍る。
「我は神を敬うが盲目的に従うことはない。おのれの障害になるなら神であっても排除する。我が求めるのは神から自立した人間が生きる世界≠セ。…神を敬わないのではない。人の力で世の中を発展させていくことを望むのだ。
 今一度、貴様らに問おう。我の理想の礎となり、ともに神に抗うか? もし神の機嫌を伺い、群れとなって我に逆らうのであれば容赦はせぬ」

 彼の視線は長老議会の高官たちを貫いた。視線だけではない。ギルガメッシュの背後に太陽よりも強い光の渦が興り、そこから投擲された一撃によって地面が真っ赤に染まった。
 人々は悲鳴を上げてひれ伏した。

「我は言ったな、お前達は神を恐れる必要はないと。お前たちが恐れるのは我だ」
 ギルガメッシュの逞しい肉体に神の紋章が赤々と輝いていた。「民草よ、覚悟せよ。今後我に逆らう者は肉一片たりとも地上に残さず消え失せよう」 

 民には平伏する相手が神か王なのかという違いだけだった。神は恐ろしいが目に見える存在ではない。しかし王は自分たちを直接睨んで暴力と恐怖を与える。
 民衆の決断は早かった。



「名前…!」
 演説を終えたギルガメッシュは、急いで寝室に戻った。最後に見た彼女の表情があまりに清らかだったからだ。
 部屋は静まりかえっていた。寝台に彼女の痕跡は一切なく、ただろうそくの燃え尽きた芯だけが残っていた。


■□■□■


 名前は民衆に紛れてギルガメッシュの演説を聞き遂げた。そのまま足早にジッグラトを後にし、家に着くと扉を固く閉ざした。

 ――もうギルには会わない……。
 名前は覚悟を決めていた。中途半端な別れでは彼に期待させてしまう。何度も何度も、苦しい別れを繰り返すだけだ。
 体調が悪いわけではないのに、手先が冷たく身体中に血が巡っていなかった。額は熱い。じぶんの生命力が枯れ、それがもう二度と戻ることはないのだと直感が告げていた。
 身体を大事にすれば数年は命を保てるだろう。でも保てるだけ。もう二度と、彼のために命がけの行動は出来ないのだと分かった。ぼんやりと暗い影が目の端にも落ち、身体から力が抜けていく。
 弱々しい呼吸は、いつしか悲しみに満ちたすすり泣きに変わっていた。



 それから幾つもの災いがウルクを襲った。
 ある年は日照りが少なく作物が実らなかった。だが王は交易を盛んにして民に麦を配った。夏には疫病が流行った。しかし神に祈るのをやめた医者が原因を突き止めて、少ない犠牲者で感染を食い止めることができた。
 ウルクが神に逆らったのを理由に攻め込んできた都市国家もあった。だがギルガメッシュが光の矢(メラム)を撃ち放ち、都市は一瞬にして灰塵に帰した。

 神に頼れなくなった人間は、自分たちで対策を考え、原因を調べて技術を改良するようになる。加えてギルガメッシュ王の恐ろしさが人々を駆り立て、ウルクは以前よりも豊かで活気に満ちた都市国家となった。
 王のめざましい活躍が聞こえる中で、名前は細々と命をつないだ。
 嬉しいこともあった。以前世話を焼いたシドゥリが遊びに来るうちに住み着いてしまい、正式な養女として家族になったのだ。彼女と過ごした日々は短かったが、ギルガメッシュを思う寂しさを埋め合わせるように家族の温もりを与えてくれた。
 名前は残された日々を懸命に生きた。ギルガメッシュが希望を持ち続けられるように、自分が居なくても生きていけるその時まで命を繋いだ。


 静かなある夜だった。
 ――夢の中で、天の星が現れてギルガメッシュに降り注いだ。
 ――夢の中で、ウルクの通りに一本の斧が投げ出され、ギルガメッシュがそれを拾った。

 名前は目が覚めると、長い息を吐いて微笑んだ。ようやくその時が来たのだ。



■□■□■


 昔、絶望的な状況から生き残った人の手記を読んだ。その人は『生き残ったのは最期まで“希望”を持ち続けた人だけ』と書いた。私も希望を持ち続けた。
 ――ギルが立派な王様になるという希望。
 ――私がそれを見届けるまで生きられるという希望。
 あの夢を見た後、まるで待っていたかのように長年の疲労が積みかさなって起き上がれなくなった。呼吸すら辛くさらに身体は弱っていった。

 やがて苦しみが途切れ、胸がすっきりとしている朝があった。「お別れを告げるなら今日この時」と思い、シドゥリに彼を連れてきて欲しいとお願いした。
 ずっと彼には内緒にしていた。…少し体調が悪いだけ。希望を失って欲しくなかったから。

 病床を見下ろす彼は心底辛そうな顔をしていた。そうだろう。私を見るまで、彼はいつか一緒になるという希望を抱いていたのだから。
 私は唇に紅をひき、苦しみ抜いた姿を見せないよう笑った。
「…星が降ってくる夢を見たんでしょう。きっと、それは良い夢ですよ。あなたの所に大事な人が来るという」
 そして彼に、また逢えますから、と言いきった。

「数百年、数千年――それよりずっと遠い未来。視えない先まで、縁が結ばれていたら。
 ――あなた、逢いに来てくれますか」

 もしも未来で、貴方に出会うことができたなら。カルデアが作った技術なら可能かもしれない。過去の英霊を呼び出して使役する技術があると聞いた。

 ――もし未来に生まれる私と、過去の彼が再会するとしたら――
 そのとき彼が王ではなく、人間を導く役目を負わない、ただのギルガメッシュとして会えたなら。今度こそ私たちは一緒になれるのだろうか。

 ――分からない。
 なんてはかない夢だろう。でも、私が安らかに目を閉じるには充分な優しい夢だった。彼は頷いてくれた、
 ……何も見えなくなった。

 



 私は希望を忘れずに何度も困難に立ち向かい、最期に彼の手を離すことができた。

 ――彼にも希望を残すことができただろうか。

 あなたは孤独ではない。孤高の王として多くを背負い、多くの人々を導いていつか星に還る。

 そのとき、私たちは会うだろう。
 星が還る場所で。



〈おわり〉 




最後までご拝読頂き有難うございました。
もしよければ後書きもご覧ください。


prev | list | next


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -