星の器 | ナノ


▽ 7話

目が覚めると、幼いギルはもう居なかった。早起きしてアレキサンダーくんと遊びに行ったのだろうか。そうであってほしい。
シーツだけ彼の形に波打っていて、確かにそこにいたことを伝えていた。



身支度をして朝食を食べに行った。少しはやい時間だったので、食堂には料理をしているエミヤしかいない。エミヤは私を見ると嬉しそうに「洋食でも和食でもできるぞ」と言ってくれた。
「じゃあ和食にしようかな」
「味噌汁がいいか、すまし汁がいいか?」
「味噌汁で!」
しばらくすると、ほかほかの卵焼きにえのきの味噌汁、鮭の塩焼きが出てきた。ごはんには味付け海苔もつけてくれている。彼はもう一人分持っていて、「一緒に食べていいか?この時間が一番空いているんだ」と言う。もちろんうなずいた。

 厚切りの卵焼きを頬張っていると、すこし言いにくそうにエミヤは言った。
「実は昨日、君のことが気になってダ・ヴィンチに聞いたんだ。君はマスター候補の1人で、ギルガメッシュの大事な人だそうだな」
「…ええ、幼い頃の彼とレイシフト先で出会ったんです。」
幼いギルはここでも目立つ存在だろう。その彼が昨日ぴったりくっついていたのだ。気になるのは仕方がない。
「その…大人の方のギルガメッシュのことはよく知っているのか?」
何かを言いたげである。エミヤはギルと縁のある英霊なのだろうか。
「いいえ、私が知っているのは大人になる前の彼だけなので…」
「そうか。…こんなことを言うのは差し出がましいが、同郷の人間として言わせて欲しい。子供の方はよく分からないが、大人のギルガメッシュには気をつけたほうがいい。」
「えっ…」
名前は鮭を箸から落としそうになってしまう。顔を上げると、真剣な表情でエミヤがこちらを見ていた。「あの男は冷血で人を殺すことになんの躊躇いもない。私が知っているのはそういう男だ。」
「あの…」
エミヤがこんなことを言う事情は知らないが、真面目に忠告しようとしているのがわかる。否定しようとしても、私は大人になったギルを何も知らない。

すると、ちょうど私たちの会話に割って入るように光のエフェクトが目の前で起こった。
すぅっと顔立ちの整った男性が現れる。金の鎧をまとった成長したギルだ。
「部屋にいないと思ったら、ここにいたのか。」
いっさいエミヤの方を見ない。「行くぞ。疾く食べろ」
 私はとまどいながらも、エミヤの方を見る。彼はギルを睨むと、途中だった食事をトレーごと持って厨房の方に消える。
私はどう返事していいかわからなくて、とりあえず早めに食べることにした。ギルも無言のままだ。
黙々と食べる私を彼はただ待つ。

トレーを返して彼のところに戻ると、
「…食べ終わったか。」と言う。
「はい」と答えると、「ついて来い」と言って歩き始める。

歩幅が違うので少し駆け足気味についていくと、それに気づいたのか歩調を緩めてくれた。どうやら気は遣ってくれているらしい。

部屋の前につくと、誰もみていないことを確認して中に入る。警戒しているのだろうか?
部屋に入って立ち尽くしていると、ギルガメッシュは王の財宝を展開する。目の前に金の波紋がいくつも広がる。
「…このなかへ」
「え?」
彼が先に中へ入り、手を差し出す。中に入れることに驚きつつ、目を瞑ってそのまま前へ進む。波紋をくぐり抜けた。
「もう目を開けて良いぞ」
彼が耳元でささやき、目を開けるとそこにはかなり広い空間が広がっていた。
光に溢れ、風がそよいで建物の外には青い空が見える。新鮮な空気の匂いがした。黄色い土の煉瓦で出来た床と壁。私は思わず目の前の光景に息を呑んだ。
「すごい…。もしかしてジックラト…?」
「そうだ。我らは王の財宝の中にいる。お前と話しているところを他の者どもに聞かせたくなかったからな。」
ギルガメッシュは鎧を解除しガウンのような服装になる。不思議な甘い匂いがした。鎧を脱いだことで、立派な彼の体躯がよくわかる。
彼は部屋を見渡す私を見つめていた。私は緊張して目線をそらした。幼いギルと同じ目の色髪の色なのに直視できなかった。この彼を私はよく知らない。同じ人物だとわかっていても、どう接して良いのかわからない。
一歩近づいて、後ずさった名前を、ギルガメッシュは何とも言えない物憂げな表情で見た。
「こちらへ」
 彼はおもむろに右手を前に出す。右の方向にある部屋に行け、という意味だろう。名前が恐る恐る行くと、そこは衣装部屋だった。光沢の美しい生地や宝石がついた贅沢な品がいくつもあって思わず息を呑んだ。
「せっかく王の財宝のなかにいるのに、その服ではそぐわない。お前の好きなものを選べ。」
そう言うと、彼は部屋の外に行ってしまう。
好きに選んで良い、ということなのだろう。でもどれも高価そうで自分に似合う気がしなかった。それでも彼の好意を断るのは失礼に思って、近くにあった一番シンプルな仕立ての服を選ぶ。手触りが良くて、陽のもとで見ると金糸で模様が細かく入っていた。

 着替えて彼が待っているところに行くと、私の姿を見て唸る。似合わないだろうか。いかにも貸衣装みたいで顔が赤くなった。
 すると、彼は私の首元に手を伸ばす。かちりと音がして冷たい感触が肌に触れ、びくりと体を震わせると、見事なラピスラズリのネックレスが着けられていた。

「…その衣装だけではいささか、お前には地味すぎると思ってな。」
「あ、ありがとう…ございます。」

たどたどしくお礼を言う。首元についているのも眩しいほどだったが、贈ってくれたのが嬉しくて微笑んだ。
ギルガメッシュは満足げにうなずくと、自分の向かいに座るように指示する。身長差を除けば目線の高さは同じだ。恐れ多くなりながら、服にしわを入れないよう丁寧に座ると、彼は空中から黄金の杯を2つ取り出した。
そして杯を傾ける。「…名前、我々の再会に。」
「はい」
 とても美味しいお酒だった。彼はお酒にも精通しているのだろう。王の財宝の数々を見せつけられて、名前はもはやため息しか出なかった。

「この我に逢うのは初めてだったな」彼が話しかけてくれた。
「はい。私が亡くなった時はまだエルキドゥさんに会う前でしたから。」
「そうだ。だが昨日話していた幼いほうも記憶は一緒だぞ。違いがあると思わず話して欲しい。」
昨日お前たちを見たからな、と彼は言う。名前は力を抜いて話そうと努力した。
「はい…。でもギル、最期に会ったとき青年だった人が急に大人になって現れたら、落ち着いて話せると思いますか?」
「我は名前が同じ状況でも変わらないぞ」
彼は落ち着いた口調で言った。「お前がどんな姿でも、な。」


しばらくお酒やナツメヤシを摘みながら話をしていると、急に空中から手が生えてくる。
驚いて名前が立ち上がると、「大丈夫だ」とギルガメッシュは言った。
「あの手はキャスターのほうよ。我らは王の財宝を共有しているのだ。」

空中の手は粘土板のひとつを持って行く。少しだけ探しまわるように動いているのが、昔見たホラーコメディ映画の手首だけで動いているキャラクターみたいで、名前は笑った。
「名前はどのぐらい我とのことを覚えている?」
「なんでも。あなたが夜の街を散歩したいといってジックラトを抜け出したときや、お酒を飲みすぎて初めて王の仕事を休んだときのことも。」
「つまり忘れて欲しいことばかりか。」

すこしだけ打ち解けたころに、また手が出てきた。しかしそのまま肩、胴体、足が出てきて、完全にこちら側に入ってきた。
緑の髪に美しい顔立ち。神がかった造形である。
「あっ…」
「そうだ、あれがエルキドゥだ。」
エルキドゥはまるで空気を踏むように歩いて、森の木のような爽やかな香りがした。彼は名前に気付いて、嬉しそうに微笑むと、軽く服の裾を持ち上げておじぎをした。「…こんにちは。貴方の姿はよく知っているよ。ギルの大事な人だね。」
「こちらこそ、はじめまして。」
名前も同じように服の裾を持ち上げてお辞儀をする。陽にきらきらと裾が輝いて、エルキドゥはその装束が彼の財宝から贈られたのを見抜いた。
「もう贈り物をあげたみたいだね。たいした寵愛ぶりだ。」
その言葉に名前は顔を赤くする。ギルガメッシュは大したことではないという風にくつろいでいる。
「ギル、始めるならもっと早く声をかけてくれなきゃ」
「名前とは積もる話があるのだ。お前とはいつも話しているだろう」
「ギルじゃないよ。彼女と話してみたかったんだ。」
2人のそばに座ると、エルキドゥは水色にちかい薄緑の澄んだ目を名前に向けた。「…実際に会ってみると噂は本当みたいだね。ギルはきみの前だと絶対に怒らないって聞いたんだ。」
誰の情報なのだろう。私のあとに祭祀長になった養女のシドゥリが思い出された。彼女と会っただろうか。
「私こそエルキドゥさんとギルの話を聞きたいと思っていました。」
名前が言うと、エルキドゥは「もちろんだとも」と返す。
「余計なことを話すなよ。こやつはおしゃべりなのだ。」
やれやれと言い放ち、綺麗な水の杯を差し出すギル。それだけで2人の関係がとても深いことがわかった。
「じゃあ、ぜひ僕から話をしよう。
 きみがいなくなってからの彼との話を――…」


ギルガメッシュ叙事詩は世界最古の英雄譚である。しかしエルキドゥから聞く話は、彼独自の見解が入っていて、ときどき腹を抱えてしまうほど面白かった。
はじめて出会ったときのギルガメッシュの印象や、一緒にフワワ退治に行って、最初乗り気ではなかったエルキドゥを最後はギルガメッシュが止めた話など、幼いギルを知っている名前には、納得できるところ、変化に驚くところなど飽きがない。

「…それで、イシュタルに求愛されたギルはバッサリと彼女を振ったんだよ。」
「我は断っただけだ。お前は神牛の後ろ足を彼女に投げつけただろう。」

乱暴な話もあったが、彼が人々を統治し、ウルクを繁栄に導いた光景がまざまざと浮かんだ。
エルキドゥがふうとため息をつく。
「たくさん話したよ。名前がこれだけ聞き上手だとはね。」
「私も想像以上でした。エルキドゥさんとギルはたくさん冒険をしたんですね。」
笑う名前のすがたをギルガメッシュは眩しそうに見つめていた。
「そういえば……」
逆にエルキドゥが立香に話を訊こうとしたタイミングで、ギルガメッシュが何かに感づいて立ち上がる。「…藤丸め。こんなときに!」
マスターの呼び出しらしい。苦々しげに言い放ったが、一応行くつもりらしく「すぐ戻る」と言って、金の波紋を空中におこす。

「…気にしないで、僕は名前と話しているから」
「ああ」


短く答え、ギルは消えた。エルキドゥと2人きりになる。
「さあ、」と彼は言った。
「きみも少しは聞いているだろう?暴君としてのギルガメッシュ王を。」
じっと名前をみつめた。
彼の瞳はとても綺麗で、すべてを見透かされてしまう気がした。
「…はい。すこしだけ」
「そうか。きみの様子を見ながら、何も知らないわけではないと思ったんだ。
ギルは統治のために犠牲を出すことをいとわなかった。慈悲を求めた相手を残酷に殺したこともあった。民を冷徹に苦しめたこともあった。」
彼は優しい口調だった。「成長して変わってしまった彼のことを、どう思ったんだい?」

名前は言葉をうしなって、目線を落とした。
“王”という存在が綺麗事でやっていけないことぐらい分かる。彼に「支配のために仕方なかった」と言われてしまえば納得するしかないだろう。
でも、エルキドゥの問いかけはそういうことではないのだ。
“ギルガメッシュの清濁すべてを受け入れられるか”――そういう問いなのだ。

「私は…」そう言われても分からなかった。
「自分がいなくなった後のギルを知りません。でも彼が人の王としての信念があったことを知っています。だからどうしてそうしたか知った上で、彼のそばにいたいと思います。」
断言はできなかった。そうか、とエルキドゥは言った。
「人から聞いただけで離れて行くような関係ではないものね。うん、ぜひ彼から直接話を聞いて欲しい。そしたらね、話を鵜呑みにするんじゃなくて考えて、一緒に泣いたり怒ったりして欲しいんだ。」
彼は儚げに微笑んだ。
「ギルにはそういう存在がいなかったから。」

英雄王といわれたギルガメッシュ。そばにいた彼なら、どんな存在だったか一番知っているはずだ。
「エルキドゥさんは…ギルのことをどう思ってるんですか?」
「そうだなあ…」
彼は神の兵器らしい独特の例えをした。
「彼は“切れ味のいい刀”のような人だ。とても有能で、どんな困難も切り抜けられる。
ただ、抜身の刀なんだ。優しさや情けという鞘に入れなければ、他人も自分も傷つけてしまう。彼は王としてそんな余裕は無かったし、鞘になってくれる人もいなかった。」

もう一度、エルキドゥは私をみた。
「僕が君に言いたいのは、そういうことなんだよ。」






しばらくして、波紋の向こうからギルガメッシュが現れた。
名前を見て、「お前のことだった」と言う。
「昼に食堂に現れなかったお前を心配した輩がいたそうでな。もう夜だ。腹に何かいれてこい。」
「あ、朝食のあと食べてないから…」

気分が高揚していたせいで、すっかり空腹の感覚が麻痺していた。
慌てて立ち上がるととつぜん目眩が襲って来る。「あっ…――」


視界が反転した。
これはまずい。傾く世界で、ギルの手が伸ばされたのを最後にとらえた。





「…食事を抜いたせいで貧血がおこり、もともと脆かった体と魂の定着が離れかけたということだね」
「ああ。無茶をさせてしまった」
ぼんやりと意識が戻って声が聞こえた。ダ・ヴィンチ女史が話している。どうやら私は医務室のような所に運ばれたらしい。ギルの声も聞こえた。
「今のところは点滴で安定してきているよ。もうすぐ目も覚めると思うけど、気をつけてあげてね。」
「もちろんだ」

しだいに意識が覚醒して来て、目を開ける。ギルが実体化して待っていた。
「気分は悪くないか。」すぐさま聞いてくる。
「うん、大丈夫」
「点滴で栄養は補ったが、腹は空いているか?」
「ううん」

起き上がろうとすると、彼の手が体に触れた。
「部屋に戻ろう。我が連れて行く」
首と太腿の下に手を差し込み、私を持ち上げる。驚いたが、彼の腕は力強く、がっしりと私を持ち上げた。そのまま部屋から出て、うっすらと足元だけ照らされた暗い廊下を歩いて行く。

「ねえ、ギル…」

彼は無言だった。心配をかけたことを謝ろうとしたが、黙って歩く彼に言葉が出てこなくなる。


暗い廊下で明るいのは月の光ぐらいだった。
月に照らされたギルは、私の知らない男の人に見えた。



<つづく>

『おまけイラスト』に主人公のイメージイラストを載せてみました。そういうのが嫌いな人はスルーして下さい。

次回は裏があります。苦手な人はその部分だけ飛ばしてください。



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