星の器 | ナノ


▽ 3話

ヒトの想いとは、その肉体が亡くなったあと、どのぐらい残るものだろうか。
魂を不滅なものと考える宗教的では永遠なのかもしれない。薄れていくという考え方もある。
その人物が最期に遺した願いは、どこまで永遠に通じるのだろうか。



……ようこそ、冥界の宮殿へ。
七つの門を無事にくぐって来たということは、あなたは生前正しく生きた魂だったのね。私の王国に歓迎します。
あなたを私の魂のコレクションに入れるかだけど…困ったわ。あなたってとても複雑な魂なのね。魂が生まれるのが4600年も未来のことだなんて。
こんな魂に会ったことがないのだわ。どうしましょう。

…え?このまま冥界に置いて欲しいですって?
魂が正しく亡くなる時間まで、数千年もある。それまで待つというの?

『叶えたいことがある。約束したから』ですって。
不思議なことにこだわるのね。生前交わした約束なんて、相手が死んでしまったら生者の記憶から少しずつ消えてしまうのよ。たぶんあなたも数百年経ったら忘れてしまう。
……いいわ。そんなに残りたいなら、気が済むまで残っていなさい。
消えたくなったらいつでも言いなさいね。
あと、冥界は何にもないところだけれど、ゆっくりくつろいで欲しいのだわ。




冥界で彼の姿を見たとき、死んでしまったのかと驚いた。しかし彼はまだ生きているような機敏な動きで辺りをうかがい、上を見上げている。
私は冥界の檻のなかからチラチラと光って彼に気付いてもらおうとした。彼が視線を向ける。何とも言えない物憂げな表情。
檻に囚われた哀れな魂だと、同情しているのだろうか。
彼がどこかで見たような…デジャブのようなものかもしれないけれど……少年たちと合流して、私の目の前を通り過ぎて行った。
また遠くに行ってしまった。ああ、死者の魂の残り火は、生者には何の意味も感じさせないのだ。



しばらくして、今度は本当に彼が死んだ英雄として冥界にやってきた。
彼は神の一員として高い席に置かれる。今度こそもっと遠い存在になってしまった。
冥界の女神は悲しげにともる私のところにやってきた。

……あなた。そろそろ彼岸に行きたくなったんじゃないかしら。
地上では神が支配する時代が終わるみたい。これからは私たち神も少しずつ薄れていくのだわ。この冥界も、人間の信仰が離れていけば消えてしまう。
あなたは自由すればいいのよ。私は初めからあなたを縛り付けていない。

え、まだここにいる気なの?
『私が消えたら4600年後に魂が生まれ変わらないかもしれない。そうしたら約束が守れなくなるから』
……。
あなたって変な魂なのね。
いいわ、私もあなたが消えたくなるまで見守ってあげる。






…百年。
……千年。

地上ではメソポタミアの神々への信仰が薄れ、他の宗教が取って替わった。宗教をめぐって争いがおきる。人は死ぬが、宗教によって魂の終着は違う。
メソポタミアの冥土はとても小さくなっていた。


ああ、今度死んだ人間はメソポタミアの神を知らない者ばかりだわ。私の冥界はどんどん小さくなっていく。神である私の力も薄れていく。
……ねえ、私が消えたら、あなたはどうなるのかしら。
はあ、『私が消えない限り、信仰する者はいるから大丈夫。』ですって?ただの魂なのに、どうしてそんなに図太いのよ。
ふふ、私もあなたを最後まで見守ると言った手前、途中で手放すわけにいかないのだわ。


「見てよ、私の手」
エレシュキガルは光に透かしながら言った。
「ほとんど、ただの魂といっしょだわ。最後の信仰が消えれば、私も消えてしまう。あなたと一蓮托生なのね。お揃いなのだわ。
 だから、どうしてか、さびしくない。」

 聞かせなさいよ、と彼女は言った。
「あなたがそんなに守りたい約束って何なの?」







……魂が地上に呼ばれるのを感じた。
死んでいた魂が、もう一度“生まれ落ちる”というパラドックス。

――あれ?なんで、わたしここにいたんだっけ。
数千年前の記憶はもう全くない。“自分が何かを守るために残ってきた”という事実だけで、存在し続けた。
ああ、とため息のような感嘆がこぼれる。
長い年月のうちに存在する理由も忘れてしまった。理由を失ってしまい、ただ無乾燥に時が流れていく。それで、私は消えてしまうはずだった。
私が存在し続けられたのは、共に残ってくれた女神の存在があったからだ。

幾千年を共にし、光の残滓になってしまったエレシュキガル神が私の誕生を祝福する。

『えらいわ、ほんとうにやり遂げたのね。きっとすぐあの人に会えるわよ。』

…あの人、のことが思い出せない。
それでも金色に輝く面影がよぎった。

『ありがとう、やさしい女神さま……』


彼女のおかげで“誰かのために残った”ということを、私は最後まで覚えていることができた。
きっと生まれたての魂は何も覚えていないだろう。
それでも、最後の最後に私は嬉しかった。
誰かに会える喜びで、魂は震えていた。



ありがとう、優しくて臆病な女神様。
遥か昔の約束が、数千年の未来を駆け降りて、あなたに届く。




<つづく>


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