星の器 | ナノ


▽ 間話

エルキドゥがやってきて、しばらくたったある日のこと。
暇を持て余したエルキドゥは祭祀長シドゥリに案内してもらい、ウルクの市場を見に行った。遠い国から集まってきた人の息遣い、色とりどりの食べ物、服装、どれも森になかった新しいものばかりで彼は大満足して帰ってきた。
玉座ではギルガメッシュが、出て行った時と変わらず仕事をしている。

「ねえギル、いつまで仕事してるの?退屈しない?」
粘土板を真剣な顔で読む彼に、エルキドゥは無邪気に戯れた。
「今日はシドゥリ殿が市場へ連れて行ってくれたんだよ。君、行ったことある?いろいろな物があって全然退屈しないよ。」
「そんなところに行っていたのか。たわけめ、市場ぐらい行ったことがある。」
「えっそうなの?おかしいなあ、君はきっと行かないと思ったよ。
 一人でじゃないだろう。誰と行ったの?」

ふん、とギルガメッシュは答えずに新しい粘土板を手にとった。エルキドゥはガラス細工のような美しい顔で彼をじっと見つめ、全く気にしないでまた話しかけた。どうやら神に作られた人形に遠慮という機能はないらしい。

「そういえば、シドゥリ殿がおかしいことを言ってたんだよ。
ギルって子供の頃はすごく『物分かりのいい子』だったって?まったく、信じられないなあ……」
 人間の性質ってそんなに変化してしまうものなんだね。興味深そうに言う。
これにはさすがのギルガメッシュもカチンと来たのか、「そんなに良いものではない」と言い返した。
「…物分かりのいい子供など、良いものではない。考えることをしない愚か者か、自分を押さえ込んでいる捻くれ者のどちらかよ。」
「ギルはどっちだった?まあ、後者だよね。」
今もそうだから。手を伸ばしても届かない絶妙な距離でからかってくる。冗談を言わないぶん、タチが悪い。
 東から吹いてきたおだやかな風が疲れた王の額を冷やす。エルキドゥの髪がさらりと流れた。この人形が来てから、ギルガメッシュ王の周りは賑やかになった。会話が多いわけではないが、空気が軽い。おしゃべりなエルキドゥに対して彼は2・3事喋るぐらいだが、感情が分かりやすくなり、彼は暴君というよりも“扱いづらいが有能な王”と言えるまで改善した。

「…でも、ギルは僕が想像してたよりずっとマシな存在だった。
 君のことをシャムハトから聞いたとき、周りを虐げることに愉悦を感じる処女好きの暴君だと思ったんだよね。」
「おまえ…俺にそんなことを言って首と胴が繋がってるのは、切っても死なないからだぞ。」
エルキドゥはにこりと笑って肯定した。
「いや褒めたのさ。人間の王として、嵐となって彼らを成長させる存在になろうとしている君をね。うん、すごく興味深い。」
 だってさ、周りと違って君は神の力を持っているだろう?普通は人間を見下すか同情するかだよ。でも君は彼らのために自分の生き方を定めた。どうして、そこまで人間に肩入れするんだい?
 エルキドゥは穏やかな表情で彼を見つめる。
「それって……君をそう思わせる何かがあったからじゃないか。そんな人間に会ったのかい?」
「……過去に、一人な。そう思わせた女がいた。」





その少女は、自分にも視えないほど遠くからやって来た。艶やかな黒髪に澄んだ瞳。最初は言葉すら通じなかった。
異国で必死に生きるだけで良いのに、彼女は神の子として崇められていたギルガメッシュに手を差し伸べた。神と人間が混じった彼を、あるがまま受け入れようとしたのだ。
故郷に帰らないと決めて、その命が尽きるまで。

最期の姿は瞼に焼き付いている。
それは、死ぬにはまだ若い、美しいままの彼女だった。

『…もうすぐ私は死にます。』
仰向けに寝た彼女は静かな声でそう告げた。長い髪を枕に敷いて、真っ白な頬に唇だけが赤かった。死ぬ前に少しでも元気に見せようと、紅を塗ったのだろうか。
どうして、と自分が聞くと、だって死ぬんです、と彼女はにこりと笑って見せた。
ある儀式で命の危険をおかしてから彼女は肺が悪かった。その後何事もなく過ごしていたが、しだいに咳が出やすくなり、数年前の流行病で生死の境をさまよった。すると神殿の奥に籠るようになり、秋の冷え込みで彼女が体調を崩したと聞いてからあっという間だった。
 悪い夢を見て、慌てて駆けつけると、彼女はすでにもう起き上がれなくなっていた。枕元にいる自分をみながら、彼女はこう言った。
『…星が降ってくる夢を見たんでしょう。
 きっと、それは良い夢ですよ。あなたの所に大事な人が来るという。』
優しく頬をなでる。でも君がいなくなるのは嫌だ、と言うと、彼女は、また逢えますから、といいきった。
『数百年、数千年――それよりずっと遠い未来。視えない先まで、縁が結ばれていたら。
 ――あなた、逢いに来てくれますか』

自分は黙ってただ頷いた。すると彼女は満足げにほほえんで、だんだん黒い瞳の中の自分の姿が、ぼうっと崩れて来た。
彼女のまぶたにそっと触れて目を閉じさせてやると、涙がすっと頬を伝った。





ギルガメッシュの語りをエルキドゥは黙って聞いていた。
話が終わって「そうか」と彼は言い、目を閉じる。少しだけ考えているようだった。

「…このまえ、ギルは共に生き、共に戦う僕のことを“トモダチ”だと言ってくれたね。」
教えて欲しいんだ、と言う。
「――彼女は、君にとって“どんな存在”だったの?」


彼女を、なんと言うのだろう。
大事な人。愛した人。未来にまた逢う約束をした――唯一の、女性。



「また逢うことが出来たら、分かるだろうよ。」
「ふうん。そしたら3人で話ができると良いね。」



天文台の上で星が輝く。遥か未来の先に。




<おわり>


出会いの夢と最期の別れを、夏目漱石の『夢十夜』に寄せて書きました。
次話からもう一度、物語が動き始めます。


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