星の器 | ナノ


▽ 09

5日目の儀式はティグリス河の水を神殿に撒き、清めるところから始まる。
王や祭祀長を直接拝顔できるとあって、大勢の庶民が神殿に詰めかけた。王が現れると神殿中が歓声に包まれる。幼い王は手を振って応えた。
続いて、祭祀長がかぐわしい香壺を持った数人の乙女を率いて斎場(さいじょう)に入ってきた。どの娘も緊張と高揚で頬を赤らめ、王の視線を気にしている。
……だが、名前はいない。ギルガメッシュは何度も列を見渡したが彼女の姿はなかった。嫌な予感がした。




私は神官長さんとしばらく話し、少し歩いて自分の部屋に戻った。
部屋は松明が消えてしまい暗かった。こんなに遅い時間なので仕方がない。中に入って、入り口を閉める。その時、何者かによって口を塞がれた。

部屋に誰かがいる――!
暴れて払い除けようとしたが、腕を抑えられ縄がからみつく。口に荒布が咥えさせられ、さらに袋のようなものを被された。足にも縄が巻かれ完全に抵抗ができなくなってしまった。一瞬の出来事だった。
何者かが私をどこかに運んでいく。身をよじっても声を出しても誰も助けてくれない。必死に抵抗し、顔を覆う布を涙で濡らした。

やがて彼らは立ち止まり、どこかに寝かされる。冷たい床ではなく敷物の上のようだ。こんな風に私を誘拐したのは誰なのだろう?
神殿の内部で私を襲い、そこまで遠くに運んだ様子ではない。また敷物の上に置かれたことから、泥棒や身分の低い者の犯行ではない。
でも誰が私を狙うだろう?
きっと、彼……ギルを目的にした犯行に違いない。


時間が過ぎていった。暴れると縄が体に食い込んで痛いので、じっとしているうちに意識が遠のいて現実と夢を漂いはじめた。まるでコーヒーを飲み過ぎたように気持ちの悪い酔いを感じ、数刻ぶりに意識がはっきりと目覚める。
何者かが近くに来たからだ。

「…彼女は無事に生きていますか」
それは聞いたことのある声だった。品位があり真っ直ぐだと思った人の声。
(…祭祀長様…!)
希望が浮かんだが、ふっと泡のように消えた。もがいた私を彼女はただ見下ろすだけだったからだ。
「…名前。聞こえていますね。こんな目に合わせて、申し訳なく思っています。でも、貴方には礎(いしずえ)になってもらいます。
 ギルガメッシュ王が完璧な王になるために。」
状況を理解させるため、彼女はゆっくりと私に語りかけてきた。
「具体的には、あなたをこれ以上長く王の元に置いておきたくないのです。貴方がそばにいれば、彼はもっと貴方を大事に思うでしょう。他の人間では代わりになれないからです。
 …でもそれは駄目なのです。貴方に執着して人間らしい心が増長すれば、貴方を独占したいと思ったり、失ってしまう恐怖を知るでしょう。
でも、彼が持っているのは神の力なのです。その使い方を間違えたとき、何が起きるか貴方に分かりますか?」

どうして、という言葉を何度も言おうとした。
でも私に対してじゃない。
……どうして祭祀長様はギルが間違ったことをする、と思うのですか?

「初めは、貴方を説得して遠くへ行ってもらうつもりでした。
 でも、貴方はそのつもりが無いと言った。そして、陛下も貴方の代わりを見つける気はないようだった。だから、正しい方法で貴方には役に立ってもらいます。」

それ以上彼女は何も言わない。足音は遠ざかっていく。
そのあと私は服が脱がされた。手足を縛られ顔は袋を被されたままだ。幸いだったのは、触れてくる手が女性のものだったこと。
ぺたぺたと、冷たい手が私の体に触れる。濡らした布が体を清めていく。器用に新しい服が着せられる。まるで、料理される食材のようだと思った。どうやってさばかれるのか考えたくなかったが。

すっかり清められた私を、また数人がかりで――女性のようだ――頭、胴、足を持って運んでいく。人々の歓声が大きくなっていった。声が近くなるほど冷や汗が出て、必死にもがく。


「…春の息吹が雪を溶かし、大地は豊かに潤される。神よ、その恵みが幸いとなるように、災いとならぬように、我々の願いを聞き入れたまえ。ギルガメッシュ王の御代を栄させたまえ!」
祭祀長は祭壇の上で祝詞をとなえた。
「これまでのウルクの繁栄に感謝し、今年は羊の生贄ではなく、女神イシュタルの使わした高貴なる娘を神に返す。」

私の顔を覆っていた袋が取られた。
まぶしさで目を細めた先には――……祭壇の周りに、大勢の人がいて歓声をあげていた。
周りを見渡して、あ、と声が漏れる。祭壇は一段高いところにあって、数十メートル向こうにギルが私を見つけて呆然としているのが見えた。彼は立ち上がったが、遠く、群衆を超えて私を助けに行くことはできない。

「逃げてしまえば、もう神の加護を受けた娘ではない。神の恵みを祈る民衆の心を裏切れば、永遠にギルガメッシュ王の名誉に傷を付けることになります…。」
祭祀長様は冷静に、真綿で締め付けるように私の退路を絶った。
「……貴方は、王と、神の加護を受けた立場。さすがに血を流して生贄にすることは出来ません。噂では貴方は泉から現れたという。それならば、同じく水の中に返すのが道理でしょう?」

(……ああ、ようやく自分がここにいる意味ができたのに。)

目の前には、地下からの湧水で満たされた泉。深く底は見えない。重い金属でできた首輪、足輪、腕輪が、アクセサリーのように体に付けられる。見た目は美しく金色に輝いていて悪趣味だ。
そしてそれを苦渋の表情で着けてくれたのは……女神ニンスンの神官長だった。彼女は私に囁いた。「名前さん。ごめんなさい…何もしてあげられないわ」

私は彼女に「ありがとう」といくつか言葉を返した。
――運命はここから逃げることを許さない。
でも、最後をギルが見ているということ。残酷だが幸せなことのように思えた。


「娘がけがれなく清い身であれば、知恵と水の神エアが受け入れてくれるだろう。
 ……神よ、受け取りたまえ。」


どぷん、と重い水音が立って、少女の姿は泉の中に飲み込まれた。
泉は深く、中を覗いても少女の姿が見えないほどだった。


歓声は最高潮に達する。

そのときギルガメッシュ王の目からはひとすじ涙がこぼれて、
それを見た民衆の一人が、
「王の涙だ!良い兆だぞ!」と叫んだ。







春の儀式の中で、王に平手打ちを与える儀式があったそう(毎年やられる王様お疲れ様です)。
そこで王が涙を流すと、吉兆だとされていました。最後のセリフはそこからきています。



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