弓(上)
(1)
白銀の光とともに風が舞い上がり、人影が円陣に降り立つ。
もう何度めの召喚だろうとその英霊は思った。こう何度も喚ばれると、有り難みが薄れてきちまうな。
死んだあと再び現世に現れるという奇跡。だが奇跡を喜ぶようなウブさは生前に置いてきた。もっとも生前(オリジナル)も、心の底から何かを喜ぶような人間ではなかったが。
「喚ばれて参りましたよっと……おたくがオレのマスターか?」
軽薄な口調になれなれしい態度の英霊──ロビンフッドはフードの下から、目の前に立つ女性を見た。何度かの召喚の記録が──時間軸は関係なく共有されている──冷静にマスターを観察させる。歳は20代前半か。だが召喚したマスターにありがちな、ぎらぎらした野望や期待感はなく目は冷ややかだ。
「おたくがオレを喚んだのかって聞いたんだが」
YESかNOで答えられる質問を投げかけられて、女性はようやく口を開いた。
「……喚んだって、おじいちゃんの変な呪文のこと? だったら私が言ったけど」
「じゃあアンタがマスターってことだ」
「はあ?マスター?」
とげとげしい女性の口調にロビンは片眉をあげた。
どうやら今回のマスターは『イレギュラー』な参加者で、偶然にも戦いに『飛び込んでしまった』らしい。黙っていたときは緊張して口数が少ないか、状況が分からなくて戸惑っているのかと思った。しかし女性は、とつぜんあらわれて事情がわからないのに、警戒感ではなく不快感を全面にして自分を睨んでいる。
──やっかいなマスターに選ばれちまったな。
ロビンはやれやれと思いながら、マスターとは英霊を使役する者のことだ、そして自分は英霊(サーヴァント)だと説明した。
ロビンの気遣いをよそに女性はため息をついた。
「よくわかんないけど私のやったことでお兄さんが来たってこと?」
「ああ」
「……ふうん、もっとすごいことがあるかと思ったのに」
女性はつまんなさそうに言葉を紡いだ。
「私のおじいちゃんは変な人だったけど、訪ねてくる人達にはすごく尊敬されてた。お母さんは嫌がって私を会わせようとしなかったけど。
おじいちゃんの遺品の整理中に、こっそり拝借した本に書いてあったの。『全てを叶える奇跡』って。だから期待したのに…」
お兄さんを喚ぶだけだった、と言うので、ロビンは拍子抜けしながら「いやそれも十分すごいことだろ」と突っ込んだ。
「アンタ、とつぜん知らない男が現れても疑問に思わないのか」
「変だとは思ってる」
女性は冷静に返した。「でも、『全てを叶える奇跡』を想像してたから。それで現れたのがお兄さんだけだったら、がっかりするじゃん」
「そんなもんなのかよ……」
この女性をどうしてやろうとロビンは思った。マスターから重すぎる期待を寄せられるのは嫌だが、ただの不審なお兄さん扱いされるのも不当である。
──とりあえず彼女がマスターであることは間違いない。
女性の態度はよそよそしく、ロビンが近寄ればその倍離れるというように全身から拒否感が伝わってくる。しかし彼女の手には赤々と輝く令呪がある。それを見てしまえば、“放って置けない”と思うのがサーヴァントの性で。
「でもアンタ、奇跡をおこす呪文を唱えたってことは何か叶えたいことがあるんだろ?」
ロビンは一歩近づいた。すると女性はかれを睨みながら一歩下がる。さながらそれは距離の空いたワルツのステップだった。
「………。そんなものない」
「嘘言うなって。だったらオレが喚ばれることはないんだから」
本音はどうなのだろう、とロビンの中で好奇心が湧き上がった。
望みのない人間などいない。ましてや聖杯を呼び寄せるような一般人など滅多にいない。
──これはある世界線で、うっかりマスターになってしまった女性の話。
英霊と女性はどんな物語をつむぎ出すのか。2人はどんな主従関係を作るのか。
「喚ばれちまったからには、それなりに働くからな」
女性の冷めた目線を感じながらも、ロビンはわざとらしくニヤリと笑ってみせた。
(2)
目の前で起きていることを拒否するように、心臓の鼓動が一挙に加速した。
──おかしい、逃げろと直感が言っている。
心を混乱でいっぱいにしながら、彼女は震える手足に力を込めた。ドア、窓に視線を走らせる。不審者だろうか?ドアも窓も閉まっている。叫び声を上げるのが正しい?いや、焦ってないふりをすることが正しいのか。
「おたくがオレのマスターか?」
光とともに現れた青年にこう聞かれても言葉は出てこなかった。
変わり者だったおじいちゃんが亡くなり、親戚であつまって遺品整理をしている途中に見つけた本だった。
『全てを叶える奇跡』。大層なうたい文句が書かれ、ていねいに準備物や手順も書かれていた。なんの気もなく、夜の空白を埋めるような、うっすらとした期待に突き動かされてやっただけなのに。
「おたくがオレを喚んだのかって聞いたんだが」
「……喚んだって、あのおじいちゃんの変な呪文のこと? だったら私が言ったけれど」
とっさに焦っていないふりをすることを選んだ。だが、手足は力を込めていないとすぐ震え出してしまう。拳を作り、靴の中はぐっと踏みしめた。焦りを20年余り培ってきたポーカーフェイスで必死に誤魔化す。浅く呼吸しながら、英霊──サーヴァントという使い魔──だと名乗る青年の話を聞きつつも脱出方法を考えていた。
「でもアンタ、奇跡をおこす呪文を唱えたってことは何か叶えたいことがあるんだろ?」
「………。そんなものない」
「嘘言うなって。だったらオレが喚ばれることはないんだから」
青年は馴れなれしい態度で話しながらこちらを観察している。軽薄な口調なのに抜け目のない視線だ。──叶えたいこと?そんなもの、考える余裕なんてない──こちらは今の状況を整理するだけで精一杯なのに。
「喚ばれちまったからには、それなりに働くからな」
青年がニヤリと笑ってみせ、心臓がどきりと跳ねてしまう。異常事態なのに胸がときめくなんて、自分の思考はものすごく混乱している。
興味がなさそうに顔を背けることで、感情を悟られまいとした。
それからしばらくして落ち着きを取り戻した。青年の話を信じたわけではない。だが不可解なことが多すぎて、彼の説明でおぎなわないと辻褄が合わない──だから仮定としてマスター≠ニいう非現実的な立場を受け入れることにした。
「アンタは魔術師としての知識はまったくないんだな」
「…普通に会社員として働いてるし」
と答えたら、青年は
「じゃあ聖杯戦争はおろか、聖堂教会も、魔術塔のことも一切知らないんだな。うーん……どうしたものか。監督役のところに連れて行った方がいいのか?」
と、よくわからない単語をまじえてブツブツ言った。興味がないフリを装いながら、単語をしっかり聞き取ろうとする。魔術師……魔法使いみたいなものだろうか。ディズニー映画に出てくる魔女のような。
「よし、とりあえずアンタを教会に連れて行って監督役に会わせる」
「教会に監督役がいるの?」
「ああ、そこらへんは込み入った事情でな。だが監督役ならもっと詳しい説明をしてくれるだろう。アンタが望まないならマスター権も解除してもらえる。いいな?」
「……わかった」
腑に落ちないものの、他の選択肢がなくて頷いた。
すると青年は「じゃあオレのことはアーチャーって呼んでくれ」と言った。
「で、アンタは?」
「えっ」
「名前だよ。街中でマスターって呼ぶのも変だろ」
青年に促され、おずおずと自分の名前を告げた。「名前…」
「んじゃあ、名前。さっそく出かけるけどいいよな」
「うん……」
さも当然のように名前を呼び捨てにされてまたドキリとする。だがアーチャーの要求はそれで終わらなかった。
「今から街に出るわけだが……霊体化は当然わからんよな。
ちょっとアンタの物を拝借するぞ」
……そうして今は街に来ている。
隣には白いシャツを着たアーチャーが居る。名前のクローゼットを漁って、唯一来てもおかしくなかったのがオーバーサイズの白いシャツだったから。
自分が着たら羽織るかんじなのに、彼だとややぴったり気味なのが恥ずかしい。痩せていても筋肉がしっかりついているからだろうか。
隣を歩きたくなかった。浮くからではなく、むしろマントを脱いであらわれた青年の素顔は整っている。街ゆく女性たちの視線を総集していた。そうして彼も熱視線にまんざらでない感じが腹立たしかった。
「ア、アーチャー」
「なんだ、名前?」
むしろこれが目的なんじゃないだろうかと名前は彼を不満げに睨んだ。その意図を理解したのか、アーチャーは「わかってるって」と苦笑した。
「流石のオレもマスターのいるところでナンパはやりませんって。ほら、教会にもうすぐ着くぜ。ちゃんと目的は忘れてないからな」
そこで名前は、シロウ・コトミネと名乗る若い神父から聖杯戦争の説明を受け、自分がとんでもない事態に巻き込まれたことを理解した。
──聖杯をめぐる魔術師たちの本気の殺し合い。けっして普通の人間が足を踏みいれていい世界ではない。
コトミネ神父は「マスター権を放棄するなら聖杯戦争が終わるまで保護します」と提案した。だが提案を聞いた名前は、少し悩んだあと『自分もマスターとして聖杯戦争に参加する』ことを選択した。
「意外だったよ。アンタが聖杯戦争に参加するなんて」
「……別に。暇だったからだけだし」
「ふうん」
アーチャーは意味深げにつぶくと振り返り、数歩後ろを歩いている、けっして目線を合わせようとしない女性に手をさし出した。
「……。なにそれ」
訝しげに見る名前に青年は言う。
「改めて挨拶しようと思ってな。…ほら、これでオレたちはちゃんとしたマスターとサーヴァントの関係になったわけだろ。
仕切り直しってことで」
青年は令呪の刻まれた名前の手をとった。マスターとサーヴァントの手が重なる。
──なんだか急に、手放すのが惜しくなったのです。彼(彼女)と何もなく離れてしまうのが。
自分でもその理由はわからないのだけど。
「よろしくな」
「………」
よくわからない、あいまいなもので判断するのはイヤなのに。うっすらとした期待が未来を突き動かしていく。
この手が交差する先へと。
<つづく>
この世界線ではシロウ・コトミネが聖堂教会の監督役です。