6  曇天に問う


「どういうこと?監督役がマスターだなんて」
眉尻を上げたキャスターに名前は答えた。
「私も聞いたときよく分からなかったの。でも、おそらくルーラーが喚ばれたのはこのせいだと思う。本来、マスターになれない人が何らかの方法でマスターになった。それを裁定するためにルーラーが喚ばれた。」
「そんな…あなた、好きな人を裁くつもり?」
「ええ、彼を裁くことになるかもしれない。でも、必死にさがせば救う方法も見つかるかもしれない。――だから私はルーラーを引き受けたの。」
名前は硬い表情で言った。その瞳に迷いはなかった。
冷めてしまったコーヒーをぐっと一息で飲み、キャスターが何か言うのを待っている。また理想論だと言われるに違いない。でも自分一人でもやり遂げたい。
「つくづく理想論ね」
やはりキャスターはそう言った。しかし名前の表情から揺るぎない思いなのだと理解し、それ以上は言わずに大きなため息をつく。
やがて手を差し出すと、硬く握られていた名前の手に自分のそれを重ねた。
「気が変わったわ。私、あなたに全面的に協力する。」
「えっ…」
名前はきょとんとした。まさか応援して貰えると思わなかったからだ。「あ、ありがとう……でもどうして?」
キャスターはすました顔で答えたが、素直でない気持ちがにじみでていた。
「どう説得しても、馬鹿げた理想論でいくと思ったから。協力するならあなた任せじゃ私が危ないでしょ。
で、次の手は考えてあるの?」
「具体的にまだ…」
名前は緊張の糸をゆるめた。まだ打開策はなくても、キャスターからの申し出が心強かった。



その夜、名前はずっと沈黙していた英霊からお告げを受けた。英霊は彼女の努力をかんがみ、自分の能力の一部を開放するという。
これはもしや予言能力なのでは?と名前は考え、次の日急いでキャスターのいる柳洞寺に向かった。
いわく、大きな鏡と水盆を用意すること。そして鏡を天に、水盆に手をかざして念じること。なおこの術は3日に1度しか使用できない。

キャスターに協力にしてもらい、人払いをした柳洞寺の庭で大きな鏡を天に向け、片手を水盆にかざす。緊張した面持ちで念じると、体内から静かな潮流がうまれるのを感じた。にわかに雷鳴がとどろき、雲がわきたつ。
不穏な空気に予言のおとずれを待っていると、ぽつり、と雨がほおに落ちた。
「――雨ね」
キャスターが手を上に向けて呟く。
「え、ええ…」
――ポツ、ポツ。
塀の向こうでは坊主たちが「予報では晴れだったのに!」と走りまわっている声が聞こえる。
「名前……」
「うん。たぶんこれ…」名前は困り声で言った。「雨ごいの能力だ。」



しとしとと、雨は降りつづく。寺の中で静かに会話する。
「このあと、どうしようかしらね」
「予言をうけたらそれで対策を考えようと思っていて…」
「…困ったわね。名前、あなたは次の手でどう行動するつもりだったの?」
キャスターの問いかけに彼女は手の内を明かした。
「私の役目は聖杯戦争を停めることではないの。監督役の彼がただしい状態に戻れば、私の仕事は完了なのだと思う」
貴方の場合は部外者をたくさん巻き込んだから介入したけれど。名前は言った。「サーヴァントを倒す必要はない。彼を元に戻せれたらそれでいい。」
「なるほど。ランサーとアーチャーは倒さなくていいのね。」
それは良かったわ、とキャスターは言った。
「でも2人もサーヴァントを従えているなんて。1人はランサーのマスターから奪ったのでしょう? アーチャーのサーヴァントは……すでに遠坂の娘が喚んでいたはず。どういうことなの?」
「分からない。でも同じクラスでサーヴァントが喚ばれることはないの。つまり、以前の戦いで喚ばれたアーチャーがそのまま…」
「この前の戦いって十年前でしょう。そのときからずっと居たってこと?」

キャスターが疑問の声をあげる以上に、名前はもっと困惑していた。
……10年も前から。綺礼と頻繁に会っていたわけではないけれど、たまに話す事はあった。そのときもずっと、彼は身のうちに大きな秘密を飼っていたのだろうか。

――それで、好きだったと。
救いたいなどと言っていいのだろうか。

「どうして彼が十年前のサーヴァントを従えているか分からない。アーチャーが戦後に単独で彼のもとに来た可能性もある。
 でももし前回の聖杯戦争の勝者が彼だったとしたら……十年前の大災害は……」

なぜ、なのか。
名前にとって言峰綺礼という人物は、ルーラーの役割を引き受けるまで、憧れて思慕を抱く人だった。
だが今は違う。疑念と決断をもって裁くべき相手。

――それでも私は彼を救いたい。
名前はわずかな可能性にすがる思いで、次の手を考えた。




建てた作戦はこうだ。言峰綺礼からアーチャーとランサーを引き離し、その間に彼を裁定すること。説得で済むならキャスターの宝具『ルールブレイカー』でマスター契約を切る。だが、もし彼が監督役を放棄しても聖杯を手に入れたいと抵抗するなら――…。
そのときは、名前は正面から彼を断罪することになる。どちらにしても直接話してみなければ分からない。

「まず腹の中を明らかにするということね」
「ええ」
「あまり私の力に期待しないで欲しいのですけれど。でも、神代の英霊として名に恥ずかしくない働きはさせてもらうわ。」
「ありがとう…!」



サーヴァントと言峰綺礼を離すのは簡単だった。アーチャーとランサーは常にどこかを動き回っていたからだ。2人もサーヴァントを従えているからなのか、自分でも対処し切れるという余裕からなのか。どちらにしろ『知覚能力』を持つ名前には有利だ。
2人が同時に綺礼から離れたタイミングを狙い、名前は新しい能力を発動させた。
――雨。
日本ならいつ降ってもおかしくないが、アーチャーの英霊……ギルガメッシュの故郷であれば違う。気候区分の通りであればメソポタミアは滅多に雨が降らない地域であり、雨に濡れて行動するのは慣れていないはずだ。
 にわかに降り始めた雨を、アーチャーは立ち寄った建物の中で見つめている。何を考えているかは読めない。だがしばらく足止めすることはできるだろう。
 名前は急いで冬木教会にたどり着き、中にキャスターを引き入れる。彼のサーヴァントが戻っても入れないように妨害結界を張るためだ。

「しばらく時間がかかるわよ。自分の陣地じゃない場所だからこれぐらいは許して欲しいわ」
「ええ。その間の彼の足止めは私がする。」

名前は言峰綺礼を探して冬木教会の中に入った。
冬の空気がいっそう冷たくて、窮屈なくらいに静まり返った堂内。幼い頃はこの雰囲気が苦手で彼の手を握った。
「…綺礼、いる?」
声が反響する。気配はない。
奥にいるのかと思って、教会の裏手にある居住区画に踏み入れる。ここに入ったことはなかった。途端にぞわぞわと嫌な予兆が名前の肌を逆だてる。
――奥に、何かがある。
『行かない方がいい』という内面の声を黙殺し、地下へと続く階段をおりる。空気がいっそう重くのしかかり、顔をしかめた。濃厚な魔力のよどみ。
 地下にいたのは。
「……っ」
言葉で説明することはできない。人の形を保っていない、異形の、苦しみ悶える塊。なぜこんな所でこんな風に存在しているのか。悲痛な声は助けを求めているように聞こえ、名前は胸が苦しくなった。
(…自分は助けられない。でも置いてはいけない…)

「ごめんなさい、キャスター。来て欲しいの」
「――途中で喚び出すなんて何かあった? っ…なるほどね……」
名前が喚んだ理由を理解して、キャスターは顔をしかめた。私でも助けられないわよ、という彼女を名前は悲しい目で見る。
「分かった。でも放置して行けない。」
「こちらを優先するってこと?時間がないわよ」
「ええ、分かってる。でもこの子たちを開放してあげて欲しい」
せめて安らかな終わりを。名前の思いをキャスターは汲み取る。
「後悔はしないでね。急いで終わらせるけどその間は貴方が稼いで」


名前は地上に戻った。先ほどの光景を忘れられず、ぼんやりした気持ちで回廊を歩いていると探していた人物が目の前に現れた。
「…綺礼、そこにいたのね」
「――名前か。どうした急に?しかもここに入ってくるとは。」
言峰綺礼はとつぜんの来訪者に戸惑ったようだった。だがいつものように冷静な表情を保ち、用件を聞く。
「しばらく仕事が立て込むから教会には足を運ばないようにと言ったはずだが」
「ええ……でもどうしても貴方に会いたくなって。勝手に奥まで入ってごめんなさい。」

幼い頃から知っている彼女を、綺礼は困った顔をしながらも案内する。表の本堂に戻り、彼は名前に向き直った。
「それで?何か用事でもあるのか?」
「………」
少し話したら本題にはいるつもりだった。しかし今は地下のこともあり、時間を稼ぐ必要があった。
「最近、冬木市が物騒でしょう。綺礼が無事に過ごしているか気になったの」
名前はあえて本題に近い話を切り出した。興味を引く話でなければ打ち切られる可能性がある。
「いいや、別段。君こそ大丈夫か?」
「ええ…」
優しくかえした綺礼に名前は罪悪感のようなものを感じた。
もし、彼がアーチャーにそそのかされただけであれば。聖杯の力に誘惑されただけであれば。
「私は大丈夫。家族もね…」
名前は時間を稼ぐために最近のことを話した。綺礼も聞いた以上、無碍(むげ)にできないのか相槌を打ちながら返答してくれる。
――もう少し、時間を稼げば……。
だが『知覚能力』は、ランサーの接近を伝えてきた。キャスターの結界が間に合わないかもしれない。ここで話せなければ、彼を救うチャンスを失うかもしれない。

「綺礼、今日は貴方の周りで起きていることについて聞きに来たの。」
頃合いだと判断し、名前は決心して切り出した。



「……周りでおきていることだと?」
綺礼は心の定まった表情で聞いてくる名前に眉をひそめた。部外者の彼女が聖杯戦争のことを知っているはずがない。慎重に隠してきたつもりだ。
「ええ。私は聞かなければならない。貴方がやっていることをすべて。」
「何を……」
その瞬間、結界が周囲をつつむのを綺礼は感じた。このタイミングで……彼は名前を睨んだ。名前は静かに視線をかえす。
「ランサー!」
「無理よ。結界の外には呼びかけは通じない」
「何…!?」
ランサーが結界にたどり着き、破壊を試みようとしているのが分かった。時間はない。名前は上着を脱ぎ、背中にやどった令呪が彼に見えるよう背中を向けた。

「――サーヴァント、ルーラー。
 監督役のあなたの規定破りを裁定しに参りました。」








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