5  純真/邪悪


冬の夕暮れはすぐ暗くなる。ぽつんと灯りのついた図書館で、名前は次の作戦を考えていた。
もともと取れる手段は少なかった。だがキャスターに正体を明かしてしまい、他のサーヴァントに漏れてしまう可能性があった。早く次の行動をとるべきだったが、キャスターを止める方法が見つからず行き詰まっていた。
 閉鎖時間まで粘って校門から出ようとしたとき、思わぬ人物が名前を待っていた。
「ずいぶん遅い時間に帰るのね」
「キャスター…っ」
葛木宗一郎を待っていたのだろうか。キャスターはこちらを睨んでいる。水族館の報復だろうか。
すると彼女は「ついて来なさい」と有無を言わせず名前を連れ去った。


( ……どういうつもりなんだろう )

人気のカフェでキャスターと向かい合いながらメニューを見ていた。なぜここに連行されたのか。キャスターがとつぜん手を挙げ名前はビクリとしたが、店員が来ると注文をする。
「キャラメルハニートーストと紅茶。あなたは?」
「…コーヒーで。」
「晩ご飯まだでしょ。パスタでも頼んだら」
「じゃあナスとトマトのミートソースパスタで……」
キャスターの意図が分からず、言われるがまま名前は注文した。店員が去ると、コホン、とキャスターが咳払いをする。
「今日はあの一件のことで話があったから来たの」
「は、はい」
「あのヘンテコな令呪――ちっとも効いてないわ。私は宗一郎様に言っていないのだから。」
「………」
名前は目を白黒させた。じゃあ一体何が目的だと言うのだろう。身構えた彼女に、キャスターはため息をついた。
「やっぱり貴方って愚かね。思いを伝えさせたところで私が受肉を望んだらどうするの?人を襲わなくなると思った?」
「はい。葛木先生が貴方をとめてくれるかもしれないし、きっと前より襲わなくなると思ったので」
「……馬鹿ね」
キャスターはコップに入った水を見ていたが、不意に綺麗な目で名前をみつめた。
「良いわ。部外者を襲うのはやめましょう」
「…本当に?」
信じられない言葉に名前は目を大きく開いた。
「ええ。魔力は魔術を起動するときに必要なの。現界するだけなら私の能力でなんとかなる。
 でも聖杯戦争を降りるわけじゃないわ」
「じゃあ魔力は――」
「私に襲わせないと言うなら、貴方がよこしなさい」
キャスターの申し出を理解するため、名前は一瞬固まる。やがてはっきりと頷いた。「分かった。取引する。」
令呪は魔力の塊だ。使っていない分を回せば十分足りるだろう。
「あと、貴方が協力してくれるなら私も協力してあげてもいいわ」
「えっ」
その言葉に名前の表情はぱっと明るくなった。キャスターは本当にわかりやすい娘ね、と嘲りながらも言った。
「あんな方法で戦ってたらすぐ死ぬでしょ…危なくて見ていられないわ」
「キャスター…!ありがとう…!」

すっかり警戒を解いた様子だった。キャスターは運ばれてきたキャラメルハニートーストを食べながら、このトーストみたいに甘い娘だと思った。本当はお腹が空いていたのか美味しそうにパスタをほおばる。
キャスターは尋ねた。
「貴方はどうしてルーラーを引き受けたの?」
「きっかけは――…」




めずらしく事後処理の依頼がない日だった。
聖杯戦争の間はずっと処理に追われることを覚悟していたので、言峰綺礼は少し拍子抜けしながら、久しぶりにワインを飲むことにした。
(急にキャスターが部外者を襲わなくなった。消失の連絡は来ていない。静かだと何か企んでいるのではないかと勘ぐってしまうな)

綺礼が1本目のワインを半分まで飲んだ頃、豊潤な匂いに引き寄せられたのか金色のゆらめきが起こった。
「おや、聖杯戦争の間は飲まないつもりだったのではないか。」
「たまたま仕事が無かっただけだ。珍しいことではあるが。」
 何もない空間から男が現れ、遠慮なくワインに手を伸ばすのを綺礼は黙って見ていた。男は自前の杯にワインを注ぎ、品定めする。どうやら合格だったようだ。ソファに腰を下ろしてじっくりと飲む。
「…急に暇が出来ると、考えることが色々あるだろう」
「ああ」
慣れたことのように綺礼は返答した。つまみはなく、何か思い浮かべながら彼はワインを飲み続ける。
「ときに綺礼、お前は聖杯の泥が生み出すものを見る以外に楽しみはないのか」
金髪のサーヴァント――ギルガメッシュは杯を傾けながら聞いた。「この戦争が終わった後、お前はどうするつもりだ。退屈で死んでしまうかもしれんぞ」
「もとより長く生きるつもりはない」
綺礼はもう少しで完成する聖杯以外に何の関心も持っていないようだった。その後腐れなさをギルガメッシュは嗤った。
「愉悦というのは、汲み上げても汲み上げても足りぬ酒のようなものだ。満たされた気分になっても長続きはしない。ゆえに貪欲にむさぼる。酒や女に興味はないのか?」
「酒はまだしも女など。……女が向ける愛情は、私という人間に対する妄想だ。」
「妻がいたのだろう」
「ああ…それ以外で女といえばもう一人いる。」
「聞かせてみろ」


綺礼は静かに話し始めた。
その少女に出会ったのは、綺礼がまだ自分の名前に嫌悪感を抱いていない頃だった。
父の言峰璃正は第三次から聖杯戦争の監督役として冬木教会に拠点を置き、綺礼も神父の息子として恥ずかしくない振る舞いを教え込まれていた。
「綺礼よ、私たちは聖堂教会から特務を預かった身だがここでは一般的な人々とも関わらなければならない。お前には私の跡を継ぐ者として心得ていて欲しい。」
「はい。」

教会にやってくる人は様々だったが、ほとんどが異端狩りに関係のない一般人だった。綺礼は平和な少年時代を過ごした。父が美しさや美徳を語るとき、腑に落ちない違和感があったが、それは日常の中で流れていくような些細なものだった。
 ある日、教会に若い夫婦が3歳ぐらいの少女を連れて洗礼に来た。教会を見回す少女の目は不安げでおぼつかない。綺礼が父に呼ばれて少女の隣に来ると、少女は何を思ったかとつぜん彼の手をぎゅっと握った。
子供独特の体温とやわらかい手の感触。綺礼がどうすればいいか分からず戸惑っていると、父は「洗礼が終わるまで側にいてあげなさい」と彼を諭した。
 やがて少女は教会に遊びに来るようになった。これやって、と誰にでもできるようなことを綺礼にお願いしては『なんでもできる』と尊敬した目で見てくる。少女の向ける感情が苦手だった。
「…またこの子ったら。ごめんね綺礼くん、この子あなたが大好きみたいで。」
両親が困り顔で教会に迎えに来ると、綺礼の父は笑顔で彼らを受け入れた。
「利発なお嬢さんですな。なに、いつでも遊びに来てください」
綺礼も義務的に微笑む。

彼らが帰り、父と二人きりになると綺礼はため息をついた。
「……子供は苦手です」
「疲れたか。でも可愛いだろう。」

――可愛い?
父は何を言っているのだろうと綺礼は思った。
子供など感情が激しく自分勝手だ。思い通りにならず手を焼く。
――理解ができない。
綺礼のなかで違和感が頭をもたげた。
 彼は幼い頃から修練し、道徳、人徳の大切さを頭では十分すぎるほど理解していた。それにもかかわらず、心は人と同じように美しさや尊さを感じることはない。
…自分はまともな人間ではないのだろうか。
 その問いは彼を熱心な求道に追い立てた。生きる答えを、目的を、見つけられるのではないかと期待して。皮肉にも熱心に修練する綺礼は“信心深い真面目な男”としかみえなかった。
 やがて綺礼は少女を疎ましく思うようになった。少女のまっすぐな感情に炙り出される自分の歪み、少女に自分の異常さを見透かされるのではないかという恐怖。
 綺礼は父に、巡礼の旅へ自分も連れていくよう頼んだ。


綺礼は父と世界中を回った。それでも答えは見つからず、美しさは分からなかった。
ときおり冬木教会に戻ると父が連絡したのか少女がやってくる。
「綺礼、元気だった?」
会うたびに成長していく少女。少し慣れた頃にまた離れ、また成長して別人のように感じる。どう接すればいいか更に分からなくなっていく。
「ねえ綺礼。帰ってくるならどうして連絡をくれないの?」
「……忙しかっただけだ。」

第四次聖杯戦争の際、時臣氏に師事して冬木に留まることになった。少女はもう女の顔つきになっていた。
「嬉しい!しばらくここにいるのね」
自分に向けられる気持ちが、尊敬ではなく思慕に変わっていることに気付いた。
――おかしい。なぜ私をよく知らないのに好きになれるのだ。
 彼女が私を恋う気持ちは『妄想』だと思った。


父の言峰璃正が亡くなったとき、彼女は自分の何倍も悲しんだ。
「あんなに優しくて正しい人だったのに…」
そうだ。父璃正は正しい人だった。お前のほうがよほど父を受け入れ、父からも受け入れられていたのだろう。
――もどかしい。あいつらは純真だ。
醜い自分とはまったくちがう。美しいものを愛せる純真な存在。
その光を汚し、ゆがめ、奪い去らねば。
共にいることさえ狂おしい。




「それが彼との出会いだったのね。」
名前はキャスターに彼との出会いを話した。キャスターはときどき目尻に触れていた。
「ええ、小さい頃からずっと好きだった」
「その人も聖杯戦争のマスターなの?」キャスターが尋ねる。
 名前の表情に影がさした。
「ええ。…でも本当は、監督役のはずなの」





「これ以上はやめよう。酒がまずくなる」
綺礼は話すのをやめた。女を思い出して飲む酒はうまくない。しかしどうだろう……彼は思った。
――もし、彼女に見せることが出来たなら。
醜くゆがんだ自分を知らないまま接してくる彼女に、自分の醜さを見せたとき。彼女の表情はどれだけ苦痛にゆがむだろう。
裏切られる純真な心と理想の破壊。
「………」
そのとき溢れる涙は、どれだけ甘美だろう。
情景を思い浮かべるだけで、先ほどより酒を数段あまく感じることができた。綺礼はゆっくり嗤う。

「何か愉快なことを思いついたか?」とギルガメッシュ。
「いいや、別段」

言峰綺礼はグラスを傾けた。
――名字名前。
久しぶりにその名前を思い出しながら。








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