4  神明裁決


名前は葛木宗一郎のとなりを歩いていた。その後ろをキャスターが微妙な間隔を開けてついてくる。
もしかすると邪魔しないほうが良い雰囲気になったかもしれない。名前は焦る。でも良い雰囲気になるだけでは困るのだ。思いを通じ合うところまで行ってもらわないと。

「外で先生って呼ぶと注目されるので、葛木さんって呼びますね」と名前。
「ああ。気遣い感謝する。」
「はい、葛木さん。」

ちらりとキャスターの方をふりかえる。目があって、鋭い眼差しに寒気が走った。キャスターの焦しには成功したようだ。
よかった、彼女が葛木宗一郎にマスター以上の感情を持っていて。もし違ったら作戦を中止するつもりだった。宗一郎もまんざらではなく、名前よりキャスターの方が気になるようだった。
2人の関係を近づけるために、名前は話さないだろうことを聞いていく。
「日曜日の水族館ってカップルが多いですね。葛木さんはどんな女性がタイプですか?」
にこやかに聞くと拒否しづらかったのか律儀に宗一郎はこたえた。
「落ち着いた女性だろうか」
「芯のある女性って素敵ですよね。キャスターさんはどんな男性が好みですか?」
大胆に話題を振る。すると言葉は少ないがキャスターもこたえてくれた。
「…寡黙で誠実な人かしら。」
「じゃあ葛木さんみたいな方ですね」
さらに付け加えた。「葛木さん職場でも人気なんですよ。同僚の相談をしっかり聞いてくれるし、生徒からの信頼も厚くて」
「小柴さん、褒めすぎだ。」
宗一郎はふいとあちらを向いた。そのとき、名前はキャスターの方を向いて頷く。彼女は驚いた表情で名前を見た。
――キャスター、頑張って。
私の意図が伝わっていたら少し進展があるかもしれない。


その後も2人に話題を振り、名前は頃合いを見て退散するつもりでいた。
すると居心地が悪かったのか、宗一郎が「仕事の用を思い出した」といって電話しにいく。このタイミングでキャスターを一人置いて行くこともできず、なんとも言えない雰囲気のまま宙を泳ぐ魚をみていた。
「少しいいかしら。話したいことがあるの」
キャスターから話かけられた。
「…いいですよ。」
彼のことだろうか。キャスターと話すのは少し怖かったが、ここまで大人しかった彼女に警戒心を解き、話しやすそうな所へ行くことにした。

こちらで、とキャスターに誘われるまま着いたのは物静かな暗がりだった。気づくと周りには誰もいない。名前は一歩後ずさった。静かな空間にキャスターの声が響く。
「水族館というのは、暗くて物陰になるところがたくさんあるから便利ね」
「ま、待ってください。私は葛木先生の同僚で……」
キャスターは振り返り、まっすぐ名前の目をみつめた。すると瞳に吸い込まれ、両手両足の力が抜けていく。
「あまり宗一郎様の周りを動き回らないでくださる?でも同じ職場だから近づくなというのは難しいわね。処分するべきかしら」
「何、を……」
――まずい。名前は彼女のテリトリーに入りすぎた。神代の魔女はマスターとの間に入ったものをすべて邪魔と考えたようだ。
抵抗しようとしても、既に名前は濃厚な魔力にあてられて動けない。
「しばらく眠ってもらうわ」
「…あ……」

意識が落ちかけた瞬間、とつぜん静電気のような物が飛び散った。魔術から引き剥がされ名前は慌ててキャスターから距離をとる。
彼女が抵抗したことにキャスターは驚いた。
「貴方、どうやって!一般人ではないわね、正体をみせなさい!」
「――!」
キャスターの怒気にあてられた瞬間、口から聞いたことのない言葉が紡がれた。
耐魔術結界。言葉は分からないが、力強い音の響きが体を包む。
( 良かった、巫女様が加勢してくれた! )
ホッとしたのは束の間だった。
相手がただ者ではないと分かったキャスターが宝具を取り出す。ルールブレイカーだ。あらゆる魔術効果の無効化。さらにこの宝具に刺された契約者と英霊は――
 キャスターが振りかざし、名前はとっさに避けようとしたが、
「あ……っ」
 その反動で眼鏡が落ちひびが入る。その瞬間、名前にかけられていた気配遮断が乱れた。眼鏡はルーラーであることを完璧に隠すための能力強化がかけられていた。
 一瞬の乱れをキャスターは見破る。

「あなた…」キャスターは大きく目をひらいた。「貴方もサーヴァントだったのね…!」
「っ…『神明裁決』!!」

こうなった以上、仕方がない。名前はルーラーとしての能力『神明裁決』を発動させた。
ルーラーはサーヴァント1騎につき2画令呪を持つ。効力はルーラーの実力次第だが、最後の切り札として絶大だ。
しかし正体をさらす上にどれだけ自分が効力を発揮できるか分からなかった。もう後戻りはできない。

「――キャスターに命ず!あなたは私に宝具を使用できない!」
名前は叫ぶ。他者への攻撃をすべて禁じるべきだ。しかし範囲が広いと効力が弱まりルールブレイカーで破壊される可能性がある。
必要最小の命令。
「重ねて命ず」
次の令呪に勝負をかけた。自分の戦い方を成功させるために。
「キャスター、葛木宗一郎に素直な気持ちを伝えなさい……!」

「…っ…?」
絶大な力をもつ令呪にみがまえていたキャスターが、虚を突かれたような表情になる。
それはそうだろう。令呪は不可能を可能にする力を持つ。
――それを、こんな命令に使うなんて。
意味がわからないと顔を上げたキャスターに、名前は覚悟を決めて語りかけた。「私は“ルーラー”です。貴方が部外者を巻き込むのを止めるために来ました。」
「ルーラー? この聖杯戦争の規律を守る存在ということ?」
「はい、聖杯戦争の参加者ではありません。だから私の提案を聞いていただけませんか。
どうか、部外者の魂を吸うのをやめて欲しいのです。」
 名前の言葉が静かな館内に響いた。


「…それは私に聖杯戦争を諦めろと言うのと同じね」
まったく話にならないわ、とキャスターが相手を嘲笑った。「あなた馬鹿でしょ。私が説得されると思った? 宝具なんて使わなくても貴方を殺せるし、令呪をこんな命令に使うなんて。」
「…分かっています。戦えば間違いなく負けることも」
キャスターの嘲笑に臆せず名前は言った。
「だからこそです。私が発揮できる令呪の効力で一番確実に貴方を止められる結果を選んだつもりです。」
「――?」
キャスターは愚かだと思っていた相手が、考えなしに行動したのではないと知って令呪の意図を考えた。
――宗一郎に想いを伝えること。
 それが、一体何に。

「キャスター、貴方には欲しいものがあるはず。」
力で勝てないのなら、聖杯よりも先に彼女の願いを叶えてしまえばいい。名前が考えたキャスターを止め得る方法。
「…元の時代に戻っても手に入るか分からない、貴方の欲しいものが今そばにあるとしたら。
 それでも貴方は聖杯に願う事がありますか?」
「……っ」

この小娘は。私が宗一郎と想いを通じ合えれば、望みを叶えられると思っているのか。
――馬鹿じゃないの。
そう言いかけてキャスターは名前を睨んだ。小娘を殺すことは容易い。それなのに、キャスターは胸の奥が急に冷めるのを感じた。
……殺そうと思っていた相手が、本気で理想論をかかげて立ち向かってくる。しかも私の願いが叶うように令呪をつかって。自分の命を守る事も出来たのに。

「貴方、正気で言っているの? そんなことに令呪を使うなんて。自分の身をちっとも守ってないじゃない」
「はい、もとより守れると思ってないですから。こういう戦い方しか私にはできないんです。」
「……理想論で戦おうなんて自殺行為よ。」

キャスターの手が下された。戦う気は完全に失せていた。
だんだん人の気配が戻ってくる。
「キャスター」
宗一郎が人混みの中から現れた。距離をあけて向かい合っているキャスターと名前を訝しげに見る。
「どうした、何かあったのか?」
 ちょうどその時、1人の男性が名前に手を振りながら近づいてきた。名前はホッとした表情で「はぐれた友達です」と笑ってみせた。
「では葛木先生、キャスターさん。さようなら」
「ああ……」
挨拶をすると、名前はお辞儀してすぐ立ち去る。



名前が去った後、キャスターと宗一郎は再び2人きりになった。うす明るい水族館を並んで歩く。ゆっくりと流れる時間に、キャスターはルーラーの言葉を思い出した。
――貴方の欲しいものが今そばにあるとしたら。
海中トンネルにさしかかると、狭く、さらに近い距離になる。
( …もし宗一郎に近づくことができたら )
今なら、あのルーラーが使った令呪のせいだと言い訳できるかもしれない。
2人の手が何度かぶつかる。キャスターが申し訳なさそうに手をちぢめると、宗一郎は曲がり角でそっと彼女の手を握った。

「こうしていれば、はぐれないか?」
「……っ」

――ああ、きっと。あの小娘の令呪は本人にそっくりなのだ。
 大した力はない。背中を一押しする程度。でも、その一押しが私に効果的だと考えたのだ。

「…はい、宗一郎様。」
キャスターは小娘の思い通りになる悔しさよりも、彼の手を握り返すことを選んだ。





名前は隣のフロアまで歩くと、柱に寄りかかって荒く胸を上下させた。
いまさらになって手が震えてくる。英霊に向けられた殺気は凄まじかった。私を殺すことは簡単だったし、運良く生きのびただけだ。次は死ぬかもしれない――…。
「姉ちゃん、大丈夫か?」
弟が震えている私の手にふれた。「最近おかしいよ。全然話さないし、急に手伝ってくれって言われたらこんな風になって。何かあったのか?」
「っ……だいじょうぶ。ありがと…」

――家族を巻き込むわけにはいかない。
今日も弟に危険が及ぶかもしれなかった。助けを借りるのはこれきり。
「もう、大丈夫だから。」
名前は歯を食いしばって笑った。









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