11 純粋な祈り


進み出たキャスターに、名前は「待って」と声を上げた。
「キャスター、何をする気?」
「……決まっているでしょう。いけすかない取引だけど、仕方がないわ。」
キャスターは宝具『ルールブレイカー』を取り出す。だがそれはアーチャーに向けられていない。名前は彼女の行動の意図を理解した。
「駄目…!アーチャーの言葉が本当でも、あなたの命をかけたりしない!」
名前の言葉にセイバーも頷く。戻って来させようとする彼女達に、キャスターは振り返って言った。
「おそらくアーチャーの言葉は本当よ。先ほど見た綺礼という男は、その体に聖杯の欠片が混ざっていた。聖杯の泥で彼を生かしたというのは本当でしょう」
キャスターの眼差しは名前に向いていた。
「……名前、貴方は“最後まで諦めない”と言ったわね。そして私も“最後まで理想を追えばいい”と言ったのよ。」

――裏切りの魔女。
名前の脳裏にキャスターの忌み名が浮かんだ。
でも一緒に過ごしてきた彼女は全く違った。私の理想論を笑ったけれど、自分の身を危険にさらしてまで協力してくれた。

「どうして…そこまで…」
名前は疑問を口にする。駆け寄って止めようとした彼女を、キャスターは手を前に突きだして静観するようジェスチャーした。
「どうして?…どうしてかしらね」
彼女は微笑んだ。
「たぶん貴女と一緒にいるうちに、その馬鹿みたいな考えに染まっちゃったのね。
救いたいんでしょう、あの男を。私は羨ましかった。貴女みたいに理想を追いかけて、好きな人と一緒にいようとする貴女が…」
キャスターは自分の胸に刃を向ける。
「悪くないわ。理想のために命を捧げられるなら。私の願いも、そうでありたかった」


名前は目いっぱいに涙をうかべ、キャスターを止めようと思った。
……自分の願いなど、もういい。
アーチャーと綺礼が聖杯を手にすれば、悪がこの世に生み出される。彼を倒さなければ綺礼を救うことはできない。でも彼を殺せば綺礼は救えない。

「私は何のために…」

名前は呟いた。
綺礼を救うためにルーラーになった。誰が死ぬか最初に教えられ、ルーラーの仕事を全うするために幾人も見殺しにした。綺礼を救うためにランサーを自由にしなかった。
――何も、救えなかった。
何かを犠牲にしなければ叶わない願いなど、初めから追うべきではなかったのだ。

「最後に教えてやろう」
アーチャーが言った。
「あの聖杯は願いを叶える機能を有しているが、どんな願いをしても破壊をもたらす。持ち主以外を殲滅する呪いの壺なのだ。」

…つまり、誰も。だれもこの聖杯戦争で救われるものはいなかった。
名前はキャスターとセイバーを想った。二人とも自分の願いを叶えるために召喚され、必死に戦ってきた。そして命を散らした英霊たちも皆、救われなかった。

――何のためにルーラーは喚ばれたの?
名前は誰かに向かって問いかけた。何かを変えるために裁定者は喚ばれたはずだ。では一体、何のために。

「…巫女様。どうか、力を。」
自分のなかでずっと息をひそめている英霊に残った令呪すべてを込めた。
「どうかお救いください――!」

胸のあたりから大きな光のかたまりがあふれ出した。





気がつくと、名前は眩しい太陽の下にいた。
膝の高さに何かが揺れていて、それは黄金のこうべを垂らす稲穂だった。見渡すかぎりたわわに稲の実った田畑がひろがり、質素な服を着た人々が汗を流して働いている。
……これは英霊の心象風景だろうか。
村の中心には大きな宮殿があり、人々から見えない高い位置の窓辺に女性がいた。彼女は満足そうに人々を見下ろしていた。
名前が女性に向かって必死に叫ぶと、彼女はこちらを向いて微笑んだ。

――ごめんなさいね。ここまで貴女を待たせてしまって。

そう耳元で聞こえたかと思うと、名前は再び光に飲み込まれた。


『豊葦原の千五百秋の稲穂の国』
読み:
豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいおあき)の稲穂(みずほ)の国(くに)
意味:
葦が生い茂って、千年も万年も穀物が豊かに実る国。日本の美称。 出典『日本書紀』
効果:
人々の幸せを願った・・・の思いが現実化する結界内は、すべての邪が浄化される。




キャスターたちは信じられないものを見ていた。名前の体からまぶしい光が生まれ、その光が空に登っていく。
名前は――彼女の体を借りた英霊は、ようやくその姿を現し、ルーラーとしての責務を果たす。
英霊は何かを唱えたが、その宝具名は聞き取れなかった。だが空にのぼった光の柱から、ヴェールのようなものが広がり、オーロラが空にかかるように冬木市をすっぽり包み込む。
その光は黒点にも届いた。黒点からあふれる泥が光の粒に触れると、泥は消えていく。黒点は小さくなり、やがて金色の輪がそらに浮かんだ。

「これは……浄化の宝具か」
セイバーが呟く。周囲に散っていた塵が消え、澄んだ空気があたりを満たす。
「これで聖杯は浄化された……あとは決着をつけるだけだ。」

すると聖杯の真下から、先ほどとは違う新たな輝きがうまれた。セイバーは懐かしい輝きに目を細める。
――その名は、アヴァロン。
かの騎士王が死後にたどり着くという理想郷。セイバーはその輝きを身に受け、聖剣は朝日のように煌めいた。
そして彼女はエクスカリバーを英雄王に向かって放った。


……同じ頃。
泥の浸食をしりぞけた衛宮士郎は、言峰綺礼の胸にアゾット剣を突き立たてた。






12、終話

かすかに寒さが残る、早春の朝だった。開け放たれた窓からは鳥のさえずりが微かに聞こえ、ほころんだ花の香りを風が運ぶ。
名前は病室にいた。規則正しく上下する男の胸をそっと見守りながら目覚めるのを待っている。あの夜、虫の息だった綺礼にキャスターが治癒魔術をかけてくれた。彼の中に混じっていた聖杯の汚れも宝具によって浄化され、身的外傷はすべて直ったはずだった。
だが彼の意識はずっと遠くに行ってしまったのか、眠りについたまま一月が過ぎようとしていた。

「――名前、入るわよ」
「キャスター」
ノックして入ってきた女性に、名前は嬉しそうな笑顔を浮かべる。「結婚おめでとう。葛木さんって呼ぶべきかしら?」
「…好きにすればいいわ」
照れた表情でキャスターは名前の隣に座った。
「今日はお休み?」
「ええ。今日は面会時間いっぱいまで居ようと思って」

名前は眠ったままの綺礼をみつめた。眠っている彼に変化はなかったが、これまで見たことがないほど穏やかな寝顔をしていた。
「あれから柳洞寺はどう?」
「大丈夫よ。聖杯戦争の痕跡は綺麗に消えつつあるわ」
損傷をうけた柳洞寺は、火事があったということで疑われることなく修理が進んでいた。キャスターは宗一郎と共に修理を手伝い、それをきっかけに寺の僧侶とも仲良くなったようだ。
「あなたはどう?体調に変化はない?」
「ええ。宝具を使ったあと英霊が消えて、背中にあった令呪も全て消えたわ」

あの夜、半分夢を見ているような状態で名前は宝具を放った。
そしてアーチャーを打ち破ったセイバーを横目に、急いで綺礼の方に向かい、倒れていた彼を見つけたのだ。

「きっと私に課せられたルーラーの本当の役割は“聖杯の浄化”だったのね。だから英霊の巫女様も役目を終えて消えたんじゃないかしら」
「それでも大変だったわね……」

キャスターは苦笑しながら話に付き合ってくれた。名前は聖杯戦争の日々を思い出し、死ななくて良かったと笑いながら話せるようになっていた。
「でも、巫女様が私に予言能力を与えなかった理由はなんとなくわかるの」
名前は言った。
「聖杯戦争で起こる事を全部知っていたら、怖くて立ち向かえなかったと思う。最初と最後だけ教えて“そうならないように未来を変えなさい”って言いたかったんじゃないかな…」

きっと生前の彼女は苦労したのだ。未来をみて絶望し、期待する民のあいだでいかに国を治め理想の国を作るか。
そんな苦しみを私が知らないように中途半端な力しか与えなかった。
……そして、この男にも救いを与えたかったのではないだろうか。
彼女が最初に名前を乗っ取ってしまえば簡単に聖杯を浄化できた。でも、綺礼を救うことはできなかった。
言峰綺礼に改心する機会を与えるため、彼を想う名前にルーラーを託したのではないだろうか。

( ただ自分が出たくなかっただけかもしれないけれど )

この数週間のことをふりかえりながら、名前はそっと綺礼の額に触れた。まだ冷たく、目覚める気配はない。

「綺礼、私があなたを導いていくから」
現実は理想で描いたように美しくない。それでも私は理想をかかげて望む未来をつくっていく。
「もう目を覚ましても大丈夫……」

あなたが目覚めたとき、目に映る世界は前よりきっと綺麗だから。
彼女は微笑みながら綺礼の額をなでた。



<おわり>

ご拝読いただき、有り難うございました。
もしよければ『あとがき』も読んでいただけると幸いです。







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