お弁当シリーズ

第3話

夕食後、明日のお弁当を作りながら気がそぞろになっていた。
黒川先輩のこと。仕事のアドバイスを貰ったり、食事を奢ってくれたり可愛がられている。でも会話を思い出すと……心の中にぞわぞわするものが混じる。
でも仕事がすごくできるし、職場の人にも信頼されている。私が勘違いしているだけかもしれない。

「っ…!」

プチトマトを切ろうとして、うっかり手がすべる。痛っ。そう思うと、指から血が出ていた。料理で怪我なんて久しぶりだ。
急いで手を洗い、絆創膏を貼る。台所に戻ってきて切り終えていたプチトマトを入れてお弁当の蓋を閉じた。


「…なんだか元気がないですね。」
1週間ぶりに会ったギルくんに心配されてしまった。なんでもないよ、と言ってお弁当を食べる。今日は定番のおかずに加え、ポテトサラダを作った。ギルくんが口に入れた。
「ん。これはけっこう好きです」
「そう?普通のポテトサラダなんだけど、しっとりさせるコツはマヨネーズを入れるときに、少し牛乳を入れることだよ。」
「いろいろ混ざってるんですね。」
他愛のない話をしながら、ギルくんとのホッとする一時が流れた。



『今日行って良い?』
黒川先輩からメールが来た。
断る理由が見つからなくて「大丈夫です」と返してしまったが、家に入れるのはなんだか怖くて車に本を持っていく。部屋が散らかっているから、という言い訳で。
「なんだ。そういうの全然気にしないのに。」
先輩はそう言って、コンビニで買ったカフェオレを私に渡す。車を走らせて海の見える公園に行く。

公園の駐車場ではなく、「海が良く見えるところがあるから」という先輩の言葉で埠頭のところまで走った。辺りは静かで、人が全くいない。
「なあ名字」
車を止めると先輩は私の方を見た。「この前の話、考えてくれた?」
「…この前の話?」私がピンときていないと分かり、彼は私の手を握る。
「付き合うとか考えてみたらって話だよ。男友達でも良いから。」
すると先輩はぐっと身を乗り出して、差し込んでいた月の光を遮った。体が近づく。
びっくりして私はおもわず避けようとした。すると膝にのせて口を閉めていなかったハンドバックが落ち、車の中に散らばってしまう。私はとっさにギルくんがくれたキーホルダーを握りしめた。
「待って、先輩……私――!」

ドン、ドン!

車体が叩かれている。「何だ?」と先輩はわずか数センチに迫っていた私から離れ、叩いている人物を見る。相手の顔は車の中から見えないが、男性のようだ。
車を叩かれたことに良い気がしなかったのか、先輩は車から降りてその人物に食ってかかった。
「なんだお前、人の車に対して――…!」

一瞬、何が起きたのか分からなかった。バシャンと水音がして先輩が消えた。呆然としていると、車のドアが空いて、全く知らない男の人が乗り込んでくる。
「……!?」
その男性はまったく自然に、シートベルトを締め、刺さっていた車のキーを触ってエンジンをかけた。そのまま車は走り始める。
私は恐ろしくて息を吸えないまま、その人物を無言で観察した。
月の光に照らされた男性は金髪だ。目は血のように赤い。おそろしく横顔が整っている。
(だ、だれ…? それより、先輩!)
「…あ、あの…」ようやく出た声で言った。「さっきいた男の人は、」
だいじょうぶですか。
そう言いかけた私は、その男性にじろりと睨まれた。
「――貴様、相当なたわけだな。あんな目に合いかけたくせに、男の心配をするとは。」
「え……?」
状況が飲み込めず、ぽかんと男性を見上げる。私の態度がますます気に食わなかったのか、男は片手で私の首元をぐっと掴んで締めあげる。目がチカチカする。
「黙っていろ」
そんな言葉が聞こえた気がする。でも首に男性の手が触れた瞬間、意識が引きこもまれるように暗転したのだ。


私の部屋だ。先輩と私はシーツの下にいる。
私が質問をする。
『付き合うのはちょっと待ってくれない?』と先輩。
『俺、今度付き合う子とは結婚するって決めてからにしようと思ってるんだ。中途半端に付き合いたくないからさ。』

今度は彼が私を説得している。それでも私が拒むと、こんなことを言った。
『名字は、もう俺の助けは要らないってこと?』
恐ろしいセリフだった。彼に嫌われたらどうなるんだろう。
もし私が周りに相談しても、先輩の方が勤めている期間が長いし信頼されているから信じてもらえない。
それに、私は先輩にたくさん助けてもらったのだ。相談も聞いてもらって、彼の誘いに乗ったのは自分なのだ……。



「……気がついたか。」
車は停まっていた。よく来る公園の駐車場だった。
男性はまだぼんやりしている私を冷たく見下ろすと、よく分からないことを言った。
「なぜか我の千里眼と繋がってしまったようだな。なに、正夢に近い、悪夢だったと思えばいいだろう。」
そして「出ろ」と言われて乱暴に車から降ろされる。訳のわからないまま立ち尽くしていると、車は走り去り、私はポツンと公園に残された。
白昼夢を見ていたようだった。何が起こったのかよく分からなかったけど、とぼとぼと歩いていつもの帰宅路を戻った。



あれから数日、黒川先輩に誘われても断るようになっていた。あの夜に見た夢が“夢”と思えず、先輩が近くにいるだけでゾッとするようになっていた。
何度も食事を断る私に、先輩が夢の中と同じセリフを言う。
「…それって、名字はもう俺の助けがいらないってこと?」
怖いセリフだった。でも私は何度も何度も思い出したせいで、口からこんな言葉が出た。
「先輩は、私の指導係なのに教えてくださらないんですか?」
「っ…いやいや、冗談だよ。」

たった一言。それでも、私は先輩が少し引いたのを感じた。



「……変な夢を見たんですね。」
その翌週。不思議な男性の話をギルくんにした。でも彼は興味が無いようで、ポテトサラダを口に運びもぐもぐと咀嚼した。
「うん、そう。変な夢だよね」私はぼんやりと言う。
「でも、名前さんも夢を見てばかりじゃダメですよ。物騒なんですから。」
彼はすこしだけ間を置いて言った。

「世の中には、いろいろなものが混じっているんですから。」



<つづく>

会社の仕組みを利用したハラスメントは、本人がそのつもりじゃなくても強制力を発揮していることがあります。
ギルはたぶん運転できると思う。


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