お弁当シリーズ

第2話

電話のコールが響く中で、上司の怒号も響く。
「まったく、名字くん!君のせいでまた・・・!」
こんな簡単なことを。何回目かね。
小さく身を縮め、頭を下げてやり過ごす。職場の人たちの視線が痛かった。



「はあ……」
会社から出て、ため息をもらす。
自分のミスで職場にまた迷惑をかけてしまった。怒られてばかりだ。足取りは重かったが、公園にやってくると少しだけ心がスッキリしてくる。ベンチに座って待っていると、約束どおりあの男の子がやってきた。
「こんにちは!来てくれたんですね」
「うん、こちらこそ。」
男の子は私の隣に座った。足を揃え、ウェットシートで手を拭く仕草にすら気品を漂わせている。持ってきたお弁当をパカっと開くと、彼は興味津々に中を見た。
「えっと、好きなものとか食べられないものが分からなかったから……」
お弁当の大定番を少しずつ。
おにぎり、唐揚げ、ミニハンバーグ、スパゲティ、ブロッコリー、プチトマト、そして卵焼き。
いろどりよく並んだ小さなお弁当箱をちょこんと膝の上にのせて、フォークを持つ。
「苦手なものがあったら残して良いからね。」
「はい、いただきます!」
一緒に手を合わせて、もぐもぐと食べた。桜は完全に散り、新緑が目に優しい。風がすうっと流れてあざやかな初夏を思わせる。
 男の子をちらっと見ると、真っ先に卵焼きを食べていた。ああ、彼みたいだ。目元がゆるくなる。そのままハンバーグや野菜を交互に食べて、行儀よく綺麗に食べていく。
 男の子と目があった。
「大丈夫だった?」
「はい、とっても美味しいですよ」
にこりと笑ってくれるので、私までお弁当が美味しくなる。自分たちの話をした。
「なるほど、名前さんはOLさんなんですね。」
「うん。まだ4月に入社したばかりだけど。」
「いいえ、働きながらお弁当も作るなんてすごいですね。」
 男の子は聞き上手かつ褒め上手だった。
「ありがとう。ギルくんは…えーっと、小学校は通ってないのかな?」
「はい、家の都合で通っていないんです。」
 国籍の問題とかで、手続きが大変なのかもしれない。お家で勉強をしているのかな。
「好きな教科は?スポーツとか」
「好きなキョウカ?ええっと」
「そうは言わないのかな。算数とか国語とか。」
「勉強は得意ですよ。スポーツもたいてい得意です。」
非の打ちどころがない。きっと大人になったらイケメンになりそうだなと微笑ましく思った。
彼はすでにお弁当の半分を食べていた。

「名前さんは、」彼は私の顔を見ながら聞く。
「もう大丈夫ですか?…この前は泣いていましたけど。」

幼い身体から発せられた、私への思いやりに胸が暖かくなる。もしかしたら彼は私が泣いていたことを気にして今日も会ってくれたのかもしれない。都合良く解釈しすぎかもしれないけど。
「うん、平気…」
明るく言おうとしたのに、言葉尻は小さくなってしまった。大人なのにみっともない。
さああ、と流れた風が目元を冷やした。

お弁当を完食した頃、ブー、ブーと私の携帯が振動した。職場の先輩だ。休み時間はまだあるはずなのに。
ギルくんの前だったが、緊急のこともあると思って確認する。
開くと、文面には
『だいじょうぶ?あの人 怒りかたしつこいから気にするなよ^^』
と書いて、困った顔の猫の画像が送られていた。

ふふ、と微笑んだ私にギルくんが反応する。
「どうかしたんですか?」
「ううん、職場の先輩から。何でもないよ」

休憩時間もあと少しになっていたので「そろそろ…」と言うと、「待って下さいね」とギルくんがポケットからお財布を取り出した。そこから夏目…ではなく諭吉が出てこようとする。
「ま、待って!そういうの良いから」
「でもお礼をしないと。」
そういう躾の家なのかもしれない。しかし彼のお財布に入っているのは諭吉ばかりだ。なんて恐ろしい。受け取らせようとする彼に「これは、貰いすぎだよ」と私は言う。
すると彼はこう言った。
「じゃあ来週もダメですか?」
「え……?」
お弁当は完食されている。思った以上に気に入ったらしい。「うん、それはいいけど」
「取引成立ですね。」
諭吉を握らされて困ったが、また会えることは嬉しかった。



職場で私の教育係に任命されたのが黒川先輩だ。
優しい上にイケメン。おじさん達のスーツがよれよれで体に合っていない中、自分の体にみごとフィットした最新デザインのスーツを着こなしている。香水。ブランドの時計。
教えてくれるときの距離がちょっと近い。横に触れそうな距離にいて、体がぶつかると、
「ごめん、こういうのってセクハラになるんだっけ」と謝ってくる。でも教え方は丁寧だし、私が失敗しそうなことを先回りしてチェックしてくれるので、格段に上司から怒られなくなった。しだいに私は尊敬を先輩に寄せるようになっていた。

『名字、お疲れ!よく頑張ったな。初プレゼン成功のお祝いに食事行こうよ。』
緊張でガチガチのプレゼンを終えたあと、先輩からメールが入っていた。嬉しくて「はい、いつでも」と返信する。
『じゃあ今晩な』

そこは小洒落たカフェだった。パンナコッタとか何フラッペとか、オシャレな名前で緊張してしまう。二人がけのテーブルで、店内は騒がしかったから自然と話す距離が近くなった。
「名字はよく頑張ったな。」先輩はとにかく褒めてくれた。
「いえ、ほとんど先輩が指示してくれて上手くいっただけですから…」
私はどきどきしてその場の空気に酔う。
「なあ、名字って恋人いないの?」
「あ……今はいません。」
急に切り出されて固まった。
「そうなの?もったいない。可愛いから、ぜったい選ぶ側の人間だよ。」
選ぶ側、というのは先輩いわく恋愛で有利という意味らしい。
「…その、半年前は恋人がいたんですけど……」
私は仕事でも恋愛でも、これだけ自分を持ち上げてくれる先輩が特別に思えた。だから、信用して自分の過去の恋愛を話すことにした。

「……そうだったんだ。」
先輩は静かに聞いてくれた。ぐっと心理的距離が近くなる。
「はい……だからあんまり人と付き合う気になれなくて…」
「そっか。でも、もったいないな。」
彼はじっと私の顔を見た。「こんなに可愛いのに。」

足元がふわふわして、先輩の車で何の話をして家に送ってもらったか覚えていない。車から降りようとした時、先輩は私を呼び止めた。
「…あのさ、名字。」
「はい?」
「あの……ゆっくりで良いから、付き合うとか考えてみろよ。男友達でも良いからさ。」
言葉を失う。すると先輩は言った。
「さっきの話のあとでどうかと思うけど、ずっと気になってたんだ。」




「名前さん、ありがとうございます!」
ギルくんは今週も来てくれた。いつものように礼儀正しく食べる準備をする。
「今日のお弁当はね…」
じゃーん、と蓋を開ける。いつものおかずに加えて、尻尾付きのエビフライ。ちょっと頑張って作ったお弁当だった(諭吉を貰ったし)。
「すごいですね。何か良いことがあったんですか?」
「え…ええっと…」
顔に出てしまっていたのか、まごまごとする。ギルくんに問い詰められて、職場の先輩と良い感じになっているのを少し話した。
「ふうん」とギルくんはお弁当を食べながら聞いている。「その人、彼女いないんですか?」
「うん、いないって」
私は返答した。するとギルくんは少し考え事をしているようだった。

「名前さん」
お弁当を食べ終わると、彼は知らないうちにキーホルダーのようなものを手に持っていた。私の手のひらに置く。
「これはお礼じゃないですよ。最近物騒なので防犯ブザーをあげます。」
「あ、ありがとう。」
自分よりずっと年下の男の子から防犯ブザーを貰うというレアな体験。戸惑いながらも受け取る。
「何かあったら押してください。警報音みたいなものが鳴ります。」
「うん、ありがとう」
そんなやりとりのあと、彼はいつものようにお礼を言って帰った。



数日後、黒川先輩がまた食事に誘ってくれた。彼の車に乗ってパスタを食べにいく。
「名字はさ……これまでどんなデートをしてきたの?」
「話すほどじゃ無いですけど…」
そんなことを言いながらも、先輩が個人的に私に興味を持ってくれているのが嬉しくて何でも話してしまう。食事のあと車の中で、先輩はびっくりするような提案を言ってきた。
「名字が読んだって本、俺も興味があるな。今度、家に行っても良い?」
「え……」
さすがに驚いて固まってしまった。戸惑っている私に、先輩はあと一押しする。
「嫌なら良いよ。でも頻繁に食事に行くと、同僚に見られたときウワサになっちゃうかなって。」
先輩は出世株として期待されている。職場の女性からも人気があり、ウワサになったら彼に迷惑をかけるだろう。
「そういうことなら……。」
「ありがとう。じゃあ、俺もオススメのビデオ持っていくよ。」

家の前につき、じゃあまた職場で、と言って車から降りる。
先輩の車が去っていく。
なんだかゾワっとした。もう寒くない時期なのにとつぜん背中に冷たい風が吹いた気がした。



<つづく>

ZEROだと千円札=夏目漱石、DVD=ビデオの時代でした。携帯はあったことにさせてほしい。


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