お弁当シリーズ

第11話

少年は幼い頃から優秀だった。スポーツ、勉強、人付き合い。なんでも人から褒められるぐらい上手にできた。それでも達成感や友情みたいな喜びを感じたことがなかった。そんな自分に違和感を感じ始めたのは、ごく自然なことだった。
 友達とスポーツをして、相手がすごく盛り上がっているのを見たとき。
 デートをした相手と一緒に映画の感想を話したとき。
冷めた自分の心に気づいた。“人と違う感覚”を持っている。相手のことを嫌いじゃない、善悪の判断もつく、周りに迷惑をかけないよう振る舞うこともできる。
 しかし「周りがそう思うだろう」と考えて行動しているに過ぎない。自分の心で判断して行動していないのだ。冷めた自分の心に疑問を抱き、自己嫌悪するようになった。
どうしたら僕は、人並みに心を満たすことができるんだろう?
一般的な快楽や衝動を満たすものは全て試してみた。酒。女。金。名誉。どれもピンとこず、許されない行為へ手を伸ばすのは時間の問題だった。

それは小さな動物から始まった。野良猫や野良犬をいたぶったあと、石灰をかけて証拠を隠滅する。こうすれば遺体は残らない。小さな命を自分が奪うという全能感にすこしだけときめくのを感じた。
だが、それが決定的になったのはある事がきっかけだった。
大学で働き、教授というだけで人から信頼を寄せられるようになった。自分が声をかければ学生は喜んで密室にやってくる。“もし自分が殺人犯だったら、彼女や彼らはどんなパニックに陥るだろう?”
それはただの空想だった。抗えないスリリングな感情を伴っていた。こんな強い感情を抱いたのは初めてだった。そうとなれば、実際に“殺人犯になってみたい”と思うようになっていた。
実行は意外にも簡単だった。教授の名を使って女子学生を呼び出し、隙をついて手を下す。女学生が浮かべた恐怖の感情は、自分に想像のできない未知の世界だった。もっともっと見たい。知りたい。初めて感じた好奇心だった。
そして多くのことを学んだ。ひとつ、死ぬ間際の人間は必死に抵抗すること。スリリングな思いはしたいが危険な行為はしたくない。女性や子供を狙おう。
ふたつ、遺体の処分方法。初期の犯罪は処分が甘く、数年後に遺体が発見されて報道されてしまった。今回、冬木に越してきたのはその報道を避けてだった。重ねるにつれ、処分技術が向上していった。
最後に、自分自身のこと。強い感情は麻薬のようだった。からっぽのコップのような自分の心に中身が入っていく。ああ、生きている。もっと飲みたいと、さらなる刺激を渇望する。
スリリングな度合いを上げるために、自分は結婚した。いつ配偶者に気付かれるかもしれない背徳感。愛する夫が殺人犯だったと知ったら、どんな苦悩を妻は浮かべるだろう? 最後の相手は妻にしよう。最高の苦悶が自分を満たしてくれるに違いないから。
 自分は感情がない、欠陥のある人間ではない。行為を通して満たされた一個の人間になるのだ。


遺体遺棄事件の報道によって、そろそろ拠点を変えようと思ったとき、冬木を選んだ理由はなかった。でもなんとなく強く惹かれるものがあった。不思議と長年の望みが完成される予感がした。
すぐさま家を買い、妻と娘を連れて引越す。そして親切で子供好きの皮をかぶりながら、公園でターゲットを探した。子供を連れていれば話しかけても警戒されない。
あるとき、リフォーム業者で家に来ていた女性と公園で遭遇した。その女性が連れていた女の子に視線が奪われる。
その子は見た目が理想的なだけでなく、初めて感じる悪魔的な魅力があった。この子が空のコップを満たしてくれるに違いない。そう確信した。
( …ミ…セ…ミタセ… )
欲求が高まっていた。とにかく行為がしたい。冷静に機会を伺ってきた自分にはあるまじき衝動。
( …満タセ…満たせ… )
奇妙な声が頭に響くようになっていた。その声は、自分の満たしたい心のコップと重なって、自分をさらに駆り立てる。
あの女の子を何度も誘い、リフォーム業者の女性も利用して巣に呼び込もうとしたのだが、うまくいかなかった。飢えた心に歯止めが効かず怪しまれてしまった。まあいい、あの子は別の機会にしよう。手頃に自分の心を満たしてくれるターゲットを探そう。
お人好しで素直。彼女が最期に浮かべる絶望はどれだけ澄んでいるだろう。



ウェイバーは名前が一人で家に入っていくのを監視していた。今日は奥さんと子供がいない。もし男が本当に殺人犯だったら危険じゃないか。そう思ったが、聖杯がまだ起動した感じはないし、“男が聖杯を引き寄せたのか確認したい”と言ったのは自分なのだ。
 嫌な予感がして彼は切嗣にその旨を話した。切嗣はたばこを吸いながら、冷静な声で返答した。
「早めに手を打つことの大事さを学んだようだな。」
「そういうのいいから。今なかで何が起きてるか確認する方法はないのか?」
「無理だ。家の中は使い魔にも僕にも認識できないようになっている。君がドアから入って確かめた方がマシだ。」
 その回答にウェイバーは顔をしかめた。やっぱりコイツ、好きになれない。本当にあのセイバーのマスターだったのだろうか。
それでも心当たりがあったらしく、切嗣は「頼りにしないほうがいいが」と言う。
「一人だけ中の様子を感知できそうな化け物はいる。」
ウェイバーはピンときた。「…アーチャーか」


アーチャー……英雄王の居場所を探すのは容易だった。言峰神父に首と体をつなげていたければ、絶対に地下に行くなと言われていたからだ。
教会の地下につながる階段を降り、突き当たりの部屋をノックする。反応はなかった。しかし威圧的な魔力は、彼がそこにいることを証明している。
ウェイバーはもう一度ノックするか迷った。
…あんなにはっきりと彼女と関わらないと言っていたじゃないか。下手すれば首が飛ぶ。
…いいや、でも僕が「確認するまで待つ」と判断しなければ、彼女を危険にさらさずに済んだかもしれないんだ。
どうする、ウェイバー・ベルベット。

『貴様それでも余のマスターか?』
ライダーの声が聞こえた気がした。ああ、僕の王。こんなとき彼なら自分の道のために躊躇しないだろう。心の中で彼と自分を重ね、ドアをノックしていた。

2回、3回。続いたノックの音に、呆れたように声が返ってくる。
「……しつこいぞ。」
息を呑みながら、ウェイバーは覚悟を決めて質問をした。
「…ウェイバー・ベルベットです、英雄王。お力を貸していただけないでしょうか」
返事はない。
「では、お聞きします。」われながら大胆な行動だった。「失礼を承知で、名字名前について現状の様子を確認していただけないでしょうか」
次の瞬間、ドン!と大きな音がしてドアが揺れた。どうやら何かを投げつけたらしい。貫通していたら串刺しだったかもしれない。震え上がった。
「っ……!」
本当に、本当に、ひどい。それでも、責任感からもう一度だけ聞く勇気をふりしぼった。
あのときも死を覚悟して英雄王に意見したのだ。ああ、そう考えると自分ってすごい命知らずに変わってしまった。
ぎゅっと目を閉じて言う。
「彼女は今、例の男と2人きりで家の中にいるんです…!
 ご存知の通り、彼女はただの一般人です。非力さに免じて、共に食事をした臣下を見ていただけないでしょうか…!」
 無言。
ウェイバーはアーチャーが現れて、自分の頭を切り落とすところを想像した。
しかし、返ってきた言葉は意外なものだった。

「つくづく愚かだな。…疾く行け。」もう一言。
「危険な状態にあると言えば、貴様にも分かるか?」

ウェイバーはドアにぶつけそうなほど頭を下げた。「感謝します!英雄王!!」
そして言われた通り、急いでその場を後にした。



「『危険な状態にある』と、彼が答えたのか?」
ウェイバーが地下から戻ってくるなり言ったので切嗣は驚いた。まさか、アーチャーが答えてくれるとは思わなかった。聖杯戦争のときと性格が変わったのか?だが、今はそんなことを考えている場合ではない。
綺礼に事情を伝え、3人は車に乗って現場へ向かう。もういちど計画を確認した。
“切嗣とウェイバーは家に乗り込み、切嗣が男を制圧している間にウェイバーが名字名前を脱出させる”
“その間に綺礼が外周を陣で囲み、無防備になった男と家から聖杯を回収する”


雨が降っているせいで住宅街は昼間なのに暗かった。建物や色は似ていても、あの家だけ異様な存在感を放っていた。しかしまだ聖杯は起動していない。車から降りた切嗣は声ではなく手の動きでウェイバーに指示した。ウェイバーが頷き、ついてくる。
 住居に侵入する際、最も適しているのは玄関だ。ガラスを割ったり小窓から入るのは時間がかかるし物音もたてやすい。在宅中は鍵をかけない家も多く、自然に中へ侵入する事ができる。
 玄関は空いていた。2人は足音を立てないようゆっくりと中に入り、ひとつひとつ部屋を確認する。1階には誰もいなかった。残るは2階だ。
階段を上がるのに物音を立てないのは難しそうだと、切嗣は頭の中でシュミレーションを立てながら階段に足をかけた。




教授と呼ばれた男は女性の意識がしずんだのを確認すると、持って降りてきたスケッチブックを開いた。
これは彼の“戦利品”だ。手をかけた被害者の姿が描かれていて、髪が貼られている。まるで彼らの死を忘れない、無駄にしていないと言うように。
 新たなページに“名字名前”を描き始めた。安らかな寝顔…この表情がどう変わるか楽しみだ。ざっくりと描き終えると、キッチンバサミで彼女の頬にかかっていた髪を切り取る。セロファンテープで貼り付けた。うん、良い感じだ。
スケッチブックは殺人のパッチワークのようだった。男は行為ができないときはこの本を何時間も見て思い出に浸った。髪に触れながら表情を思い出し、心を満たすのだ。

脱力している人間は女性であれ子どもであれ、上手く運ぶことは難しい。しかし男は彼女の股に右肩を入れ、肩に背負う形で軽々と持ち上げた。こうすれば重心が首にくるので安定して運べる。
2階には彼が「気分転換に浴びるから」といってこの物件を選んだ理由のシャワールームがある。ここには妻も娘もめったに上がってこない。まさに証拠を消すのにうってつけの物件だった。
 浴槽に彼女を横たわらせると、目が覚めても抵抗できないように手足を縛って口を塞ぐ。目を覚ますまであと1時間ほどある。目が覚めたら……。
 そのとき、ぴしり、と階段で音がしたのに男は気づいた。


2階を指差し『上だ』と切嗣は合図した。ゆっくりと慎重に階段を登るが、どうしても軋む音がする。男性が気づいて戦闘になっても仕方ない。切嗣はポケットにすぐ抜けるよう銃を忍ばせていた。
あと5段、4段、3段。2階の廊下から気配がした。さっと銃を構える。男の姿が見えた瞬間――……切嗣は銃の反動ではない何かに吹き飛ばされた。



ドクン、と血管が収縮するのを感じた。侵入者だ。自分を追いつめる警察官、被害者の家族、妄想が広がる。ついにこの時が来たか。
最高にスリリングなひと時を噛み締めていると、また何かが囁いた。
( コレデ終ワリニシテイイノカ?モット満タシテヤルゾ )
もっと――!その言葉に心臓が跳ね上がる。自分は満たされたい、完成されたい、満たされたい!まだまだ上があると言うのか? 
すがるような思いで声に聞き入り、声の主と一体化したいと願った。すると身体中がドロドロと湧き立つのを感じた。
いや、本当に沸き立っている。恐ろしさよりも無限の力が、体を、心を、満たす。
( 放テ )
放ったのは、何であったのか。現れた黒づくめの男が吹き飛ばされるのを、教授と呼ばれていた男は見ていた。黒づくめの男はそのまま窓から飛び出し、この家から排除される。
そしてもう一人、細身の青年がいた。
唖然としてこちらを見ている。青年からは凛という子と同じ悪魔的な魅力を感じた。ニヤリ。口だったところが醜く笑った。

( コップを、完成させるのにぴったり )
意識を失っている女性が中身を満たしてくれる。青年が欠けているコップを完成させてくれるのがわかる。
( 自分が満たされないのは、コップが欠けていたからか )

ようやく納得がいくと、新たな自分を祝いたい気持ちになった。そうだ、この女性を呼んだのは娘の誕生日という名目だったのだ。それが自分の誕生に置きかわるだけ。
「こちらに来い。女性を助けにきたんだろう?」
男は奥のシャワールームを指さした。だが悲鳴をあげて逃げ出そうとした青年を、手を伸ばして…こんなに長かったか?……簡単に捕まえた。
 残っていた紐で青年を縛ると、女性が眠っている浴槽に同じく入れる。

「お誕生日会だ。しっかりとおもてなしをしないとな。」

誕生会をもっと盛り上げる方法を思いついて……
男だったモノは、シャワールームの扉を閉めた。


<つづく>

プチトマト…破裂しやすい脆さ。


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