聖杯対策本部は冬木教会に置かれた。
手を結ぶのはアーチャー、セイバー、ライダーの元マスターたち。このメンバーが一堂に集まるのは複雑な心境だったが、一時的な共闘は意外にも上手く回った。
衛宮切嗣と言峰綺礼は現場の調査状況を共有する。
「家主の男を調べさせた。2ヶ月前に冬木へ越してきてあの家を購入。職業は大学教授で妻と子供の3人暮らし。家のリフォームのために名字名前は出入りしていたようだな。」
綺礼は情報を手に入れる手段をいくつも持っているらしい。切嗣が現場慣れした直感で引っかかったことを質問する。
「いくつか不審な点がある。
僕は同じように名字名前と関わったが、依頼から1ヶ月で作業は完成した。この物件に名字は2ヶ月も出入りしているんだろう?さすがに遅すぎないか?リフォーム自体も始まっていないようだし…」
「たしかに…」
綺礼が資料を見ながら確認する。
「そもそも何故この男が冬木に越してきたのか。勤務地は変わっていない。わざわざ遠くなる場所に引っ越して、どのような目的だとお前は考える?」
「魔術師が拠点を変えるとしたら、敵に感知されたか襲撃に都合の良い場所に帰るかのどちらかだ。」
「なるほど。ちなみに2ヶ月前、この男の住んでいた△△市では遺棄された児童の遺体が見つかって大きくニュースで報道された。」
「そうか…。仮にもしこの男が犯人だったとすれば、辻褄が合う。聖杯は完成に近づくため魂を欲している。もし連続殺人犯がいたら、都合の良い共生関係になる。」
「その可能性はあるかもしれないな。」
私は公園に来るとすこしだけ辺りを見渡した。ギルくんぐらいの男の子が通りかかると、少し気にしてしまう。
「名前、何かあった?」
私の様子が気になったのか凛ちゃんが聞いてきた。
「何でもないよ」と私。
「ますます怪しい。名前が“何でもない”って言うなんて。ミスしたり、怒られたり、いつも何かあるじゃない。」
「うっ…」
小学生にやりこめられる大人の私。凛ちゃんは私が持ってきたフルーツゼリーを食べながら更に追求した。
「仕事じゃないならプライベートでしょ。」
「難しい言葉知ってるんだね。…そうだけど。」
やっぱり。と凛ちゃんは言った。容赦なく聞いてくるので、私はあっさりギルくんの話をした。
「プールに行ったときの男の子!あの子ってどこの子なの?」
「私もよく知らなくて…」
さすがに後をつけて冬木教会に行ったことを話すのは恥ずかしかった。彼がいつもの日に来なかったこと、前に「急に居なくなるかもしれない」と言っていたことを話した。
「謎の美少年か……なんだか神秘的な話ね。プールで出会った時、ちょっと不思議な感じがしたのよ。名前はそう思ってなかった?」
凛ちゃんに言われ、これまでのことを考えた。「うん……私も、そう思ってた。」
桜の下で出会った男の子。4ヶ月も関わったのに住所も両親の仕事も知らない。まるで彼の存在が幻だった気がした。
「名前はあの子の正体はなんだと思う?」
「正体……」
そのとき聞き慣れた声がした。おねえちゃーん、と凛ちゃんに向かって呼ぶ女の子。
「こんにちは。また会えて良かった」
教授だった。夏の日差しに汗をかきながら女の子と一緒に歩いてくる。
「この子が『また凛ちゃんと遊びたい』って言うんですよ。よかったらお願いできないかな。」
ええ、もちろん。そう返した凛ちゃんに教授は言った。「もし時間があれば、家に遊びに来ないかい?おもちゃも本もたくさんあるよ」
すると凛ちゃんは……少しだけ考えて返事する。彼女らしい知的なひらめきが瞳に宿っていた。
「ごめんなさい、午後お友達と約束があるんです。それに人様のおうちに勝手に上がってはいけないって言われているので。」
「そうか、いつ来ても良いからね。名字さんも一緒ならどうだい?」
教授は私に話を振る。
私はちっとも疑問に感じなかった。「はい、また一緒に遊びに伺いますね。」
「きっとだよ」
女の子ではなく教授が来て欲しがっている、そんなことをうっすらと感じた。
ウェイバーは数日前と同じく名字名前を見張っていた。
事態は思わぬ方向に進んだが、彼女とアーチャーが関わらなくなったので良いことだと思った。代わりに彼女を聖杯から遠ざける役を手伝うことになったが。
計画では切嗣が聖杯を引き寄せた人物を処分し、家の周りに陣を張って綺礼が聖杯を回収する。ウェイバーは名前と家族2人を遠ざけることになっていた。
まだ聖杯による異変が起きていない状態で実行するのは簡単だ。しかし、もしあの男性が無関係だったときのために――できるだけ犠牲を出したくないとウェイバーが主張したのだ――確実に憑依されているか確認して実行することになっていた。
あとはそこだけだった。
その日、名前はいつものようにリフォームのことで家にやってきた。どんなリフォームにするか奥さんと盛り上がる。すると珍しく教授も会話に参加してきた。
「友達が遊びにきやすいように、本やおもちゃの棚を作ってたくさん入れられるようにしよう」
「あなたったら可愛がりすぎだわ。そこまでじゃなくても十分よ」
「たくさん友達に来て欲しいじゃないか。なあ、名字さんもそう思うだろう?」
とつぜん振られた話題だが「そうですね」と答えた。教授が娘のために友達を招きたがっているのを知っていたから。
「名字さん、ちょっと相談があるんだけど良いかい?」
失礼します、と奥さんに断ってから、教授に手招きされて階段を上がり、奥さんや娘に話が聞こえないのを確認して彼は話し始めた。
「今週末、娘が8歳の誕生日なんだ。誕生日会をひらくんだけどサプライズで友達を呼びたくてね。仕事と関係ないことで申し訳ないんだけど協力してもらえないかな?」
「はい、喜んで」
娘さんの笑顔を想像して名前は微笑んだ。「凛ちゃん誘ってみます」
そこで電話をかけてみたのだが、凛は行くのを断った。
「なんとなく苦手なのよね」彼女は言う。
「あの子と遊ぶのは良いんだけど、家まで行くのはやめておくわ」
「わかった。じゃあ私から伝えておくね」
また土曜日に、と私が電話を切ろうとすると、凛ちゃんは電話越しにこう言った。
「うん。名前も気をつけてね。」
娘さんの誕生日会。凛ちゃんが来られないと伝えると、残念そうな教授は「よかったら名字さんだけでも」と言った。
「でもお仕事かな?」
「いいえ、その日はお休みです。娘さんに喜んでもらえるかは分からないですけど行きますね」
前日の仕事帰りに、女の子向けのファンシー雑貨を買った。可愛くラッピングしてもらったそれを忘れていないかバックを確認したところ、ギルくんに貰ったままの防犯ブザーが出てきた。
『最近物騒なので』
そう言って差し出してくれた彼の姿を思い出す。
ギルくんは年下なのに私のことを心配してくれた。実際になぜか助けにくれたこともある。あれは、本当に偶然だったのだろうか?
そして、ギルくんと同じ金髪で赤目の男性。
考えれば考えるほど、彼の存在が何だったのか分からなくなる。でも確実に言えるのは、彼が存在していたということ。その証拠をぎゅっと握りしめ、鞄の中に入れた。
家につくと、教授が「どうぞ」といって迎えてくれた。
がらんとした家。いつもは賑やかな声がしているから、違う場所みたいに感じる。
「娘さんと奥さんは留守なんですか?」
「ああ。二人は出かけている間に、サプライズパーティーの準備をしたくてね。」
教授は機嫌が良さそうに笑って、私をリビングに誘導した。二階から飾りを持ってくるからお茶でも飲んで待っていてくれるかい?と椅子に私を座らせ、お茶を差し出す。
ありがたく受け取り、一口含む。
「食品の色を変える研究をしているんだ。緑茶みたいな色だけど紅茶だよ」
「はい。緑色だからびっくりしちゃいました」
教授を待っている間、私はやることがなくてお茶を口に運ぶことしかなかった。するとお茶で体温が下がったのか、だんだん眠気がでてきた。
お客様の家でだらしないと思いながらも、抵抗ができないぐらい重い眠気に襲われ、椅子の背もたれに体を預ける。昨日ちゃんと寝たはずなのに…。
私が寝ているかを確認するように、いつの間にか二階から降りてきていた教授が肩をポン、と叩いた。
「教授…すいません……」
「大丈夫、椅子にもたれてゆっくり眠るんだ。みんなそうしてきたんだから。」
意識が薄れる一瞬、男の人の笑い声が聞こえた。
「あーあ、楽しみにしてたのに。君が凛ちゃんを呼ぶのに失敗するから」
「でも君でも良いか。一緒に遊ぼう」
絶望はゆっくり足音を立ててやってくるのに、どうしてその時まで気づかないのだろう。
<つづく>
犯罪を防ぐために、睡眠薬の一部は水に溶かすと青色になるそうです。
フルーツゼリー…閉じ込められた。