ウェイバー・ベルベットはまだ学生だが、この冬木で行われた第4次聖杯戦争を生き抜いた立派な魔術師である。
聖杯戦争が終わってもウェイバーは日本にいた。それは共に戦った英霊イスカンダルのように多くの冒険をしたいという想いから、軍資金を貯めるためアルバイトに勤しんでいたのだった。その一つが新都で人気のカフェ店員だった。
良くも悪くも一般人に馴染んだ平和な生活。しかし、天地をひっくり返すような出来事が先日おこった。
聖杯戦争のあと消えたはずの英霊に出会ったのである。しかも自分のアルバイト先で。
( 間違いない…あの化け物みたいな魔力量…!)
その英霊がなぜ子供の姿をしているのか、街をふらついているのか、疑問は尽きない。さらに一般人の女性も同席していた。
女性は目の前の怪物に気づかず、のん気に笑っている。もし僅かでも魔術を心得た人間なら圧倒されてマトモに話すことすら危うい。一般人ならではのん気さだ。
ウェイバーは注文を聞くと、キッチンにオーダーを伝えたか覚えていないぐらい慌てて休憩室に駆け込んだ。心臓を落ち着かせ、なんとか冷静に考えようとした。
( 彼女……大丈夫かな )
女性は餌食にされているのではないだろうか。
あの英霊の恐ろしさは身に染みていた。おそるおそる店内に戻ると、彼らはすでに去った後だった。
それから数日後、ベルを鳴らして入ってきた人物にウェイバーはハッとなった。
あの女性だ。どうやらまだ無事に生きていたらしい。
今日は女友達と来たようだった。遠目から様子を伺う。精気が吸われたり呪いがかかっている様子はなかった。
ウェイバーはどうしても気になって、女性が店から出る前にある決断をした。使い魔を用意して追跡することにしたのだ。
( 彼女はただの一般人だ。巻き込んじゃいけない )
一般人をこちら側に引き込んではいけない。
断じて、彼女が可愛いからではない。それはちょっと好みの顔立ちで……スタイルもいいけれど。
6月から私が担当し始めた家のリフォームはゆっくり進んでいた。依頼主の男性が「君の好きにすればいい」と奥さんに任せたからだ。
色々なリフォーム例を持って行くと、奥さんは「これもいいわ」と目移りしてしまうようだった。
「子ども部屋はこの壁紙かしら。床防音も入れたほうがいい?夫は書斎さえあればいいっていうし…」
結婚して10年以上たつのに美人の奥さんと可愛い子ども。旦那さんは大学教授で何不自由ない生活。いいなあと思った。
「ごめんなさいね、名字さん。あなたも忙しいのに」
「いいえ、ゆっくり選んでください。素敵な旦那さんですね。」
「そんなぁ。名字さんだって可愛いからモテるでしょう?確かに夫は私を大事にしてくれるし、子どもとよく遊んでくれるのよ」
教授は仕事がない日、書斎で本を読むか散歩をして、休日は必ず子供を公園に連れて行く。
奥さんがおっとりした性格になる理由がわかる。
「何でも私の自由にさせてくれるのよ。」
土曜日のお昼、私が凛ちゃんとお弁当を食べていると足元にボールが転がってきた。
「ごめんなさい」と小さな女の子が駆けてくる。見覚えがある女の子だったので、後ろからついてくる男性を見ると教授だった。相手も気づいて会釈する。
「やあ、名字さん。こんにちは」
一緒にいた凛ちゃんに目をやる。「そちらの女の子は妹さんかな?」
「いえ、凛ちゃんはお友達です。」
私はにこやかに答えた。すると年下の女の子を見て、凛ちゃんのお姉さんセンサーが反応したらしく、転がってきたボールを拾って「はい」と渡す。
「ひとりなの?一緒に遊ばない?」
「うん!」
凛ちゃんは食べかけのサンドウィッチをしまい、広場のほうへ女の子と歩いて行った。
ふう、と教授は暑そうにハンカチで汗を拭う。よかったらどうぞ、と私は空いたベンチをすすめる。
「お邪魔するよ。…名字さんは、さっきの子と友達だと言っていたね。どうやって知りあったんだい?」
「公園で知り合って、たまたまお弁当を一緒に食べるようになったんです。とってもいい子ですよ。」
「兄弟とはいるのかな?」
「えーと…妹さんの話とかは聞いたことがないですね。一人っ子なんじゃないでしょうか。」
そのとき私は、凛ちゃんのことをやたら聞いてくるなと思ったのだ。でも私が疑問に思う前に教授はフォローを入れた。
「いや、娘が引っ越してきて友達ができるか心配でね。どんな子なのか知りたかったんだよ。
あの子について君が知ってることを、できるだけ詳しく教えてくれるかい?」
ウェイバーの使い魔は、数日間にわたって平凡な女性の生活を追いかけていた。朝、出勤。会社。公園でお弁当。会社、スーパー、帰宅。何の事件性もないスケジュールは徒労であるが安心感も与えてくれる。
特定の付き合いをする男性はいなさそうだ。言っておくけどこれは調査だから。そんなのほほんとした平和な日常に、ヒビを入れる出来事が起きた。
「こんにちは、名字です。リフォームの件で参りました」
彼女は仕事で個人宅を訪問することがあった。ウェイバーは無関係な家の中まで追いかけるのはどうかと思って遠巻きに見ていたのだが、そのとき使い魔の目が急におかしくなったのだ。
その家だけ霞がかかって見える。はじめは故障かと思った。魔術師の家や霊脈の集まる場所ならわかるが、ただの一般人の家だ。こうやって感知できないのは対象が膨大な魔力をたくわえているときだけ。
この感知はまるで――…世界の異物だ。
自分は聖杯戦争のとき、終盤でサーヴァントを失い、聖杯を取り合う最後の戦いには参加しなかった。それでも遠くで禍々しい異物の気配を感じていた。
そうだ、あのときの感覚に似ている。
「まさか…そんなことって…」
聖杯戦争は終わったはずなのだ。しかし消滅したはずの英霊が街を出歩いていた。膨大な魔力の溜まり場があった。
「っ……」
もし直感が当たっていれば、自分の手に負える問題ではない。
ウェイバーは覚悟を決め、この問題に対してふさわしい組織に連絡をとることにした。
その夜、冬木教会は数ヶ月ぶりにただならぬ緊張感で満たされていた。
黒衣の男性が口を開く。
「今夜集まってもらったのは外でもない。あの聖遺物について対応しなければいけない事案が発生したからだ。ライダーの元マスター、ウェイバー・ベルベット氏の報告により、前回の聖杯戦争の関係者に集まって貰った。」
ウェイバーは紹介されて緊張した面持ちで会釈する。数時間前にコンタクトを取り対面した神父、言峰綺礼。そしてウェイバーが初めて見る男性もいた。
「ウェイバーくんは初対面かな。こちらはセイバーの元マスター、衛宮切嗣だ。」
「セイバーの…!?」
アインツベルンと名乗っていた銀髪の女性なら会ったことがある。その男性の声を聞いて、ウェイバーは思い出した。
「はじめまして、僕が手を焼いたライダーのマスターがこんな青年だったとは。驚いたよ。」
「お前……あのときの!」
冬木大橋で海魔と戦ったとき。電話の向こうで聞こえた声だった。
「まあ紹介はこれぐらいにして本題に入ろう。ウェイバー君、私にしてくれた報告をもう一度してくれないか。」
「はい」
ウェイバーは気を引き締めて話し出した。
「僕は……ある女性を使い魔で見張っていたんです。別件で気になることがあったので。
彼女はただの一般人です。住宅リフォームの会社で働いていて、彼女がある物件を訪問した際に感知できない家がありました。魔術師の家かと思ったんですが、出入りする住民も一般人で、家の中でも異変が起きている様子はありませんでした。
それで直接行ってみたんです。実際に空間のねじれというのか物件が異物化しているのを確認しました。」
まるで、怪物が口を広げて住民を出入りさせているような。
「その女性はまさか……」
切嗣が口を開く。「名字名前というんじゃないだろうな。」
「そうです」ウェイバーは驚きながら返答した。
切嗣は続けた。「君が言った別件というのは、もしかして子ども化した英霊のことか?」
「そうです…!」
ウェイバーは切嗣がなぜそこまで知っているのか戸惑った。一方、綺礼は2人のやりとりを無表情で眺め、元の話題に戻させた。
「それで、ウェイバー君は教会に連絡をくれたのだ。私も実際にその物件に行ってみた。彼のいう通り、まがまがしい異物そのものだった。
――はっきり言おう。あれは聖杯の気配そのものだ。」
「っ……」
教会を代表する綺礼の断言で一気に事件の重要度が高まる。そうなると今度はなぜ聖杯の気配があるかということだ。
「さて、聖杯戦争のあと消滅した聖杯がなぜ出現したのかという問題に移ろう。この件については衛宮切嗣、お前にあの夜何があったか話して貰おう」
「ああ…」
衛宮切嗣はだいたいこんな話をした。
聖杯戦争の夜、聖杯に最も近づいたのは彼だった。しかし彼は聖杯が汚れていることに気づき、セイバーに命じてこれを破壊したため、聖杯は完成に至らなかった。
だがそのあと聖杯から漏れた泥は周囲を汚染し、あの冬木の大災害をもたらした。
ウェイバーは大災害の正体に驚きながらも、その話が今回にどう結びつくのか考えていた。切嗣が語り終えると綺礼はこう言った。
「周囲に散った泥。それは、どこに消えたか分かるか?」
「まさか…」
2人は息を呑む。「まさか、その泥が今回の聖杯だと?」
「あくまで仮定だ。もしあの夜散った聖杯がどこかで再び完成されるのを待っているとしたら。あの家に聖杯の残骸が集まっているのだとしたら?
完成されれば、汚れた聖杯が再び災害をもたらす事は間違いない。」
一瞬にしてこの事件は危険なものに変わった。切嗣は質問する。
「なぜあの家なんだ?何かが聖杯を引き寄せたことは間違いないだろう。住民はどんな人物だ?」
ウェイバーが答える。
「男性と女性、女の子の三人家族だ。2ヶ月前に引っ越してきて、周りからの評判もいい。」
綺礼は静かに笑った。
「聖杯は強い願望によって招かれる。つまり、その人物はここにいる私や衛宮切嗣のように表面上はおだやかな皮をかぶった異常者ということだな。」
「ここにいる、私…?」
ウェイバーは彼の発言に疑問をかんじた。「言峰神父、その言葉のままだと…」
「ああ、私もマスターだった。今もなお…」
綺礼は立ち上がり、ある人物を手招きした。奥から出てきた人物に2人は言葉を失う。
「私はさきの聖杯戦争で残った唯一のサーヴァント、アーチャーを今なお従えている。ちなみに君たちが見た子ども化した英霊は彼だ。事情があって“受肉を果たしている”が。」
あまりの展開に、ウェイバーは息ができなくなりそうだった。
「なぜアーチャーが?言峰神父がマスター?」
ウェイバーは狼狽えて質問をいくつも口にした。それでも質問が足りないぐらいだった。
「アーチャーがまだお前のところにいるとは…!」
切嗣は綺礼を睨んだ。彼は睨まれているのに心なしか愉快そうに見えた。
「さて、私が奥の手をさらしたのには理由がある。先ほど話した通り、冬木の聖杯はまっとうなものではない。その聖杯はただしく教会の管理下におかなければならない。よって聖杯の回収を教会は求める。」
彼は2人を見据えた。
「ウェイバー・ベルベット。衛宮切嗣。
お前たちには今回の件に協力してもらう。これは、教会からの正式な依頼である。」
やや間を置き、切嗣はうたぐるように言った。
「用件は理解した。始まりの御三家はこの件についてどう言っている?」
「御三家には話していない。彼らが絡むと聖杯に余計な手を出される可能性がある」
と綺礼。切嗣は追及を続ける。
「なるほど。だが言峰、あんたに対しては腑に落ちないことがいくつもある。アーチャーを従えているなら、今回の件などたやすく解決できるだろう」
彼はまだ一言も発していないアーチャーをちらりと見て言った。綺礼は「それはそうなのだが」と困ったように呟いた。
「そういう訳にいかない。アーチャーは我々の理(ことわり)の向こう側にいる存在。事はできるだけ穏便に済ませたいのだ。
その場合、ぴったりな掃除屋がいるだろう?だから貴様を呼んだわけだ」
「っ…なるほど…」
侮辱まじりの返答に、砂をかみしめるように切嗣は理解の言葉を口にした。
「しかしまだ納得がいかないな。アーチャーに命じて僕たちの背後を狙っている可能性がないとどうして言える?」
「そうしたいところではあるが……アーチャー、そろそろ高みの見物はやめてこちらに来てくれないだろうか」
綺礼の呼びかけに対し、アーチャーは気怠げに前へ進み出た。鎧ではなく現代風の装束に身を包んでいる。つまり目の前にいる切嗣とウェイバーを完全になめた姿だった。
「つまらん企てに我を呼ぶな。この連中と同席しているだけで虫唾が走るわ。」
彼が口を開くとウェイバーは威圧された。言峰神父と英霊を見比べ、マスターとサーヴァントの関係なのに、こんなに邪険なことがあるのかと思った。
「この件に関してお前の意見を聞かせてほしい」と綺礼。アーチャーは関心がなさそうに答える。
「また聖杯だと?災害が起こる? ハ、そんなものどうでも良い。
我は人間がいくら死のうとかまわぬ。この時代の人間は多すぎるからな。聖杯によって死ぬ人間が淘汰されるなら、我が判断を下すまでもなく手間が省けて良いわ。」
平然と言い放ったアーチャーに一同は閉口した。
「……と、まあこんな感じだ。お前たちに依頼しないでいい状況なら私もそうする。さてどうする?
自分可愛さに無関係を貫いても非難しないがね」
綺礼の言葉に、ようやく切嗣は腹を決めたようだった。
「結構だ。私もこの冬木の戦争に関わった者として、また住民として危険を脅かされる状況を看過できない。不本意ではあるが協力させて貰おう。
しかし報酬として言峰綺礼、あんたには“アーチャーに一般人へ手を出させない”というギアスを結んでもらう。」
「ほう、セルフ・ギアス・スクロールか。“私がアーチャーに命じて手を出させない”ということでいいか?私に彼の行動を完全に封じられるか保証はできないのでね」
「ああ、いいだろう。」
二人のあいだで決着がついた。
ウェイバーは改めてアーチャーをみつめた。こんなふうに言い放った英霊が、なぜあの女性と食事をしていたのだろう。名字名前はとても平凡な女性だ。
アーチャーはこの状況に飽きてしまったらしく、早々と去っていこうとする。
「アーチャー」綺礼は呼び止めた。
「この件について、お前が協力しないという旨は理解した。しかし名字名前については援助してくれないだろうか。近くに行かせない程度でいい。」
「くだらん」
綺礼の提案を彼は一掃する。
「我があの女の警護だと?軽く見られたものだ。
今後一切あの女に関わらぬ。綺礼、きさまが前に言ったようにな。」
そう言い捨て、英霊は消えた。
「やれやれ」と言峰神父はつぶやいた。
いつものお弁当の日。
私は公園でギル君を待っていた。でもお昼の時間が終わる寸前になっても彼は来なかった。私は仕方なく彼の分を持って帰る。
「ギルくん…。もしかして、もう来られなくなっちゃったのかな。」
誰もいない空間に呟いた。
当然、返事はなかった。
<つづく>
いろいろなものが混ざり合うという意味でハンバーグにしました。さあ、共闘です。