第八話

8月下旬。昼間はまだまだ暑いが、朝や夜はやっと呼吸できるような気温になってきた。比較的涼しい午前中はミンミンゼミが鳴いている。
名前はメールを打っていた。

『to: モードレッド
新曲聞きました。歌もダンスのPVもすごく良かったね!歌番組楽しみにしています。』
『Re:
そうだろ。トリスタンさんの作曲だからな』

短いがちゃんと返信がくるようになった。携帯の画面を見ながら名前は微笑む。今回の曲は元アヴァロンのメンバーでミュージシャンのトリスタンが曲を提供したらしい。元ファンからの人気も熱く、テレビ局にもリクエストが殺到していた。
このまま人気が続けば、バラエティ番組のレギュラー化もあるかもしれない。名前は密着番組から出会った彼らのことを、仕事相手だけでなく1ファンとしても成功を願った。

そんなおり、アヴァロン・ノヴァの特別番組第二弾が持ち上がった。当然マーリンのもとへ回ってくる。今回は内容もこちらで考えて作るらしい。
マーリンは夏の暑さでぐったりしながら、「新人研修だよ」と言って名前たちにも企画案の提出を指示した。

(…企画案、かあ)

名前は思わぬチャンスに胸が躍った。自分の案が映像になってテレビで流れたらどれだけ嬉しいだろう。しかもアヴァロン・ノヴァなのだ。終業時間のあとも会社の資料室に行って、定番企画や人気番組の構成など張り切って調べた。

だが数十個あげた名前の企画はすべて惨敗だった。選ばれた案の中にはミス帝京のものもあった。
ちょっと自信のある企画もあったのにな…と落ち込んでいると、誇らしげに先輩ディレクターと一緒に向こうから歩いてくるミス帝京とばったり会う。
「あなたの企画案、見せてもらったわよ。」
その言葉に名前は何も言われていないのに、カッと赤くなる。自分から声をかけるなんて、よっぽど自信があるのだなと思った。
「ちょっと案が古い感じだった。でも、私の企画と似てるのもあったわ。」
もちろん私の提案の方が良かったけどね、そう言って去っていく彼女をびっくりして見つめた。



番組収録が近づき、廊下でばったりとガレスに出会う。打ち合わせだろうか。
すると「前に現場で会ったスタッフさんですね」と覚えてくれていた。

「あの番組ではありがとうございました。おかげで順調に活動させてもらっています」
「いえ、こちらこそ有難うございました。新曲もすごく良いですね!」
と名前は照れながら言った。「今日は打ち合わせですか?」
するとガレスが、
「実はマーリンさんにお願いがあって来たんです」と切り出す。
「今度の番組で『元アヴァロンのメンバーと会う』っていう企画はどうかなと思って。でも断られちゃいました。」
「それ!私も提案したんです!」
名前は食い気味に話した。「あっ…すみません。私も企画案で提出したんですけど、落とされちゃいました。理由はわからないんですが。」
「僕もです。でも『思い出したくないこともあるから』って言われちゃって。そう言われちゃうとね……」
ガレスは肩を落とした。名前は先日の撮影のことを思い出した。モードレッドを説得する際にマーリンが話したことだった。

『私たちアヴァロンはあることをきっかけに解散したんだ。きみたちが結成されれば、その件を思い出して再び胸を痛めるメンバーがいる。』

元アヴァロンのメンバーは、アーサー、トリスタン、べティヴィエール、ランスロット、マーリン。そのうちトリスタンとマーリンは現在も芸能関係にいる。だが、他のメンバーは何をやっているか知らない。
名前も昔ネットで調べたことがあったが、何もヒットしなかった。

「…何かあったんでしょうか」と名前は言う。
「多分そうなんでしょうね」とガレス。
「でも、残念です。アヴァロンのなかでも特に憧れの人がいて、僕はその人がきっかけで芸能界に興味を持ったんです。
 ――ランスロット。この人に会ってみたかったな……。」


ガレスと別れ、名前は休憩時間に資料室にこもった。
アヴァロンの元メンバー。一般に流れていない情報が桜テレビにはあるかもしれない。だが、3人の現状がわかる資料は何ひとつ出てこなかった。
古い資料をあさっていると昔の写真が出てきて、ファンとしてついつい見てしまう。うっかり楽しんでしまった!と反省していると、べティヴィエールの後ろに喫茶店の看板が写っていた。
偶然にも名前が一人暮らしをしている安アパートの近くにあるお店である。何度も通りかかっていた。名前はその写真を携帯で撮った。




古い喫茶店は、昼にランチ、夜はちょっとしたお酒の出るバーとして賑わっている。店内に入ると外の雑踏が消え、とろりとした明かりが大人な雰囲気を醸し出していた。
名前がチリンと鐘を鳴らして中に入ったとき、ちょうど他のお客さんが帰るところだった。仕事終わりで時間も遅く、マスターらしい男性が一人で対応している。名前は勇気を出してカウンターに座った。
「いらっしゃいませ」
冷たいおしぼりを差し出した男性をじっと見る。優しげな風貌に見覚えがあった。他にお客さんはいない。名前は覚悟を決めた。
「あのう……べティヴィエールさんですか?」
男性は少し目を大きく開けた。しかしグラスを磨く手を止めない。
「はは、昔は似ているとよく言われました。」
名前は引かなかった。「私、テレビ局で働いているんです。昔の写真にこのお店の看板が写っていて。」
携帯の画面を見せる。
男性は、ふう…とため息をついた。
「…そうでしたか。はい、十数年前ですがそんな名前で活動していました。どういったご用件ですか?」
ファンとして心拍数が跳ね上がったが、名前は落ち着いて喋ろうとした。
「急にすみません。アヴァロン・ノヴァというアイドルグループに知り合いがいて、あなた方にどうしても会いたがっているんです。
 それでマーリンさんとトリスタンさん以外のメンバーが今どうしているか調べて来たんです。」
「そうですか……」
男性…べティヴィエールは静かに言った。何かを思案するように、手の中にあるグラスをみつめる。ゆっくりと口を開いた。
「ノヴァの皆さんの活動は知っています。彼らが会いたがってくれているのも嬉しいです。でも、ずっと昔に解散しましたから、私も全員がどこにいるか知らないんです。
わざわざ訪ねて来てもらって申し訳ないのですが、公表していないのは詮索して頂きたくないからだと思って貰えないでしょうか。」
「すいません……」

彼の慎重な言い方に、名前は出過ぎた事をしたと後悔した。一方でマーリンが言っていた、解散のきっかけがよほど言えないことなのかと気になった。
部外者の自分がさぐるのは駄目だろう。ただ、ガレスのことが思い出されて余計な一言を言ってしまう。
「ノヴァのガレスさんは特にランスロットさんに会いたいと話していました。憧れの人だから絶対に会いたいと。」

その名前を聞いて、べティヴィエールは険しい表情になった。
「その人は、きっと会えないと思いますよ。」




数日後。名前はいつものように現場で荷物を抱え走り回っていた。コードを踏まないように注意していると、前がおろそかになる。
ドン、と誰かにぶつかって、荷物をバラバラと落としてしまう。
「気を付けろよ。…って名前じゃんか」
ぶつかったのはモードレッドだった。相変わらずドン臭いな、と言いながらも荷物を拾ってくれる。
「ガレスに聞いたけど…お前も『元アヴァロンのメンバーに会う』っていう企画を提案してたんだって?」
「うん…。却下された理由はわからないけど、ガレスさんも渋い顔をされたみたい。」
「そうか。個人的に会いに行くしかないんだな。オレは知ってそうな人に聞いたんだけど、全然駄目で…」
彼女が落胆しているのを見て、口が滑る。
「でも、この前べティヴィエールさんには会えたんだよ。偶然、近所の喫茶店でマスターをやってて――…」

「名前ちゃん」

後ろから声がして、振り返る。マーリンが穏やかではない表情で立っていた。
「その荷物、必要な人がいるんだろう?急いで届けておいで。
 それが終わったら、私のところに来て欲しい。」


マーリンの元へ行くと「こっちへ」と誰も使っていない控え室に連れて行かれた。
彼は無言で部屋に入り、ドアを閉める。

「べティヴィエールから連絡を貰った。名前ちゃん、彼に会いに行ったそうだね。特徴を聞いて君だと思った。どうやら正解だったようだ。」
 頭を下げて、すみません…と謝る名前を見てマーリンはため息をついた。
「どうして調べたんだい?企画案は通らなかっただろう?」
「それは…」
うすっぺらな自分の好奇心が恥ずかしくなる。
「――自分が、勝手に調べたいと思ったからです。誰かに『調べてほしい』って言われたんじゃなくて。勝手に、調べてしまいました」

どうやって分かったのか簡単に説明した。
資料室で見つけた写真のこと。

「それは駄目だろう。」
マーリンの言葉は厳しかった。
「会社の資料室で見つけた写真を使って会いにいくなんて、公私混同だよ。きみは社会人だ。桜テレビの社員なんだ。きみの行動は自分勝手で社会人としての責任感がない。
それに、きみは私が『解散の理由を話したくない』と言ったとき居たじゃないか。」
しかも、と彼はつなぐ。
「ヴェティヴィエールにも、詮索しないでほしいと言われたはずだ。
 なのに、きみはさっきモードレッドに彼のことを言ってしまったね…。」

マーリンの顔を見ることができない。そうだ私は…よく考えずに行動した。本人達に言われていたのに。モードレッドにも言ってしまった。

「…モードレッドには私から話をする。彼女のことだから会いに行ってしまうかもしれないが。
 ――名前ちゃん。きみには、この企画を降りてもらうよ。」

何も、言えない。おろおろと、心が揺れるばかりで、名前はただひたすらに溢れてくる涙をぬぐうしかなかった。
「良い機会だ。しばらく休みが取れてなかっただろうから、休暇でも取ると良い。」
そう言って、マーリンは部屋を出ていく。

憧れの人。その人に、自分勝手な行動で迷惑をかけてしまった。罪悪感で胸が押しつぶされそうだった。


控え室から自分のデスクに戻ると、荷物をまとめた。
アヴァロン・ノヴァの企画でスケジュールがいっぱいだったから今の名前には仕事がない。からっぽの自分を表しているようで、また涙がこみ上げて来た。

有給届けを提出すると、名前は一人暮らしのアパートではなく実家のある村へ、身一つで電車に乗った。





実家から最寄りの駅まで行き、父親に迎えに来てもらう。
帰って来た理由を言わない名前に父は何も聞いてこなかった。赤くなった目を見て、察してくれたのだろう。
家に着くと、名前はそのまま自分の部屋に向かい、ベッドにダイブした。ふとんを抱きしめて、むしゃくしゃな気持ちを涙にして外に出す。胸がとにかく苦しかった。本棚に古いテレビ雑誌が並んでいた。涙はどこから出てくるのだろうと不思議なぐらい止まらなかった。

しばらくたって、名前は居間に降りてきた。夕食にラップがかけてあって、父が何も気にしていないというように本を読んでいる。食卓にすわると、温かいごはんをよそって出してくれた。
「仕事か?」と父。
「…うん。」からさは素直に答えた。
「そうか。お前も立派な大人だもんな。」
「ううん、全然。仕事で迷惑かけちゃって、実家に帰ってきちゃうぐらいだし…」

そして、色々と話をした。
憧れだったアヴァロンのマーリンが上司になって、番組のスタッフに抜擢してくれたこと。アヴァロン・ノヴァのメンバーと親しくなって、彼らの役に立ちたかったし自分の好奇心で元アヴァロンの情報を調べたこと。でもそんな自分勝手な行動で、憧れの人から叱られ、番組からも外れることになってしまった。
 父親は名前の話を黙って聞いていた。だが、ふと彼を見ると、何かをためらうような顔つきになっている。
「お父さん、どうかしたの?」
「いや…なんでもないよ。」
視線がそらされる。だが彼はすぐに自分の言葉を撤回した。
「いや…なんでも無くない。
名前、聞いてくれるか。お前がテレビの仕事をしたいと言ったときから、いつ話そうか悩んでいたんだ。」

父はそう言うと、フード付きの上着を脱ぐ。夏でも脱がない大きな上着は、彼の体型も、顔も、覆い隠して来た。Tシャツだけの父の体は引き締まっていた。

「アヴァロン・ノヴァ。そのグループにお前が関わったのは、運命だったかもしれないな。
 お父さんが――ランスロットだ。」


<夜の向こうに待っているものは…>



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