自己紹介をしようと思う。しなくてもいい時期は確かにあった。時の流れとかいう使い勝手のよいあれだ。だから明後日はまたしなくてもいい時期になっているのかも知れない。なんか哲学的だね。哲学ではない。
ペンネームは「七瀬鳰」。Nanase Nio と読む。なぜローマ字で書くのか。ひらがなで書くと「なな・せにお」みたいになるのがイヤだったからだと思う。
西暦1975年──昭和50年10月19日、午前8時53分の生まれ。およそ9時である。今は令和。
愛知県名古屋市の都会で産まれ、岐阜県郡上市の村で育ち、今は東京都練馬区のあまり都会とは言いきれないだろう場所に住んでいる。ブルーベリー畑とかが普通にある。
天秤座のO型だという話だが。きらめく星座がお前を呼んでいるらしいので期待したことがある。そしたら小さなお爺ちゃんがすでに呼ばれていて愕然とした苦い思い出。思い出──それは、戻ってこない過去。あいつ。
最初のペンネームは「伊藤理央」だった。次のペンネームは「繭結理央」だった。今は「七瀬鳰」である。そういう性格。
さて。
さて……とは。そのへんの機微はいいとして。小説もエッセーも不定期更新の代物である。年に数回程度しか更新していない気配もある。時代の流れによる新旧交代を肌身に感じる昨今においてネット上にしぶとく居座っている気配だけはバツグンにある。Twitter などはやっていない。郵便配達員が家の扉をノックしただけで意識が遠のくほどの人見知りだからだ。あと、面倒くさがりだから。割合で言えば人見知りが9で面倒くさがりが7である。数が合わない。10で考えるからだ。20で考えればいい。それでも4のお釣りがかえってくるのでそろそろ算数の話はやめてもいいだろうか。歴史はもっと嫌い。新撰組って何屋さんなのかもわからない。もうわからないのだ。実は鍛冶屋さんかも知れない。八百屋さんである可能性はどうだろう。縮緬問屋は、あれは水戸黄門だった気がする。水戸黄門は将軍ではなかったのか。縮緬問屋でなおかつ将軍なのか。縮緬問屋ってなんだ。てか水戸黄門って誰だ。それぐらいに文章を書くのは難しい。だから年に数回程度なのだろうと確信している。
強い力に憧れる。
憧憬。私はこれを「どうけい」と読んでいた。2019年の終わりぐらいになって「しょうけい」と読むのだと知った。満44歳は驚き、そして急激に恥ずかしくなった。隠れられそうな穴を探した。が、人類のせいでもはや卑猥な穴しか残っていなかったため、代わりに藁の家を建てた。そしたら春一番に呆気なく吹き飛ばされ、実は春ってオオカミなのだと知った。満40代なのに知らないことのほうが多い。それが現実。それが人生。だから「不惑」と呼ばずにこれからは「無知」と呼ぼう。ちなみに40代の前に「満」をつけてみた理由は、ちょっと恥ずかしいな。また藁の家(2軒目)を建ててしまいそう。もうお気づきだろうが完全にオチを見失っている。潮時とはまさにこういうこと。違ったような気がする。どっちでもいい。などと書いている間にもオチを探してみたけどまだ見つからない。自己紹介ごときに。そう。これは自己紹介だったのだ。いま気づいた。気づくことがあるというのはとても楽しい。
結論を言おう。
「脳内ではいちおうの決着がついている」
あとはどう文章にするかが問題だ。これを3時間ほど考えてみよう──ここまで書いてすぐに寝た。驚いたことに今は翌日である。冒頭で「明後日」と書いた伏線はみごとに回収。でももう、3時間ほど考えてみようとするテンションはない。もういない。戻ってこない。あいつね? 擬人法。無限の可能性。
結論は言ったはずなのにまだなにを。もう終わればいいのにねー。もう終わろう。終わる。終わり。あなたももう「トップページに戻る」をタップして戻ってね。ブラウザバックとかいう最先端の技術でも戻れるよ。おやすみなさい。