栞

徳慈郎の幻






『ぽりふえのるが大事なんですよ?』

 かつて、そんなようなことを妻が語っていた。記憶は曖昧だが、要となっていることはほぼ間違いない。

(ぽりふえのる)

「ぽ」のあたりがまさに謎である。

 それは、いったいぜんたい、どのような調味料を指すのであろうか。

 圧倒的な心配を隠しもせず、むしろ険しい顔をこさえて徳慈郎は冷蔵庫を開けた。

 鼓笛隊のように整然と、黄緑色の具足も誇らしげな発泡酒の旗本が十重二十重。甘酒だけで道楽した心地となれる徳慈郎には、倹約知らずの息子夫婦に畏怖さえも抱く。どこで監視しているとも知れぬ妻にいつか枕元に立たれるのではないかと。ただでさえ着道楽で食道楽なの嫁、この程度の季節に寒い冷たいと嘆く彼の嫁は、ことごとく妻と反りがあわなかった。

 金城湯池へと踏み入る。調味料の陣を追ってみる。山葵。芥子。山椒。大蒜。檸檬汁。柚子胡椒。八丁味噌。豆板醤。花椒ホワジャオ。タバスコ。ポン酢。胡麻ダレ。バター。マーガリン。マヨネーズ。ケチャップ。ドレッシング。辣油──よくもまぁ、これだけ取り揃えたものである。やはり妻の叱咤だか天罰だかが恐ろしい。

 しかし、肝心の「ぽりふえのる」という調味料が見当たらぬ。漢字ではないと思うので片仮名を当たってみるのだが、九十年の人生をもってしていずれも見慣れている表記である。

(ははぁ。さては製造会社か)

『有限会社ポリフエノル』のなにかであろう。脳裡に認めてみるとなかなかどうしてそれらしく思えてくるものである。

 ひとつひとつを手に取り、製造会社を改めてみる。LBフーズ。オックス酒造。幸印乳業。清文麦酒株式会社。日魯製粉。クーピー。大正製菓。巍辣社。曙オイル。スターズ──よくもまぁ、これだけ旗揚げしたものである。果たして、妻はこれらのすべてを相手取って工夫を凝らしていたのであろうか。

 しかし、やはり『ポリフエノル』という会社名が見当たらぬ。いずれもが初対面の羅列ではあるが、当該社名は皆無である。

(ならば、なんだ?)

「ぽりふえのる」とはなんなのだ。齢九十にして、これほど言葉というものに謎を思ったことはない。大抵の若者用語であれば疑念を抱く前にすでに諦めてきた、しかし今回は違う。

(なんなのだ、妻よ!?)

 そう、妻が知っていたのである。ならば、流行り廃りの新語ではない。長らく生活に根づいている言葉に違いない。たとえ徳慈郎とは畑違いの言葉であろうとも、妻の冷蔵庫を探せば、妻の戦場を探せば、必ずや巡り会える言葉に決まっているのである。

 それが、この体たらく。いまだ肌寒くはある二月中旬、冷蔵庫を完全開放のままに、徳慈郎は中腰で立ち尽くしている。

(ぽり、ふぇ、のぉる……)

 もはや、頼みの思考は風前の灯。

 凍える前に、ぱとん、柔らかく冷蔵庫を閉じた。

 とうとう、巡り会えなかった。

 あの倹約家の妻が果たして未知の領域へと冒険していたのか、徳慈郎は天井を仰ぎ、日ごとに薄れつつある夫婦の暦を探した。巡り会えなかったのは、単に己の無知が為したことなのか、それとも、またしても己の知らぬ妻がどこかにいたのか、確信をもってよしとするための憩いを探したのである。

 しかし、

(いないものだな)

 白い天井に妻はいなかった。極地に眺めた幻にも似て、ただの自己満足にすぎなかった。そうであればよいとする、己の希望的観測にすぎなかった。

(いないものだ)

 妻は、もういない。

 いなくなっていくのを、この目で見た。

 そして、いなくなるのをこの目で見た。

 一部は壺、残る大半は葬儀屋に託した。

 その壺も、一年後には郷里ふるさとへと還った。

 妻は、もういない。

 もういないのである。

(ぽりふえのる、か)

 知らぬことがあっただけよしとしよう──徳慈郎は考えを修正した。すべてを知るは放棄の愚行、人は、知らぬから知られるのである。知られる余地のあるかぎり、己はまだまだ今生を去ることが叶わぬ。これはきっと、生きなさい、忘れずに生きなさいという、妻の鞭撻なのである。延いては、己の厳かなる希望なのである。

 そう、

(俺は、今、この歳になってようやく妻を知りたいと思うのだ)

 蹴毬の数も知れず、八十余年も連れ添い、今、ようやくのことである。

(俺もまだまだ、君の幻を見ている)

 幻とは、不安と焦燥。

 そして、希望でもあった。

 いや、の……。

(なるほど。悪くないな)

 ふふふ。自嘲のごとく笑むと、徳慈郎は調理台へと戻った。

 包丁や杓文字に紛れ、純白の皿が一枚ある。

 その表には正体不明の茶色い粉末がひと摘まみ。

 氷と、温度計と、鋳型と、ぽりふえのる──きっと必要であるはずのものたちの、憐れにも省かれてしまった謎の粉末。恐らくはこれを、あの桃色の箱へと大切に封じこめ、

『じゃあ。はいこれ』
『ん。ありがと』

(我、得たり!)

 ぱんッと乾いた柏手を打つ。

 ついに得心がいった。

 謙虚さと尊敬は大切だとわかった。己は、決して期待などせぬようにしよう。せめて喜びに近い驚愕でいよう。新鮮でいよう。なぜならば、妻のそれは、質素倹約の懊悩に打ち勝った悉皆の愛情に他ならないのだから。

(あぁ。まばゆい日だったのだ)

 二月十四日、バレンタインデーとは、

(記念日の庭面に落とされた太陽であった)

 試しに、指に粉をつけて舐めてみた。

 味気ないが、わずかに甘かった。いや、甘美なる芳香がした。まるで我等が夫婦のようではないか。

 このぐらいの香りでちょうどよい。朴訥すぎなくとも酔うことはできる。

 たちまちに気分は高まった。タチマチであるのが心地よい。覚悟を知らぬ若輩の時分にはこうはいかなかった。歳は重ねてみるものである。

 さっそく徳慈郎は皿を手にする。厨を抜け、食卓を抜け、居間を抜け、廊下を抜け、東の奥に開かれる和室へと向かった。それからスリッパを脱ぐと、敷居の作法もそこそこに、固くなった畳を聢と踏む。

 仏壇の前に着いた。いや、阿弥陀如来の御座す壇、その左隣にである。

 純白の布が敷かれ、今際の支度を厳然と保っている小さな卓。

 妻の遺影が傾いている。

 しかして、笑っている。

 徳ちゃん徳ちゃん──老いらくとなりてなお、あの日の笑顔。

 懐かしい笑顔。

 胸がほろりとする。

 なにということはない、いつの間にか、己がそこまで笑っていなかっただけである。

 同じように、今ならば笑える。

 今ならば。

 徳慈郎の、知らぬ妻がいたのだから。

「てい」

 久方振りに妻の名を呼ぶ。大事そうに胡座をかき、卓の上に、遺影の前に、そっと皿を据えた。

だ」

 まったく初めてのことである。

「悪くないものだな」

 悪くない。

「若者の慣習も悪くない」

 それどころか、まばゆい。

「君は、このを知っていたか?」

 笑っている。

「なぁんだ。知っていたのだな」

 あの日の顔で笑っている。

「さすがだな」

 徳慈郎も笑っている。

「俺は、初めて知ったぞ」

 あの日の顔で笑っている。

「九十にして、初めてだ」

 まだ、幻を見ている。

「すっかりと君の術中だよ」

 まだ、幻でいてくれる。

「それでも、慕ってくれるか?」

 まだ、希望でいてくれる。

「そうか」

 まだ、幻を見ている。

「俺は……ずっとだ」

 ともに暮らした息吹の随意に、

「ずっと、君が生きている」

 徳慈郎はまばゆい幻を、

「ありがとうよ」

 感謝まぼろしを見ている。

「ありがとう」

 それから、つるりと旋毛を撫で、火照る顔を遺影から逸らすと、互いに庭面を眺めた平行のまなざしで、白く霞む和室の一面、ぐるりと渡した。

「あぁ……太陽が落ちているね」



 幻である。

 幻である。

 幻である。



 その直後、仕事より帰宅した息子嫁に割烹着姿を見られてあらぬ懸念を抱かれもしたが、なんのなんの心配は御無用、この一ト月後、今度はホワイトデーなる慣習と出会すこととなり、再三再四の沈思黙考に躍動することとなる。



 さぁさ、お立ちあい!

 いよいよ矍鑠たる卒寿の頃。

 いまだ此岸のえられぬこの調子。

 漢の名は、徳井徳慈郎。

 今がまさに、芽吹きの人生なのである!



   【 劇 終 】




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