詩帆さん 第1集 〜 Killer Queen
教卓の天板に貼られてある見取り図を、
(例えば、小鳥遊)
木下幹恵は、直立不動でぼうと眺めている。
席の見取り図である。
(小鳥が遊ぶ──)
横に6列、縦に7列の、計42席が、現実よりも遥かに整然と描かれてある。
(──と書いて)
白地の紙に黒い線で升目が引かれ、それぞれの升の内側には黒い文字で銘々の苗字が記されてある。これほどまでに整然としているので、もしや裏方として定規も用いられただろうか。下書きとしてシャープペンシルと消しゴムも用いられただろうか。この升線はマッキーのものだろうか。いや、すべてがパソコンによるものだろうか。
(タカナシ)
──などと、使用アイテムの有無についてを考えているゆとりは、今の木下にはない。
(小鳥遊──と書いて、タカナシ)
罰ゲームを喰らったかのような粉塗れの黒板消しを片手に、右から数えて1列目、下から数えて7列目の席をぼうと眺めつづけるばかり。そこには「小鳥遊」と記されてある。
(小鳥は)
ちなみに「木下」は「小鳥遊」のすぐ下にある。
(鷹の)
「小鳥遊」と「月見里」に挟まれている。
(捕食対象)
オセロでいえば負けが込んでいる状態である。
(そんな小鳥が遊んでいられるということは)
ちなみに「月見里」と書いて「ヤマナシ」と読む。
(鷹がいない証拠)
山がないからお月見ができるのである。
(だから)
お月見の容易な里である──という意味である。
(鷹なし)
情緒というヤツである。
(小鳥が遊ぶ──と書いて、タカナシ)
担任の鯉沼愛子も大変である。
(私は、木下)
なにせ、タカナシにヤマナシと、とてもややこしいクラスなのである。
(木の下と書いて、キノシタ)
「木梨」に「仁科」までいる。
(私は、木下)
そこに「木下」が加われば、もうなにがなんやら。
(小鳥遊で、タカナシ)
席の見取り図は必需品なのである。
(木下で、キノシタ)
それはそうと、そろそろ右手の黒板消しが重たい。
(この違いは、なんだろう?)
早く赦されたいところである。
(思わず優劣を感じてしまうのは)
黒板消しの使用をそろそろ赦されたいところなのである。
(私の、値打ちのない僻みだろうか)
しかし、どうやら赦されてはいない。
(なにか別件で僻む要素があって)
まだ赦されていないようである。
(苗字に転嫁しているだけだろうか)
この少女が、まだ黒板の文字を熱心に写しているのである。
(僻みを)
猛禽のような目で、
(苗字に転嫁して)
獲物を狙うような眼光で、
(逃げているだけなんだろうか)
月に1日の頻度で、
(卑しい女)
つまり今日がその日で、
(私は、卑しい女)
わずか月1でなにが学ばれるのかは知らないが、
(だから、友達も少ない)
少女は黙々と写経に没入し、
(いないわけじゃ、ないけど)
決して木下を赦さない。
(でも、少ない)
日直当番の木下を、
(淋しい)
無言のプレッシャーで、
(淋しい……んだ、きっと)
赦そうとしないのである。
(この人は、どうだろう?)
右から数えて6列目、
(この人には)
下から数えて1列目の、
(友達)
昼休みになったとたん、
(いるんだろうか)
教壇に立つ先生から承諾を得ることもなく、
(心を許しあえるような)
驚天動地のフットワークで、
(小鳥になって、囀りあえるような)
購買へと走り去ってしまう、
(そんな友達が)
この食欲旺盛な少女は、
(いるんだろうか)
日直の木下をまだまだ赦さない。
(私と)
木下は、少女を、
(友達に)
彼女の苗字を、
(なってくれるだろうか)
ぼうとは眺められないでいる。
(高望みだろうか)
少女が遊ぶ──と書いて
(無謀な望みなんだろうか)
悪い男、つまり、
(私だって、名前で呼びたい)
タカナシと読む、
(少女遊さん──から)
「小鳥遊」ではないほうの「タカナシ」を、
(卒業、したい)
直視できないままなのである。
(詩帆さんって)
畏怖か、
(詩帆さんって)
憧憬か、
(呼びたい)
それは、木下にもわからない。
(呼んでも)
ただ、
(いいですか?)
とても気になる人である。
(呼んでも、いいですか?)
それだけは確かなのである。
(詩)
だって、
(帆)
だって、この少女は、
(さ)
「幹恵」
「は、はい」
「申し訳ないことなのだが」
「はい?」
「もう少し右に寄ってほしい」
「右?」
「幹恵から見て左なのだが」
「ひだ、え……?」
「そこ、文字が見えなくてですね」
「あ。ご、ごめんなさい!」
「いや、幹恵、忝い」
「かた……ど、どういたしまして」
「ところで、幹恵」
「はい?」
「少女遊詩帆って、呼びにくいよね」
「呼?」
「タカナシシホ──どちらかのシに根気が要るよね」
「こん、き」
「幹恵」
「は、はい」
「タカナシか、シホか」
「は?」
「幹恵の好きに呼んでいいから」
「好き、に」
「幹恵の呼びやすいほうで」
「はぁ」
「幹恵の気安いほうで」
「え、じゃ、じゃあ」
だって、この少女は、
「じゃあ、あの、し……少女遊さん……のほうで」
木下のことを「幹恵」と呼び捨てにするのである。
「幹恵」
「……はい」
まだ、
「まことに心苦しいことなのだが」
「はい?」
目も合わせられない仲なのに──である。
「僭越ながら」
「せん、え……?」
木下は、もしや小鳥の囀る幹にはなれるのかも知れないが、
「やはり左に寄っていただけないものだろうか!」
「は、はい……」
「忝い!」
しかし、この少女はただ少女であるのみなのである。