詩帆さん 第1集 〜 Killer Queen
「リンゴは赤い」という連想ゲームを耳にし、仁科靖典は即時に青リンゴの立場を思いやったのである。
(農家もがっかりだろう)
こつこつと育てあげた我が子が社会適応対象から除外されたも同然なのである、不憫と言わざるを得ない。
そう考えると「青リンゴ」という表現もまた不憫さを伴う。緑色の立場がないからである。
(緑色の立場? じゃあ、エメラルドグリーンの立場はどうなる? ビリジアンの立場は? ジェードグリーンかも知れないぞ?)
キリがないとここで気づく。
(慣用句というヤツか)
歴史解釈も必要だろう。なにしろ、平安時代ぐらいまでは色名が「赤・青・白・黒」の4つしかなかったのであり、他の色は形容的情緒的なセンテンスで表現されていた。そもそも「青」だって「薄い」とか「未成熟」などの意味が付随されており、よって、色の薄いリンゴや未成熟そうに見えるリンゴを指して「青リンゴ」と慣用していたわけである。
緑色のリンゴを指して「青リンゴ」と表現するのは、時代の名残という見方も加味すれば、まぁ、納得の範囲内かも知れない。
しかし、さすがに「リンゴは赤い」という連想だけはいただけない。それは青いリンゴに対する完全なる差別である。農家もまっ青の無慈悲なのである。
(実際にはまっ青にならないが)
『アバター』のような状態を「まっ青」というのだが慣用句なのでセーフ。
(黄色いリンゴまである時代だ)
青森県産の『きおう』『シナノゴールド』『星の金貨』『金星』などがその一例である。特に『金星』は黄色を凌駕してもはや肌色に近い。
(いや、肌色という表現もまた差別的なものとなっている)
黒人や白人の立場がない。だから、現代では「ペールオレンジ」などと表現する。肌色という表現は、あくまでも仁科の親の時代の産物である。
(いや、それを言ったら、黒人や白人という表現もどうかとは思うのだが)
「黒」とは、カラーコードで「#000000〜#262626」あたりの色。なかなか濃厚な暗色である。しかし、そのあたりの色を肌色に持つ人間を、仁科は現実世界で見たことがない。
(ベンタブラックの例もあるし)
記号的単色として捉えるのではなく、光の吸収率や屈折率でもって多角的に捉えるべきである──と色彩学することも必要だろう。
(なるほど、黒人や白人という表現もまた慣用レベルにあると見るべきか)
差別はいけないが区別は必要──という意見は頻繁に見聞する。差別は秩序を崩壊させる行為だが、区別は秩序を保持する行為だと。なるほど「みんな違ってみんな良い」だけでは、おのおのが勝手気儘にしていても良くなってしまい、結果、ルールもマナーもなくなる。少なくとも不安定な土台にはなることだろう。秩序を保持するために一定の区別──線引きが必要だという意見は、もっともなことなのかも知れない。
つまり、黒人や白人という表現もまた慣用の範疇にあるにすぎないのである──と。
(とはいえ、黒人・白人という区別をなくしたら、果たして秩序は崩壊するか?)
少し考えてみるのだが、まだ高校生、圧倒的に社会経験の乏しい仁科にはそのへんのところがよくわからない。白、黒と区別することにどんな意味があるのかが。どんな秩序を、どんなルールやマナーを求めてのことなのかが。線を消して、そこにどんな支障が生まれるのかが。
(支障はなさそうに見える)
史学や民俗学などの虚学的には支障があるのかも知れないが、実社会水準で考えてみると思いあたるフシが尻尾をあらわす気配はない。
(もしも支障がないと断定されれば、赤くないリンゴ──例えば『金星』は何色とされるのだろうか?)
少なくとも「肌色」ではない。そんな時代は死んだ。
(とはいえ「ペールオレンジ」でもないような気がする)
「ペールオレンジのリンゴ」とはなんぞや。
(色種の近さで言うのならば「梨色」──か?)
「梨色のリンゴ」とか。
(……うむ)
秩序崩壊。
(差別・区別というのも難しい分野だな)
まるで哲学のようにも思える。しかし、残念ながら仁科には哲学に対する意欲も知識もない。ので、やむなく思考をもとの軌道へと戻す。
(青色のリンゴは、果たして存在するか?)
慣用としての「青」のほうではなく、色種としての「青色」のほうである。もしも存在するのならば、混同を避けるために「青リンゴ」という慣用句にも綱紀粛正のメスを入れなくてはならない。まことに由々しき問題なのである。
で、隗よりはじめよ、さっそく「青いリンゴ」でググってみたところ「野口五郎」ばかりが出てきた。高校生にとってはハードルの高い検索素材だと知って落胆。よって真相は謎のまま。←今ここ
しわしわしわしわ──。
いつまでが夏だったか、たった1年前のことさえも記憶野から奪い去る酷暑である。終点がわかれば乗り越えようと奮起もできるのだが、どう頭をひねっても思い出せず、仁科はまったく覚悟を決められない。それはクラスメートも同様らしく、誰も彼もが完全にボイルされてほぼ保存食と化している。しわしわしわしわ──生命力があるのは飛び方の下手な彼らだけ。
しばらく雨も風も見ていない。
「涼しいといえば氷」
「氷といえば滑る」
「滑るといえばダジャレ」
「ダジャレといえばサムい」
「サムいといえば冬」
「冬といえば氷」
「氷といえば冷たい」
「冷たいといえばウチの親」
「ウチの親といえばダジャレ」
「ダジャレといえば面白い」
先ほどから、2年3組の教室内に連想ゲームの声が漂っている。仁科の前の前の席がその現場である。生命力はなく、あくまで気怠そうにではあるものの、なんとかして食物連鎖の頂点にしがみつこうと土壇場の足掻きに尽力しているのがわかる。とはいえ、
(いくつか重複があった)
掌返しもあり、いかんせんツッコミどころが満載で、しかしそうとも気づかずゲームを続行──やはり彼女たちも正常な思考回路ではない様子。
「面白いといえば七並べ」
「七並べは苦手」
こうして、危篤状態に陥りながらも懸命に真夏と戦っているのは羽住叶希音と相楽望悠。いつも難しい顔を崩さないムッツリ女と、いつも独特のリズム感で相手を煙に巻くネイチャー女。
「苦手といえば納豆」
「納豆は好き」
(相楽は相変わらず磐石だな)
このふたりのせいで仁科は野口五郎へとたどり着いたのである。確か「先入観」がスターティングテーマだったはずなのだが、いつの間にやらゴールテープの存在しない関ケ原で肩を落としていた。
(岐阜県に行ったことはないが)
「関ケ原」と聞くと「合戦場」や「陣跡」を連想する。そして「関東と関西の味の境界線」とは連想しない。前者の合戦は見たこともないのに、そして後者は出典も曖昧なのに、不思議と前者のほうに軍配があがる。
(なぜだ?)
「岐阜県不破郡関ケ原町を主戦場としたらしい関ケ原の合戦」と「岐阜県不破郡関ケ原町の観光的アピールポイント」という明確に異なる題材を混同して考えるからである。しかし、残念ながら仁科はそこに気づいていない。
(関ケ原の合戦のほうが有名だからか)
惜しい。それだけではない。本当に有名かどうかの考証もできていない。
(……難しいな)
酷暑に考察できるような問題ではない。案の定、左の脳が微熱を帯びている。ゲシュタルト崩壊も吝かではない。それもこれも岐阜県美濃市出身の野口五郎のせいである。いや、厳密にいえば羽住叶希音と相楽望悠と佐藤靖のせいである。
「大きいといえばトド」
「トド肉はクソマズい」
(なに!?)
食べたことがあるというのか。
(やはり相楽は要注意だな)
美人だが要注意人物である。
(美人だが要注意人物──という認識もどうかと思うのだが)
上には上があるので問題なし。まだ可愛い先入観である。
(上……)
ざっと教室を見渡した。その少女は……今はいない。仁科はホッと胸を撫でおろす。いつこの机を占拠されるか知れたものではないからである。最善を尽くしても尽くしきれないほどの要注意人物だからである。
(なにしろカカオの匂いがするのだ)
香水なのか柔軟剤なのか石鹸なのかは知らないし、そんなニッチなコスメがどこで売られてあるのかも知れないが、とにかく南米的なフレイバーを振り撒くエニグマな少女である。
(神出鬼没でエゴイスト、絶望的なコミュニケーション能力とトークスキルで必ずや場を荒らす、サッカーを愛してやまない小柄な美少女)
属性がごちゃ混ぜの少女である。ピンキリも考えずにすべての魔法を修得した格闘家のような少女なのである。そんな、第9宇宙の次元壁を突き破って馳せ参じたかのような悪魔的美少女が仁科の机の上に小さなお尻を座らせたまま微動だにしない──という地獄。
(多感な男子高校生の気持ちも考えてほしい)
しかし忖度を求めたところで叶えてはくれまい。そういう少女なのである。
(先入観ではない)
きっと真実。
ゆえに仁科は立ちあがれないでいる。先ほどからわずかに尿意をもよおしているのだが、トイレに行くために席をあけてしまうことが非常に躊躇われる。戻ってきてみれば机の上を占拠され、貴重な行間なのに心身を休められない地獄を味わうハメとなるかも知れない。あげく焦れったくなるほどに不完全な早口言葉を拝聴するかも知れない。男子高校生としては、小さなお尻のブレザースカートが目の前にあるというだけでもはや地獄なのに。
(次の授業中にダムが決壊──か?)
4時間目がはじまるにはまだ猶予がある。そして時間と尿意の脳内グラフは思わしくない展開を示唆するばかり。ここは是が非でも立ちあがっておくべきである。立ちあがり、用を済ませ、ふたたび教室へと戻って机上に伏せ、酷暑によって削られた体力と精神の回復に一刻も早く努めるべきなのである。
(賭けに出るべきか)
幸い、あの少女は人を選ばない。今回の犠牲者は自分ではないのかも知れない。
(……いいだろう)
賭けよう──掌で数えられる可能性に。
固唾を飲み、覚悟を決め、仁科が腰を浮かせた矢先のことだった。
前方の遣り戸を開け、クラスメートの河田映美が教室に戻ってきた。酷暑などなんのその、他のクラスの生徒とも交友関係を築くのに余念のない、たいそうフットワークの軽いコミュ力モンスターである。
それを見るなり、同じく2年3組の椎名未森が尋ねた。
「あ、映美。詩帆さんって見なかった?」
すると──、
「詩帆さん?」
河田は、こう、答えたのである。
「いま男子トイレで素振りしてる」
(なに!?)
「へぇ、今日は素振りなんだ」
「ちらっと見えたのよ。箒でね。犠牲フライがどうとか呟きながら」
「あはは。詩帆さんらしい」
(男子トイレで……?)
仁科は驚愕した。
(進退、窮まったな)
思わず頭を抱える。
(2年生のトイレは絶望的というわけか。かと言って学年の壁を越えるような勇気もない。ということは──)
仁科よ。
(もはや我慢する以外に術はないようだな!)
仁科よ、そういうことではない。