偽りのカレンデュラ 



「ねぇ舞彩まい

 放課後の使い道を知る一部の同胞たちで賑わう、五反田ごたんだ駅前の書店。





来 瞳
Section 2
再 会サイカイ





『東京月報』というマニアックなサブカル雑誌、東京の坂道の魅力に迫ると題された特集に見入るあたしの傍らには、オンラインゲームの雑誌に刮目している来瞳くるめ。どうやら討伐できない飛竜がいるらしい。

「なに?」

「土曜日、ヒマぁ?」

 討伐しなくていい余裕もあるらしい。

「んー、ヒマと言えばヒマ」

 坂道特集から目を離さずに答える。

 来瞳も同様のスタンス。

「ヒマと言わなかったら?」

「ヒマ」


同日 〜 2010/06/01[Tue]16:47
東京都品川区東五反田 - 白書堂五反田駅前店


 店内は時間を忘れさせるほどに明るい。ダウンライトのやんわりとした白が、時代設定の抜かりもなく蝟集いしゅうされる書物たちのカオシックな個性群に一縷いちるの調和を射している。おかげで、ここには時系列がない。

「なんで?」

「ヒマかなぁと思って」

 時系列がないから、ついつい曇天であることを忘れる。そして悪夢のことさえも。あらゆるマイナスの因子が心理学専門書のコラム程度になっている。呆気なく溜飲がさがっている。

「遊びの誘いじゃないの?」

「べつに。カレシと遊ぶし」

 残るは、この、深々ともたれかかってくる睡魔だけか。悪夢のせいで散々だわ──と思ってはみるものの、睡眠時間そのものは十二分に足りている。どれだけ泥のようにうなされていても爆睡には違いがなかった。つまり、睡魔の正体はあくまで学業意欲の欠如からなるもの。五月病のアルビノ。

「なんだ、遊びの誘いかと思ったよ」

「遊んでほしいの、舞彩さん?」

 悪夢を見ていなかったとしても、きっと学業に意識など入っていないことだろう。これまで、ノートぐらいは几帳面に取っていた気がするが、それが今や新宗派を立ちあげるためのオリジナル経文の創作活動に余念がない。脳内はいつもケータイ小説の次のページのことばかり。

「だってヒマなんだもん」

「ナオ君は?」

 要するに、とりあえず五月病ではない。学業生活よりも充実している世界を知ってしまったがゆえの帰宅意欲に他ならない。ペシミズムとは趣が違う。

「遊ばないの?」

「ナオは……まぁ、ナオでもいいけど」

 最新作のエピローグをどうするのかで、特に最近は脳のキャパシティが満杯。青春カテゴリーの物語はエンディングが見えないから難しいと、書いてみて初めて知った。青春に終焉があるのかどうかは知らないが、少なくとも、現在のあたしがそのただ中にあるからだ。未経験の終焉をイメージすることってとても難しい。

 だから、せめて学校では頭を休ませたい。モチベーションがありすぎて困る。

「寝不足になるぐらいなんだからナオ君と遊べばいいのに」

「シてませんよ」

 すると、あたしの淡々としたツッコミを遮るようにして来瞳、

「ん?」

 聞こえるか聞こえないかの疑問符を口にした。でも、ふたりともに雑誌に見入ったままのやり取りだったから、あたしの耳はただの鼻息としか捉えなかった。

「もういいかげん下ネタはご勘弁」

 さっきまでと変わらない調子であたし。ところが、さっきまでの憎たらしい調子が返ってこない。

 ちらと左をうかがう。

 栗色の髪をきらきらと明滅させながら、来瞳はなにやら考えていた。両手に雑誌を開かせ、くいっと顎をあげ、書店の遥かな彼方、天井に程近い、円い時計のかかっているあたりをぼんやりと見ている。

 釣られて、あたしもその彼方を見やる。

 16時48分。

「どしたの?」

「んー」

 きゅうっと口角を引き絞り、その反面、力みのない瞼でぼんやりと長考。

 再び時計を見る。

 教室にかかっていそうな地味な円盤。

 再び来瞳を見る。

 相変わらずの緩いまなざし。

「なに?」

「いや」

 そう言って、ようやくオンラインゲーム雑誌のとあるページへと視線を落とした。

「舞彩のさぁ」

 一点を凝視している。

「おばあさんのお葬式ん時にさぁ」

「葬式?」

「こんな子、いなかったっけ?」

 雑誌をあたしに送りながら、右ページ、その下のほうを指さした。

 次の瞬間、



ご ぢ ょ 



 あたしの背筋を冷たい昆虫が疾走。

 そこに描かれていた少女は、

「これ……!」

 悪夢の少女・・・・・によく似ていた。

 腰にまで伸びたゴワついた黒髪。前髪が顔面の大半を覆い尽くしている。

 蒼白い、枯れ枝のようにか細い手足と、光沢のうねるワンピース──ただし、その生地の色は、あの血のように鮮烈な紅ではなかった。

 喪服のような黒。

 闇夜のような黒。

 絶望のような黒。

 胸もとに刻まれた繊維の皺のテカりは、さながら月。

 わずかに覗いている唇のほうが、脈動をたたえる紅。

 コレは、アレじゃない。

 顎のラインは充分に見て取れる。だから、コレはアレじゃない。

 なのに、冷たい昆虫の足跡は消えない。背中に深く刻まれたまま。

 東京月報を平積みの上へと避難させ、件の雑誌を受け取る。この「グウェン」という名前のキャラクターは、どうやら物語のキーパーソンらしかった。ページの半分に跨がって、特徴や人となりがピックアップされている。悲哀な宿命を背負いし少女と仰々しく冠されてもいる。

 ゲームキャラクタに宿命はつきもの──ひとまず脳裏に皮肉を思い描くと、

「こいつが、なんだって?」

 来瞳の小顔を覗きこんだ。

 相変わらずの力みのない瞼ではあるが、しかし、知る人ぞ知る難しそうな顔で、

「こんなふうな感じの女の子さ、お葬式の時に来てなかった?」

「おばあちゃんの?」



 おばあちゃんの葬式。

 死んで、あっという間に催された葬式。

 なんでそんなにも迅速に段取れるのかが不思議でしかたなかった。つまり、喪主であるパパが、もしやおばあちゃんの急逝を悲しんでいないのではないかと疑心暗鬼になった。本当に悲しいのならば、葬式の打ちあわせどころではないはずだと。

『舞彩、おばあちゃんがヤバいらしい』

 介添えのママからの緊急連絡を受けて、あたしとともに車で1時間もかけて病院に直行、そして、

『あぁ昌範まさのりさん、ダメだったぁ』

 出迎えた半泣きの言葉に、

『そうかぁ死んだかぁ』

 台詞を歪ませながらわずかに苦笑いのパパ。それから、医師の説明を受けている間、パパはずっと黙っていた。表情を崩すことなく、だけど強く噛みしめるように、おばあちゃんの苦痛のない寝顔に見入っていた。そんな、パパの読み取れない表情をあたしはずっと見ていた。ダイナミックな呵責かしゃくだったのだと今にして思う。ご機嫌をうかがうような、癒着を求めるまなざし。

 だって、あたしが殺したんだもん。

 ふと、思い出したように携帯電話を開くパパ。お世話になっているお寺の住職への連絡らしかった。祖父の葬式にも関わりがあったとのこと。

『残念ながら、母が亡くなりまして』

 培われた教養だけでパパは喋ってた。

 それから、茫然と、失神したかのように身動きのできないでいるあたしの目の前、淡々と通過していくきらびやかな葬送。

 菊。

 蝋燭。

 鯨幕。

 光と影が同時に躍ってた。

 メモリアルホールに宿泊しての通夜も、おばあちゃんの横たわる棺の前に集まって昔話をする家族一同を抜け出し、あたしはひとり、会場の椅子に座って遺影を仰いでいるしか術がなかった。いたみたかったわけじゃない。家族の輪の中におさまっているのがとても怖かった。同情の顔をしながらも、心の奥底ではもしやあたしを責めているのではないかと。

 静かに棚引く、光と影。

 異なる属性を併せ持つ会場内の沈黙のほうが、どんな慰めの言葉よりもあたしを癒してくれた。

 それから、

『本来、友引は「共引」と書き、共に引きあって勝負なし──綱引きで両軍の勢力が拮抗きっこうして決着がついていない状態を言う。つまり、良くも悪くもない普通の日という意味であり、葬式をするのになんら支障はない』

『母親の胎内に宿った瞬間に人間の人生はスタートするため、出産日をもって0歳と数えはじめるのは間違い。すでに1歳と数えているのが適切』

『仏は己の中に有る・・のであって、仏壇の中に居る・・わけではない。忙しい毎日に忘れがちな仏を噛みしめるための、戒めとしての仏壇であり、またお努めの習慣である。その証拠に、仏花を仏壇へと供える際、花辨はなびらの面を奥に向けて供えることはない。花辨は常に自分を向いている』

 ──などなど、どうでもいい蘊蓄うんちくだけがあたしの脳内を支配していった。あとは、建前を焦がしたような甘ったるい線香の香りと、無意識に苦笑いの浮かぶ、他人のように痺れていく正座。そして、右も左も同じ顔色の、個性の発揮を赦さないように監視しあっている喪服たち。

 まるでヴィネットのような光景。

 高額を装った児戯のたたずまい。

 悪趣味な箱庭。

 幻を見ていた。

 その中にどれだけおばあちゃんもいると錯覚しただろう。でも、どこを見渡しても大好きな笑顔などなく、大好きな声で呼び止められることもなく、ましてや大好きな体温が背中に羽織られることもなかった。イヤというほど確認させられたのに、棺をカラッポだと信じた。生前葬──軽やかな単語さえも脳裏をよぎる始末。

 とてもではないがあの中に、あの黒い飛沫ひまつの中に、



「こんな子、いた?」

「いたよ。いたいた」

「どのへん?」

 悪夢の少女とよく似た少女があの中にまぎれこんでいた──にわかには信じられない。だけど、来瞳にしては珍しく、冗談を言っているようには見えなかった。

「どのへんっつーか」

 緩い瞼でまぶしそうに回顧すると、

「舞彩、話しかけられてなかった?」

「はぁ!?

 思わず素頓狂すっとんきょうな声が出た。来瞳のさらに向こうで雑誌を立ち読みしていたスーツの女が、無表情のままあたしを一瞥。

「あたしが!?

 話しかけられた?

「なんて!?

「知らない」

「なんで!?

「もっと知らない」

 確かに、たくさんの人に話しかけられた。知ってる人、知らない人、ごちゃ混ぜに。そして確かに、あたしの耳はそのどれもをシャットアウトしていた。聞いてなかった。大半が激励や慰問だったとは思うが、それどころであるはずもなかった。頭が真っ白……いや、真っ黒だった。

 雲間から覗く純白の陽光も、頬を撫でる精悍せいかんな風も、あたしへと向けられた哀悼の優しさも、手伝いにきた近所のおばさんの洗う、茶碗のぶつかる涼やかな音さえも、そうしたあらゆるプラスのエレメントが、まるでバーチャルリアリティの安定感で、オフられた水晶体の彼方へとすっかり息を潜めてしまっていた。

 つまりマイナスの世界。

 毒々しいほど黒い世界。

 あの悪夢のような世界。

「なんで憶えてんの?」

 そう尋ねると来瞳、眉をひそめ、やっと表情らしい表情をこさえて、

「なんで憶えてないの?」

「そりゃあ」

「だって、コレだよ?」

 グウェンを指し示す。黒いワンピースを着た、髪の毛だらけの不気味な少女。

「インパクト、ありまくりじゃん。向かいあってた舞彩がなんで憶えてないのよ?」

 確かに。こんなものが目の前にいたら、間違いなく夢に出る。

 ……夢に出る?

 いやいや、それはないでしょう。5年も前の記憶が今になって開花しただなんて、あたしの頭はそんなにスロースターターにできちゃいない。

 体温恐怖症だってすぐに自覚した。

 あたしはたぶん、心的な刺激に対してはかなり敏感な性質だと思う。こんな風体ふうていの少女と対峙たいじして暢気に忘れるなんてことはまずあり得ない。

 5年越しなんてもっとあり得ない。

「ホントにぃ?」

 わざとらしく疑惑の目を来瞳にぶつけてみた。実際には、まだ目まぐるしく回顧を続けてる。あくまでも時間稼ぎのつもりだったけど、案の定、

「あれ、そうくる?」

「だって、こんなのに話しかけられてたら記憶してるもんじゃんフツー」

「えぇぇ……

 珍しく頬を歪ませると、鼻の頭に皺をこさえる。それさっきあたしが言った台詞じゃん──ぷいっと顔を左に逸らした。

 せっかくの時間稼ぎ、なのに、ぜんぜん思い出せない。このキャラクターの姿を見るかぎり、あたしよりも歳下、たぶん中学生ぐらいだと思う。ということは、あの日、葬儀のあたしとほぼ同年代だとも言える。そして、もしも来瞳の記憶が正しいのだとすれば、その少女は、おばあちゃんや親の関係としての列席者ではない。

 来瞳と同様、あたしの関係者としてだ。

 でも、知らない。あたし、こんな少女、まったく知らない。

 確かに、小学生の頃のクラスメートの顔触れは、年度ごとにある程度は変わっていた。しかも、当時のモノマニアなあたしを慕ってくれる友達は皆無。ゆいいつが来瞳で、葬儀に列席したクラスメートも、ただ単に遊びに来たことがあるという外交辞令的な参加だったにすぎない。馴染みのある顔はひとつもなかったと言える。

 でも、まさか知らないなんてことがあるはずもない。

 学校内で顔をあわせておいて、あるいは1度でも家に招いておいて、しかもこんな風体の少女で、忘れるなんてあり得ない。そのほうが不自然だし、不可能。

 でも、知らない。あたし、こんな少女、まったく知らない。

 平常どおりのお気楽な瞳に戻し、新刊のコーナーへと目移りさせているゆいいつの親友をちらとうかがう。

 芹沢来瞳は、こんなところで法螺を吹くタマじゃない。

 やっぱり、あたしの頭の問題?

 話しかけられた?

 こいつに?

 やっぱり、あたしの頭の問題。

 だって抜け殻だったんだもん。

 居ないも同然だったんだもん。

 気が確かじゃなかったんだもん。

 だって、あん。



ご ぢ ょ ご ぢ ょ ご ぢ ょ ご ぢ ょ 



『舞彩さんのせいじゃないよ』
『舞彩ちゃんはわるくない』
『舞彩さんたいへんだったね』
『舞彩ちゃんげんきだしなよ』
『舞彩さんはえらいよ』
『舞彩ちゃんなかないで』

『舞彩さんもすぐいくわ』
『舞彩ちゃんだいじょうぶ』
『舞彩さんのせきにんじゃないよ』
『舞彩ちゃんはがんばったんだから』
『舞彩さんはよくやったよ』
『舞彩ちゃんをおうえんしてるよ』
『舞彩にはあたしがいるよ』




ご ぢ ょ ご ぢ ょ ご ぢ ょ ご ぢ ょ 



 はあッ。

 息を飲んだ。

 見開きの右ページに目をやる。

 腰まで落ちたゴワついた黒髪。

 顔面のほとんどを覆った前髪。

 光沢のある暗黒のワンピース。

 冬の月のように蒼白い、皮膚。

 ……いた。いたいた。

 あの日、自失状態のあたしに、どこからともなくあらわれた少女は、



『舞彩さんもすぐいくわ』



 ぼそりと耳打ちをし、まるで、移り気な雲の影のように消えていった。

 あれは、誰?

 わかんない。

 誰なの?

 だけど、確かにいた。

 あたしはもう、確信していた。

 思い出されたあの日の少女は、5年後、再びあたしの前にあらわれていた。

 紅のワンピースに着替えて。

 あたしの、夢の中に。

 悪夢の中に。

 ……あぁ、メール、返さなきゃ。

 月乃つきのさんのことを考えていた。

 返信しなければいけない気がしていた。





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Nanase Nio




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