偽りのカレンデュラ 



 やっと見つけたオアシスだったのに。

 だって、あたしの隠してきたものは、物ではなく、この心だったのだから。





尚 輝
Section 2
隠 匿イントク





 図書館で借りたドイツの観光ガイド本。ロマンティック街道にひた憧れる盲目的な瞬きで何度も読了をくりかえした。でも、それに飽きはじめたとたん、五体無事に返却しなければならない重圧が芽生え、こらえきれなくなったあたしは、壊さないようにそっと物置の角に隠した。ところが、間を置かずに司書にバレ、最後にはママに引きずられながら返しに行くこととなった。

 食べ残しのショートケーキ。裸の脆さが怖くなって、いったん冷凍庫でカチカチに凍らせると、パパの小型の金庫に隠した。大した物は入ってなかったから心配ないと踏み、キーナンバーも知らないくせに封印した。そして1ケ月後、変わり果てた姿で見つかると、ママに叱られながらあたしは号泣した。怒られたから号泣したわけじゃない。役目も果たせずにその一生を終えたケーキと、そうさせた自分が悲しかった。

 強請ねだりに強請ってパパに買ってもらった白ウサギのぬいぐるみ。とても愛らしく、とたんに壊してしまうのが怖くなり、だから慎重にお菓子の空き缶に押しこむと、裏庭のえんじゅの根元に埋めた。すると、不意に地中からビブラフォンのようなこもった歌声がか細く漂ってくる。焦ったあたしには自分の部屋に逃げこむしか術がなかった。使いきられなかったオルゴール──土葬のウサギは、あれは、誰にいていたんだろう?





    





 あたしは、幼い頃、無惨に壊れることを怖れ、よく物を隠す子供だった。

 そのせいで友達はまったくいなかった。オモチャを買ってもらったと報告され、確認するために遊びに行ってみれば肝心のオモチャが見当たらない。どこにあるの?──質してみれば「さぁ?」となぜか白を切られる始末。こんな不気味な女なんかと誰が友達になりたがるだろう。

 あまりにも不憫なゲーム。

 さすがに現在はそこまで重症じゃない。でも、まだ不安をおぼえることも確かだ。大切だと思えば思うほどに、迂闊うかつに壊してしまうことへのたまらない不安をおぼえてしまう。背中の皮膚の内側を、小さな虫の大群がごぢょごぢょと這うような不安感。我慢するだけで手一杯のそぞろな気持ち。

 だからあたしは、今では生活に必要だと思わない物品はできるかぎり所有しない。もちろん欲しい物は星の数ほどあるけど、だからと言って大人買いなんてできない。

 できっこない。


2010/05/29[Sat]11:04
東京都渋谷区神宮前 - 原宿駅前の竹下通り


「ユージがまた機種変したっつってさ」

 溜め息とともに、彼はそう吐き捨てた。

 手をつなぎたがっているのは知ってる。恋人同士なら当たり前だと、思わないほどマイノリティな男ではない。

「でさぁ、使い勝手がワリぃとかホザいてやがんの。マジムカつくんだけどアイツ」

 愚痴で欲をそらしてる。あたしがつなぎたがらないのを、彼はその強気でどうにかカバーしてる。

「貧民の2年越しバカにしてんだよセレブ野郎だからさぁ」

「2年も使ってるの、そのケータイ?」

 あたしは5年も使ってる。でも傷ひとつついていない。柔らかな漆黒のポーチに、いつも大事に隠してる。

「だって、買う金、ねぇし」

 低い声でうつむくと、彼は細かな生傷に汚れた真紅のケータイ、そのストラップの輪っかに人さし指をしこみ、ぐるぐると勢いよく回しはじめた。

 ぎょッとして発作的に目を逸らす。

 自分のだと思うと気持ちが漫ろになる。

「大事にする、に、越したことないよ」

 見ていられない。やめてよと叱りたい。でも説明するのが難しい。だから目を逸らしたまま、皮肉めいたことをつぶやいてみた。

「まぁ、そうなんだけどさ」

 そう言いつつもぐるぐる。視界の端に扇風機が踊る。胸が火傷したように痺れ、ついにあたしの目は空へと逃げた。

 梅雨の初期症状ながら、原宿に見る空はすでに硬質な雲をクッションにしていた。再来月の新装開店に向け、意味深なトップページで常連さんの期待感を煽っている。夏まで待ってろよ──どこか自信過剰な、うんざりとする空。

 常連でもないあたしはよりにもよって、物品と体温でできた竹下通りへと今まさにダイヴしようとしている。触れたとたんに簡単に壊れてしまう、脆弱ぜいじゃくたちの深海へと。

舞彩まいってソフトバンクだっけ?」

 やっと扇風機が止まる。やっと彼の顔を見られる。

「うん……ていうか、ナオもだよね?」

 ナオ。

 工藤尚輝くどうなおき

 高校1年の春からのつきあい。あたしと同じ2年生なのに、童顔で、背丈も低く、角度によっては中学生にも見える。かなりヤンチャな、いわゆるチュー坊に。

 と──不意に、どんッ、通行人のコスプレ少女と肩がぶつかり、呆気なく弾かれた軽量級のナオ、そのままあたしの右の二の腕へと落ち着いた。

 ワンピースの布を伝わって、彼の体温があたしの体温へと染みてくる。


ご ぢ ょ ご ぢ ょ ご ぢ ょ ご ぢ ょ 


 はッと、思わず息を飲んだ。発作的にナオから離れた。でもすぐに、

「欲しい機種、とか、あるの?」

 取り繕ってみる。

 いつものことだが、こうして彼の体温と距離を置いてしまうことに対して、罪悪感が募らないわけではない。

 できれば、わかられたいと思ってる。

「別に。特にないけど?」

 恋人同士になって、はや2年目に突入。でもあたしたちはお互いの肉体をいまだに重ねたことがない。キスでさえまだ数回。高校生のくせにプラトニックな関係を演出しているのは、他ならないあたしのせい。

 だってあたしは、強いて言うのならば、体温恐怖症だったから。

 体温恐怖症・・・・・

 例えば、電車の中、目の前の席に腰かけていた人が下車にったとする。ぽっかりとあいたスペース。ところが誰も座らない。だからあたしが座る。すると、すぐさまにあたしは立ちあがってしまう。

 ほんの数秒前まで座ってた人の、残り香ならぬ残り体温・・・・が、あたしにとってはたまらなく不快なものに感じるんだ。

 危機感。

 嫌悪感。

 喪失感。

 罪悪感。

 つまり不快感。

 とても大切で大好きな物が無惨に壊れてしまうことを怖がる、少女時代のあたし。永遠に自分の大好きであるためには五体の満足こそが所有の基本条件だった。そしてその基本条件が唯一の絶対条件となって、少女時代のあたしを支配していた。

 良くはないが、多少の欠如だったらまだ許せるとしよう。しかし、多少の欠如では済まなくなるのかも知れない。近い将来にそうしてしまわないともかぎらない。己の油断、迂闊さ、不注意、ひ弱さで、大好きであるための機能をすべて欠如させてしまわないともかぎらない。

 そこにいてくれるだけでいい──そんな、広くて優しい心の土台には、必ず機能性の確保という条件が試されている。

 あたしはきっと、機能しなくなることが怖かったんだ。

 書物としての機能。

 食物としての機能。

 愛玩としての機能。

 未来永劫に機能込み・・で大好きな物の語られることを、あたしはきっと積極的に望んでいたんだ。極めてシンプルな所有原理として。

 原理自体はしごく当然のものだと思う。単に過剰に表出していたから異常に見えていただけの話。そのうちきっと現代社会に揉まれて知らない間に克服され、ごく普通だと見做されるような大人の女性へと進化していくはずだった。

 ところがある日、体温恐怖症へと導く、パラダイムを覆す大事件が起きた。



 小学6年生の夏。

 大好きなおばあちゃんが死んだ。





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Nanase Nio




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