偽りのカレンデュラ 



「さっき、妙なメールがきたよ」

 あたしと来瞳、それに敦子も加わって、西新宿のカラオケボックスを訪れた。特に歌いたい気分じゃなかった。密談を交わすには持ってこいだと来瞳が提案し、敦子が賛同してのことだった。

「誰だか知らないが、この来瞳様に喧嘩を売るバカがいやがった」

 あたしは抜け殻だった。

「舞彩。ぜんぶ話してもらうよ? たぶんすべてがリンクしてるはずだから」

 廃人も同然だった。

「間違いないんだ。だって、あたしの勘はアインシュタインでできている」





月 乃
Section 7
遺 言ユイゴン





 地下鉄丸ノ内線・四谷三丁目駅に程近いコンビニエンスストアで、その“事故”は起きた。正確な時刻はわかっていないが、7月1日の午前2時ごろと思われる。

 入口の自動ドアからではなく、その横の一面にハメられた、とても開くはずのない窓ガラスから、埼玉の美女木を拠点とする運送会社の4tトラックが突入してきた。時速は約20キロ。窓を大破させ、陳列棚を倒壊させ、商品を散乱させて、ぴったりと車体を入店させきったあたりで自然停止。

 34歳の女性運転手がいうには、突入する直前に、ある程度のスピードを出さざるをえない“遠慮のやり取り”があった。

 事故のあったコンビニは十字路の一角に建てられてあり、いつものことだが、深夜にも関わらず数多くの車種が目の前を往来している。そんな繁忙の中、夜食の購入のために彼女は、左折での駐車を試みた。

 駐車場の出入口、ガードレールとガードレールの幅員は広く取られてあるものの、大型車が進入するには狭き門。なおかつ、車道からやや段差があげられてある。狭き門の高段差を乗りあげて左折進入するためには、大型のマニュアル車としては軽微な技術を要すると思われた。とはいえ彼女もベテラン運送業者、この程度の障害ならば難なく乗り越えられるはず。

 ところが、いざ左折しようとブレーキを入れた彼女の目の前、対向車だった銀色のワンボックスカーもスピードを緩め、白い瞳をコンビニへと向けた。

 わずかに搗ちあう遠慮。

 すると、50代と思われるワンボックスの男性運転手が、右手を皿にして譲歩した。確かに、まだ交差点にお尻の突きでているトラックである。緊急を考える場合、ワンボックスが後手にまわったほうが合理的。そのありがたい譲歩に右手をあげて応えた彼女は、ハンドルを左に切り、できるだけ急ぎながらアクセルを入れた。

 およそ5センチの段差、好機とばかりに自虐性を発揮するサスペンション。上下に激しく揺れる視界。梵鐘を打つように窓を叩くお守りのロケット。そしてすぐ目前に迫るカラフルなコンビニの要塞。ゆえに、彼女はせっかくの加速に待ったをかけた。

 待ったはかからなかった。

 し ゅ こ ん

 踏み抜いたと錯覚するほどの柔らかさで床に埋まるブレーキペダル。荒くれの先輩がたを反面教師にして模範的なドライブを心がけて走ってきた彼女の運送人生には、存在しなかった感触。ゆえに、即時に異常事態だと判断することは叶わなかった。

 まばゆいオレンジ色のスポットライトを浴びる窓ガラス。その最新のスクリーンで主演の座を独占しているのは厳つい形相のトラック。その厳つさに怯え、短い悲鳴をあげる観賞者。自分の声帯から発せられた悲鳴だと気づく暇もなく、縁石をロイター板にして、軽々と跳躍する4tトラック。自分と瓜二つの歪んだ形相をスクリーンに垣間見て、次の瞬間、彼女の視界を遮ったものはコルクのような弾力のエアバッグ。

 なにもできず、彼女は失神した。

『バックしようよバック!』
『いや動かしたらダメだ!!』

 悲痛な2つの叫びをかすかに耳にして、彼女は意識を醒ました。1分にも満たない失神の旅だった。

 気の多い幼児にすっかりと忘れ去られた風船のように、力なく萎れるエアバッグを股間のあたりに確認。太ももには鮭とばの包装も。それから顎をあげると、半壊したフロントガラスの前はねじれた肌色の壁。それが押し固められた陳列棚の塊だなんて夢にも思わない。

 ご ん ご ん ご ん

 運転席のドアが忙しなく叩かれていると気づいた。見ると、半壊したドアガラスの向こう側にまっ黒なウェーヴヘアが揺れている。身を乗りだして確認するも、まるでエンストしたように肉体が動いてくれず、確認が叶わない。寝起きの直後のような、気怠い麻痺感すらもおぼえる。

 ご ん ご ん ご ん

 ……なにやら、もうひとつ、車体を叩く音が聞こえなくもない。

『だいじょうぶですか!?』

 ウェーヴヘアの主か、男が車内に向けて叫んでいる。と同時に、

『ぁあ、どうしようどうしよう!』

 困惑してもいる。あげくには両手で頭を抱える始末。

 事故を起こしたという自覚もまだなく、あくまでも興味本位で、肉体に鞭を打って彼女は安全ベルトを外すと、転がるようにして外に出た。それから、頭を抱えて立ちつくしている青年……男性店員の見つめている先を追った。

 右の後輪のあたりに、女が倒れている。

 仰向けで、右腕を天井に伸ばしている。

 女の下半身が、車体の下に消えている。

 巨大な後輪が、女の下腹を潰している。

 新宿の某デパートに什器を届けた帰り。だから確かに積載物はない。什器や品物を固定するためのラッシング(ベルト)と、カバーする養生用の毛布と、車体との間にできる隙間を補うための発泡スチロール板だけが積まれてある。これから麹町にあるデパートで什器を回収のための、わずかな休息のために。

 積載物はなく、しかし、4t。

 4tが、女を腹を潰している。

 散乱する雑誌・菓子・化粧品・文房具・陳列棚・その棚板・横転した銀行ATM・コピー機・その破片……多種多様な色彩が撒かれる中、特に異彩を放っていたのは、横たわる女の鮮やかなオレンジ色の髪と、絶え間なく口から溢れでる、深紅の血液。

 女のそばには、中年男性がひざまずいていた。さっき譲ってくれたワンボックスの運転手だと朧気に認識。

『しっかりしろよぉ!! いま救急車よんだからなぁ!! がんばれよぉ!!』

 声をガナらせ、必死に呼びかけている。

 女は、くわと目を見開き、金魚のように口をぱくぱくとさせている。痙攣はなく、天井に伸ばす右腕も石膏のように固まっている。その反面、車体の下に覗き見られる足は貧乏揺すりよりも激しく暴れまわり、あたかも自傷行為のようにトラックの腹を膝蹴りしている。まさかこれが痙攣だとはとても思えない。

 後輪を境に、動と静が分かたれている。

『……はぁッ! ごめんなさい!!』

 初めて、自分が轢いてしまったと認識。謝罪を叫ぶや否や、慌てて駆け寄り、

『どうしよ! どうしよ!』

 彼女はタイヤを押していた。進行方向に向かって押すのならばまだしも、側面から横に向かって押していた。それでは万が一にも動くはずがないのに、力一杯に押していた。完全に錯乱状態だった。

『ごめんなさいごめんなさい!!』

『動かさないで動かさないで!!』

 かたわらの中年男性に抱き抱えられて、引きずられて、離される。

『大丈夫!! 呼んだから! 救急車よんだから! 落ちついて! 落ちついて!』

 蒼い顔でたしなめる彼もまた錯乱状態。

『バックさせたほうがいいよぉ……』

 若い男性店員の湾曲した声。

『大丈夫だからな。大丈夫だから!』

 中年男性の自戒のような声。

『ごめんなさい! ごめんなさい!』

 チアノーゼの、彼女の謝罪。

 そして女の口からは、

『ごぼぽ』

 絶え間なく、深紅の血液が泡立つ。

 血溜まりを枕にし、天井を凝視し、その先に向かって伸ばされる掌の、そのもっと先に向けて、ぱくぱくと語りかけている。

『大丈夫だ。大丈夫だから頑張れッ!!』

 すると女は、口を縦に大きく開き、顔を細かに震わせた。しかしすぐに力なく顎を弛緩させると、不意に、

 ぎ ょ ろ

 崩れ落ちる運転手に目をやって、

『びんだに、づだえで、ぐだ、ざい』

 鼻声のような棒読みを漏らした。

『え? え?』

『どもだぢ、に』

『友達に、伝える?』



『いづわるどぢぢばる』



『……偽ると縮まる?』

 しかしそれ以上は応えず、女は再び天に目をやり、わずかに胸を仰け反らせ、

『あぁぁぁ』

 今度は口を円くして、一気に酸素を吸いこむと、

『はや、と』

 囁いて、微笑み、手を伸ばしたまま、

『きす、して、い?』

 そのまま。

 そのまま。

 そのまま、すっかり、動かなくなった。

 警察が先着し、救急車が到着し、4tが排除され、ストレッチャに担がれ、ありとあらゆる救命措置が選択され、いくつかの病院に断られ、都心の大学病院に運ばれ、素早く院内に流れても、女は、もう2度と動かなかった。



 女は……月乃さんは、こうして死んだ。





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Nanase Nio




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