偽りのカレンデュラ 



 タワレコを出た直後だった。

 電話があった。あとでわかったのだが、発信者は月乃さんだった。

 本当は、まずはあたしのほうからコールしていなくてはならないはずなのに。

 ところが、あろうことかあたしは電話に出なかった。

 そんな気分じゃなく、無視した。

 留守電にバトンタッチされるまで電話は口遊み、そして、ミルキーな声が留守電に残されることはなかった。





月 乃
Section 3
終 活シュウカツ





 それにしても、あたしはいよいよ気味の悪い女。


2010/07/01 [木] 16:08
東京都渋谷区代官山町
キャッスルストリートの付近


 すでにナオの隣りを歩いている。昨日の今日、お互いにあれだけ尖った空気を醸しだしておきながら、懲りた様子も見せず、むしろ開きなおった顔で、

「オゥイエー源氏名は“あたし”〜
 メリットいっぱい強気に見える〜」

 結局、昨晩、着うたサイトから落としてしまった天井聖識を口遊んでいる。ナオの左、30センチの距離を保ったまま、鼻歌にしては大きすぎるボリュームで、

「見える見え〜る見てて見えてて〜」

「源氏名」を口遊んでいる。

 御菜の多いドラムにノイジーなギター、そしてベースのシンコペーションが躍る、シンプルながら豪放磊落なスリーピース。そこに、天井聖識の破壊的なガナり声。

「ご破産なくらい注ぎ込んで〜」

 一撃でハマった。一瞬で憶えた。昨日のうちに購入しておけばよかった。

「夜明けまでには乗り越えて〜」

 代官山町、民家と小さな店とがピアノの白鍵と黒鍵のように互い違いに並んでいる路地に、あたしの不束な声がコダマする。お洒落な町に不似合いな、浪曲の調べ。

 もちろん恥ずかしくはない。

 ナオのことも気にならない。

 だって、この歩みは生前葬なのだから。

 間もなく訪れる“死”への歩み。

 有意義な歩み。

 つまり、きっとナオは、こんなあたしのことを不気味だと思ってる。

 無論、不気味とはオクビにも出さない。マイペースに努め、淡々とした皮膚呼吸を醸しだしている。顔を覗きこまなくても、努めて醸しているとわかる。

 それが証拠に、

「あれは何屋?」

 あたしの熱唱を途中で遮ると、前方の、路地の脇にひっそりとたたずむ小さな店を指さした。いつもならば、ひとまずキリのよい小節まで唄い終わるのを黙って待っていてくれるのに、真摯な努めがすぎたか、勇み足のような問いかけだった。

「舞彩、知ってる?」

「さぁ。あ、でも看板にマカロンって」

「マカロン屋? 成り立つものなの?」

「意味がわかんない」

 などと議論している間に店の前を通過。2席がバルコニーに食みだした、オープンカフェを装う店がまえ。お客の姿はなく、店員の姿さえも見られない。営業中なのか骨休め中なのかもわからない謎の店。

 素早く店内を覗きこみ、興味なさそうに「ふうん」と納得を決めこむナオ。早くも次のオブジェクトを探すように足の爪先を前方に伸ばした。いつもなら「寄る?」のひと言があっても可笑しくないのに。

「そういや小学生ん時にさ」

 今度は、自分の話で努めようとする。

「学校行事の一環で新潟県のキャンプ場にいったんだけど、山間のすげぇド田舎で、コンビニもない村なんだよ。唖然だったんだけどさ。でも、なぜだかケーキ屋はあるわけ。コンビニもないのにケーキ屋って、意味がわかんないじゃん?」

「……うん」

「で、すげぇ謎だったから、担任に、誰のためにケーキ屋なんて開いてんのって質問したらさ、村民のためなんじゃないかって答えられて、なんだか謎が深まったような感じがしたんだよね」

「なんで?」

「東京の店って東京都民のためだけに開業してるわけじゃないじゃん? グローバル目線で、色んな人種・民族を消費者として見てるわけじゃん。俺、地域密着っていう感覚がよくわかんなくって。身内でモトを取りあったところでプラマイゼロじゃん。実際、コンビニはその村を選ばなかった」

「でもナオ、今、マカロン屋が成り立つかどうか疑問に思った」

 我ながらの鋭い指摘を入れる。

「つまりあの店もグローバル目線で暖簾を掲げてるってことなんでしょ?」

 するとナオ、わずかに間をあけて、

「そっか。そうだよね。マカロンだしね。代官山だしね。成り立ってるんだろうね」

 独白のテンションで言葉を並べた。

 やっぱりあたしに気をつかってる。今のあたしには、ナオに負ける要素がない……いや、今のナオに、あたしに勝とうとする意欲がない。

 積極的に負けようとするナオにカチンときた。こんなのはフェアじゃない。フェアじゃないし、こんな気づかいなんかで短い余生を費やしたくない。対等な関係を貫きとおせて、初めてあたしの聖なる生前葬は成就するんだ。

 そっちがそのつもりなら……と、

「まぁ、あたしにはもう、グローバリズムなんて関係ないけど」

 自棄のトーンでつぶやいてみた。ナオの耳に、意味深に聞こえるように。期待するとおりのリアクションを得られるように。そして、得るのを待たずに自棄を継続。

「行ってみたかったな。タリンとか、香港とか、メテオラとか」

 路地はゆっくりと勾配をさげ、にわかに足場を階段へと変えた。

「タリンって町、知ってる? エストニア共和国の首都でさ、魔女の宅急便みたいに坂道が多くて、石造りなんだよね。行ってみたかったなぁ」

 1.5歩につき1段という、中途半端な階段へと。

「まさか代官山ごときで満足できるような人生じゃなかった。もっと外の世界に飛びだしてみたかった」

 言葉の内容とは裏腹に清々とした心地を嘯きながら、てこずる段差を大股でおりていく。すると、瞬く間もなくナオの気配が背後に伸びた。

 立ち止まるのか。

 追いかけるのか。

 でもあたしはふりかえらない。効果的な台詞はもう存分に吐いた。アンフェアな、仕返しの台詞は。

 ざまぁみろだ。

 とッとッとッ……一足飛びの連鎖で駆けおり、勢いよくキャッスルストリートへと躍りでる。お洒落っぽいお店に挟まれた、一車線の細い車道。

 じわっと、霧の大きさの汗が吹きだす。あたしにも、体温はある。おばあちゃんの体温以外、積極的に体温を知れないままのあたしにだって、ちゃんとある。

 冷たくなるなんて、信じられない。

 メインストリートのほうに根こそぎ客を奪われ、世間の代官山のイメージを大いに損なっている車道。思ったほどの集客力を発揮できていない。左右を埋めつくす店が店舗然として営まれている機運は毛ほども感じられず、暖簾にひと手間を加えている店員の背中がいくつかと、営業の額に汗を浮かべているサラリーマンがいくつかと、かつては店舗だったのだろう空間を跡形もなくリフレッシュさせている大工のニッカボッカがいくつか見受けられる程度。

 でも、それらの営みがすべて、閑古鳥の実情を恥じることもなく「お洒落な町」の胸を張っている。代官山というバリューを都市伝説のままにせず、むしろ頑と信頼しきっているかのよう。未来永劫、この地に根を張っていられると、だって代官山ですからと、気丈に信じているかのよう。

 みんなみんな、ちゃんと息をしている。

 慎んで、明日を見ている。

 そらすように天空を仰いだ。昨日と同じような、わずかに水色の覗く空。晴れ渡る兆しを光で匂わせておきながら、実際には絶対に水色を拡げようとしない空。まるであたしみたいな空。ふる舞いの立派な空。

『ふじゆうなのは
 たぶんあたりまえだった
 なみだもえみも
 すべてがさなぎのなかだ』

 サナギだったのか。死んで、やっと人は自由になれるのか。夢も現実もなく、ただ1個の蝶として天にのぼっていけるのか。あの、水色の点を上手にすり抜け、目にもまばゆい天上に。

『あなたはないてていい』

 もしかして、だからナオは孤独な晩年を迎えたんだろうか。誰とも結婚しないで、子供もつくらないで、独身ならば独身で、好都合な自由もつかまず、孤独なままで、生というサナギを生き抜いたんだろうか。

 死ぬって、そういうこと?

 生きるって、そういうこと?

「オゥイエー源氏名は“あたし”〜」

 仰いだままでかすかに口遊んだ。でも、途切れ途切れのウィスパーボイスになる。

 センチメンタルな、ヒロイックな歌声。

 そんな自分が小癪で、

「メリットいっぱい強気に見える〜」

 力強く唄いなおす。

「見える見え〜る見てて見えてて〜」

 車道を左に折れた勢いで、首だけをふりかえらせた。途端、ぴきッと関節が鳴る。気怠そうに首を撫でる。たぶん誰の目にも気怠そうに見えるんだろうな……と思う。これもセンチメンタルで、ヒロイックで、鼻につくような気がして、さっそく小癪な手をおろした。

 センチメンタルもヒロイズムも、結局のところ、自己完結が得意で自己責任能力は皆無な、自己満足人間の専売特許。他人が苦笑しようが知ったことではないとする、私は私だと思うことで孤独な淋しさを相殺しようとするための精神安定剤。もしくは去る者は追わないと宣う自分に浸るための安いマニフェスト。だから、進んで嫌ってきた情緒だった。

 それがどうだ。イザとなるとこんなにも自己陶酔に依存してしまうなんて。

「ご破産なくらい注ぎ込んで〜」

 ほんのわずかに見あげるほどの高さに、センチメンタルともヒロイズムとも無縁でいられる、いつも冷静で、柔軟で、決して思考することを諦めないナオがたたずんでいる。それにしては難しい顔で、仕返しを口走ったあたりで微動だにせず、あたしの肩のあたりを見おろしている。

 昨日、ヘッドフォンを渡すさいと同じ、途方に暮れた顔。

「夜明けまでには乗り越えて〜」

 きっと、もう乗り越えるための夜明けを一緒に拝むこともないだろう、愛しい人。

 また、途方に暮れさせている。そして、もう暮れさせるだけ暮れさせればいいと、心の手前のほうで、すっかり諦めている。もう嫌ってくれてもいいよ……と。

 なんてセンチメンタルだろう。

 なんてヒロイックなんだろう。

 ……死にたくなる。

「死にたくなるよ」

「え?」

 思いがけない言葉がナオからこぼれた。

 動きを止めるあたしを置いて、

「絶望してる舞彩の背中に、死に体になるしかない自分が、もう嫌いだ」

 とうとうと、階段に声を響かせる。

「どうして絶望してるのかわからないし、それに、わからないでいるのが優しさだと思ってもいたんだ。だって、舞彩の問題を解決できるのは舞彩だけだから。だから、俺という存在は、あくまで、舞彩の憩いであればいいって思ってた」

 響きが、徐々に歪む。

「でも」

 ほんの少しだけうつむいた。肩にあった視線が腰のあたりに移ろう。だけど、凝視されている感覚はなかった。

「それはぜんぶ嘘だ」

 あたしを透かした先の、路面を見てる。そして両の目から、

「偽りだ」

 狐の嫁入りのような雫が、ひとつずつ、落ちた。

 一瞬では、成分のわからない雫。

「舞彩の絶望を知りたいし」

 声は、泣いてる。

「だけど、知るのが怖いし」

 また、雫が落ちた。

「だけど、やっぱり知りたい」

 ナオが、泣いてる。

「舞彩の力になりたい」

 あたしが、そうした。

「ごめんね、舞彩?」

 あたしが、泣かせた。

「今さらで、ごめん」

 動悸がする。

「嘘ついて、ごめん」

 息があがる。

「偽ってて、ごめん」

 悲しくなる。

 まだ、悲しいと思えるあたしがいる。

 悲しむことを、諦めてたはずなのに。

 開きなおった生前葬のはずなのに。

 まだ感情にしがみつくあたしがいる。

 これも“偽り”だったの?

 昨日の今日、たどりついた結論は傷つきたくないという“本音”だった。だけど、今、ここに芽生えた結論は、傷つくことも覚悟のコミュニケーションをもっと取っていたいという“本音”だった。

 どっち?

 あたしの本音はどっち?

 どっちを選べばいいの?

「舞彩……」

 お洒落さを疑わない世界で、代官山で、ナオが、ひとりの男性が、人目を憚らない姿勢で、泣いている。

「自分を諦めるようなこと、捨てるようなこと、いわないでほしい……!」

 あたしの目からも、涙がおりる。

「笑う舞彩も、不貞腐れる舞彩も、苦しむ舞彩も、悲しむ舞彩も、ぜんぶの舞彩を、俺、愛してるんだよ?」

 お互い、醜く顔を歪めあう。

「諦められたら、捨てられたら、俺、もうなんにもできないよ?」

 涙を落としあい、

「俺を、置いてかないでほしい」

 嗚咽を交わしあう。

「舞彩の人生に、混ぜてほしい!」



 ──体温恐怖症からの脱却のため、ナオからの告白を受けた。

 いい加減、こんな“性情”にはうんざりだった。例えば、勝負以外のことばかりに全神経を研ぎ澄ませる運動会の団体種目。三半規管は無事なのに、降りれば吐き気をもよおしている満員電車。国語的な比喩としての「並べる」以上に並べられない親友との肩……世界中の人間があたり前になしとげ、むしろ美徳としている“触れあい”から逃げつづける日々。世界のあたり前ができず、そんな自分が異常者であるように思えてしかたなかった。

 普通でいたかった。不愉快な気分でいてまでして、浸りたい特別なんてなかった。願わくば、再び、あの“殺人事件”以前のあたしに戻りたかった。

『あのぅ、舞彩さん』

 高校1年の初頭、社会科見学という名の団体旅行で川越を訪れたさい、来瞳に牽引されて古民家街をとぼとぼと歩くあたしの背中に、声をかけたのがナオだった。

 気になる女子に声をかけて、冷やかされつつ並んで歩くという謎のステイタスが、いつの間にか男子の間で流行ったらしい。次々にナンパを受ける同級生の女子たち。なにしろ初頭も初頭だったから、ほぼ第一印象に基づくナンパであり、彼女の本性もわからないのに、遅かれ早かれ裏切られることになっても知らないよ……冷ややかな目で男子を見てたあたし。でも内心では、もしやあたしにも声をかけるギャンブラがいるかも知れないと思って恟々だった。

 積極的に絡んできたらどうしよう。

 積極的に触れてきたらどうしよう。

 3年も同じ校舎ですごすはずの彼らだ、積極的に触れられたあげくに悲鳴をあげ、震えて嘔吐でもして、散々な称号を授かるわけにはいかない。なにもしていないのに昏倒しかかる謎の女子……などとレビューされるわけにはいかない。

 なんとなくそのあたりの内情を知ってる来瞳だけが頼みのSP。

 そんな中、あたしは声をかけられた。

『あのぅ、あの、俺、と、あの、一緒に、あの、歩いて、あの、そういうわけには、あの、いかないでしょうか?』

 爆笑したのは来瞳だった。

『アノが多すぎ……!』

 そして、ひとしきりに笑ったあと、急に真顔になると、

『つか誰?』

『あ、あ、あの、俺は、尚輝といいま』

『舞彩に変なことしたら殺すよ。物理的に殺せないんだったら呪い殺す』

 自己紹介をうながしておいて次の瞬時に遮り、ベースのハンドベルで奇抜な脅迫を宣ってのけた。

『舞彩が許さないかぎりは絶対に手を出すべからず。思想的な手じゃなくて直接的な手だよ? わかった、尚輝クン?』

 思想的な手ってどんな手だと思ったが、表現力としての効果はあったらしい、ウンともスンともいえずに唖然となったまま、彼は容易く脅しに屈して首を縦にふった。

 よろしい……偉そうにうなずくと、

『じゃあ、いってらっしゃい』

 言の葉であたしの背中を押した。

 なにを勝手なことを!……目を見開いて慄然とするあたしに、来瞳は小声で、

『あの子は平気だと思うよ。同伴の仲間もいないみたいだし、冷やかされていい気になりたい愚かな輩とは一線を画す。まぁ、流行りに便乗したってところがマイナス点ではあるけど、ひとりで誘ってきた勇気は買うに値する。ただの勇気であって、蛮勇ではないから平気だと思う』

 独特の審美眼をつらつらと並べる。再び彼を向くと、

『気安く触れられない神聖さにこそ神仏は宿る。敬虔な姿なくして誰が誰に微笑み、救済の手を伸ばすのかと、謙虚に思慮して築くべし。ともに歩むとはそういうこと』

 おわかり?……またもや偉そうに、首を斜にかまえて勝ち誇って見せた。

 圧倒されたままうなずく彼。

 小江戸・川越でいったいなんの諍いかと怪訝な目でとおりすぎる観光客たち。

 顔から火が出た。

 だけど、今にして思えば、それら来瞳の言動ほどの自己犠牲もなかった。積極的に奇人変人を演じることで、あたしを立て、容易に触れられない保険を置き、分析し、仲人となり、人とのコミュニケーションのチャンスを与えてくれた。あたしに必要なすべてを、一瞬にして導きだしてくれた。

“舞彩にはあたしがいるよ”

 証明してくれた。

『あのぅ、舞彩さんは、あの、川越って、よく来るんですか?』

 という質問が、ふたりきりになって初のコミュニケーションだったと思う。望まぬ学校行事で無理やりに参加させられたのであり、その辻褄のあわない質問に苛立ちをおぼえつつも、

『来ませんけど?』

 いちおう冷静に応えた。

 変な男子に誘われたものだな……乗ったことを後悔しながら、来瞳を立てる一心でナオと歩いた。いったい、あたしのどこに興味を持ったんだろうと訝りながら。

 あたしはあたしのことをよく知ってる。人見知りだし、無愛想だし、不器用だし、常に不機嫌そうに見られるし、かといって人様の肉体を無遠慮に叩いて感情表現するようなタイプでもないし、そもそもが体温恐怖症だし。知りたくもないが、あたしの人物像は、あたしがいちばん知っている。

 どうせ誘うのならばもっと気安い女子を選べばいいのに……戦々恐々と距離を置きながら、かたわらの少年を訝りつづけた。そして、例えば観光客の人波がもたらした悪戯に、格好いいところを見せようと思い立った彼がよもや接触でもってエスコートしてきたらどうしよう……不安感と危惧が常に押し寄せ、長閑かな高校生日記を演出しているどころの話じゃなかった。会話の内容もほとんど記憶していないほどに。

 立てるは立てるものの、来瞳を深く怨む思いでもあった。さすがにその時は、感謝なんてできなかった。

 あたしとナオ、ふたりきりの物見遊山を目撃した一部の生徒、および教師に、その翌日から色眼鏡のまなざしを向けられた。でも、茶化されるような最悪の事態に遭うわけではなく、誰もがみんなサイレントなまなざしにとどめたようだった。なんか、あのふたり、つきあってるらしいよ?……密やかな巷説が別次元で展開。

 あたしはもちろんのこと、ナオもまた、校内を賑わせるような生徒ではなかった。どちらかといえば大人しい男で、類似する友達が数人だけいる程度。一見、ヤンチャそうなヴィジュアルが摩訶不思議なほど、ナオは“あたし寄り”の座標にいた。

 会話すれば会話するほど、距離を保てば保つほど、居心地のよくなっている自分がいた。油断はしないとする習慣こそ忠実に守ってはいたが、その実、これまで以上に登校するのが楽しみになっていた。ナオに会いたくなっていた。

 体温恐怖症から脱却し、普通の高校生として生活をスタートできたような開放感。来瞳といる瞬間にしか見受けられなかった自然体なあたし。そして、夏休みを迎えるころには、

『カレシでもできた?』

 ママに心を読まれる始末。

 劇的な出逢いではなく、確かな理屈さえつけられない曖昧な胸の様子であっても、開放感や自然体に甘んじる中であたしは、これを“恋”だと感じた。厄介な恐怖症を礎にした厄介な性情から、あるいは、目を背けるための“恋”。

 やっと普通になれた。

 胸に巣喰う、背の高い毒草たちが丸ごと引き抜かれ、すっかり視界が晴れたようなカタルシス。そして、ナオに触れられないようにと誤魔化す日々も、楽しかった。



“偽りだ”

 それは、あたしの台詞。

“偽ってて、ごめん”

 それも、あたしの台詞。

“愛してるんだよ?”

 それも。

“置いてかないでほしい”

 それも。

 もう、なにが本音かわからない。

 いっそ、すべて打ち明けようか?

「体温恐怖症です」と。

「ナオの子供がほしいです」と。

「来年、死にます」と。

 だから……だから……どうしてほしいんだろう? ナオに、どうしてもらいたいんだろう? そしてナオに、なにができるんだろう? なにができるというんだろう?

 なにもできるわけがないんだ。

 あたしがナオなら、なにもできない。

 その言い分を信用してあげられるのかも疑わしい。体温恐怖症は可能だとしても、悪夢をすべて信じるのは難しい。だって、当のあたしでさえもまだ半信半疑。

 それを、こうやってあたしのために涙を流してくれるナオに、どう打ち明けよう?

“舞彩の人生に混ぜてほしい”

 ムリだよ。

 できないよ。

 ぼやけた視界、愛する人の涙を見すえるほどに、できない思いが強まってく。





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Nanase Nio




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