尚輝 × 雨音
偽りのカレンデュラ
噛みあってるんだか、ないんだか。
その程度でちょうどよいのだろう。
でも、あたしは噛みあいたかった。
自然体を装ってすごしてしまった。
もっと、ナオへと努力したかった。
尚 輝
Section 5
雨 音
アマオト
リンクタグという暗号をコピーして自分自身のホームページに貼りつける。たったこれだけの作業で貿易のトンネルは開通。科学者たちの夢見たテレポテーションの方法は、実はとっくの昔に完成していた。
『雨音シトトともうします。今回、私選館さまのリンクを貼らせていただきました。お世話になります』
そして私書箱に投函。先方の設定次第によっては、投函のお
報
しら
せが一般のメールと同じ要領で通達される。
さて。
やるだけのことはやった。きっと小規模サイトには違いないが、1人でも多くの人に読んでもらえるに越したことはない。カウントがなければ自動削除されてしまうような手厳しいサイトでもないようだし、あとは放置しておけばいいという気楽さがなんともありがたい。
液晶を休ませる。硬いサスペンションの背もたれに深く寄りかかって大きな伸びをひとつ。1日のストレスを強引に中空へと飛散させる。
音のない、自室。
同日 〜
2010/05/29[Sat]21:46
東京都品川区西五反田 - 大城舞彩の部屋
購買が目的だったわけではないものの、予想どおり、あたしは手ぶらで帰宅した。気になるカバーオールがあるにはあった。青色と桜色の薄墨をストライプに滲ませたような目に優しい風情。でも、アクセントが物足りなく、インナーや小物で得票数を稼ぐ必要性を感じたので諦めた。
そこまで所有できない。
あたしに配慮してか、ナオも手ぶらで帰宅。あたしよりも遥かにファッションに長けた人だけに、申し訳ない気分がする。そして、申し訳ない気分にさせた彼に少しだけ腹も立っている。
送るよ──
JR
渋谷駅の切符売場、帰路の分岐点で持ちかけられた提案から、優しさだけを大切に切り取ってポケットに隠し、じゃあネと告げて別れた。赤の他人の体温ならばまだ我慢できるが、ナオとひとつの車両を共有するにはまだまだ覚悟が足りない。
結局、指も結べなかった。
いつになれば努力をはじめられるのか、空振りに終わった今日1日の記憶を奥歯に確かめながら、歯痒い踵で自宅に戻る。
食事、入浴、ママとの会話を要領よく終えると、自分の部屋に
籠
こも
って最新作の1ページを挿入し、
私選館
しせんかん
のタグを貼って私書箱へと投函し──流れ作業ですべてを済ませた今、ようやく脳内が無の状態になっていることに気づく。
いや、無じゃないな。混沌か。虚無とも言える。有るのに無い感じ。有に
栓
せん
をして無だと誤魔化している感じ。深く哲学したところでどうせ無力に違いないと、全幅の信頼でもって諦めてる感じ。
幸せなのに、物足りない。
もちろん、すべての原因はあたし。ナオは悪くない。だけど打開策が見つからない。いや、ホントは有る。あたしが我慢すればいいだけの話。いずれ慣れる。でも、今のあたしにはそれが無い。無いという自信が完全に有る。つまり、有るのに無く、無いことが有る。じゃあ、例えば、無いことが有ることを無くしてしまえば、有ることを本当に実行できるのだろうか。そして、あたしは今よりも幸せに
ゔ ゔ ゔ
両の肩を戦慄させてパソコンの右隣を見ると、携帯電話を入れたポーチが細かに振動していた。しまった。マナーモードのままにしてた。バイヴの振動って本体内の機能を狂わせてしまいそうで嫌いだ。慌てて虚無を中断し、素早くも慎重にポーチから携帯電話を取り出した。
バイヴはすでにおさまっていた。
画面には、メールの受信とある。
日付
2010/05/29 21:55
差出人
You Love Books
件名
MAIL
より
■名前:
カレンデュラ
■ホームページの
URL
:
■内容:
リンクをお貼りいただいて
誠にありがとうございます
わたしはあなた様のことを
お命が続くまで離しません
――――
配信元
Abyss Media Works
東京都渋谷区渋谷
x-xx-x
■お問い合わせ
http://xxxxx.xx/xxxxxxxx/xxxxxxxxx
たちまちのうちに、思考が停止。
メール?
状況が把握できない。
カレン
……
デュラ?
もしかして、今さっきの?
早!
などと思ってみる。でも、実はまったく状況が把握できていない。
なに、この文章?
意味が、わかるような、わからないような。
お礼ということは2行目で判断できる。いちおうの謝意になっている。
ただ、
「お命が続くまで、離しません?」
た た た
弾力のある破裂音が頭上から聞こえた。雨が屋根を叩きはじめた。どうやら、まだ浄化しきれていない所業が人間界には存在するらしい。神様はなんて博愛主義者なんだろう。これ以上に人類が善良になることなんてもうないはずなのに。
ひとまずディスプレイから視線を外す。蛍光灯を取り換えてまだ数ケ月ぐらいしか経っていないのに、今さっきよりも部屋の中が薄暗く感じる。32型の輪しか点灯していないような暗さ。
中指で右の頬を掻きながら、振り返って確認してみる。輪は2つとも点いてた。
黒いカーテンがかすかに揺れてる。風がある。いつの間に窓を開けたんだっけか。あぁ、帰宅した直後だった。
お命
・・
、が、
続くまで
・・・・
?
どうにも落ち着かない。
頭の中が綺麗にまとまってくれない。
た た た た た
雨音の間隔が狭まっている。なおさらに落ち着かなくなる。気が散る。
「キモ」
つまりそういうこと。間違った解釈じゃない。気持ち悪い。そういうこと。
「コワ」
つまりそういうこと。間違った解釈じゃない。怖い。そういうこと。
でも、
た た た た た た た た た
文章になっている。
だから落ち着かない。
ポエム?
なんか落ち着かない。
ウケ狙い?
なんか落ち着けない。
たぶん、ポエムでもギャグでもない。文のニュアンスでなんとなくわかる。この人、カレンデュラは至って真面目な女性だと思う。奇を
衒
てら
うことをしない、如才ない人なのだと、なんとなくわかる。
企画心?
こだわり、みたいな?
こだわり。たぶん実相はそういうことなのだろう。なにせ自分の職業を、職名としては曖昧な「案内」としているほどだ。つまり、澱みのない萌え属性の権化というヤツだ。永遠の○○歳と唄う、2次元へのリスペクトに似た堅実なる守備的企画心。ファンの数もよく知らないうちから印象を配慮する、勇み足な優しさ。
そう、きっと悪い人じゃないんだ、このカレンデュラという女性は。良心的すぎて
滑稽
ピエロ
に見えてしまうという、一般社会によくいる天然タイプの人なんだ。
それでいい。そういうことにしておかないと、こんな夜から気味が悪い。歯磨きの鏡に霊が映りこんでいたほうがまだ怖がり甲斐があるというもの。公園で独唱する男子学生とか、スキップするサラリーマンとか、諸事情も経緯もわからない生身の人間のやることのほうが遥かに怖い。えも言われぬ不安感に陥れられる。
結局、人間は自分が基準だから。自分の辞書に書かれていないことはすべて不安の種なんだ。千差万別という観念はあくまで結果論にすぎず、理想論とはなり得ない。
奇矯
ききょう
な人間というのはいるものだけど、差別する時代ではないから、とりあえずこの「千差万別」という四字熟語で溜飲をさげておきましょう──その程度の救済策でしかない。元来、差というものはあって当然のこと。
んもう、頼むよカレンデュラ。
だ ら ら ら ら ら ら ら ら
狙ったかのような本降りになってきた。カレンデュラは引き籠りの雨女か。
相剋
そうこく
作用で自分だけが安全にしていられる──とすれば、これは
巫覡
ふげき
の類いじゃないな。混じりっ気のない呪術。
どうでもいい。
音楽も振動も起こらないマナーモードに設定しなおし、携帯電話を静かにスライドしてポーチにおさめた。パソコンの微熱も落としてから、ようやく席を立つ。
今日は疲れた。いや、ナオとすごす時はたいてい疲れる。悶々と己と闘い、結局は勝てなくて落胆。それに、今日は原宿へとダイヴした。これで疲れないわけがない。
早く疲れなくなりたい。
トイレと歯磨きを手早く済ませ、部屋に戻る。目醒まし時計をセットし、最後の力を絞り出して窓辺のベッドに倒れこむ。
窓の麓に漂っていた微風がアキレス腱を撫でる。思わない日がないほどに焦がれているナオの体温より、今は無機質な温度のほうに
惹
ひ
かれてやまない。
ぬるいはずなのに、ひんやりとした風。
楽天的なアキレス腱。
おかげであたしは、闘いに敗れた今日を反省する間もなく、いともたやすく眠りの深淵へと沈んでいった。
あっという間だった。
ナオ。
明後日は、せめて、二の腕に触れよう。
どんな顔、するかな。
含羞
はにか
んで、くれる、かな。
ナ、オ。
喜んで、くれ、る、か、な。
だらららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららららら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
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ら
ら
ら
ら
ら
ら
ら
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ら
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ら
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ら
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ら
ら
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Nanase Nio
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