尚輝 × 病室
偽りのカレンデュラ
「ま」
ささくれ立った光のブラシが、水晶体となく網膜となく、頭の芯にまで刺さった。
蹌踉
よろ
けつつも、右手を
廂
ひさし
にして2歩前進。
「まぶし、ぃ
……
!」
尚 輝
Section 8
病 室
ビョウシツ
ひさびさの光。さらに、背中には涼しい微風を感じる。正体不明の現状であるにも関わらず、心地よくもある微風。
と──、
「あぁ、そうですかぁ」
突然の台詞にびくッと戦慄。
廂の下から、声のしたほうを覗き見る。
わずか1mの目の前、小柄な2人の男があたしに背中を向けて立っていた。
右に白衣の男。
左に着流しの男。
白衣は
禿頭
とくとう
で、着流しはリーゼント。後ろ姿ではあるものの、2人とも男性であるということも判断できた。
双方とも、ある1ケ所をじっと見てる。
「なるほど」
リーゼントの後頭部が小さく頷く。
その時、ふわっ、腰から背中にかけて、なにかに優しく撫でられた。またびくッと戦慄して振り返る。
「え」
思わず声が出て、慌てて口をふさぐ。
白いレースのカーテンが柔らかに舞っていた。清潔なはためき。そして、その裏に霞んでいるものは巨大な窓。さらに、窓の向こうに広がっていたのは、もっと霞んだ田舎の町並み。
今、抜けた出入口がなかった。
鉄扉
てっぴ
も、暗褐色の世界も、どれもが
忽然
こつぜん
と姿を消している。
瓦つきの一般家屋に混じり、背丈の低い雑居ビルがちらほらと点在している。とはいえ、密集しているわけではなく、建物同士の距離は遠い。1車線の道が数本だけ蛇行、その脇にはビニールハウスの姿も見られる。
大きな町ではない。深緑の山々が遠くに並んでいるし、車の量もごくわずか。人の姿は確認できない。
長閑
のど
かな片田舎。
「天涯孤独──」
鍛えられた
艶
つや
やかな声がして、着流しを見やった。光沢のある黒い服が太陽の白を縦横無尽に跳ねかえしている。格子模様がかすかに認められるものの、これもどうせ黒なので遠目にはわからないはず。
あたしの存在には、気づきもしない。
「──ですかぁ」
ぢゃら
左手に数珠。ひと粒ひと粒が
葡萄
ぶどう
ぐらいの大きさで、どれもがぴんと輝いている。
お坊さん?
袈裟をつけていないからわからないが、葬祭にまつわる人だとは思う。
「まいったなぁ。無縁仏さんかなぁ」
「色々と当たってはみたんですが」
白衣の禿頭が腕組みの背中で項垂れる。彼もまたあたしには気づいていない。
医者?
いや、彼はどう見ても医者だろう。もしそうじゃなかったら、いったいなんの仮装パーティだという話になる。
「身寄りがひとりも見つからなくて」
「ご結婚は?」
「そのような事実もないそうです」
「1度も?」
「ええ。生涯独身のようです」
陽光、微風、2人の標準的風体、
暢気
のんき
な会話のスピードのおかげで、さすがにこれまでのような恐怖は湧かなかった。確かに油断できたものじゃないけど、身体中の毛穴、ひとつひとつに至るまでが、通常の労働力を回復したかのよう。見違えるほど和やかな皮膚呼吸ができている。
目もほとんど慣れた。
病室?
小さな棚、
箪笥
たんす
、介添え人のための簡易ベッド、見舞い客のための丸椅子がある。奥の壁には洗面台と、ピンクのカーテンがアップに結ばれ、奥にはスライド式の扉。
どこからどう見ても病室だとわかる。
2人の見つめているものは、その、中央を陣取っているベッドの上にあった。大きな手すりと純白のシーツが敷かれるベッド。おばあちゃんの入院の時にも似たような物を見た。
「家族なし。友人なし。そして独身」
ぼそりぼそりと着流しの男がつぶやく。
ベッドの上に、誰かが横たわっている。
黄緑色のパジャマを着ている。
お腹の上で、掌を組んでいる。
恐る恐る、ゆっくりと、半時計回りに回りこんでみる。
すると、あたしのその動きにあわせて、2人とも、
ぐ る り
向きを左に変えた。素顔を見られるのを嫌がるように、あたしに背中を向け続けようとしている。
突然の薄気味悪い行動に、思わず腰の引けるあたし。だけど、おかげでベッドに横たわるものが視界に入った。
「無縁仏のご供養もさせていただいているとはいえ、こうなりますと
生半
なまなか
なことでは
罷
まか
りなりませんで」
小さな老人だった。
「なにせ本当にご無縁なのかどうかを判断するのが、これがまたなんとも。孤立予防福祉法など機能していないも同然ですよ。して、
DNA
の登録台帳は如何です?」
「残念ながら、ヒットしておりません」
ごぼっと頬の痩せこけた白髪の男性が、
矍鑠
かくしゃく
と背筋を伸ばして天と
対峙
たいじ
している。
いや、その瞼は完全に閉じていた。
「そうですか。困りました。仏さんを前にトラブルは起こしたくないですからねぇ」
感心したかのように口をぽかんと開けている。どうやら息をしていない。
ほんのりと黄ばんだ、蝋燭のような肌。
なんとなく、知っている顔。
「判明しているのが名前だけというのも」
誰だっけ。
誰かに似てる。
あたし、この人、知ってる。
いや、誰でもいい。
気にするのが面倒くさい。誰でもよく、誰でなくたっていい。それに、遺体なんて見ていて気持ちのいいものでもない。
諦めを決意。四つん這いも同然の姿勢になると、2つの息づかいにチラチラと目を配りながら忍び足でドアを目指す。優しい黄色の、スライド式のドア。
ピンク色のカーテンの境界線を越える。左にはトイレと思しいドアがある。右には背の低い棚が置かれ、その天板には5足の分厚いスリッパが平積みになっている。
「役場からの連絡は、その後は?」
「目下のところ鋭意調査中とのことです。が、どうも進展はないようで。アナログな手も心がけて、民生委員さんたちにも呼びかけたりはしているそうなんですが」
「誰か見つかればいいんですがねぇ」
「でも、あんまり放っておくのも」
「そりゃそうです。腐っちゃいますよ」
「ドライアイスの備蓄はできておりますが、なにしろ霊安室のような場所がここにはありませんもので」
「まぁ、2日ほどはウチで預かるとして、ご遺族が見つかったらお引き渡しと。そうでなければ、ええっと、葬儀屋と連携して──ということになりますかねぇ」
「お世話になります。じきに葬儀屋さんもみえると思います」
背後でボソボソと打ちあわせ。身寄りのない老人の
荼毘
だび
の
付
ふ
し方を検討中。
孤独死。
なんて寂しい時代なんだと気持ちだけは余裕ぶりつつ、慎重に、なおかつ素早く、スチール製の縦長の
把手
とって
を握った。
冷たい。
大丈夫。
「ええっと、仏さんのお名前は──」
ちらと背後をうかがう。
不自然なぐらいに、2人ともがこちらに背中を向けたままだった。
把手に意識を集中すると、抵抗を脇腹に感じながら右側にスライド。
すると、
「わ!」
真っ白な光が一気に襲いかかってきて、
「また
!?
」
あたしは、思わず、目を
「まぶ!」
光が
「ナ」
白
「オ」
し
「お名前は──
クドウナオキ
・・・・・・
さん」
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Nanase Nio
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