偽りのカレンデュラ 



を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん





昌 範
Section 8
絶 望ゼツボウ





『いのちはおとがするんだよ』



 目醒める直前、その眼球の裏側でパパの穏やかな声を聞いたような気がした。

 頭の奥深くに響く声。あまりにも深く、方角のわからない声。歌舞伎町で耳にした風鈴のような声。

 いつの台詞だったっけ。

 方角も時系列も思いだせない。だけど、怖かったのを憶えてる。なにが怖いのかも憶えてないけど、とにかく怖い感覚。

 あたしは、なにを怖がったんだっけ。

 記憶の海に潜ってみようと思った。でも次の瞬間には、



 ご を ん ご を ん ご を ん



 馴染みの低音に遮られた。そして、思いだそうとする気概さえも搾取されたのち、馴染みの粘着質な恐怖に支配される。

 うつぶせの状態から四つん這いの状態に移行。仄かな紅を宿している鉄扉に視線を向ける。わずかにあいた縦長の隙間から、ねっとりと、血の色をした光がこちら側に染みだしている。

 ああ、そうだ。仕事を片づけなければ。あたしの推理が正しければ、今ごろ1階のドアは3つに増えているはず。パパの死を閉じこめる新たなドアが。あたしの死期を示唆するのだろう重大なヒントを封印するドアが。

 さっさと確認に向かわなければ。感覚をフルに研ぎ澄ませ、あますことなく観察をしなければ。次の一手を模索しなければ。

 余分な感慨にふけっている暇はない。


同日 〜 2010/06/26 [土] ??:??
悪夢
エレベータホールのB1


 もしょ。不快な感触を掌に、そして足の裏にすりこみながら立ちあがる。我が家を闊歩するような足取りを努めて鉄扉に歩み寄る。昨今の習慣である、四方に砂をぶちまける体力ももったいない。現実の世界の習慣である、物を壊さないための柔らかな動きのほうを優先させ、鉄扉の前に立つ。

 開閉の邪魔になりそうな砂を足で払う。それから、隙間に右足の親指をさしこんで手前に引く。にわかに、まばゆい血の色が洪水のように室内に流れこんでくる。目を痛めないように視線を右にそらす。5秒、待つ。そうして目を慣れさせ、ゆっくりとエレベータの中へと進入する。

 奥にまで歩み、腕組みをして壁に背中を預ける。余裕を演じながらもたれかかる。

 ここからが長い。あの少女の、もったいぶった登場を待っていなくてはならない。

 ……登場?

 不意に、彼女の登場シーンを見てみたい欲求に駆られた。初めての好奇心だった。

 よく考えてみれば、あの少女、いったいどこから湧いてくるんだろう。誰もいない空間で、あの痩せこけた肉体がどのように形成されるんだろう。

 もたれたばかりの壁を離れる。入口まで縦断をすると、その境界線、昇降のさいに鉄柵が落ちてくる敷居に立った。

 彼女があらわれるためのスイッチはもう入っている。あたしが、エレベータの中に進入することが唯一のスイッチ。つまり、紅色に濁る目の前の暗黒に、すでに彼女はあらわれているはず。

 どこにいる?

 どこからあらわれる?

 まばゆい光源を背後にしているせいか、前室の様子がうまく把握できない。いや、それにしても影の濃度が強い。光のあたる場所は瞭然と見て取れるのに、それ以外の場所はまっ黒。仁王立ちするあたしの影絵さえもまっ黒。

 眉間に縦皺を寄せ、左右に目を凝らす。砂と鉄格子と鉄扉以外になにも物はない。遮蔽物があるとすればまっ黒な影だけで、しかしまだ目立つ変化はないようだった。

 どこにいる?

 どこからあらわれる?

 少女のプロポーションを思いだす。枝のように細く白い手足・滑らかな血液の色に満ちたワンピ・腰にまでおりたごわごわの髪の毛・遠近法を殺した立体感。

 右に、左に、奥に、また右に、左

「ん?」

 ちょうど部屋のまん中、あたしがいつも目を醒ます座標の、その床面に、かすかな変化を見た。

 床に、なにかが落ちてきたのだ。小さななにかが、天井から、ぽとりと。

 いや、この部屋に天井はない。

 仰ぐ。天井の代わりに一面の金網が張りめぐらされている。せいぜいが小石程度の落下物しか許容しない濾紙となっている。もちろん、引っかかっている物はない。

 金網の上には、吹き抜けの暗黒が果てしなく伸びている。

 その暗黒の果てから、金網をすり抜け、なにかが落ちてきた。

 なにが?

 1歩、踏みだす。すると、



 ぽ そ



 砂をクッションに、かすかな籠った音。

 小さな、なにか。

 再び仰ぎながら、もう1歩。



 ぼ そ



 さらにもう1歩。



 ぼ ど ど



 点が線となって落ちてきた。

 雨垂れのように見えた。

 不規則な、黒い雨垂れ。



 ぼ そ ぽ と と



 床に溜まったいくつかを叩いたらしい、ねっとりとした音がまぎれこんだ。



 ぼ そ と ち



 やっぱり、雨垂れ。

 ……液体?

 1歩・2歩と重ね、身体を「く」の字に折って床を注視する。1メートルの距離。だけど自分の影絵が邪魔でよく見えない。身体を左に捌き、紅のライトを引かせる。

 落下点、砂の一部がきらきらと明滅して見えた。どうやら湿っている。



  ち ょ と っ



 2滴が加わり、刹那、赤黒いクラウンが見て取れた。液体だと確信。

 今度は、触れてみたい衝動に駆られた。確実な体温に対しては簡単に怯むくせに、不確実な液体には確認を想起してしまうという、残念な好奇心。それでも、不用心とわかっていながらも、触れてみたい。

 詰めの1歩を、おもむろに踏みだそうとした直後のことだった。

「わッ! わッ!」

 急速に、



 そ わ ぁ ぁ ぁ



 湿った煌めきが、その範囲を拡散。

 隣りあう繊維へと湿度を拡げる、濡れたばかりの和紙のような拡散。

 10センチの直径が1メートルへと領土を拡げ、巻きこまれそうになったあたしは、の太い悲鳴を2つあげると、発作的に飛びのいていた。

 直後に、煌めきの中央が盛りあがった。ぬううう……迫りあがり、隆起していく。海から鯨があがってくるように。鍾乳石の生成を早送りで映写するように。

「は、はぁ!」

 思わない急展開に、咄嗟に尻餅をついたあたしは、後ろ手で上体を支えつつ、目を皿のようにして“隆起する床”を凝視するしかなかった。

 砂が、湿った砂が、塊となって天井へと屹立していく。そして塊が、まるで、人のフォルムを象っていく。毛羽立った紅色のシーツを、頭から被ったようなフォルム。

 ……人のフォルム?

 コレ、あの娘?

 見あげているせいで身長がわからない。呼吸不全に陥ったあたしの目にはとんでもない大きさに見えた。赤褐色の巨人。



 ぼ ろ っ



 ゴーレムの皮膚が剥がれた。おおよそ、右の肩のあたり。

 左の腰のあたり、右の膝のあたり、胸のあたりと、ぼろっ、ぼろっ、褐色の皮膚が次から次へと剥がれ落ちていく。そして、剥がれ落ちるごとに、その下から、紅色の滑らかな布・蒼白い膝・ごわついた黒髪が露になっていく。

 剥がれ落ちた皮膚は、不思議なことに、床に落ちた刹那、粉末となって拡散した。つい今しがたの湿り気が嘘のよう。砂漠に試された砂のお城のよう。



 も し ょ



 赤褐色の巨人が右の1歩を踏みだした。途端、ぼろぼろぼろ……左の肩・右の腕・左の脚・臀部の皮膚がさらに剥落。脆くも軽快な音を立てて次々と粒子と化す。

 まっ白な肌・血の色をしたワンピース・手入れのなされていない長い黒髪・3Dの立体感……もう疑いようもない、それは、あの少女だった。



 も さ



 2歩目。途端に、頭部の皮膚が剥がれ、間を置かずに床の粒子になる。

 いつもの、表情を隠す膨大な量の黒髪。それをミリ単位で左右に揺らがせながら、



 む た



 3歩目。

 この時、あたしの意識は上半身を支える後ろ手に向けられていた。掌に圧される、乾いているような、湿ってもいるような、砂の粒子に。

 この砂、彼女の“皮膚”だったもの?

 この、いまだに得体の知れない少女の、全身にこびりついていたもの?

 ぜんぶ?

 ……成分はなに?

 発作的に上半身を正す。床から後ろ手を離す。砂の粒子に触れているのが恐ろしくなった。汚らわしかった。すると、今度は尻餅のお尻に不快感が移る。飛び起きたい衝動に駆られる。でも、それだと今度は、足の裏に負荷がかかってしまう。



 の し ゃ



 立ちあがることが最低限の危機回避だとわかっていながらも、眼前で蠢く圧倒的な立体感に気圧されて、微動だにできない。エア後ろ手をキープしたまま、腹筋だけで横転を免れている。

 息がつまる。

 チアノーゼの上目づかいで、ちらと天を仰いだ。

 いつもこんな登場だったの?

 あの液体は、この少女の、なに?

 どこから滴り落ちてきたの?



 め し ゃ



 すぐに視線をおろす。1メートルの先にいた少女がすでに右手、2メートルの先にいた。エレベータの奥で待つ時には、待ち草臥れるほどの牛歩なのに、不思議と今は競歩のスピードに感じる。

 紅のビート板のような背中・お洒落とは無縁の蝋燭のようなふくらはぎ・後頭部も顔もない黒髪……それらが、あたしを置き去りにし、ゾンビの貪欲さでエレベータを目指して遠ざかっていく。

 ……置き去り?

 ちょっと待て。

 もしかして、勝手にあがってくの?

 勝手にエレベータを起動して、あたしをこの部屋に軟禁したまま、あがってくの?

 得体の知れない砂漠に放置したまま?

 いや、あがっていかないにせよ、これがいつもの倣いならば、彼女はこのあとに、連絡口をふさぐんだったっけ。仁王立ちの姿勢で、とおせんぼ。

 あたしの入りこむ隙間、ある?

 まさか……まさかその背中を押しのけてエレベータに入りこまなきゃならないの!?

「ムリ! それムリ!!」

 憑かれたように立ちあがった。典型的な条件反射だった。でも、不安定な床に足をすくわれ、もつれ、横転しそうになった。膝を笑わせながらもかろうじてこらえる。ところが背筋を正した瞬間に立ちくらみ。少女から2歩も遠ざかる。

 泉のように冷や汗が湧く。

 触れるなんて、できっこない。ナオにも来瞳にも触れたことがないのに、見知らぬ第三者の体温にさえも覚悟を強いられるというのに、月乃さんの時なんて白昼堂々と嘔吐してしまったというのに、生理的嫌悪しか抱かれない“謎の生き物”の背中を、まさか押しのけてエレベータに入るなんてできるわけがない。

 焦燥感がピーク。ビビった仔猫の速度で少女の脇をすり抜けるとエレベータの中に全身を投げ入れた。よりいっそう、ふたりきりになるしかない鉄の箱の中へ。

 自殺行為だと思った。

 でも、それしか術が浮かばなかった。

 まるで、猫。

 死を選んだ、仔猫。

 どッ。最奥の壁にタックルすると、その勢いで反転、派手に転びながら背もたれにしていた。結局、また尻餅をつくハメに。

 登場シーンなんて、確かめにいかなきゃよかった。

 お尻には再びの緊張感。爆笑する膝を、骨折覚悟で踏んばって立ちあがる。粒子が素足に食いこむ。底なしの流砂の中に迷いこんだ錯覚。自然と爪先立ちに。すると、ふくらはぎまでもが笑いだす。

 また、あたしはマリオネットになった。



 も た



 華奢な傀儡師がエレベータの中に進入。そのまま、いつもの定位置を補整すると、おもむろに1階を指南。

 拳を掲げ、力強いバックハンドブロウ。



 ぎ ゃ ら ぎ ゃ ら ぎ ゃ ら ッ
 ご し ゃ ッ




 小さな箱は、飲みこむような重力を捻りだす。みるみると上昇をはじめる。全身の皮膚が、ブラックホールに四散するような危機感を錯覚して粟立つ。

 馴染みの、鳥肌モノの光景に戻った。

 馴染みたくもない、馴染みの光景に。

 なにを勇んで、あたしはこの悪夢に乗りこんだというのだろう。次の一手を展望に見すえると息巻いて、よりによって不安の種子を追加させ、余裕ぶって登場シーンを確かめにいって、結局、この体たらく。

 勝ち目なんてないのに。

 最初から負けっ放しのくせに、少しでも勝利をイメージできたこの1週間がとても信じられない。

 なにが“次へのきっかけ”だ。

 身の程をわきまえろ、あたし。

 でも、きっと目が醒めて暫時を挟めば、また背伸びのように勇んでいるんだろう。今、ここに芽生えた弱気を糧にしようともせずに、都合のよいヒロイズムだけを矛にして、ああだこうだと模索してるんだ。

 せっかく、いつも以上に弱気になれたというのに。

 単純な思考回路の自分が恐ろしい。

 長生きなんて、できるわけもない。

 どうせ、呆気なく死ぬんだ。

 どうせ、車にでも巻きこま



 仔猫?



 なんだっけ?

 なんだったっけ?

 なにか、思いだしかけている。



 ご ぢ ょ ご ぢ ょ



 猫

 車

 夜

 爪

 音

 月

 瞬



 ご ぢ ょ ご ぢ ょ



 パパが、いた。

 あたしは、茫然としてた。

 よくわからなかった。

 じっと、パパを見あげてた。



 ご ぢ ょ ご ぢ ょ



『おもたい、いのちのおとだよ』



  ぎ ゃ ら ぎ ゃ ら ぎ ゃ ら ッ
 ぅ わ し ゃ ッ




「だぁ!!」

 声をあげ、爆発したようにのけ反った。その拍子に、壁に後頭部を強打。鼻の下の窪みに冷たい激痛が走る。右手で後頭部、そして左手で口もとを押さえて悶絶。変なところで神経はつながってる。

 おかげで、せっかく思いだしかけていた記憶を失ってしまった。

 そして、おかげで、眉間の奥が燃えた。

 カレンデュラが右に体捌きしたと同時、頭を抱えた状態で、軽傷なのに緊急外来に飛びこむ傍迷惑な怪我人よろしく、遠慮のない速足でエレベータを出ていた。

 史上最速、呆気ない脱出劇。

 鉄柵は落ち、地震の予兆のような響きを匂わせてから、箱はいつもどおり、地下におりていった。今回のカタルシスのなさにせいぜいがっかりするがいい……負け犬の優越感で天蓋を見送る。

 ふりかえる。

 本日、最たる目標と見定めていなくてはならなかった景色へと視線を向ける。右往左往しすぎた。やっとたどりついた。

 正面に、ナオの病室。

 左手に、来瞳の仏間。

 そして、さらに左手に、扉があった。

 新たな扉。

 パパの扉。

 自分の家族や近しい人間を模した作品を【カレンデュラの私選館】に登録する……それが悪夢の扉を増やすスイッチ。そんなあたしの推理は、どうやら当たっていた。だからなにができるわけでもないけれど、パズルゲームの1面をクリアした達成感が胸を占め、わずかに元気を取り戻す。

 やっぱり、あたしは単純な人間だ。

 ちらと、右手を見る。窓は開け放たれたまま、崩落の前の静けさを映している。

 天井を仰ぐ。このエントランスも崩落の影響を受けたりするんだろうか。いちおうクラックを探してみる。だけどあまりにも薄暗くてよくわからなかった。

 というか、あの崩落が“念動力”によるものなの?



『きィィィィィイイイイイイイ』



 あの悲鳴が、念動力?

 スプーン曲げは合気道の分野なんだし、じゃあ、念動力ってなんだろう。科学ではどのように説明されるんだろう。いわゆるマジックの類いだとは思うが、しかしその寓話的な「念動力」の響きはもはや、嘆息する以外の揶揄を思い浮かばせない。

 2.5次元には、もううんざり。

 鼻から長いため息を吐く。視線を正面に向けなおした。

 首を傾げる。ぼぐ。関節を鳴らす。肩が凝っている。ちゃんとした3次元であると実感する。いや、肩が凝るという時系列を加味すれば4次元なのかも知れない。

 夢なのに、圧倒的なリアル。

 圧倒的なリアルなのに、夢。

 もしや、2.5次元を非現実とするのはただの偏見であり、突きつめて考えれば、この夢も不動のリアルなのかも知れない。

 なにがなんだかわからなくなる。事実、語って聞かせられるほど、あたしは次元に詳しくはない。ひとついえることは、仮にその学問が生きる知恵であったとしても、突きつめて考えれば、あたし自体がダークマターと変わらない存在でしかないということ。生や死が解されるどころか、あたし自身がすでに謎の存在であるということ。すなわち、あたしを取り巻く環境・時間・情緒……そのすべてが、理解不能のガスでしかないということ。

 どうして生きる?

 どうして死ぬ?

“Why”も“How”も、わからない。わかるはずがない。

 夢なのに、圧倒的なリアル。

 圧倒的なリアルなのに、夢。

 そんなガスの世界で、もう1歩だけ踏みこんでいえることがあるとすれば、現在のあたしには希望がないということ。

 ただでさえ望みの薄い現状。油断すればたちまちのうちに絶望する。そんな、生存確率の低すぎる薄氷の上を、延々と、歩みつづけているということだけはわかる。

 望みとは?

 それもわからない。

 一般的な幸福を抽象的に語ったような、ニュアンスとしてのハピネスでしか説明が適わない。カラオケにいって楽しい……という、曖昧模糊としたハピネスでしか。

 もう1本、鼻からため息を吐く。危うく鼻水が出そうになった。慌てて反芻。

 カラオケに勤しんでいてもおかしくない女子高生が、いったいなにを好きこのんで扉の数を増やしてしまったんだろう。あの向こう側には絶望しか広がっていないはずなのに、希望と錯覚して、いったいなにを好きこのんで。

 稚拙すぎる向上心。いざ立ち向かったら躊躇の壁しか生まなかった。

 燃えたり怯んだりと、忙しい。

 でも、

「いつまでも……」

 滞っているわけにはいかない。

 ひとりごちて奮起をうながす。

「ナオがいる」

 もしゃ。1歩を踏みだす。

 だって、恋人がいるだけでも、あたしは幸せな人間なんだ。恵まれてるんだ。

 幸せな人間は、決して自分を幸せだとは思わない。低く見積もることはあっても、決して上等には思わない。むしろ、希望という物差しを手放せずに、足りないと信じつづける。上があると思いつづける。

 心の余裕、その体積で幸福度は決まる。裏をかえせば、心に余裕があるほど欲深くいられ、欲がさらに幸福度を高めもする。

 幸せは、必ず、幸せを呼ぶんだ。

 あたしも幸せなんだと、強く自己暗示をかける。ちゃんと幸せでいるんだと、欲があるんだと、まだ足りないんだと、強く。

「ひとりじゃない」

 みしゃ。もう1歩。

「来瞳がいる」

 むちゃ。もう1歩。

「月乃さんもいるし、如璃もいる」

“みんな”のいる世界が恋しい。親しんだ毎日が恋しい。リア充じゃなくてもいい。不満でもいい。不便でもいい。戻りたい。悪夢の外にある世界は、あたしにとってはことごとく充実の世界でしかない……と、この世界は再認識させてくれる。

 戻ろう。

 みんなのいる世界に戻ろう。

 見ようと思った光景を、見るだけ見て、さっさと戻ろう。

「戻ろう」

 ぽつぽつとひとりごちりながら、左手、斜めにエントランスを縦断する。そして、新たな、でも新鮮味の欠片もない、錆びた鉄扉の前に立った。

 その右の脇を見やる。










 純白のネームプレートに見慣れた名前が刻まれてある。誰が、どんな念力で書いたものなのかは知らないが、写植屋に頼んだような人間味のないフォント。

 ふと、足の裏のザラつきが気になった。

 目だけで床を見おろす。

 扉の下の隙間から砂の粒子が流れだしているように見えた。

 右側の床にも目を馳せる。

 2枚の扉のその下からも、同じように、砂の粒子が流れだしている。そう見える。なるほど、扉の隙間には係らない、例えば部屋の四隅には粒子が落ちていない。

 3本の川のように見える。各部屋の扉の隙間から褐色の砂がエントランスへと流れだし、エレベータの前で合流し、下層階にまで運ばれているかのように。

“血流”がリンクしあっているかのよう。

「で、なんのために?」

 笑ってしまう。戻ろうと思った矢先に、このザマだ。

 右を向き、窓の向こう、恩田病院の長い廊下の彼方でテラテラと輝いている太陽に視線を移し、呆れたようにつぶやく。いざ廊下に踏み入ってみれば目を細めるほどのまばゆさなのに、エントランスから望めば霞のように頼りない貧弱な陽光。物理的に変だ。まるで描ききれなかった写生大会の太陽のよう。どれだけまぶしそうな色彩の絵具を塗り重ねたところで、審査員の目を細めさせることが叶わないのに似てる。

 まぶしい“っぽい”太陽。

 変なオカルトの世界だ。いや、オカルト自体が“変”の集合体なのだろう。

 それが証拠に、

【隠されたもの(Occulta)】

 これが「オカルト」の語源。

 神様か、誰が隠したのかは知れないが、いずれにしても、公表されるのでは不都合だから隠すんだ。不倫と同じで、バレると困るから隠す。ひた隠しにする。だけど、まったくバレないわけではない。勘の鋭い人というのは必ずやいるもので、怪しい、これは変だわ……と訝かったりする。でも解明して罵倒するのは“奥さん”の仕事であって、それ以外の赤の他人は「変だ」と訝かるのみにとどめる。実際、彼らにしてみれば、解明せずに訝かっているぐらいがちょうど面白かったりする。手品や占いがその好例で、オカルトエンタテイメントの隆盛もそこに起因している。

 オカルトの世界においては、謎は絶対に解明されてはならない。発掘はならない。隠されたままにして、わずかに「変だ」と訝かることを楽しむサブカルチャ。

 だから“変”であたり前。

「なんのため」などという観念は、謎は、どうせここでは解明されないんだ。どうせ隠されたままなんだ。この砂の粒だって、どうせ血液なんかじゃないんだ。どうせ、量子の紐かダークマターに違いないんだ。

 解明するのはあたしの仕事じゃない。

 医者か科学者か牧師の仕事。

 あたしの仕事じゃない。

 あたしは、神の“奥さん”じゃない。

 例の看護士の影を確認することもなく、再び鉄の扉を向いた。

 仕事を片づけよう。ノルマを果たそう。そして、さっさと現実世界に戻ろう。

 ノブを握る。

 冷たいノブ。体温のないノブ。

「で、戻ってどうする?」

 次の一手?

 ああ、それもふくめてのノルマだっけ。つまり、結局は“変”だらけのオカルトに飛びこむことになる。医者でも霊媒師でもない素人のあたしが、超能力だか超常現象だかを解明しにいく。

 ホントに?

 どこによ?

 岐阜県に?

「神榁」とかいう未知の大地に?

 誰と?

 ひとりで?

 ひとりで!?

 意識が遠くなる。ブッ倒れそうになる。こんなことになるなら、名探偵を気取って動きまわらなきゃよかった。大人しくしていればよかった。大人しく、ひっそりと、悪夢を見つづけていれば……、

「できるわけねぇだろ」

 頭にきた掌が、ノブをまわしていた。

 そして、扉を開ける。

 刹那。

 まっ白な光が全身を包んだ。

 白い。

 白い。

 白い。

 太陽かどうかもわからない。

 目を細めさせる画力はある。

 これはこれで、変。

 オカルト。

 いや、いつものこと。

 どうでもいいこと。

 どうでも



 か ち ゃ



 陶器のぶつかる音が聞こえて、恐る恐る瞼を開いた。

 と同時に、

「……え?」

 思わず怪訝の声が出た。

 40畳ほどの、だだっ広い部屋にいた。

 厳密にいえば、2つある20畳の部屋が、ひとつづきになっている。アコーディオンカーテンが間仕切りとなり、部屋の役割をふりわけている。手前の部屋を家族団欒のリビングとして、そして奥の部屋を満腹のダイニングとして。

 リビングの窓際には、背の低い木目調のテーブルを中心にして、それよりも薄目の木目調をした背もたれを備えるベンチ型のソファが2つ、カギ括弧の配列で置かれてある。それぞれに墨汁の色をした座布団が3枚ずつ敷かれてあるが、いずれを埋める人影はなかった。テーブルの上も、新聞が1紙だけ畳まれてある以外になにもない。

 テーブルやソファの寄せられてある壁の一面には、床から天井にまでかかる巨大なガラス戸がハメられてあり、その左右にはレースカーテンが引かれている。見透かす向こう側には薄墨の庭。小さな紫の花々が白い陽射しの中で揺れているのがわかる。ラベンダーか。閉めきられたガラスをすり抜け、しっとりと皮膚を染めそうな薫風の匂ってくる錯覚を得る。

 さらに右をふり向くと、コーナには黒い書架がすえられ、古ぼけた百科辞典や詩集などをみっしりと揃えている。このうちのいくつかの背表紙にはあたしにも見憶えがある。それから、書架の天蓋には、ガスの切れた百円ライターの入った小さな籠と、通帳や印鑑の隠される小さな棚が。

 ぐるり。今度は左のコーナを向く。黒いAVラックが置かれ、中央には大きな薄型テレビがすえられてある。その下の段にはDVDデッキ、上の段にはDVDソフトが仲良く斜めにもたれあっている……リン・ストップケウィッチ監督の「KISSED」も、小さなボディでちゃんと仲良くしてた。

 たったこれだけ。

 不穏さを醸しだすような小物のいっさい見あたらない、瀟洒なリビング。



 け ち ゃ



 再び、陶器の音。

 ダイニングからだった。

 リビングを観察する視界のはしばしに、常に宿りつづけていた女性の姿をようやくとらえる。ダイニングのもっと奥、台所のシンクの前に静かに立つ、華奢な背中を。

 上下ともにブレザの格好だった。灰色のチェック柄のスカートを履き、紺の靴下を膝にまで履き、上には水色の長袖シャツを着ていて、なんだか、あたしの通っている反別晴海高校の制服に似ていた。とっくに見慣れた、どこにでもあるフォルムと色。

 腰に届こうとしているまっすぐな栗色の髪が、陽光のお裾分けを溌剌とはねのけてキラキラと輝いている。染めたわけでなく抜いたわけでもない、生まれつきの色だとわかる。まるで、ファッションとイジメの因果関係など考えたこともない生徒指導の先生から、頭髪検査のたびに頑迷な小言をぶつけられる不憫な栗色のよう。もともと色素の薄い子なのだとあたしに弁明させる傍迷惑な栗色のよう。

 ……来瞳?

 どうやら、洗い終えた食器の滴を布巾で拭っているらしかった。叩き台の上には、役割別に食器が積まれてもある。拭いて、そして積むごとに、



 こ ち ゃ



 痛いほど静かな空間に乾いた音色が響き渡る。あるいは彼女が、大きな音を立てることを恐れ、わきまえ、慎重に積み重ねているがゆえの“痛さ”なのかも知れない。

 だから、漫ろな気持ちにはならない。

 ……やっぱり、来瞳なの?

 と、どこかから水の流れる音が聞こえてきた。トイレの水洗レバーを捻ったような濁音。しばらくすると、音はボリュームをあげ、しかしまたすぐに小さく籠る。

 もしも“そう”だとすると、リビングとダイニングの境界、開けたままにしてあるらしいドアのもっと向こうに施設される、トイレからの音。

 いや、間違いなく“そう”だ。

 ここは、あたしの自宅。

 見慣れた自宅。

 ということは、あのドアのすぐ手前で、Uターンするようにかけられてある階段の先には、両親やあたしの部屋があるはず。そして……視線を背後にふりかえらせる。

 綾の細かい、木目調のドアがあった。

 これを開けると、かつておばあちゃんを羽織った部屋につづいている。

『ものにだって』

 おばあちゃん。

『たましいはやどるんだよ』

 あれは。

 あれはいつだったっけ。

 いつの“教え”だっけ。

 忘れた。

 でも、そう教えられた。

 忘れてた。

 忘れてたと思いだした。

 あれは、いつの

「静かだね」

 空気よりもわずかに重い、ぼそりとした声が聞こえて、咄嗟に視線を戻した。

 開け放たれたドアのあたり、その手前に気配があった。件の、トイレとをつないでいるドア。頑丈に畳まれるアコーディオンカーテンの影に隠れて姿こそ見えないが、磨かれたフローリングの床に、ぼんやりとした人影が映りこんでいる。

「こんなにも静かな家族だった?」

 姿なき声がブレザの背中に問いかける。わずかに空気の混じる、オーボエみたいな声。太く、丈夫で、だけど派手ではなく、だけど地味でもない、落ちついた存在感のある若い女性の声。

 ママの声じゃない。ママの声はもっと、打楽器のような“弾み”がある。例えば、マリンバのような。

 ……あたし?

 あたしって、あんな声なの?

 すると、

「おばさんは快活。おじさんは温厚。娘は距離感が命綱……そんな感じ」

 食器を拭う背中が淡々と答えた。

 涼やかなハンドベルの音色。

 来瞳だった。

 まぎれもない、来瞳の声。

「まぁ、こんなにも静かなのが嘘みたいなぐらいには賑やかだったかな」

 それでも、いつもよりも遥かに力なく、ハンドベルが唄う。

「あたしが遊びにきた時には……だけど。普段がどうなのかはよく知らない」

「でも来瞳もこの家とは長いんでしょ?」

 落ちついていながらも、どこか、遠慮のない、容赦のない、空気を読まない性格の滲みでているオーボエが、輪唱を買う。

「幼馴染みなんだから家族じゃん」

「そうかもね」

「肉親だけが家族じゃないよ」

「そうだね」

「だから来瞳は、この家には通うべきだ」

 力強く唄わせながら、アコーディオンの影からオーボエの主があらわれた。

 あたしじゃなかった。

 彼女もまた背中を向けているが、いつも姿見に見るあたしのフォルムとは明らかに異なる後ろ姿。

 ジーンズに、モノトーンのボーダー柄のTシャツを着ていた。どちらもタイトで、差のあるスリーサイズが浮き彫りになっている。シャツの裾からは健康的な薄褐色の肌がわずかに露出して、ジーンズパンツの右のポケットに弛むシルバーのウォレットチェーンが野性の華を添えている。

 短いボブはシルバーアッシュで、小柄な耳には、右に3個、左に2個と、これまたシルバーのピアスが輝いていた。

 背丈がある。170センチは優に超えている。手足もすらっと長く、ランウェイに翻る上質なトップモデルを連想。ただし、粗野なピアスやチェーンや薄褐色の肌が、教科書どおりのトップモデルを嫌っているように感じた。社会に敏感で世間に媚びることのない、わかりやすい“牙”を髣髴。

 いずれも、あたしにはない代物だった。

 タイトな服なんて1着も持っていない。なるべく第三者の体温との関わりを断っていられるよう、余白のある、ふわっとした服しか持っていない。

 見てのとおりに髪は長い。雨期だろうが乾期だろうが、どうせまとまらない、ややクセのある黒髪。

 ピアスなんて所有したこともない。耳に穴をあけようと思ったこともない。奇妙な話だが、食事と同様に、我が身が負傷して漫ろな気持ちになることはまったくないのだが、だからといって穴まではあけない。だって、穴をあけたが最後、ピアスを所有することになる。

 背だって、あんなには高くない。確かに細く、のっぽではあるが、170センチもない。それでも、ナオよりは高く、並んで歩くのに気後れが生じないわけではない。つまり、あんなにも要らない。

 いずれも、あたしにはない代物だった。

 じゃあ、誰?

 覗きこんで確認したい欲求に駆られた。

 でも、どうせ確認することは叶わない。必ずや背中を向けられる。強引にその肩を取ってふり向かせてみたところで、どうせあたしの腕力では敵わない力で、逆に投げ飛ばすほどの力で、力とはいえない力で、アドリブのない古典演劇のように、観客の干渉を許さないに決まってる。

 どうせ背中のままに決まってる。

 客は客らしく、見守るしかない。

 すると、窒息するほどの間を置いて、

「アッちゃんはどうなの?」

 来瞳の背中がいった。

「小池敦子は、ずっと家族でいられる?」

 アッチャン?

 コイケアツコ?

 聞いたことのない名前だった。

「アツコ」という名の同級生がいたことはあるけれど、小学校の低学年のことだし、もちろん仲良くはなかったし、苗字も確か「佐々木」だったような気がする。記憶の中に面影もなく、実際、そのうちにいなくなり、今現在、どこでどうしているのかももはや知りようがない。

 たぶん、その「アツコ」ではない。

 じゃあ、誰?

 ががが。食卓の椅子を無造作に引くと、アツコという名前の女は座る。相変わらず背中を向けたままで、ママの定位置である椅子に。そして、卓に右の肘を落とすと、その掌で頭を支えて、

「どうだろうね」

 来瞳の背中に投げた。

「これからだと思ってたし、これからだと思ってもいるけど」

 すると、来瞳は忙しく働かせていた両の肩をぴたりと止め、おもむろに天を仰ぎ、そのまま、こう尋ねた。

「肝心の舞彩は、もう、いないのに?」

「は?」

 また、思わず声が出た。

 今……なんて?

「舞彩が」

 あたしにはかまわず、来瞳はつづける。

「……いたからこそのつながりなのに?」

“いた”?

 なんで過去形?

「もうおじさんもいなくなって、おばさんしかいなくなったのに?」

 おじさん“も”?

 おばさん“しか”?

 来瞳?

 なにをいってんの?

 わかんない。

 でも、気が遠くなりかけてる。

「舞彩は」

 だって、泣いてる。

 あの来瞳が、泣いてる。

 ちょっとやめてよ。

 ヤだよ。

 嫌な予感しかしない。

 だけど、嗚咽の中から絞りだすように、掌に密封されたハンドベルの声で、籠った声で、でも大きな声で、来瞳は叫んだ。



「まいはもうこのよにはいないんだよ!?」



「ウぅソだッ!!」

 あたしの叫びと同時に、2階から絶叫の泣き声が轟いた。

 ママの声。

「ぅあああ舞彩ぃ、なんでパパなのぉ!! ママもいっしょにつれてってぇぇぇ!!」

 ど し ゃ ん

 重い地鳴りがして、見ると、来瞳もまた崩れ落ちていた。

 ママの悲鳴と、来瞳の嗚咽。

「ウソだ……ウソだ……!」

 眩暈がして、どん、背後にもたれる。

 おばあちゃんの、扉。

 冷たい温度を、羽織る。

「あたしにだって……」

 消えそうな意識の中、アツコの声。

 強気なオーボエも、震えてる。

「舞彩との思い出はあるよ」

 独り言のように、

「来瞳と3人でいった岐阜県は、神榁は、怖かったけど、会えなかったけど、でも、つながり、感じたし、未来がどんなのかはわかんないけど、でも、つながりがあればちゃんと生きてけるって思えたし、だから呪いなんかに負けずに、強く、強く生きてこれたんだ……!」

“ギフケン”?

“カムロ”?

“ノロイ”?

 ていうか、ちょっと待ってよ。

 お願い、ちょっと待って。

 ねぇ。

 ねぇ。

 ねぇ!

 来瞳がブレザって、おかしくない!?

 計算、合わなくない!?

「いま、今、い、い、いつなの……!?」

 ぶるぶると震える。

 涙も落ちてくる。

 すると、ひとりでに泳ぎ、滲んだ目が、テーブルの上に置かれる新聞紙を見た。

 怖いくせに、自然、足が扉を離れる。

 フルマラソンの完走みたいな千鳥足で、テーブルに歩み寄る。でもすぐにもつれ、倒れこみ、かろうじて手を卓上についた。壊すほどの勢いだった。

 陽射しを弾く、白くまばゆいテーブル。

 葬祭業者が2億円所得隠し……芳しさのない小さな見出しも、平和的なニュースであるかのように白く踊っている。

 恐る恐る、新聞紙を手に取ろうとした。なのに、たった1紙のはずなのに微動だにしなかった。テーブルと一体化した、そういうオブジェみたいだった。その紙もまた角を折って栞にすることもできないほどに硬い。プラスチックの下敷きよりも硬い。

 理不尽なアート。

 やむなく、顔のほうを紙面に近づけた。幸か不幸か、日付の記されてある面が上になっている。

 もう、視覚以外、機能してない。



【 平成23年(2011年)4月20日 水曜日 】



「に、せん、じゅう、いち?」

 意識が、遠のく。

 だって、今って、2010年、6月。

「らい……ね……ん?」

 膝から、崩れ落ちたとわかった。

 落ちた感覚はなかった。

 痛みはなかった。

 そして、天井が見える。

 白い天井。

 ご と

 後頭部から卒倒したとわかった。

 倒れた感覚はなかった。

 痛みはなかっ



「かなえののろいなんかに……」





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Nanase Nio




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