偽りのカレンデュラ 



 見たもののすべてが夢だった。

 純白の光に包まれ、その直後にあたしがいたのはいつもの暑いベッドの上。そぞろな気持ちになることなく肉体に触れられる、あたしの体温を宿したブランケットの下。

 変わらぬ朝だった。

 すべてが夢だった。

 そしてこの日を境に、あたしは同じ夢を昏々と見続けることになる。





来 瞳
Section 1
電 信デンシン





「顔、蒼いんだけど」

 隣の机の上に座り、両足をばたばたと交互にスイングさせる来瞳。どんな重度の災難に遭ってもきっとヒマそうに見える。

「病?」

「他人の机に座るものじゃないよ」

「メンタル?」

「女子が男子の机に軽々しくお尻を乗せるものじゃないよ」

「生理?」

「デカい声やめて、くるめさん」

 当初は生理の招いた悪夢かとも思った。だけど、最近のあたしにはあいにく生理にまつわる肉体的苦痛など予兆すらもなく、悪夢によるストレスさえ引き算してやればむしろ清々しいほどの毎日。だから偶然の産物だと楽観視し、そして楽観視した晩にまたも悪夢を見る。

 同じ悪夢を、すでに3夜連続で。

 生理なわけがない。

 3夜目にしてようやく鼻水の量は減ったように思うが、それでも涙と汗とよだれの量は尋常ではない。女にしておくにはもったいないほどのワイルドな状態で病室を経て、まばゆい白光に包まれ、直後、目が醒めた暁には汗の量と膨大な疲労感だけが確実に引き継がれている。

 これで元気なほうがおかしい。

 生理だったらどんなによかったか。

「じゃあなに、悪夢でも見たっての?」

 いや、生理でもよくはないんだけど。

 勘の鋭いこの大親友、スイングの反動で机から飛びおりる。あたしの背後を颯爽と経由、窓辺へ移動、小さなお尻をさんの上にもたれさせた。

 見届けたあたしは、自分の机に伏せて、大きな溜め息をひとつ。全身が気怠い。

「なるほど生理か」

「やめて」


2010/06/01[Tue]10:41
東京都品川区東五反田 - 反別晴海たんべつはるみ高等学校


 土曜日の晩から降っていた雨は、今朝になってようやく止んだ。ひとまず降らせてみて下界の反応をうかがってでもいるかのような底意地の悪さが午前の陽光に宿っている。灰色なのに妙に明るく、曇っているくせに酸素までが生き生きとして見える。

 そのせいで2年4組の教室は賑やか。昨日とほぼ同じテーマをさえずりあい、まるで電線に横並びのスズメの学校。

「ていうか舞彩まい、感想文、書いてる?」

「レポート」

「おんなじ」

 欠伸をしながら反論するのは、あたしのたったひとりの親友、芹沢来瞳せりざわくるめ。小学校の2年の時からのつきあいで、昨年度以外、ずっとクラスメートのつきあいでもある。

「書いてるの、舞彩?」

「書いてるよ」

「写させて?」

「レポートの意味、わかってる?」

「報告書、小論文。写経してはならないという文言は辞書に明記されていない」

「そういう意味を問うたのではない」

 こんな感じに、彼女は鼻歌同然のことを平気で口にする。天然ボケではない。彼女なりに、イニシアティブを狙って口にする。小さい頃からそうだった。つまり成長の見られない女。世間的に厄介な精神構造を宿しているあたしとしては、変わらないでいてくれる彼女がやたらとありがたい。

「夏目漱石とかでいいのかな」

「世界史」

「日本も世界の一部ですけど?」

 来瞳は、絶対にあたしに触れない。

『舞彩にはあたしがいるよ』

 葬式から数週間後、あたしの異変にいち早く気がついたのが来瞳だった。そして、なにも言わずに触れなくなった。

「吾が輩でいいと思う?」

「レポート」

「おんなじ」

 桟の電線に留まったまま、暢気のんきなことをのんべんだらりと囀る。机の上に突っ伏しながら、来瞳のハンドベルのような美声にうとうとと微睡まどろむ。よもやの癒し系JK

 そんなにも癒されたいのかあたしは。

 あれからもずっとナオには触れられないままでいる。せめて背中に触れてみようと思った志は、悪夢の恐怖と白のまばゆさにことごとく敗退。いつもどおりの登下校の待ちあわせには支障はないものの、いつもどおりに期待する接触の進展もまたいつもどおり、踏んだ二の足の裏でぺったんこになったまま。

 たぶん今頃、隣のクラスで昨日の続きを囀っている。まったりと、徒然に。

 ナオに、無性に触れたい。

 ナオに、無闇に触れたい。

 あの老人が気になっている。というか、ネームプレートを含めた上での、病室のすべてが気になっている。





 





 





 あの中の誰が「工藤尚輝くどうなおき」なんだろう。

 着流しの男?

 白衣の医者?

 遺体の老人?

 そのどれでもない?

『仏さんのお名前は、工藤尚輝さん』

 仏さん?

 なに、仏さんって?

 なんのことを言ってんの?

 病室のスライドドアを抜ければ必ず目が醒めるのかと思いきや、あの夢はそれほどシンプルなつくりではなかった。あたしは昨晩、さっさとドアを抜けて現実に戻ってきてやろうと試みたのだ。だけど、白い光に襲われることはなく、水色のプラスチックタイルが敷きつめられる長廊下へと出た。右にも左にも同じ形状のドアが設置され、そこかしこから仄かな人間の気配が漏れてくる落ち着いた廊下。

 ドアを抜けてすぐ目の前の壁に掲示板が備えつけられてあった。いくつかの覚書が貼られてある中、見知らぬ手品師の慰問をしらせるプリントが目に入る。

『2078年7月20日』
『郷峯本町老成医療センター』
『ベッキー修造の手品ショー』

 この3つが読めた。

 どれも現実的な字面ではなかった。

 脱力状態で唖然と、憮然と、茫然としていると、背後からかすかにあの台詞。

『仏さんのお名前は、工藤尚輝さん』

 とたん、急にあたしは猛烈な立ちくらみに襲われ、掲示板に手をついて支えることも虚しくくずおれ、脂汗、頭の中は真っ白で──間もなく失神すると同時に目が醒めた。

 つまりあの夢は、シナリオ通りに事が運ばれてるんだ。

『あぁ、そうですかぁ』

 という台詞にはじまり、

『仏さんのお名前は、工藤尚輝さん』

 という台詞に締めくくられるシナリオ。もちろん、台本にはあたしの失神も幕引の演出としてト書きされてある。

「わかった生理だ」

「何度もうるさい」

「顔、蒼いよ?」

「突っ伏してんのによく顔色がわかるね」

「毛根が蒼い」

「寝かして」

 夢はたかが夢だ。潜在意識や深層心理が絡んでいる。思い悩んだところですべてがあたし自身の内側の問題なんだし、ならば思いあたるフシは五万とある。ぺったんこのコレがいい例だ。

「だいたいさぁ」

 半オクターブをあげ、ハンドベルを増強させて来瞳は言う。

「世界の過去の栄光ごときを調べることになんの意味があんの?」

「温故知新」

「高校生って現在を生きる動物じゃん?」

「行動様式と学問は分けて考えよう」

「黙って従うとでも思ってんのかね?」

「義務教育じゃないからウチら」

「もう削る時間がないんだよ!」

「遊ぶ時間を削れよ」

 すると来瞳は軽く舌打ちし、いいよねぇ優等生はさぁ──ハンドベルを遠退かせた。どうやら窓の外に視線を移したらし

「言っとくけどあたしは舞彩みたくヒマな女じゃないんだ」

 すぐにハンドベルが戻ってきた。チラ見しただけか。落ち着きのない女。

「ショッピングしたり友達とタムロしたりカレシとチョメチョメしたり買い物したりするんだ」

「買い物をひとつ削れよ」

「物欲、ナメんな」

 あんたとは違うんだよ──ぶつぶつ声が遠ざかる。たぶん窓の外を

「あたしは消耗品を消耗品と認定した上でマーケットに臨んでいるのであって」

「うるさいくるめさん」

 昔からこんな塩梅。暇潰しに愚痴るのが趣味。そして結局は学校の教育方針に敗北する。つまり大言壮語。このあと、きっと彼女はレポートを完成させる。成果のない愚痴なんかにつきあわされる身にもなってもらいたい。

「眠いのよあたし」

 上体を起こして眉間の皺で咎める。

 すると来瞳、鼻の穴に小指を突っこむ。

「へぇ」

「ホジらないの」

「ナオ君を肴にして夜更かしなんかしてるからでしょ?」

「シてません。あなたとは違ってヒマじゃないんですよあたし」

「あら心外」

 吐き捨てるように言う。そして今度こそ窓の外を見ながら彼女は、

「これだから生理不順は」

「オールグリーン」

 パラシュート部隊かよ──つぶやくと、そのまま完全に背中を向けた。

 羨ましい後ろ姿。

 腰まで届く栗色の髪。キューティクルという言葉でできているような滑らかな髪。陽気な灰色の陽光にほだされて輝いている。出会った時からずっと、来瞳はこの髪色と長さと質感をキープしている。そのせいで生徒指導の先生とぶつかる。どうやら地毛らしいんスよ──人見知りなのにどれだけフォローしてきたことか。

 そう、あの少女とは違う。

 長さは同じぐらいだが、なにしろ色彩が違う。質感なんて雲泥の差。

 重たそうな漆黒の髪。ケアを完全に放棄したとわかるゴワついた髪。前髪も後髪もなく均一に伸ばされた、何者をも拒絶する内向的な髪。殻のような髪。

 陽性を地でいく来瞳とは正反対。彼女が太陽だとすれば、あの少女は月……いや、冥王星か。学問からも除外されたハデスの監理区域。

 あの不気味な少女があたしのどのような潜在意識や深層心理に根づいたヴィジョンなのか、真剣に考えるのもバカバカしい。ロールシャッハのテストにも及ばない、せいぜい飲み会の口説き文句に利用される程度の心理テストの素材にすぎないんだ。きっとそういうこと。そういうことにしておかないと、3夜連続してほぼ同じ怯え方をしているあたし自身が浮かばれない。

 ナオの笑顔を思い描いて布団にもぐる。

 ならば当然、速やかに眠りへと落ちる。

 どうやって触れようかと画策しながら。

 深く。深く。深く。

 やがて、



ご を ん ご を ん ご を ん ご を ん 



 ……いや、その前にあたしは、なにかを見ている。ワンクッションとして置かれた別の夢。怖がるタイプのものとは違う、安穏としているわけでもない不思議な夢。

 なんだっけ?

 なにを見てから、あたしはエレベーターの前へと移動するんだっけ?

 ……まぁ、なんでもいいや。

 すぐに諦め、また机に突っ伏した。

 突っ伏したのも束の間、またもや上体を起こすと、机の中からポーチ、さらに携帯電話を慎重に取り出す。現在の時刻を確認しておきたかった。

 スライドを解くと、

 ゔ ゔ ゔ

 気持ちを漫ろにさせる忌々しいバイヴ。機械音痴と称する怠慢が祟り、受信報告のバイヴの解除方法がわからず、悶々とした心地のまま今に至っている。

 メールが入っているらしい。

 とりあえずはディスプレイを確認。ち。ついうっかり舌打ちが出た。次の授業を迎えるまでにたったの2分しかなかった。せっかくの微睡むひと時が、暇人、来瞳によってまたもムダにされた。しかも今日は本気で寝たかったのに。

 小さなお尻を睨む。鼻歌に揺れている。

 溜め息を吐きつつ間を置かずにエンターキーを押す。

「落ち着きのない女」

 余所見をしたままぼそりと来瞳。どこに目がついているのか知らないが、

「あなたがね」

 一瞥もせずに吐息だけのあたし。丁寧に対応している場合じゃなかった。





日付  2010/06/01 10:48
差出人 You Love Books
件名  MAILより

■名前:
 月乃

■ホームページのURL
 http://**.****.**.**/*.***y=moonchild

■内容:



おぼえておいででしょうか。
月乃です。
ごぶさたしています。



ものすごく返事がおそくなってしまい
たいへんもうしわけないです。

ちょっと
家庭がごたごたしていまして。

おちこむこともありまして。

まだおちついてはいないのですが
多少は動けるようになってきたので
こうして返事を書きました。
(完全復活とはまだいきませんが)

雨音さんの掲示板のほうに
したためてもよかったのですが
事情が事情なだけに
私書箱にしました。



単刀直入にいいます。



雨音さん
悪夢を見つづけていませんか?



最近のことです。
(ここ1週間以内)

私自身
言葉ではうまくいえないことで
なんとも焦れったい文面でしょうが
非常に気になっていまして……

もしそうでしたら
ぜひご一報ください。
(そうでなければ気になさらず)



変な手紙でごめんなさい。

つぎは
ちゃんと掲示板におたよりします。

では。



――――
配信元
Abyss Media Works
東京都渋谷区渋谷x-xx-x

■お問い合わせ
http://xxxxx.xx/xxxxxxxx/xxxxxxxxx





 待ちに待った月乃つきのさんの訪問。

 メールの冒頭に浮かぶ「月乃」の文字で一気に気持ちが高揚するも、しかし、次の瞬間には急降下。

 悪夢・・!?

 熱く固い塊がゆっくりと、つかえながら食道をおりていった感じがした。溜飲とは違う。爽快さはまったくない。

 鳩尾みぞおちが不穏に苦しい。

 忘れられない、熱さ。

 ……悪夢……あくむ……

 そればかりが頭を駆け巡る。遠心力で読解力を根こそぎ奪取されながらも、ただひとつのテーマがぐるぐると巡る。

 身におぼえがありすぎる。

 あたしは、月乃さんに、ほんの一瞬だけ、信じてもいないような千里眼があることを疑った。とはいえ「あ、ここ絶対に居る」というような、説明不足なまま自分の霊感を誇示する個性派女優願望の滑稽こっけいさは、この文面からは微塵も感じられない。

 切迫感。

 なんだか、月乃さんのほうが切迫してる。

 穏やかながらも答えを急いでいる。

 ……いや待て。落ち着け。

 冷静さを自分に言い聞かせると、改めてメールに目を通す。

『家庭がごたごたしていまして』
『おちこむこともありまして』
『完全復活とはまだいきませんが』

 で、

『悪夢を見つづけていませんか?』

 ここがわからない。リンクを感じない。いきなり飛躍してる。

『最近のことです』
『ここ1週間以内』
『言葉ではうまくいえないことで』

 なぜ?

 なぜ月乃さんが?

 なぜあたしの悪夢を知ってるの?

 もしかして。

 もしかして……いや、違うか。

 でも、もしかして、月乃さん

「どした?」

 不意のハンドベルの横槍に思わず両肩を戦慄おののかせた。覗き見の防止シートが貼ってあるのにも関わらず、万引少女よろしく携帯電話を机の下へと隠す。

「ううん」

 ウウンもヘッタクレもないのだが、どうにか平静を装うと首を横に振った。

「ふうん」

 興味ナシと満面に描き、また桟にお尻をもたれさせて来瞳、いまだかつて耳にしたこともないようなハミングを暢気に口遊みはじめた。きっとオリジナルソング。

 こうして来瞳は、あたしの急所にだけは絶対に触れようとしない。プライバシーは絶対に守る。あたしもまた裸のつきあいはマッピラゴメンな性格で、赤裸々の隙間を埋めあうぐらいならばオシャレに着飾って賞賛しあう友人関係を望みたい。そういう意味では、来瞳はとても居心地のいい女。こんなテキトー女だけど、だからこそ長くつきあってこられたんだ。

 たぶん明日には完成するだろう次回作、主人公を影で支える物語のキーパーソンのモデルは、このテキトー女。

 決して悟られるわけにはいかない。

 平静を維持しながら携帯電話をオフる。大事にポーチにしまった。月乃さんからのメールについては家に帰ってからじっくり吟味しよう。学校という環境は、考えるのに絶望的に向いていない。第三者から余計な情報を刷りこまれるだけで誰もが手一杯。

 再三再四目に机へと突っ伏しなおすと、残り1分1秒を快復祈願とかけ、健やかな微睡みに努めた。

 1分でも長く、穏やかなるひと時を。

 1秒でも長く、悪夢にはない安寧を。

 そして、10秒後にチャイムが鳴った。





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Nanase Nio




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