空美は静かにしていたい
ゆらゆらと1枚の笹の葉が揺れているというだけで、出演者たちが大騒ぎしていた。なんのテレビ番組だったかは忘れたけれど、怪談や都市伝説、心霊動画やファベーラでのロケを通してみんなで怖がろうとする類の、いわゆる納涼企画特番。これを、私・万里さん・雲母さん・乃華さんの4人で見た。昨年の夏のこと。
この世の一員として、また新米の仲買屋として歩みはじめた高嶺乃華、彼女のサポートを、万里さんと雲母さんのゆらりコンビが買って出たのだ。要するに新人教育というわけで、しかし、なぜか私まで駆りだされた。
『乃華ちゃんを起こしたのは空美なんだから、サポートするのは当然でしょ?』
確かに、彼女は私のお客さんでもあった。初対面を経て役場へと連れて行ってからもしばらくの間は必要最低限のこの世のルールを教えてあげましょう──絶対の義務ではないものの、サービスの一環として、紹介屋の仕事のひとつにこれがあげられる。初勤務のときの、皆月珠美の件での後悔もあったし、だから、まぁ、当然といえば当然の話なんだけど、
『これを断るのはプロの紹介屋としていかがなものかと』
揶揄うような万里さんの言い方が不服だった。もちろん、断ることなんて私にはできなかったけれど。
駆りだされ、しぶしぶに同行。乃華さんへの依頼の品は年代物の振り子時計ということで、この手の品を取引しやすいらしい神保町へと向かった。その、ゆらりコンビが贔屓にしているアンテナ、彼の事務所でたまたま見たのが件の納涼企画特番。
ロケ先の山奥で、ひとりでに揺れはじめる1枚の笹の葉。アンテナを自称するアパテナが「これは危険ですよ」と焚きつけ、まわりのタレントやスタッフ、ナレーターやテロップまでもが騒ぎだす。あげくには「地縛霊」という、この世には存在しない単語まで飛び交う始末。
画面のなか、幽体なんてひとりもいなかった。
『ただの自励振動じゃん』
案の定、万里さんが鼻で笑う。
あとを継いで、
『例えば、こうやって葉っぱを揺らして、ひとを……生体を、怖がらせるひと……幽体って、例えば、いるんですか?』
まだこの世の専門用語を使い慣れていない乃華さんが、美しい先輩に尋ねた。
『例えば、そういうひと、いてもおかしくなさそうな気がするんですけど』
『やってもいいけど逮捕されるよ。この世には、生体の心身を意図的に脅かしてはならないという法律があってね。この法律のことを──はい空美さん』
『え、ご、互恵法、です』
『この世とあの世は確実に別け隔てられなくてはならない。これが侵害されると、いつか必ず双方に混乱や混沌を招くことになる。あたしたちには、幽体と生体、相互の幸福を平安に保つ努力が求められるというわけ。そのために互恵法という法律が象徴的に存在する。で、いま乃華ちゃんが言ったような怖がらせ方を意図的に実行すると──はい空美さん』
『え、えと、第三等互恵法違反罪、に、なります』
『ちなみに、幽体協同組合には、この世とあの世の秩序を取り持つ監督部門があって、この部門のことを──』
『互恵部といいます』
『はいよくできました』
紹介屋のお株は仲買屋によって完全に奪われた。
恨めしそうな私の視線には目もくれず、
『ま、呪詛霊とか覚醒霊とか、一部のおバカな活動霊とか、あとアパテナとかのせいで地縛霊騒動が起きてんのも哀しい現実なんだけどさ。しっかし、ああも怖がられたんじゃあ、善良なあたしたちが浮かばれないよ』
美貌を崩して万里さんが嘆く。
と──それまでずっと沈黙していた雲母さんが、おもむろに口を開いた。
『だれもがみな、他者のまなざしを欲しがる』
戯けた空気が一変。
『まなざしのなかへとおさまりたい』
ダークなメタルに。
『だから、怖がらせ、怖がる』
神秘的な垂れ目をテレビのバカ騒ぎに注ぎながら、
『しかしそのまなざしのなかは望む景色か?』
嘆くようでもなく、怒るようでもなく、
『いいや。想像せずにただ欲しがるのみ』
淡々と、彼女はヴィーナの弦を爪弾く。
『まなざしを向けることに専心すればよいものを』
地を這わせるように、
『見てのとおり、欲しがりの顛末は哀れで醜い』
低く、
『欲しがらないことだ』
深く。
『欲しがらない。欲しがらない。欲しがらない……』