栞

猫の目をした少女
空美は静かにしていたい




 ふと思いだした。

 押し寄せてきた。

 毎回のことだけど。

 今日のように無理やり仕事をあてがわれると、決まって、紹介屋としての初勤務の日を思いだす。

 もちろん、思いだせるほどには憶えていない。最初から最後まで失神しそうなぐらいに緊張していたから。いや、記憶にないのだから、やっぱり失神していたのかも知れない。なにはともあれ、初勤務の日のことが断片的に、走馬灯のように、フラッシュバックで頭のなかへと押し寄せてくる。




 猫の目をした少女。

 自殺だった。

 長く伸ばした触覚もみあげ

 急行電車に轢かれて。

 指でくるくると巻く癖。

 ネットで苛められて。

 泳ぐ上目づかい。

 顔写真をさらされて。

 挙動不審。

 全国に。全世界に。

『死。死んだ。死。死ん』

 なぜか停学処分。

『やっぱ死ん。マジか。マジかぁ』

 スマホのなかは誹謗中傷だらけ。

『マジで死んだか。ウソ。嘘だ。ボク。死』

 いくらで売ってんの?──とか。

 ぼそぼそとひとりごちて。

 オ○ネタさーせん──とか。

 口角が弓なりにあがってるから。

 いつまで生きてるつもりですか?──とか。

 微笑んでいるようでもあって。

 だれにも相談できず。

 それがすごく怖くて。

 ひとりきりで抱えこんで。

 人見知りってのもあるけど。

 でも抱えきれず。

 怖くて。怖くて。怖くて。

 辛くて。辛くて。辛くて。

 泣きながら。

 泣きながら。



『私もなんです……!』

『ボク死んだの……!?』




「あぁもう。毎回毎回!」

 大袈裟に頭を振ってフラッシュバックを断ち切ると、視線を空へと逃がした。曇りのない青空。底なしの青空。落ちてしまいそうな青空。そのまんなかに、米粒大の鳥の影。美しい、長元坊ジゼルの影。

 それから、占いの館へと視線をさげる。なんの変哲もないカスタードクリーム色の雑居ビル。ついさっき、このなかにテトさんは消えた。器用に、自然に、お約束のように、コンビニ袋をさげた事務員スーツの女性に張りついて、

『結果オーライでいいのよ。頑張ってね』

 アクティブに消えていった。

 ひとりになったら、やっぱり不安。テトさんの励ましはまだ効いているけれど、憂鬱に苛まれて肩を落とすのはもはや時間の問題。

 ふと、あの少女のことも思いだしてしまったし。

 彼女──名前は確か──なんだったか──猫の目を持つ、猫の口角を持つ、ホントに猫のような顔をした少女のことを、いまはどこでどうしているのかわからないけれど、いまもこうして思いだす。仕事をあてがわれるたびに、断片的に、走馬灯のように、フラッシュバックで思いだす。きっと心的外傷トラウマなのだろう。

 あのとき、初勤務の緊張とか、共感とか、いろんな感情に押し潰され、とうとう泣き崩れてしまった私を、彼女はたぶん、ずっと眺めてて、それで、たぶん、たぶんだけど、自分の死を悟ったのだと思う。あきらめたように、それとも、白けたように。

『あーあ。この程度か。ボクの人生』

 いや、このときはまだ悟っていなかったのかも知れない。自分を景気づけるために、悟ったようなことを口にしたのかも。

 あれから3年。彼女はもう悟っただろうか。自分の死を受け入れただろうか。まだ疑心暗鬼だろうか。それとも、産方みたいに、抱えきれずに、虜囚に、虜囚霊になってしまっただろうか。

『楽しくなさそうですね。こっちの世界』

『私もまだ咀嚼中です』

『ソシャクチュウ。あっはは。言い方』

 そんなような会話もしたっけ。

 元気かな。

 会いたい気もする。いや、たった1日で別れてしまったから、会うのが怖い気もする。

 元気かな。

 ちゃんと歩いてるかな。

 同い年。同い年なんだ。そう、同い年。

 小まめに連絡を取ってたら、友達になれたかな。私にとって、生まれてはじめての、同い年の友達に。

 元気かな。

 まだ、猫みたいな顔してるかな。

 猫みたいな。

 猫。

 猫……、

「……タマ」

 あぁ。

 思いだした。

 名前。

 猫の名前。


皆月珠美みなづきたまみ


 初勤務のまえの晩、源頼朝が数珠で必勝祈願──みたいな憶え方をしたんだっけ。とてもややこしい、ひどく遠回りな憶え方。

「みな、づき、たま、み」

 よくよく考えれば、私の名前「望月空美」に似てる。

「なんだよ」

 どうしていままで気がつかなかったんだろう。

 ややこしい憶え方をしてしまったんだろう。

 運命の出会いだったかも知れないのに。

 こんな前向きな共通点にまったく気づかず、おどおどしながら彼女のもとを訪れ、切羽つまって泣き崩れ、慰められるようにして役場へと向かい、アフターケアも思わないまま、むしろ逃げるようにして、右も左もわからないグリーンの彼女をこの世に放ってしまった。置き去りにしてしまった。

 元気かな──よくもそんなことを。薄情すぎる。

 大丈夫かな。

 まだ、かな。

「タマ……ちゃん」

 いま、私は「空ちゃん」って呼ばれたりしてる。

「珠ちゃん」って、呼んでたのかな。

 なんで、連絡、取りあわなかったのかな。

 同い年で、似たような境遇で、似たような名前なのに。

「なんだよ」

 運命、だったかも知れないのに。

「なにやってんだよ、私」

 つぶやきを叫んで、ふたたび、空を見あげた。

 いまだに小さな鳥の影。あの子の円らな瞳に、広い視界に、猫の姿は、映ってないかな。映っているなら、いますぐ、知らせてくれないかな。かつて、置き去りにしたこと、謝りたいんだ。そして、できれば、友達に、ムリかな、でも、できればでいいから、私の、友達に、なんか泣きそう、でも、友達に、なれない、かな、ムリかな、もう、もう、もう、ムリなのかな。




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Nanase Nio
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